混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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通過儀礼と砦の横暴 その3

 公弟殿下――その名を聞いた瞬間、胸の奥に、嫌な冷たさが走った。

 

 覚えがある。

 いや、忘れようとしても忘れられない。

 

 かつて公国の主――公主が、竜を従えようとした事があった。

 正確には、“従える”などという生温いものではないく、支配し、利用し、兵器にしようとして、その卵に手を伸ばした。

 

 そのとき私も関わり、竜の側に立って、卵を守るため奔走した。

 

 だからこそ分かる。

 あの家系は力を過信し、抑圧と暴力で以て、他を従わせようとする。

 

 公国という名も、伊達ではない。

 元は隣国の王制下にあった公爵家。

 王がいた時代、その庇護と特権のもとで力を蓄えた家だ。

 

 だが、王国は変わった。

 獣人融和政策を掲げ、血ではなく民意を選び、共和国となった。

 

 ――それを、彼ら公爵家は拒んだ。

 

 獣人と人が対等である世界を認められず、

王なき国を“堕落”と断じ、独立を宣言して自らの足で立つことにした。

 

 その結果、現在に至る。

 

 この砦の過剰な警戒。

 この苛烈な取り調べ――。

 

 獣人に対しては見せしめを――そして、共和国側に対しては、“情報”の遮断を兼ねている。

 

 ここまで執拗に取り調べるのは、仕事熱心が理由なのではない。

 共和国に、援助だの支援だの、“正義の口実”を与えない為だ。

 

 ――もっとも、それも時間の問題でしかないのだが。

 

 共和国の成り立ちを思えば、いずれ介入は避けられない。

 だからこそ、一日でも、一刻でも、引き伸ばす為に、たとえ獣人一人でも通さない様にしている。

 

 それにしても――。

 ……何て、間の悪い。

 

 私は心の中で悪態をついた。

 

 ロウランに謀られたか……と一瞬、そう思う。

 だが、すぐに思い直した。

 

 悪魔は言っていた。

 私に、魔力を使わざるを得ない状況を作り出す、と。

 

 もしかすると、これが()()なのかもしれない。

 

 目の前には、剣士と従者――いや、従者に扮した獣人が追い詰められている。

 

 助けるか。

 それとも、無視するか。

 

 どちらを選んでも、代償はありそうに思えた。

 そして剣士の方もまた、この絶望的状況を、よく理解しているだろう。

 

 何しろ、数が違い過ぎる。

 この場で戦うのは、正しく自殺行為でしかなかった。

 

 視線が僅かに動いて逃げ道を探すが、包囲は最初から完成している。

 

「んぅ……」

 

 その時、リルが私を縋るように見上げた。

 その目には不安と不満、そして何より――信頼がある。

 

 ――お母さんなら、きっと何とかしてくれる。

 そう信じ切った目だった。

 

 思わず息が詰まり、そして胸がきしんだ。

 

 ――この子の期待に応えない訳にはいかない。

 

 母として、師として、リルには“正しい”事をする姿を、見せておきたかった。

 

 そうして、私は不意に顔を上げる。

 砦の最上階の、細長い窓の奥に人影に向けて。

 

 こちらを見下ろすあの影が、例の公弟殿下に違いない。

 だが、見下ろしているのは分かっても、その顔までは判別出来なかった。

 

 だが、視線だけは確かに感じる。

 兵士たちは、完全に戦闘態勢を完了しており、剣、槍、弓をそれぞれ構えていた。

 

 特に弓が拙い。

 いつでも、命令一つで殺せる距離でありつつ、剣では絶望的なまでに遠い距離だ。

 

「ふぅぅぅ……」

 

 私はゆっくりと息を吐き、リルの頭に手を置いて、それから息をゆっくりと吸った。

 私に残された命は、全てリルの為に使うと決めている。

 

 魔力は出来るだけ使いたくなかったが、今回の件も、きっとリルの礎となるだろう。

 

 使うと決めた途端、脇腹から胸に掛けて、呪いが疼いた。

 まるで、呪いそのものが嗤っているかのようだ。

 

 私はリルに笑って見せて、それからこの状況を打破する覚悟を決めた。

 そのタイミングを同じくして、剣士が、低い声で、しかしはっきりと告げる。

 

「――逃げろ」

 

 従者の肩を、強く押す。

 その声には演技も虚勢もなく、ただ、覚悟だけがあった。

 

 私と同じ、命を投げ打つ覚悟だ。

 剣士は腰から剣を抜く。

 

 金属が空気を切る澄んだ音。

 その一歩が、石畳を踏み鳴らした瞬間――。

 

 弓弦が、鳴った。

 矢が飛び、一本目を剣士は身を捻り、紙一重で躱す。

 

 続く二本目。

 踏み込み、刃の腹で叩き落とす。

 

 ――中々、出来る。

 反射と判断、どちらも一級だ。

 

 だが、弓士の数だけ矢は飛んでいる。

 三本目、四本目、五本目……。

 

 少し遅れて放たれた矢が、一斉に剣士を襲う。

 これは、もう技でどうにか出来るものではない。

 

 剣で払える数ではなく、そして避け場もなかった。

 剣士の目が、わずかに見開かれる。

 

 その瞬間。

 ――私が一歩、踏み出した。

 

 脇腹に、痛みが走る。

 呪いが魔力の使用に反応し、その度に肌を覆う面積を増やした様に感じた。

 

 それを無視して、私は魔力を解き放つ。

 

「――“暴風の盾”」

 

 低く呟いた声に応じ、空気が吼えた。

 私たちの前に、目に見えぬ壁が立ち上がる。

 

 渦を巻く風は刃のように鋭く、しかし秩序を持った流れが、飛来した矢を悉く弾いた。

 

 触れた瞬間、軌道を狂わされ、あるものは弾かれ、あるものは砕かれ、あるものは力を失って、地面に落ちる。

 

 乾いた音が、次々と石畳に響いた。

 剣士は無傷で、同じく狙われていた従者にも怪我はない。

 

 ただし、二人とも動けずにいた。

 ただ呆然と、風の壁の内側で立ち尽くしている。

 

 代官が、眉一つ動かさず、変わらぬ笑みを浮かべたまま命じた。

 

「……続けろ。二射目」

 

 魔術はその使用に時間が掛かる。

 今のは予め準備出来ていたとしても、連発は不可能と見たのだろう。

 

 常識に照らせば、これは代官が正しい。

 訓練を受けた弓の斉射に、普通の術士は追い付けない。

 

 ――だが、ここに居るのは、普通の魔術士ではなかった。

 

 弓が、再び引き絞られる。

 だが、放たれた矢は、同じ結果を辿った。

 

 暴風に弾かれ、翻弄され、あるいは力なく落ちる。

 一本の矢さえ、二人に届かない。

 

 広場が、静まり返った。

 兵士たちの間にざわめきが走り、弓を引く腕が迷いを帯びる。

 

 砦の空気が、それで変わった。

 私は盾を維持したまま、前に出る。

 

 リルは私の背後で、小さな手で外套を掴んで付いて来ていた。

 

「……まぁ」

 

 私は高台を見上げ、次いで最上階の窓――そこにいる公弟殿下の視線を、はっきりと感じながら口を開いた。

 

「――この先は」

 

 静かに、しかし威圧を込めて言う。

 

「無用な流血になる」

 

 代官の貼り付けた笑みが、初めて歪んだ。

 私は、風の向こうで構えたままの剣士を見る。

 

 彼はまだ、現状に戸惑って身動き出来ず、真意を測りかねて私を凝視していた。

 

 ――選択は、もう済んだ。

 母として、教訓を与える者として、私はここで退くつもりは一切なかった。

 

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