広場を抜け、少し落ち着いた通りへ足を向けると、共和国の王都でも、ひときわ存在感のある建物が目に入った。
石と木材を組み合わせた堂々たる建築で、正面には大きな紋章――交差する剣と、開かれた書が掲げられている。
言うまでもない、冒険者ギルドの本部だった。
「……大っきいねぇ~。これも街のより、大っきいんだぁ」
荷台から身を乗り出したリルが、思わずといった声を落とす。
「この国で、一番大きなギルドだからね」
出入りする者たちの雰囲気も、どこか張り詰める者を感じられる。
軽装の若者は少なく、鎧や外套に刻まれた傷の数が、ここでの“格”を物語っていた。
掲示板が外からも見える位置に設えられているが、貼られている依頼書はどれも、物騒な文言ばかりだ。
――討伐。
――制圧。
――未開調査。
――高位魔獣。
「簡単そうな依頼、一個もないね……」
「例えば、薬草の採取とか? ……そうだね、そういうのは、ここにはない。あらゆる地方から、手に余る問題が、ここに集まる様になっているから」
このギルドは、共和国でも最も位が高く、腕に覚えのある者しか、そもそも居場所がない。
「ついて行けなくなった冒険者は、どうするの?」
「別の街へ移るのさ。自分でも手に負える仕事のある街へ。それだけの話だな」
簡単に言ったが、実際は残酷だ。
ここに居られること自体が、冒険者にとっての地位を保障する。
それを失うのは、“都落ち”と称され、蔑まれる事なのだ。
今この時、ギルド本部に所属出来る実力があっても、毎年新人はやって来るし、後輩は実力を付けてくる。
だから皆、必死になる。
蹴落とされまいと、仲間にも、後輩にも、時に自分にさえ容赦がなかった。
ここで続けて行くには、その激しい競争を勝ち抜かなくてはならない。
しばらく見上げていたリルが、ふと思い出したように言う。
「ねえ、お母さん。モンティ、冒険者になりたいんだって」
「……へぇ?」
「ミーナちゃんは、モンティのこと好きだから、ついて行きたいみたい。モンティ一人じゃ不安だから、って言ってたけど……」
「確かに、モンティ一人だといかにもすぐ、大きな失敗をしそうだな」
含み笑いにそう言うと、リルも頷き、それから少し間を置いて、こちらを見上げる。
「わたしも、冒険者になろうかなぁって思ったんだけど……。どう思う?」
私は獣車を道の端に止める。
すぐには答えなかった。
ギルドの扉から出てくる冒険者の顔が、視界に入った。
そこには誇りらしきものも見えたが、同時に、疲労と諦念が入り混じった目をしていた。
依頼の達成状況が悪いのだろうか。
都落ちも近いのかも知れない。
「……あまり、賛成は出来ないな」
リルの表情が、わずかに曇る。
「本当にやりたいことなら、お母さんは応援したい。でもね……」
私は手綱から手を離し、振り返って目線を合わせた。
「危険な仕事をさせたい、と思う親はいないものだよ。モンティも何度となく、反対されたんじゃないかな」
今もまだ説得中なのか、それとも根気よく自分の目標や夢などを語って、承諾を得たのかまでは分からない。
冒険者という生業は自由で、格好良く見えるものだが、決してそれだけではないのだと、リルは知っておかなければならない。
――いや、リルだからこそ、知っていて欲しかった。
「冒険者なんてものは、それしか道がなかったならず者崩れか、最初から英雄を夢見る狂人か、夢見がちに憧れて飛び込む人がやる仕事だ」
リルは少し不満そうだったが、視線を逸らさしてりはせず、ただ黙って聞いていた。
「そして、“命を削って”やる仕事なんだよ。――でも、リルは違う」
私はきっぱりと断言した。
「リルは器量がいい。頭も回るし、手先も器用だ。薬草の知識だってあるし、読み書き、計算を高いレベルで行える。……もっと安全で、もっと良い仕事を選べるんだよ」
少し考えてから、私はわざと明るく続けた。
「例えば……、お菓子屋さんはどうだろう?」
頭の耳がピクリと動いたが、しかし、リルは応えなかった。
「毎日お菓子が食べられるぞ?」
重ねて魅力を伝えてみたが、リルからは、じとっとした目で視線を返すだけだった。
「……お母さん」
「なに?」
「お菓子屋さんが、自分の作ったお菓子を食べ放題じゃないのは知ってるよ」
淡々と、そう言って息を吐いた。
「商品だもん」
「……うっ。昔のリルなら、真っ先に信じてくれたのに……」
そして、素敵だ何だと、飛び跳ねて喜んだに違いない。
私の漏らした本音に、リルは歯を見せて笑う。
その笑顔を見て、寂しさと同時に、別の感情が込み上げてきた。
リルはもう、何も知らずに騙される子どもではないのだ。
世の中の常識を身に付け、順応しようとしている。
それが少し寂しくて……しかし、同時に誇らしい気持ちになった。
「まだ、急がなくていいだろうさ」
獣車の手綱を取って、歩き出させながら、私はそう言った。
「リルが本当にやりたいことはきっと見つかるよ。友達に合わせる必要はない。そしてね、それを一緒に、お母さんと考えたって良い」
――何しろ。
冒険者には知られざる裏の顔があった。
低ランクに属している内には関係ないが、S級に到達すれば、否が応でもそれに関わる。
断るという選択肢は存在しない。
冒険者ギルドとは、その為にある様なものだ。
その真実を知ったとき、リルは不快に思うだけでなく、大いに反発するだろう。
そしてリルの器量ならば、“獣人はS級になれない”という前例を越えて、到達するに違いない。
苦労の果ての栄光――。
その筈なのに、絶望する顔など見たくない。
そんな事をつらつらと考えながら、冒険者ギルドの開かれた扉を横に、私たちは再び、人の流れの中へ戻ろうとした。
この子の未来は、沢山の可能性で溢れている。
一時の気持ちで決めるものでもないし……それにまだ、リルは九歳と幼い。
候補の一つに挙げる所までは良いとして、即座に決めるものではなかった。
そんな事を考えながら、ギルドの正面を横目に、その脇道へ抜けようとした、その時だった。
「――わっ」
どっと、空気が弾けるような歓声が起きた。
剣と剣がぶつかり合う、乾いた金属音が聞こえる。
そして、それに混じって、野次とも応援ともつかない声が飛んだ。
「なに、なに?」
リルがぱっと振り返り、耳をくりくりと動かしながら、目を輝かせる。
「お祭り? ねぇお母さん、見に行っていい?」
「……いやいや、こんな場所で祭りはないだろう」
思わず、ギルドの建物を見上げる。
冒険者ギルドで催し物……、あり得ない話とまで言わないものの、あまり似つかわしいとは思えなかった。
「ねっ、何でも良いから、行こっ! ほら、あっち!」
小さな手が、再び上がった歓声を指差す。
仕方ない、と私は溜め息を一つ吐きながら、獣車の向きを変えた。
歓声の他には
「……少しだけだよ」
建物の脇へと入り、石壁と裏通りに挟まれた半端な空き地へと向かうと、そこには軽い人垣が出来ていた。
冒険者風の者、通りすがりの市民、獣人も人間も入り混じり、それぞれ囃し立てながら、何かを覗き込んでいる。
「やっぱり、催しとは違うな……」
そう口にしながら、彼らの肩越しから中を覗いた瞬間、私はある程度、状況を察した。
私闘か、あるいは指導か……。
抜き身の剣を持った二人が、向かい合っている。
一人はまだ若く、見たところ十代の半ばだろう。
体つきが細く、髪の短い女剣士で、構えに余計な力が入っていた。
まだ新人冒険者――そう呼ぶのが相応しい様相だ。
その女剣士には、同年代の少女たち三人が傍に居て、一際大きく声を張り上げながら応援していた。
「頑張れー!」
「気持ちで負けるなよぉ~!」
「あんなこと言われたんだ! 少しは目にもの見せてやって!」
きっと、同じパーティーを組んでいるのだろう。
少女達の憤慨を受け取り、女剣士は構えを取り直した。
「やる気なのは結構だがよォ……」
もう一人は、三十路に差し掛かった頃合いの男だった。
女剣士とは違い、無駄のない姿勢で剣を構える所には、大きな余裕が透けて見える。
「――ヤッ!」
次の瞬間、女剣士が踏み込んだ。
速くはあるが、それだけの剣だった。
男は半歩、横へ身体を逸らすだけで、剣を合わせることもせず躱す。
女剣士はそれでも食らい付き、斜めに横薙ぎしたのだが、それも空を切る。
「……何か、素直すぎるね」
リルは私との鍛練を欠かさず行っているから、その実力は大したものだ。
同年代どころか、二回り年上の者さえ圧倒する実力を持っている。
素人の剣技など、上から目線で評価出来て当然でもあった。
私はそれに、ただ無言で頷く。
一方的に攻めているが、既に息も上がり始めている。
それでも、男は一度も攻撃を受けていない。
剣先が届く直前で、既にそこにはいないのだ。
派手な技など見せるまでもなく、その実力差が大きく離れてる事が、一目で分かる光景だった。
周囲から、囃し立てる様な声が上がる。
これは催しではないし、訓練とも、正式な試合とも違う。
だが一応、見世物としては、成立してしまっていた。
「……それも、辱めの意味に近い、晒し上げが目的か」
強さを示し、測り、知らしめる。
上下関係を叩き込むには、確かに有効な手段だろう。
だが、男の顔には下劣な品性が滲み出ている。
訓練ではなく、恥を掻かせる為に、敢えてこの戦いを受けているとしか思えなかった。
「ヤァァッ!」
女剣士が、最後の力を振り絞るように突っ込む。
そこで男は、初めて剣を振った。
乾いた音と共に剣が打ち払われ、女剣士の手から弾け飛ぶ。
女剣士は硬直して咄嗟に動けず、ただ信じられないものを見る表情をさせていた。