混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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王都 その8

 用事が済んだので、ようやく“ちゃんとした昼食”を取ることになった。

 

 昼時の通りは活気に満ちていて、焼いた肉の香ばしい匂い、煮込みの湯気、香辛料の甘く刺激的な香りが混じり合い、空腹をこれでもかと刺激してくる。

 

 リルは鼻をひくひくさせながら、さっきまでの不機嫌が嘘のように、目を輝かせていた。

 しばらく何処に入るか迷った後、私たちが入ったのは、街の中央広場に面した食堂だった。

 

 石造りの建物で、木の梁が見える天井、長年使い込まれたテーブルと椅子が並び、昼休みの職人や商人で、ほぼ満席になっている。

 

「ちょっと混んでるけど、ここにしようか」

 

 そう言うと、リルはこくこくと頷いた。

 注文したのは、この街の定番料理だ。

 

 香草と塩で下味を付けた獣肉を炭火でじっくり焼いたグリル、根菜をたっぷり使った濃厚なシチュー、そして焼きたての平たいパン。

 

 仕上げに、発酵乳を使った白いソースが添えられている。

 運ばれてきた瞬間、リルは思わず声を上げた。

 

「わあ……!」

 

 肉は表面がこんがりと焼け、中は驚くほど柔らかい。

 ナイフを入れると、じゅわりと肉汁が溢れ、香草の香りが立ち上る。

 

「熱いから、気を付けなさい」

 

 そう言いながら、私も一口切り分けて口に入れる。

 ……うん、間違いない。

 

 噛むほどに旨味が広がり、添えられたソースがそれを優しくまとめてくれる。

 シチューは野菜がとろとろで、長時間煮込まれた深い味わいがした。

 

 パンを浸して食べると、それだけで満足感が増す。

 リルは最初こそ黙々と食べていたが、半分もいかないうちに、頬が緩み始めた。

 

「おいしいねっ」

 

「この街で焼肉とシチューといったら、まず外れのない料理だからね」

 

「うん。でも、シルケとお母さんが作るシチューも好き」

 

 その声には、もう拗ねた響きは残っていない。

 最後に、蜂蜜をかけた焼きリンゴまで平らげる頃には、リルは完全にご機嫌だった。

 

 椅子に深く腰掛け、満腹そうにお腹をさすっている。

 

「……歩ける?」

 

「だいじょうぶ!」

 

 その元気さに苦笑しつつ、席を立つ。

 そうして店を出て、いよいよ森に帰ろうとした、その時だった。

 

「あれ? もしかして――」

 

 聞き覚えのある声に振り向くと、そこには見知った顔があった。

 

「ラーシュ?」

 

「やっぱり、お前さんだったか!」

 

 笑顔で手を振る大柄な男の隣には、明るい雰囲気の女性が立っている。

 オンブレッタだ。

 

 その彼女の腕には、小さな子どもが抱かれていた。

 

「久しぶりだな」

 

 そう声を掛けると、オンブレッタはにこりと笑った。

 

「ほんとうに。リルちゃんとは良く会うけれど、紫銀の方とは、久々な気がしますね」

 

 軽く挨拶を交わした後、自然と話は近況に及び……。

 いくつかの話題を経由して、収穫祭の夜の話に移っていった。

 

「いやぁ……」

 

 ラーシュは苦笑しながら頭を掻く。

 

「フラれたのが、あんなに効くとは思わなくてな。気が付いたら、酒樽と話してた」

 

「それを、私が見てあげてたのよ」

 

 オンブレッタが、思い出したように吹き出す。

 

「もう、面白くて……! 延々と愚痴るんだもの」

 

 結果、二日酔いで目覚めた翌朝、互いに裸で同じベッド、という醜態を演じる。

 

 責任を取る、取らないの話になり、最終的には結婚――という、あまりにも勢い任せな流れとなった。

 

 いつだったか、オンブレッタ本人から聞いた話でもある。

 だが、この話には続きがあって、本当はあの夜、何もなかった――と言うのが、真相だ。

 

 ドッキリのつもりで、どういう反応するか見たかった、と語っていた。

 

『責任取る、なんて言われるとは思わなかったけど。まぁ……、悪くない相手だったし?』

 

 そう、悪びれる事なく言ったものだ。

 ラーシュは、その話を知らないまま、今もオンブレッタが腕の中にいる子を、だらしない笑顔で見つめていた。

 

「うちの子には、もう何度か会ってるよな? 名前は、覚えてるか?」

 

「リル……、なんて言ったっけ?」

 

「――フィオちゃんだよ」

 

 リルはもう、学舎では最高学年で、だから私も終わりに合わせて待ち構える事はしなくなった。

 

 ミーナやモンティと言った、気心の知れた友人達と遊び、日が暮れる前に迎えに行く事になっている。

 

 そして大抵の場合、モンティと遊ぶときは強い要望で冒険者ギルドに顔を出す。

 そしてリルは、子育てしながら受付嬢をしているオンブレッタに、会いに行くのが通例だと、良く話して聞かせてくれた。

 

 だから、リルはフィオのお姉さん気取りだ。

 まだ一歳程の丸い目で、こちらをじっと見つめ、やがてリルの存在に気付いたのか、ぱあっと顔を明るくした。

 

「あー!」

 

 小さな手を伸ばし、リルの方へ身体を向けようとする。

 

「めっ、だよ、フィオちゃん。危ないからね」

 

 リルが近付くと、フィオは嬉しそうに声を上げ、今度はリルの尻尾に興味津々で手を伸ばす。

 

「それ、好きなのよねぇ……。リルちゃんの、とってもふわふわだから」

 

 オンブレッタが笑うと、リルは自ら後ろを向いて差し出す。

 その表情は慣れたもの、と如実に語っていた。

 

「いっつも、お母さんが漉いてくれるからね!」

 

「そろそろ自分でも、やれるようにならないと……」

 

「代わりに、アロガの方をやってるから良いの!」

 

「どういう理屈なんだか……」

 

 私が苦笑している間も、そう言って笑いながら、されるがままになっていた。

 

 その様子を見て、私は小さく息を吐く。

 こうして、街で知己と出会い、笑い合う――。

 

 それだけで、旅の疲れも、心のわだかまりも、少しずつ溶けていく気がした。

 しかし、そうした楽しい時間も終わりを迎える。

 

 ラーシュも責任ある立場だから、そう長くギルドを離れていられない。

 家のこと、子育ては妻がするもの、という風潮は強い一方、だから夫はしっかり働かなければならない、という意識も強かった。

 

 ラーシュはどうやら子煩悩の様で、いつまでも一緒に居たい様だったが、オンブレッタに説得されて、渋々仕事へ戻ることにしたようだ。

 

「じゃあ、またね」

 

 フィオが満足した事もあり、ラーシュ夫妻と別れて、私たちは再び歩き出した。

 リルの尻尾は未だ、機嫌良く左右に揺れている。

 

 それはまだ、少しだけ子どもの温もりを、覚えているからなのかもしれなかった。

 

 

  ※※※

 

 

 森へは、いつも通りの方法で帰宅した。

 ボーダナンとは逆方向――人の往来もなく、獣道すら曖昧になる森の奥。

 

 そこに隠してある転移陣を起動し、私とリルは一瞬の浮遊感と共に、慣れた匂いの中へと戻ってきた。

 

 視界が定まると、そこは森の端で、畑が見渡せる緩やかな斜面に立っている。

 季節ごとに土の色が変わり、作物の背が伸びていく、私たちの帰る場所が一望出来る。

 

「――ついた!」

 

 リルは、ぱっと表情を明るくさせた。

 その声には、抑えきれない喜びが詰まっている。

 

「おうちだぁぁ~!」

 

 畑の向こう、木立の間に見える母屋。

 何度も見てきた景色なのに、旅を終えた今は、ひどく胸に染みる。

 

 ――実際、長い道のりだった。

 危険も、選択も、決断もあり、それを乗り越えて無事に帰ってきた。

 

 ――その安堵と達成感は、リルに取ってみれば、一大冒険譚の様にも思えた事だろう。

 

「ねぇ、お母さん!」

 

 リルが振り返り、屈託のない笑顔を向けてきた。

 

「わたし、もう一人前だよね?」

 

 試すようでもあり、確信しているようでもある口調だった。

 私は少しだけ間を置いてから頷く。

 

「そうだな、リルは良くやったよ」

 

 リルは更にパッと顔を輝かせ、待ってましたと言わんばかりに意気込んだ。

 

「じゃあ、じゃあ! 森にも入れるよね?」

 

 期待に満ちた眼差しは、不安よりも好奇心が勝っている。

 

「……うん、良いよ。ただし、勝手に深入りはしないこと。そして、必ずアロガも一緒なこと」

 

「ほんと!?」

 

「それが約束できるならね」

 

「できる!」

 

 即答して両手を高く上げて、歓声を上げた。

 その無邪気さに、思わず苦笑が漏れる。

 

 ――どちらにせよ、リルには森を学ばせよう、と思っていた。

 もっと大きくなってから、などと悠長な事を言ってられない。

 

 その時、母屋の方から、土を蹴る音がした。

 影が一つ、一直線にこちらへ駆けてくる。

 

 身構えるより早く、その影はリルに飛びつき、覆い被さった。

 

「きゃっ――!」

 

 大きな体躯は見間違いようもなく、筋肉の塊のような胴は、堂々たる魔獣を体現していた。

 

「ちょ、ちょっと、アロガ――!」

 

 リルの制止など、まるで耳に入らない様子で、アロガはその顔を舐め回している。

 その光景だけを見れば、捕食されているように見えなくもない。

 

 だが、当の本人は……。

 

「きゃははは! ちょっと、くすぐったいってば!」

 

 リルは笑い転げ、涎まみれになりながらも、両手でアロガの顔を撫で回していた。

 

「仕方ないなぁ、アロガは! 寂しかったの?」

 

 あやすような声で言って、それから自慢げに胸を張る。

 

「わたしはゼンゼン、寂しくなんかなかったもんね!」

 

 強がり言っちゃって……。

 旅の途中、夜の焚き火の傍や、荷台の上で揺られながら、何度となくアロガの話をしていた。

 

 森を思い出し、家を思い出し、そして――アロガを思い出していたのを知っている身としては、微笑ましく苦笑するかなかった。

 

 そして、それとは対照的に、アロガはこれまでの空白を埋めるかのように、喜びの感情を爆発させていた。

 留守の間、森を離れず、母屋の周囲を巡り……そして今日という、この瞬間を待っていたのだろうから、こうなるのはむしろ当然という気がした。

 

「ほらほら……。もう、そのくらいにしてあげなさい」

 

 そう言うと、アロガは名残惜しそうに鼻を鳴らし、ようやくリルから離れた。

 それでもぴったりと側を離れないあたり、相当寂しかったと窺える。

 

「……さて」

 

 私は小さく息を吐いてから言った。

 

「旅の汚れを落としてしまおう。お風呂に入ってきなさい」

 

「えー! お母さんも一緒に入ろうよ!」

 

 その無邪気な誘いに、胸がちくりとする。

 それでも出来るだけ、いつも通りの声で言った。

 

「……一人前になったんだろう? だったら、一人で入れなくちゃ」

 

 一瞬だけ、リルは不満そうに口を尖らせたが、すぐに肩をすくめた。

 

「別にいいもん」

 

 そう言って、ひらりと振り返る。

 

「ね、ナナ。一緒に行こ」

 

「……いいわよ、行きましょうか」

 

 リルの背後から溶けるように現れ、楽しげに応える。

 二人――いや、二人と一体が、母屋へ向かって駆けていく背中を、私は黙って見送った。

 

 完全に姿が見えなくなってから、私はそっと、腕の裾を捲る。

 白い肌の上に刻まれた呪いの紋様は、もうこんな所まで拡がっていた。

 

 以前よりも格段に拡がった理由は、悪魔の恨みを一層買ったことだろう。

 ここまでに使った魔力など、砦の一件くらいしかないのに、それにしては拡がり過ぎていた。

 

 魔力を完全封印されば、この呪いからの影響は最小限、殆ど無力化も可能だろう。

 だが、それは私から戦う力を喪失させる事を意味した。

 

 ――それも一つの解決策だろうが……。

 しかし、抗う(すべ)を手放すことは、これからも森にやって来るであろう勢力に蹂躙されることを意味する。

 

「まぁ、どうするにせよ……」

 

 もう、隠しきれる段階ではない。

 一緒に風呂に入れば、気付かれない方が不自然だ。

 

 誤魔化しは、もう利かない。

 ――残り時間は、そう多くない、と如実に示していた。

 

 森の匂い、家の温もり、娘の笑顔。

 それらを胸に刻むように、私は静かに腕を下ろした。

 

 まだ、やるべきことは残っている。

 終わらせなければならないこともあり、リルには教えたい事が山程あった。

 

「……参ったな」

 

 誰にともなく、そう呟いた時、母屋の方から視線を感じて顔を上げる。

 そこに鋳たのはシルケで、目が合うとなきわらいの表情で頭を下げた。

 

「どうやら、大分(だいぶ)心配させたしまったらしい」

 

 彼女は声を発せない。

 しかし、その態度と表情は、憂い顔でありつつも、優しげにお帰りなさい、と告げていた。

 

「あぁ、ただいま……」

 

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