緊張感が最高潮に達しようとした時、広場に何者かが入ってきた。
その数、四人。
巡回に出ていた兵士たちだろう。
全く緊張感を感じさせない足取りで、ひと仕事を終えた後のような、妙に弾んだ気配を醸していた。
そして、その内の一人が、何かをぶら下げるように持っている。
良く見てみれば、それは切断された獣人の首だった。
「見てはいけないよ」
私は咄嗟にリルの両目を手の平で覆った。
毛皮混じりの髪が風に揺れ、血は既に止まり、断面は乱暴に処理されたまま黒ずんでいる。
角度のせいで目は見えなかったが、それでも分かる。
恐怖の表情のまま、固まっている。
「砦を迂回しようとした不届き者どもを、誅して参りました」
兵士が、まるで狩りの獲物を報告でもするような口調で言う。
「岩壁を伝って渡ろうとしていました迂闊者です。止まるよう命じたが、これを無視した為、処断いたしました」
……やはり。
胸の奥が、冷たく沈んだ。
砦に入る前、私が見つけた二人組がいて、偽装して通ろうとしていた者たちだ。
兵士は全員、弓と矢筒を背負っているので、遠目から射止めて遺体は捨て、首だけを持ち帰ったのだろう。
そして、その首の行き先など、そう多くない。
――晒し首。
獣人相手なら、彼らはどこまでも残虐になれる。
威嚇と見せしめを兼ねて、喜々として槍の穂先へ飾るに違いない。
そんなことを考えている間に巡回兵たちも、この場の異変に気付いた。
いつもの処刑の途中だとでも思ったのだろう。
最初にあった気の緩んだ空気が、そうではないと気付いて一瞬で消える。
視線が鋭くなり、足が止まり、武器に手が掛かった。
人数としては、たった四人、敵が増えただけだ。
しかし――。
その四人が戻ったことで、片方の逃げ道が、完全に塞がれてしまった。
残るのはもう一方、共和国側へ通じる門だけだが……、あれほど分かり易い罠もない。
門はあまりに堂々と開いている。
だが、その作りは二重構造になっており、外門と内門、その間は狭い通路という形だ。
一歩でも踏み込めば、背後と前方、両方の格子が同時に落ちるだろう。
閉じ込められるのは、まず確実だ。
その後は、槍で串刺しにされるか。
あるいは、床が抜けて落とし穴か。
下に仕込まれた杭に、落下して貫かれる罠は、こうしたタイプの砦では、ごくありきたりな物だ。
「どちらにせよ、もう逃げられないな……」
そして、最初から、逃げ道などなかったのだ。
もしも、剣士が命を張って、従者一人を逃がしたとしても、格子の中で足止めされて終わりだ。
それを、高い所から見下ろしながら、彼らは悦に入ったりしたのかもしれない。
「秩序を守った」
「不逞を排した」
そんな言葉で、自分たちを正当化しながら。
私は、脇腹の疼きを堪え、息を整える。
暴風の盾は、既に消失していた。
維持し続けるのは不可能ではなかったが、何しろ確実に呪いが進行する。
私は高台の上へ――更に上と、視線を動かした。
公弟殿下は動くことなく、ただ静観を決め込んでいる。
代官を信頼しているのか、それとも私の横槍があろうと、事態は動かないと見ているのか――。
剣士と従者、首を持つ兵士たちと、武器を構える兵士たち。
そして――私と、リル。
これは、偶然ではない。
悪魔の言葉が脳裏を掠める。
――魔力を使わざるを得ない状況を作る。
なるほど、これがそうか、と思わされる。
私は、静かに理解した。
力を使うか。
それとも、すべてを見殺しにするか。
そうした選択を迫る、という訳だ。
これらを無視することは容易い。
しかし――。
背後で、リルの指が私の外套を強く掴んだ。
その温もりこそが、私に答えを突きつけてくれる。
矢を叩き落とせたところで、状況が好転した訳ではない。
剣を持つ者、槍を構える者、弓を引き絞る者――その数、合計で四十前後。
こちらは私とリル、それに剣士と従者だけだ。
誰がどう見ても圧倒的不利な状況だが、私一人の介入で睨み合いが始まっていた。
剣士は、一度は決死の覚悟を決めたものの、暴風の盾によって生じた『生還の可能性』が、その覚悟を鈍らせてしまった様だ。
暗闇の中で見えた、一筋の光明。
それを信じて良いのか、大いに迷って剣士の剣先が、わずかに揺れた。
その緊張が極限まで高まる中で、私はいっそ、拍子抜けするほど無頓着に、リルへと声を掛けた。
「教訓だ、リル」
例の生首へは視線が向かない様にしつつ、手の平を目から退けた。
そうして、まるで旅の途中の雑談のように続ける。
「砦の中で戦うのは、極力避けるべきだ。どうしても、という時でも、接近戦はするべきじゃない」
「――はい」
リルは、きちんと背筋を伸ばして返事をしたが、すぐに首を傾げる。
「でも、どうして? 弓や魔法なら、壁に阻まれるし……」
「いい質問だ」
私は兵士たちの動き、視線、呼吸の間を見ながら尚も続ける。
「そもそも、砦っていうのは、自分たちの有利になるよう作られている。それに、ここにいる連中が全てじゃない。あの中には、まだまだ敵が残っている」
リルは小さく息を呑み、裾を掴む力を強めた。
「だからね。やるなら――」
私は、視線を高台へ向けた。
「その“頭”を狙うのさ」
軍というものは、命令がなければ機能しない。
末端がどれほど武装していようと、指揮官を失えば混乱する。
言い終わるより速く、私は魔力を練り込み、一瞬で魔術を完成させると、暴風の力を集約した。
――その瞬間、空気が鳴いた。
敵が「何かおかしい」と認識するよりも早く、風は代官の身体を絡め取り、囲い込むと、そのまま――私のすぐ傍まで引き寄せる。
「なっ……!?」
代官は暴れ、腕を振り、逃れようとする。
だが、暴風の牢獄は、その動きをことごとく弾いた。
無駄だと分かると、今度は腰の剣を抜いて斬り付ける。
だが、剣は風に弾かれ、軌道を変え――自分の脛を裂いた。
「ギャッ……! つぅ……ッ!」
「馬鹿な真似はするな」
私は低い声音で忠告した。
兵士たちは武器を構え直して攻撃しようとしていたが、私の声で動揺する。
それは代官と兵達、両方に向けた言葉で、人質を取られた形の兵は、それで身動き出来なくなった。
「助けろ! 何をしている!」
代官の叫びに、何人かが動こうとするが、人質――いや、指揮官そのものが拘束されている以上、踏み出せない。
「余計な口も開くな」
私はそう言って、暴風の檻を縮めた。
掌の中でボールを握り込む様に、指を狭める。
すると、荒れ狂う風が縮まり、代官の眼前まで迫った。
鼻と口を覆われ、空気が奪われていく。
「……かっ……!」
呼吸が出来ない。
水の中でもないのに、肺が悲鳴を上げる。
「溺れてみるか?」
慈悲など必要なかった。
目の前の男は、通る者を選別するのではなく、ただ通さない為に道を塞いだ。
そして塞いだだけではなく、娯楽にも等しい気持ちで、彼らの命を奪っていたのだ。
私は血の染みに目を向けながら、淡々と問い掛ける。
「吸いたいのに、空気が入って来ないっていうのは、どういう気分だ? いっそ、楽にして欲しい感じか?」
代官の顔が、みるみる赤くなる。
魚のように口をパクパクと動かし、声にならない悲鳴を漏らした。
「おや、返事がないな? 悪い子だ。訊かれたら、きちんと返事をするものだぞ」
惚けた調子で言って、それから今さら思い出したかのように言った。
「……ああ、この状態じゃ、話せないんだったか」
そう口にして、檻の範囲を少し広げる。
「っ……! ゲホッ、ゴホゴホ……! は、はぁっ……!」
代官は崩れ落ちて膝をつき、貪るように空気を吸い込んだ。
咳き込み、涙を流し、口の端からは涎を垂らす。
あの貼り付けた余裕の笑みは、もうどこにもない。
「……殺して、やる……」
視線だけを上に向けて、怨嗟に満ちた声を漏らした。
プライドの高い奴が、それを傷付けられた時、大抵口にするのが、今の台詞だ。
そして私は、その台詞を聞き飽きるほど聞いている。
私はそれを鼻で笑い、今度はこちらが余裕の笑みを浮かべた。