混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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通過儀礼と砦の横暴 その6

 私は代官と公弟から視線を外し、少し離れた場所で座り込んだままだった、汚れた従者へと目を向けた。

 

 あちらも私の視線に気が付くと、ゆっくりと立ち上がって身体を向ける。

 

「……もう、隠す意味はありませんね」

 

 そう言って、従者が自らフードに手を掛けた。

 剣士が一瞬、止めようとしたが、少女は小さく首を振る。

 

 ゆっくりと外されたフードから現れたのは、淡い灰金色の髪と、その頭にはピンと立つ獣の耳だった。

 短く密な毛並みを持つ、鋭角的な輪郭が見える。

 

「……狼?」

 

 リルが小さく呟いた。

 私は頷き掛け、直後にそれは正確ではないと気付く。

 

 耳の付け根に走る白い筋と、瞳の色を見て訂正する。

 

雪原狼(ユキオオカミ)族だな」

 

 獣人国の北部高原に暮らす、寒冷地適応型の狼獣人で、結束が強く、族長の血統は特に重んじられる種族だ。

 

 そして何より――。

 

 公国との戦争で、最前線に立ってきた種族でもある。

 少女は、背筋を伸ばして名乗った。

 

「私は、セフィリア=ハルド=フェンリス」

 

 その名に、拘束されている兵士たちが、わずかにざわつく。

 

「雪原狼族連合評議会、北境守備を司る族長の一人娘であり、嫡子です」

 

 雪原狼族は獣人国の中でも、軍事的発言力が極めて強い一族だ。

 その族長の嫡子が、ここにいる。

 

 なるほど、剣士がフードを取らせないよう腐心する筈だ。

 殆ど無意味に等しかったが、あの場で正体が判明していたら……。

 

 それを思うと恐ろしいものがある。

 

「父は言いました……」

 

 その声は年齢に違わず幼いものだが、しかし、既に聡明さの片鱗が見えていた。

 

「国を守るために戦うのは、自分の役目。だが、もし自分が倒れれば、雪原狼族は次代を失う」

 

 兵士たちは言葉を挟まず、ただ聞いている。

 

「だから、父は――私だけでも、生かそうとしました」

 

 それは逃亡ではない。

 血統の保存であり、未来への賭けだ。

 

「この剣士様は、父の旧友です。護衛として、私を連れ出してくれました」

 

 剣士が、無言で一歩下がる。

 その態度こそが、何よりの肯定だった。

 

 私は代官を見やり、次いで公弟に目を向けた。

 彼は声を出せないままだが、戦争を一気に有利に進める手札が目の前にあったと知り、歯嚙みしている。

 

「獣人憎しで、戦火を広げたお前達だ。この娘が手中にあるとなれば、雪狼族の牙を折ることも出来たろうな……」

 

 だが、今や状況は全くの逆で、公弟こそが捕縛されている。

 

「まぁ、それはいいさ。今度は雪狼族が公国に対して脅す番だ。族長の娘と公弟では、公弟の方が政治的価値が高い。公国がどう出るか見物だな」

 

 代官の顔から完全に血の気が引き、公弟は歯嚙みしたまま睨み付けていた。

 私はセフィリアへと、二人を指差しながら話し掛ける。

 

「もう逃げる必要はないだろう。それどころか、これらを持ち帰れば大金星だぞ。英雄として祭り上げられるんじゃないのか」

 

「いえ、何を仰います……!」

 

 セフィリアは慌てて手を振った。

 

「我がことの様に振る舞うなど……! 全てはあなた様が行った事ではありませんか! そう、そうです……! 丁重にもてなし、然るべき恩賞と――」

 

 言葉を発する毎に興奮を強めたセフィリアに、私は手を上げて待ったを掛けた。

 

「悪いが、そういうのは無しだ。今し方、獣人国を縦断してきたばかりなんだ。すぐにでも帰りたい」

 

「しかし……」

 

 残念そうに眉根を顰め、何とか引き留めようとするセフィリアだったが、私は頑として首を振らなかった。

 

「我々は大変な恩を賜りました。それに報いねばなりませんし、怠たったとなれば一族の恥です。名誉の為にも、どうか……!」

 

「難しい言葉を、よくもまぁ……。リルとそう変わらない年だろうに……」

 

 それこそ、一族の長の嫡子として、幼い頃から厳しく育てられたから、出来る事だろう。

 

 比較しても詮ない事だと苦笑して、私はリルの頭をフードの上から撫でた。

 リルはくすぐったそうに身を捩り、その間にセフィリアの視線に気付くと、私の後ろへと恥ずかしそうに隠れた。

 

「そちらの気持ちも良く分かるが、私達にも急ぐ理由があってね……。今回は辞退させて欲しい。申し訳ない」

 

 本当は、そんな理由など存在しない。

 ただ早く帰りたいだけだ。

 

 だが、ここで素直に歓待を受けてしまえば、どれだけ日数が嵩増しになるか分からないのだ。

 

 来た道をまた戻らねばならず、御礼の言葉一つで終わる訳もない。

 公弟の身柄を確保するというのは、それだけ大きな価値があるし、歓待もまた、それ相応の規模になるだろう。

 

 また、これを聞き付けたロウランとガレイが駆け付けるのは想像に難くなく、魔女さまよ精霊の愛し子よ、と騒ぎ立てるのが目に見えるようだった。

 

 それらを考えれば、その後の対応を想像するだけで、頭が痛くなる思いがする。

 だから、辞退する以外の選択肢が、私にはなかった。

 

「そうですか……」

 

 セフィリアは残念そうに――とても残念そうに目を伏せ、それからパッと顔を上げた。

 

「では、せめてお名前を……! 我らに多大なるご助力下さった方の名前を、せめて語り継がなければ……!」

 

「そう言う大袈裟な事をして欲しくないから、名乗るわけにはいかないな……」

 

「無欲なのですね……」

 

 セフィリアは感動の面持ちで、感涙さえ浮かべているが、私の本音はただひたすらに巻き込まれたくない、というだけだ。

 

「で、では、せめてこれを……!」

 

 セフィリアは服の裾を裏返し、そこに縫い付けていた小袋を引き千切る。

 子どもの掌にすっぽりと収まる大きさだが、そうした所に隠していたとなれば、何か高価な物だと想像がつく。

 

 セフィリアは袋の中身を見せるようにして広げ、中身を一つ取り出しながら言った。

 

「これは父が、私に持たせてくれた宝飾品です。換金率の高い物を、特に選んでいます。私が逃げ延びた先でも、しばらくは苦労せずして暮らせる様に、と……」

 

 セフィリアは宝石があしらわれた指輪を袋に戻し、口を絞って捧げ持つ様に渡してきた。

 

「せめて、こちらを……。命を救われた恩、そしてこの戦の成否に関わる重要な人質を与えて下さった恩には到底、足りる物ではありませんが……。でもどうか、これだけでも受け取って貰えませんか」

 

 そうまで言われたら、これを固辞する方が非礼に当たる。

 私は指先で摘まめる小袋を受け取り、改めて両手で持ち直すと一礼した。

 

「では、有り難く……。そちらの要望には応えられないが、事情を説明しに行く間、ここを預かるくらいはしても良い」

 

「本当ですか……!?」

 

「どちらか一人が残るにしろ、不安は拭えないだろう。残る方が安全そうだが、針の筵状態で、常に気が休まらないだろうし……」

 

 手足を縛り直すにしろ、援軍が駆け付けて来るまで、数日は掛かる。

 その間、少なくとも公弟だけは生かさなければならないし、その地位の高さを考えれば、貴賓室の様な場所で監禁程度に留めなければならないだろう。

 

 その間にも、彼らは必ずこの状況を打破しようと画策する筈だ。

 その監視役として、セフィリアには荷が重すぎるように思うし、かと言って、一人旅させるのも危うく思える。

 

 結局、たった一人の監視では、全てにおいて手が足りない。

 もしも逆撃に遭えば、悲惨な結末は避けられないし、いかにも寝覚めが悪い。

 

「セフィリアの申し出を断る以上、それぐらいしなくてはな。私なら睨みを利かせるに、不足という事もないだろう」

 

「それは、えぇ……! 勿論ですとも!」

 

 セフィリアは手を合わせて一礼すると、早速、剣士を伴い動き出す。

 

「では、グズグズしていられませんね! いち早く父上にお知らせし、この奇貨を活用して頂かなければ……! ありがとうございます、旅のお方……! ありがとう……!」

 

 セフィリアは何度も頭を下げ、剣士もそれに倣って頭を下げる。

 踵を返そうとした所で、私はその背中に待ったを掛けた。

 

「な、何でしょう? もしや、何か粗相を……?」

 

「いいや、そう言う事じゃなくて、徒歩で行くのか?」

 

「はい、それはそうです……。私の足での移動ですから、少々お時間頂く事になってしまいますが……」

 

「だったら、私の獣車を使うと良い。荷台を切り離せば、より速く移動出来るだろう」

 

 セフィリアはキョトンと目を丸くし、それから恐る恐る尋ねる。

 

「宜しいのですか……? そこまでして頂くと、大変恐縮してしまう、と申しますか……」

 

「いや、是非使ってくれ。こちらも手早く済むに、越したことはないんだ。ここで待機させていても、別に使い途はないしな」

 

「ですが……」

 

 尚も渋る様子を見せたのは、これ以上、借りを作らない為だろう。

 返せない借りを積み重ねる事は嬉しい事ではないし、それに彼女――彼女の一族は、そうした約束事を重んじる種族でもある。

 

 だが、それまで控えていた剣士が、すっと耳元に顔を寄せて言った。

 

「旅の安全性が良くなるだけではなく、何より掛かる時間が段違いだ。ここは受けておくべきだ」

 

「そう……、そうですね。では、お言葉に甘えて宜しいでしょうか」

 

「あぁ、そうしてくれ。速く帰って来てくれる事が、私にとって、何よりの褒美だ」

 

 セフィリアは困ったように笑って、それから私の方が恐縮してしまう程、頭を下げた。

 

 獣車から荷台を取り外す手伝いをした後、剣士と二人乗りで去って行く。

 流石の健脚で、二人の姿はあっという間に見えなくなった。

 

 その背に向かって、リルは残念そうに見送って、手を振っていた。

 

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