リルの柔らかな髪と、ふわふわな耳を撫でて癒やされている最中、ふと思いたって動きを止めた。
よくよく考えると、先程の行動は、娘の教育に、良い影響を与えないのではなかろうか。
冒険者のやり口は見ていて不快だったし、私も衝動的に文句を口に出していた。
だが、やりようは他にもあったし、もっと穏便な手段はあったように思う。
今から軌道修正は可能だろうか――。
私は必死に考えながら、リルの頭から手を離して、真面目ぶって口にする。
「いいかい、リル。今回はあの冒険者も悪かったけど……でも、お母さんにも悪い所があった」
「そうなの? お母さん、ゼンゼン悪くなかったと思うけど……」
不思議そうに問い返すリルに、私は首を横に振って答える。
「いいや、お母さんには、相手の実力が分かっていた。自分より弱いと分かった上で、挑発し……怒らせた」
「……うん」
「私はあの行為を下劣だと思ったし、止めさせるべきとも思った。でもね、わざと激昂させ、引けない状況に持って行く必要はなかった」
「でも、怒った相手も悪いんじゃないかなぁ。だって、ホントの事を言っただけでしょ?」
私は大いに頷いて続ける。
「それは、その通り。でもね、圧倒的に強い方が、相手を精神的に追い詰め、逃げられない状況を作ってから叩きのめす、というのは……」
私はここで一拍、置いてから続けた。
「これを“卑劣”と言う」
リルは耳をピンと立て、思わぬ事を聞いた表情で、目を丸くさせた。
「ひれつ……」
「正しく身に付けた力は、正しく使わなければ意味がない。リルはそういう使い方が出来る子だ。……出来るね?」
「はいっ!」
リルが背筋を伸ばして返事をした所で、人垣の中から飛び出して来る人影があった。
反射的にそちらを見ると、最初に組み伏せられていた、あの女剣士だと分かる。
その後ろには仲間らしき女性冒険者達もおり、それぞれが感動の面持ちでこちらを見ていた。
「まだ帰ってなかったのか……。騒動の間に姿を隠してれば良かったものを……」
「いえ、矢面に立って頂いたのに、勝手に帰るなど……! そんな失礼な真似は出来ません。それに……!」
只でさえ輝く瞳が、それで更に輝きを増した。
……何だか、嫌な予感がする。
「あの……、どうか……どうか、貴女の弟子にしてくれませんか!?」
「お願いします、わたしたちも……!」
女剣士だけでなく、その仲間達まで、声を揃えて懇願してくる。
「何でこういう事になるかな……」
額に手を当てて溜め息を吐くと、女剣士とその仲間は、次にリルへ顔を向けた。
「娘さんですか!? では、日頃から色々と教わって……?」
「んぅ……、そう。お母さんに剣術とか、他にもいっぱい……」
人見知りする子ではないのだが、その気合いに気圧され、私の後ろに回って、それだけ答えた。
女剣士は大いに感動して、更に意気込む。
「では、姉弟子ですね! 私はクリス・ブルーイブと言います。宜しくお願いします、姉弟子!」
「あ、姉弟子……!」
その単語を聞いた途端、リルは私の後ろから飛び出して、腕を組んでは大儀そうに胸を張る。
「正しく身に付けた力は、正しく使わなきゃダメなんだよ!」
鼻をぴすぴす、と鳴らす誇らしげな姿は、尊大な態度なのにもかかわらず、ただ愛らしいばかりだ。
それは彼女たちも同様で、拍手をしたり、妙に頷いて見せたりで、口々に褒め称えている。
「姉弟子、可愛い!」
「姉弟子、流石です!」
煽てられて、リルはみるみる、やる気に満ちていく。
今にも勝手に全員の面倒を見る、と言いだしかねない雰囲気だ。
私はその前にリルを抱えて、その場を逃げ出す。
「盛り上がってるところ悪いが、弟子入りは認めていない。諦めてくれ」
「ああっ、そんな! 師匠~っ!」
師匠じゃないし、なるつもりもない。
大体、我が家に連れて帰れる訳もないのだから、断る以外に選択肢などないのだ。
人垣の間を駆け抜けようとすると、彼らは吹き飛ばされるとでも思ったのか、サッと左右に分かれる。
今は一応、ありがたく思いながら、出来上がった道を突っ切ろうとした。
しかし、横合いから憎々しい視線を受け取り、咄嗟に顔を向ける。
そこでは、ようやく
その顔からは、敗北を認め、謙虚になる態度など微塵もなく――。
復讐を誓う、醜悪な憎悪が見え隠れしていた。
※※※
その後は、獣車に飛び乗るなり手綱を乱暴に叩き、振り切ることで事なきを得た。
しかし、獣車を預けられる宿屋はそう多くなく、宿選びは難航した。
ようやく見つけた時には、既に夕方だった。
食事を取って部屋に入ると、リルはベッドにダイブして、泳ぐ様に足をバタつかせる。
「久々にゆっくり寝れるね!」
「うん、砦にもベッドはあったけど、安眠なんかとは程遠いものだったし……。今日は安心してお眠り」
「うんっ!」
リルは枕に一度顔を
しばらくすると、微かな寝息が聞こえてくる。
「そんな格好じゃ、寝苦しいだけだろうに……」
私は苦笑しながら、リルの身体を起こして横たえてやる。
そのあどけない寝顔を見ていると、今日の疲れなど、どこかへ吹き飛んで行ってしまう。
今日の――。
私はむっつりと押し黙って、窓の外を見る。
王都の外れにある宿屋だが、流石に人口の多さが桁違いだけあって、こんな場所でもヒトの往来は激しい。
夕方の帰宅時間や、仕事終わりの時間帯と重なっているからか、尚のことそう感じるのかもしれなかった。
――今日の冒険者は、恐らくこのまま黙ってはいないだろう。
安いプライドの為に……そして、幾らかでも評判を挽回する為に、なんらかの手を打とうとする筈だ。
正面からは来ないだろう。
彼我の実力差は、あまりに明かだ。
それを分からぬ筈もない。
ならば、他に何の手を打つか――。
考えられる可能性は、それほど多くなかった。
リルの首元まで、しっかり布団を整えてやると側を離れ、悪意に対する反撃をどうするべきかを考え始めた。
※※※
夜も深まり、誰もが寝静まる時間帯になってから、彼ら四人は姿を現した。
周囲に気配を配り、体勢を低くしながら、足音を消して、私達が泊まる宿へと近付いて行く。
その一部始終を、三件離れた建物の屋根から、私は窺っていた。
「フン……」
隠密行動は素人に毛が生えた程度で、全くなっていない。
周囲を何度も確認するせいで、どこから見ても完全な不審者だ。
私は音を出さずに屋根の上を飛び移り、そしてやはり、音も無く彼らの後ろに降り立った。
最後尾とは、手を伸ばせば届く距離だと言うのに、誰もこちらに気付く素振りもない。
先頭を行くのは喧嘩を売ってきたあの剣士だが、見るのは正面と左右ばかりで、後ろには全く注意を払っていなかった。
役割分担でもしているのだろうか。
その割に、最後尾の戦鎚使いは、後ろの確認があまりに散漫だ。
さて、一気に昏倒させてしまうか、と思った所で、押し殺した声が前から聞こえて来た。
「なぁ……、本当にここか? 間違いないのか?」
「獣車に乗ってる奴なんざ、ごまんといるがよ。森獣となれば、話は別だ。ここで間違いねぇ」
どうやら、先頭を行く二人が話し合っている様だ。
「でも……、本当にやれるのか? 最初は確かに油断もあったが……、明らかに俺達より上だぞ」
「だから、寝込みを襲うんだろうが……! どんな達人だってな、眠らず生きられりゃしねぇんだよ」
「それは分かるが……」
口ごもる仲間に対し、苛立ちを交えながら、押し殺した声音で言う。
「いいか、分かってんのか? 今日中に何とかしねぇと、俺達ぁ居場所を失くすんだぞ」
「まぁ、あんだけ派手にやられちゃあな……」
「自業自得とは思わねぇよ。あの女、明らかにやり過ぎた。アレのせいで明日から、ギルドから仕事なんか回って来ねぇ」
「そうだな……。俺達にも生活があるからな……」
「ふん縛って連れ回してよ、周りの奴らに知らしめてやらねぇと、王都からだって締め出され兼ねねぇんだ……!」
話す毎に興奮度合いが高まっていき、鼻息も荒くなる。
「本人が駄目なら、ガキを人質って手もある。とにかく、やるんだ。やらねぇとよ……A級の看板に泥塗った、てなぁ……、他のA級から制裁される……!」
リルの事を口に出した時点で、彼らの命運は決まった。
私だけを狙うなら、まだしも痛め付けて返すだけで済んでいたのに……。
彼らは、私の逆鱗に触れたのだ。
――掻かなくて良かった、要らぬ恥を掻いて貰う。
私は暗い視線を四人に向け、そして一瞬の間に、悉く意識を刈り取った。