混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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王都 その7

 街へ入ったのは、結局お昼を少し過ぎた頃だった。

 門前の往来は相変わらず賑やかで、荷車と獣車が行き交い、呼び込みの声が重なっている。

 

 その中を、私たちの獣車はゆっくりと進んだ。

 

「お母さん、おなか空いた……」

 

 小さく呟いたリルの声に、私は苦笑する。

 

「もう少し我慢しておくれ。中に入ってから、ちゃんとしたものを食べよう」

 

 そう言って、保存食の干し肉と固焼きのパンを渡す。

 不満そうな顔をしながらも、リルはそれを受け取り、もそもそと齧り始めた。

 

 しかし、見慣れた街の空気は、リルにとっても落ち着くらしく、機嫌も少し良くなった。

 行き交う顔の中に、見知った者が混じる様になると尚更だった。

 

 獣車を広場脇に寄せ、一息ついたところで、私はリルの方を向いた。

 

「リル、実は……ひとつ、話していなかった用事がある」

 

「……なに?」

 

 嫌な予感がしたのだろう。

 リルの目が、森獣へと向く。

 

「この子はね、ここで売るつもりだよ」

 

「――えっ!?」

 

 保存食を持った手が止まり、リルが勢いよく立ち上がる。

 

「なんで!? この子、ずっと一緒に――」

 

「分かってる」

 

 遮るように、しかし穏やかに言葉を重ねる。

 

「愛着が湧いてるのも、よく分かってる。でもね……、現実的な話をしなきゃならない」

 

 私は、ひとつずつ、指折り数えながら、その根拠を説明した。

 

「まず、うちには獣舎がない。この子は乳も出さない、完全な騎獣だから、飼えば飼うほど、お金が掛かる」

 

 リルの眉根が寄り、不満の色が増した。

 

「餌と水の用意をしないといけないし、毎日ちゃんと、運動もさせなきゃならない。でも森の中は危険で、放し飼いなんて出来ないだろう?」

 

 リルは答えられず、不満顔のまま沈黙を続けた。

 

「それに、決定的なのは――」

 

 私は、少しだけ声を落とした。

 

「アロガがいる事だ」

 

 その一言で、リルの肩がぴくりと揺れた。

 

「アロガは肉食だ。この森獣の前で、いつまでも噛みつかない方が、むしろ不自然だ」

 

 リルは唇を噛んで俯いた。

 

「事故が起きてからじゃ遅い。この子にとっても……、うちにとっても」

 

 しばらく、沈黙が続いた。

 森獣は何も知らずに鼻を鳴らし、その大きな身体をリルは何度も撫でていた。

 

「……やだ」

 

 小さく、しかしはっきりとした声音だった。

 

「分かってるよ、お母さんの言いたいこと。

アロガには良く言い聞かせるから……。それでも……?」

 

「アロガは確かに賢いけれど、いつまで我慢が続く事やら……。それにね、狙われていると分かる気配が近くにあり続けると、森獣だって参ってしまうんだよ」

 

「それは……、分かる気がするけど……」

 

「こいつに名前を付けたり、積極的に触れ合わなかったのは、愛着を持たない様にする為だった。分かっておくれ……」

 

 だが、リルはむくれて、視線を逸らした。

 納得はしていないが、それでも、私の言葉が感情論ではないことも、分かっている。

 

 しばらくして、リルは肩を落として息を吐いた。

 

「……分かった。お母さんが、決めた事だもん」

 

 リルはそれ以上、何も言わなかった。

 ――諦めたのだ。

 

 その背中を見て、胸の奥が少し痛む。

 だが、現実的な部分も見なくてはならないのだ。

 

 荷車を牽かせる予定もないのに、森獣を飼うメリットはなく、その健脚をただ余らせるだけになる。

 

 維持費は嵩むし、家計の負担が大きくなれば、いずれそれが大きな重しとなるだろう。

 

 ――結局。

 この旅で、私の呪いは打ち破れなかった。

 

 寿命と言うなら、これが私の寿命なのかもしれない。

 残り時間は少なく、遺してやれる物も尚、少ない。

 

 だからと、座して待つつもりは毛頭なかった。

 だが、それでも最悪を考えないではいられない。

 

 私が去ることになろうとも、なるべく負担は軽くしてやりたい。

 その思いが、森獣を諦める、最も大きな理由だった。

 

 

  ※※※

 

 

 私たちは、そのあと街の奥へと向かった。

 木と石で造られた、上品な清潔感で溢れた店の前で獣車を止めると、リルと一緒に下りる。

 

 この時にはもう、ナナはリルの中に戻っていて姿を消していた。

 リルの負担を慮ってものでもあり、親しくない者から姿を隠したいからでもある。

 

 扉を開けると軽やかな鈴が鳴り、店先に居た人物が、すぐに気付いてこちらを向いた。

 

「おや……?」

 

 丁度、店員と何か遣り取りしていたベントリーから、体格に見合う太い声が発せられる。

 

「これはこれは……! 随分とまぁ、お久しぶりでございますな」

 

 恰幅の良い店主――ベントリーが、満面の笑みでこちらへ歩み寄って来た。

 

「お元気そうで何よりです。それにしても……」

 

 ちらり、と森獣を見て、唸り声を上げた。

 

「これはまた、ご立派なのを連れておいでで……。とうとう、商売の規模を拡大させるおつもりなのですかな?」

 

 その声に、リルが少しだけ、複雑そうな顔で森獣を見た。

 私は軽く息を整えてから言う。

 

「いや、そう言う事じゃないんだ。……今日は――」

 

 だが、詳しく説明するより前に、ベントリーが言葉を遮ってしまった。

 

「……大事なお話を――いやいや、それ以前に貴女様を、店先で立たせたままには参りませんな。ささ、場所を変えましょう」

 

 森獣を値踏みする視線でいたベントリーは、ふっと笑って、そう言った。

 

「表で話す内容では御座いますまい。……どうぞ、こちらへ」

 

 流石、場数を踏んで来た商人は、気の利いた事をしてくれる。

 促されるまま、私たちは店の奥へ通され、通路を抜けた先、商談用の上品な一室へと案内された。

 

 壁は落ち着いた色合いの木張りで、窓から差し込む光は柔らかく、香草を焚いた微かな匂いが漂っている。

 

 中央には磨き込まれた卓と、ゆったりとした椅子が向かい合って置かれていた。

 

「どうぞ、お掛け下さい」

 

 そう言ってから、ベントリーは軽く姿勢を正す。

 

「改めまして……。いつもながらのご贔屓に、このベントリー、感謝いたします」

 

 知己の間柄であっても、商人は商人だ。

 その口調には、礼節と距離がきちんと保たれている。

 

 それに倣って、私も応じた。

 

「こちらこそ。急な来訪にもかかわらず、時間を割いて貰って感謝するよ」

 

 軽く会釈してリルに目配せすると、リルもまた私に倣って頭を下げた。

 

「ありがとう、ございますっ!」

 

 ベントリーは目を細め、にこりと笑った。

 

「随分と大きくなりましたな。……いや、それ以上に、何か大きな出来事があったのですかな。出会いはヒトを成長させる、と申します。そうした何かがあったなら、喜ばしいですな」

 

 一通りの挨拶が済んだところで、私は本題に入った。

 

「単刀直入に行こうか。あの森獣を、こちらで引き取って貰えないか?」

 

「――ほう」

 

 ベントリーは意外そう――でも、なかったらしく、眉を上げただけで留めた。

 

「あれほどの個体、そう滅多に出回るものではありませんが……。何となく、そうではないか、という気はしておりました」

 

「そうか……。まぁ、こちらにろ事情が色々あるんだ」

 

 それ以上、詳しい説明はしなかったが、

彼もまた、深くは踏み込んで来なかった。

 

「……分かりました」

 

 短く頷き、卓の端に置かれた鈴を鳴らす。

 

「表の物の査定を」

 

 すぐに現れた店員にそう告げると、森獣の確認に向かう。

 扉が閉まると、室内には私たち三人だけが残った。

 

 私は、少し間を置いてから、もう一つの話題を切り出す。

 

「それと、実はもう一件あるんだ。森獣とは別の話でな……」

 

 ベントリーの視線が、鋭くなる。

 

「……それはまた、何やら緊張させられるお話ですな」

 

「私が持っている、水薬試験紙の利権についてだ」

 

 その言葉に、今度こそ彼は目を見開いた。

 

「正確には――」

 

 私はリルの肩に、そっと手を置いた。

 

「それを、この子に譲渡したい」

 

 空気がぴたりと止まり、ベントリーの眉間に皺が寄る。

 そして、思いも寄らぬ言葉を聞いた反応そのままに、結ばれた口から声が漏れた。

 

「……何やら、ただ事ではあるませんな」

 

「証明書を発行して欲しいんだ。正式な形で」

 

「お待ちを。――ちょっと、お待ち下さい」

 

 ベントリーにしては珍しく、言葉を荒らげて続ける。

 

「冗談にしては、質が悪い。あれがどれほどの価値を持つか、貴女さま自身が一番よくご存知のはずだ」

 

「そうだな……」

 

 ベントリーの動揺とは正反対に、私は冷静な態度で頷いた。

 

「だからこそだ」

 

「理由を聞いても?」

 

「答えられない」

 

 唸るようにして腕を組むベントリーに、私は視線を逸らさずに言った。

 

「ただ――、万が一を想定してのものさ。もしもの時、この子が困らないように、という……行き過ぎた親心、みたいなものかな」

 

 ベントリーは、しばらく黙り込んだ。

 商人としての計算、知己としての情。

 

 その二つが、彼の中でせめぎ合っているのが分かる。

 

「……本気の様ですな」

 

「冗談で言えることじゃないだろう」

 

 ベントリーは深い溜め息をつくと、両手を挙げて首を振った。

 

「貴女様は本当に――いや、昔からそうでしたな」

 

 諦めたようにそう言って、手を元に戻すと

やがて頷きを見せた。

 

「分かりました。証明書は用意しましょう」

 

「ありがとう、助かるよ」

 

「正直なところを申しますと、不安ばかりが募りますが……貴女様には、色々助けられておりますからな。試験紙の商売も順調そのもので、そろそろ規模の拡大を、と考えていたものですから……」

 

 それでは、私の話を聞けば、不安になるのも当然だろう。

 だが、突然梯子を外されたり、生産を止めたりする事にはならない。

 

 あくまで、リルに生活の不便をさせたくない、という親心だ。

 商売について邪魔する意図はない、と改めて説明する必要があるだろう。

 

 その時、リルが不安そうに私を見上げてきた。

 

「……お母さん?」

 

 私は、何も答えずにリルを抱き寄せ、頭を撫でる。

 

「大丈夫、心配なんか要らないよ」

 

 それだけ言って、微笑んだ。

 リルは、まだ何か言いたそうだったが、結局黙って私の胸に額を寄せた。

 

 ほどなくして、店員が戻って来ると、慇懃に礼をして報告する。

 

「査定が終わりました」

 

 ベントリーは頷き、私の方を見るタイミングて、立ち上がって言った。

 

「森獣の代金と証明書は、後日、まとめて受け取りに来る」

 

「承知しました」

 

 短く、重い返事があって、商談はこれで終わった。

 私たちは席を立ち、部屋を後にする。

 

 後は本当に家に帰るだけだ。

 量の肩に乗っていた重しが、ようやく軽くなった心待ちで、私は店の外へと歩き出した。

 

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