混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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王都 その6

 翌朝は、朝がすっかり明けた頃に宿を出た。

 獣車の手綱を掛け直し、荷の具合を確かめる。

 

 リルはもう慣れた様子で、いつもの荷台の定位置に腰を下ろした。

 毛布を膝に掛け、まだ少し眠そうに目をこすっている。

 

「寒くない?」

 

「だいじょうぶ。それより、早く森に帰りたい……。アロガいないんだもん……」

 

 そう言って、リルの手が宙をまさぐる。

 いつもなら、アロガの頭が有るような位置だ。

 

 リルが時々……そして、多くは私がブラッシングしているお陰で、アロガの毛皮は撫で心地が良い。

 

 手慰みというか、手癖と言うべきか。

 とにかく撫でる事が動作の一部と化す程なので、それがないせいもあって、寂しく感じてしまうのだろう。

 

 こればかりは、ナナがどれだけ気を紛らわせようとしても無理だ。

 何くれと話し掛け、機嫌を取ろうとしているが、リルは寂しさを募らせるだけだった。

 

「うぅ~……、アロガぁ~……」

 

 代わりにナナの頭を撫でたのだが、その感触の違いにすぐ放り投げてしまった。

 

「き、傷付くわね、そういう態度……。まぁ、アロガの代わりは出来ないって、分かってるけど……」

 

 そう言いつつ、アロガに嫉妬めいた気持ちを抱いていそうな視線を向けた。

 それからふと、ナナは顔を上げて不思議そうな顔をする。

 

「リル……あれ、なにかしら?」

 

 ナナが指さしたのは、街の中心――広場の方角だった。

 人の気配が、異様に濃い。

 

 まだ朝早くだというのに、ざわめきが風に乗って届いてくる程だ。

 

「……スゴい人だかりだね、何だろ?」

 

「さぁて、何が起きているやら……?」

 

 私は分からない振りをしつつ、首をかしげる。

 このまま無視して通り過ぎようとした所、リルの好奇心に満ちた視線を向けた。

 

「いこっ! お母さん!」

 

「いやいや、行かないよ。アロガに会いたいって言ったばかりだろう? そっちに寄ったら、もっと帰る時間が遅くなってしまうよ」

 

「えぇ~……!? でもでも、楽しそう……!」

 

「いやいや、楽しい事などあるものか。むしろ、嫌な物を見ることになるよ」

 

「お母さん、あそこで何やってるか、知ってるの?」

 

 一瞬、言葉に詰まったものの、そんな事はおくびにも出さずに言う。

 

「そんな事あるもんか。でもね、お母さんくらいになると、大体分かってしまうんだな」

 

「ふぅ~ん……。でも、行きたいっ!」

 

 リルは昨日もお祭りと思って、肩透かしを受けているので今度こそは、と思っているのだろうが……。

 残念ながら、リルが行っても楽しい事にはなっていないだろう。

 

「ねぇ、お母さん! おねがい! お~ね~が~い~……っ!」

 

 仕舞いにはグズり始め、私は深く溜め息を吐いた。

 

「やれやれ、仕方ない……。少しだけだよ」

 

「やった!」

 

「でも、本当に楽しい事にはなってないから、そこの所は覚悟しておきなさい」

 

 獣車を脇に寄せ、広場へ向かう。

 そうして近づくにつれ、人の輪もはっきりと見えて来た。

 

 老若男女、獣人も人間も入り混じり、笑い声や囃し立てる声が飛び交っている。

 

 そして――、見えた。

 広場を取り囲むように立つ石柱、そこに逆さ吊りにされた男達がいる。

 

 昨日、逆上して返り討ちにされた冒険者達だ。

 しかも、装備や肌着まで、全部脱がされた全裸状態だった。

 

 手足を縛られ、口には猿ぐつわもされている。

 顔が真っ赤に染まっているのは、何も逆さ吊りだけが原因ではない。

 

 羞恥と屈辱による涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃになっているからでもあった。

 そして、近くの地面には、木板を乱暴に組み立てた粗末な立て札が、その憐れさを演出するように立っていた。

 

『自分達は好きでやっています。邪魔しないで下さい』

 

「……うわぁ、なにあれ……」

 

 リルが、思いきり引きながら、小さく声を漏らしていた。

 だが、周囲の野次馬はその反対で、むしろ遠慮がない。

 

「ははっ、見ろよ! 昨日まで威張ってた剣士様だぜ!」

 

「どうしたぁ? 風邪引くぞぉ? ああ、逆さだから血が上って暑いくらいか!」

 

「服も剣も無くなって、やっと身の丈ってやつだろうかね?」

 

「好きでやってるんだろ? なら、もっと誇らしそうにしろよ!」

 

 遂には石や、乾いた泥が投げられ、中には腐った果物さえ放たれた。

 

 男達は必死に何かを訴えようとしているが、猿ぐつわのせいで、「うー」「んぐっ」という、情けない音にしかならない。

 

 それがまた、憐れな笑いを誘う。

 

「聞いたか? 助けてくれって言ってるぞ、たぶん!」

 

「違う違う、もっと見てくれって言ってるんだろ!」

 

 嘲笑と侮辱。

 悪意を娯楽にした光景――。

 

 リルの手が、私の袖を掴んだ。

 顔は、はっきりと嫌悪に歪んでいる。

 

 そして、ぷい、と顔を背けた。

 

「……もういい」

 

 その一言は、小さく震えていた。

 私はすぐにリルの前に立ち、視界を遮ると、肩に手を置く。

 

「だから言ったろう? あんなもの、見なくていいんだ」

 

 声を低くして、リルを落ち着かせながら言った。

 

「少し……意地悪な見世物になり過ぎた。あれは自分達のしたことに対する、当然の報いでもあるけど……。確かに、少し調子に乗ったかな」

 

 あの逆さ吊りは私がやった事だし、あれが過剰な報復とは思っていない。

 A級だとかいう、少し強いだけの事が誇りだったようだから、灸を据えてやったのだ。

 

 しかし、見たいと言うリルを、もう少し強く止めるべきだった。

 嫌な思いをする事は、半ば予想出来ていたのに……。

 

 リルは、ぎゅっと唇を噛む。

 

「……あんな風に、されるのもヒドいけど……。まわりの皆もヒドいよ……」

 

「いいかい、リル。覚えておきなさい」

 

 私は、リルの額に軽く手を当てた。

 

「誰かを貶めて笑う場所からは、何も良いものは生まれない。リルがそれを悪く思うなら、そうした行いもせず、近付かない様にしなさい」

 

 一瞬、広場を振り返る。

 逆さに吊られた男達と、それを笑う群衆……。

 

「……行こうか」

 

 リルの手を引き、踵を返す。

 獣車へ戻る途中、リルは一度も振り返らなかった。

 

 荷台に座り直し、毛布に包まれるのを見て、私は手綱を取り、静かに森獣を進ませた。

 

 広場の喧騒が、次第に遠ざかっていく。

 

「……お母さん」

 

「なに?」

 

「強くても、あぁなっちゃうこと、あるんだね」

 

「そうとも。間違った力を身に付けて、間違った事に使うとね……」

 

 彼らはもう、この王都で仕事は受けられないだろう。

 どこか自分達を知らない場所で再起するか、そう出なければ、廃業だ。

 

 獣車は大通りを抜けて街を離れ、朝靄の奥へと進んで行った。

 

 

  ※※※

 

 

 王都を発ってからの道のりは長く、それでいて穏やかだった。

 獣車の方も頑丈な物を用意してくれたらしく、これまで車輪が外れたり、車軸が歪むなどの事故も起きていない。

 

 順調そのものだった。

 森獣の歩みもまた軽く、呼吸に乱れもない。

 

 この健脚があれば、程なく目的地へ到着出来るだろう。

 私は手綱を緩く保ち、道の先を読む。

 

 ここは何度も通った道だ。

 街から街へ、国から国へ……。

 

 リルと出逢うまで、私はそうして生きてきた。

 起伏の癖、風の抜け方、木々の並び――どれも身体が覚えている。

 

 そのリルはと言うと、荷台の縁に腰掛けて、弓を手に背筋を伸ばしている。

 

「構えは良いわね。……でも、肩に力が入り過ぎじゃない?」

 

「うん……? こう?」

 

 リルは弓矢の練習中だ。

 ナナと構え方について、あれこれと模索している最中だった。

 

 ナナのアドバイスを受けて、少しだけ力を抜くと、弓が自然な角度に落ち着く。

 ナナが嬉しそうに頷いた時、パッと顔を上げる。

 

「……来るわよ」

 

 小さな声が私の耳に届くと同時に、リルはナナへと顔を向けた。

 

「魔獣?」

 

「そう。まだ遠いけど、いい練習になるんじゃない?」

 

 その言葉を耳の端で捉えつつ森の縁を見ると、確かに影が動いていた。

 

 猪ほどの大きさはないが、素早く移動している。

 逃げる気も、こちらを試す気もある、半端な距離で右往左往しているので、中々難しい相手だ。

 

「リル、行けそう?」

 

「……うん」

 

 ナナの問いにリルは息を整え、弓を引く。

 そうして、ゆっくりと引かれ、放たれた矢は――。

 

 飛距離が足りず、地面に刺さった。

 続けて射った矢は、木の幹に当たって弾かれる。

 

「う~んっ、惜しい!」

 

 ナナが腕を振って、指を鳴らした。

 だが、その次に放たれた矢は、真っ直ぐ飛んで命中した。

 

 致命傷ではないが、当たってはいる。

 リルは弓を習い始めて、まだ日も浅い。

 それを思えば、十分すぎる成果だ。

 

「今度は風、使ってみる?」

 

「うん。お願い」

 

 次の矢が放たれた瞬間、風が道を作った。

 矢は湾曲しながらも、揺れず、迷わず、まるで導かれるように飛ぶ。

 

 ――そして、魔獣の頭部に見事、命中した。

 

「わ……!」

 

 思わず、リルが声を上げる。

 その後の的中率は流石なもので、風が整えれば、面白いほど良く当たる。

 

 だが、風を使わないと、途端に横へ逸れたり、飛距離が足りなかったりした。

 

「……むぅ」

 

 リルは弓を下ろし、少しだけ頬を膨らませながら唸る。

 

「どうしたの?」

 

「当たる時と、当たらないと時の差が、はっきりしすぎて……」

 

 私はそこで、ようやく話に割って入って笑った。

 

「それでいいんだよ」

 

「……え?」

 

「今はね、自分の力と、借りた力の違いが分かることが大事で、当たるかどうかは二の次さ。ナナの力がなくとも当てられる様になるには、もっと練習が必要だ」

 

「お母さんも、たくさん練習した? どのくらい?」

 

「お母さんは、弓矢が苦手でね……。毎日やってた訳でもなかったし、大体……十年ってところかな」

 

「そんなに!?」

 

 大袈裟に驚くリルに、私は笑みを深くして言葉を投げ掛ける。

 

「リルはお母さんより、よっぽど筋が良い。そんなには掛からないよ。……それより、ご覧」

 

 私は道の先の遠く、地平線の向こうに見える、かすかな影を示した。

 

「あ……!」

 

 リルも気づいたらしく、目を凝らす。

 

「あの街……!」

 

「そう、いつも行ってる、あの街だよ。帰って来たんだ」

 

 そう告げると、リルの顔がぱっと明るくなる。

 

「じゃあ……!」

 

「森まで、もうほんの少しの辛抱だ」

 

 獣車は変わらぬ歩みで進み、懐かしい街の影が、少しずつ大きくなる。

 リルが嬉しそうに声を上げた。

 

「もうすぐ、おうちだね!」

 

 私はそれに頷き返し、密かな安堵の息を吐いていた。

 リルを我が家で育てるようになってから、これほど長く、我が家を空けた事はない。

 

 シルケもさぞ心配しているだろうし、もしかすると、ふて腐れているかもしれなかった。

 

 ここまで来たら、一気に帰りたい所だが、それより前にやる事がある。

 それが終われば、ようやく帰宅だ。

 

 私はジクジクと痛む脇腹に手を添えて、震える息を、こっそりと吐いた。

 

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