混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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束の間の安息 その3

 翌日――。

 

 朝の鍛練も、私たちにとっては特別な行事ではなく、目覚め、身支度を整え、外へ出る。

 

 それが自然と始まる、生活の一部だった。

 

 森の朝は、空気が澄んでいる。

 夜露の名残が草に残り、踏みしめるたびに小さな音を立てた。

 

 その中で、まずは身体をほぐすところから始める。

 首、肩、背、腰。

 

 関節を一つずつ確かめるように回し、伸ばし、呼吸を整える。

 リルも黙々と真似をしているが、以前より動きに迷いがない。

 

「準備体操は、手を抜かないこと」

 

「うん、分かってる」

 

 以前はそう言いながら、形だけなぞって終わらせる事は多々あった。

 きちんとやるようになったのは、一つの成長だろう。

 

 一通り終えると、木立の間に出る。

 地面は多少柔らかく、転んでも致命傷にならない場所だ。

 

「さあ、構えて」

 

 リルの体捌きは、はっきりと良くなっていた。

 足運びが軽く、無駄な跳ねが少ない。

 

 剣を振る前に、腰が先に動いている。

 そして、何より――。

 

 私が以前、冒険者と戦ったときの動きを、自分のものにしようとしていた。

 完全ではないものの、自分なりに消化して、それを形にしようとしている。

 

 斜めに踏み込む癖。

 相手の死角に入ろうとする初動。

 剣線をわざと外し、次の一撃に繋げる間……。

 

「見ることもまた修行、と言ったりするけどね……」

 

「ん? なぁに?」

 

「いや、感心しているのさ」

 

 そして、それを見せてやれなかった環境を悔やむ。

 対面して剣を振らせるのも、間違いなく有効な修行だが、師の動きと言うものを、客観的に見る機会が少なすぎた。

 

 対戦形式で見せられないのは、どうしても仕方ない部分があるとは言え……。

 いや、全て言い訳だ。

 

 リルには護身の心得を身に付けさせる、その程度の実力があれば良い、と思っていた。

 

 私がいるのだから。

 いざという時、守ってやれる――その確固たる自負があった。

 

 だが、もうその保障はない。

 ――してやる事が出来ない。

 

 だから遅まきながら、リルを鍛えてやらねばならなかった。

 打ち込んで来るリルの攻撃を受け入れ、逸らし、転ばせる。

 

 手に届く一撃の感触を確かめながら、未だ転がったままのリルに声を掛けた。

 

「ほら、早く起きて構える」

 

「……はい」

 

 リルなりに工夫したつもりだろう。

 だが、それらが一切通じず、ふて腐れる様子を見せた。

 

 リルは力が付いた。

 剣を振る音が違う。

 

 だが、風を切るというより、空気を叩いている様な感じだった。

 私がやって見せた、戦斧槍での戦いを真似ている故の弊害かもしれない。

 

「止め」

 

 声を掛けるとリルは動きを止め、少し息を上げながらこちらを見た。

 

「力が付いたのはいい。でも、その分、力を振り回し過ぎだな」

 

「え……?」

 

 剣を持つ手に、無意識に力が入っているし、肩も少し上がり過ぎだ。

 私はゆっくりと近付き、リルの前に立った。

 

「剣は、腕で振るものじゃない」

 

 そう言って、軽く一歩踏み出す。

 足裏で地面を捉え、腰を回し、重心を前へ送る。

 剣はあくまで、それに付いてくるだけ。

 

「力は、地面から来る。腕はそれを伝える“道”に過ぎない」

 

 そう言って、同じ動きをもう一度見せた。

 今度はさらに小さく、最小限の動きで。

 

「見てなさい」

 

 刃先は、先ほどよりも鋭く、静かに走った。

 

「……ゼンゼン、強く振ってないのに……」

 

「そう見えるだろう? 重心が動いているから、剣が速い」

 

 今度はリルに、同じことをやらせてみる。

 だが、最初はどうしても腕に力が入りがちだった。

 

「肩の力を抜いて。腰を先に。次に足」

 

 何度も繰り返すうち、少しずつ良くなっていく。

 剣の音が軽くなったが、しかしどうにも足りない。

 

「どうしても(りき)んでしまうな……。脱力が大事だ。力を抜いてごらん」

 

「……でも、そしたら、上手くいかないんじゃないかな。受け止めたりとか、防御する時とか、上手く動作が回らないよ……」

 

「それは違う――と言っても、今のリルには分かり辛いか……。どれ」

 

 脱力の意味と効果を教えるため、私は一度、剣を置かせた。

 

「まず、腕を伸ばして。次に、肩の高さまで上げなさい」

 

 リルは言われた通り、右腕を真っ直ぐ前に出す。

 そうすると、次に掌を握らせ、拳を作らせた。

 

「思い切り、力を入れて」

 

「え……、これ以上?」

 

「まだまだ。もっと」

 

 肩から前腕にかけて、筋が浮く。

 小さな拳が震え始めるほど、力を込めさせた。

 

「そう、それでいい」

 

 そう言うと、その拳の上――手の甲を、指の腹で軽く叩いた。

 強くピシャリと鋭い音は立ち、それだけで、リルの腕は上下に揺れた。

 

 伸ばした腕を踏ん張ることも出来ずに押し下げられる。

 

「動いたね」

 

「当たり前だよ……っ」

 

 リルは少し、むくれた顔で言う。

 

「お母さんに、力で勝てるはずないもん」

 

 私はそれに、曖昧に笑って返した。

 今は勝ち負けの話ではないし、本当に見せたいのは、この先だった。

 

「じゃあ、同じ姿勢のまま……今度は力を抜いてごらん」

 

「え?」

 

「ほら、抜きなさい」

 

 戸惑いながらも、リルは肩の力を緩める。

 

 私はその腕を持ち、上下左右に軽く振った。

 ぶらぶらと、木の枝を揺らすかのように。

 

「……変な感じ」

 

「余計な力が残ってる。まだ」

 

 更に、もう少し揺らす。

 抵抗が消え、腕が自然になすがままにされるまで、それは続いた。

 

「よし」

 

 十分に力が抜けた事を確認すると、私は手を離し、一歩下がった。

 

「じゃあ次は、さっきと同じ力で叩く」

 

 リルが身構えるのを見て、また別の注意を告げた。

 

「ただし、今度は手の甲か叩かれる“直前”に、初めて力を込めてごらん」

 

「直前?」

 

「そう。下に腕が落ちないように、全力で対抗するんだ」

 

 そう言われても、リルは半信半疑だ。

 先程は、あれだけ力を込めても簡単に動かされたのだから、そんな事をしても……と言った顔だ。

 

「どうせ……、また落とされるのに」

 

 ふて腐れたような顔をしつつ、それでもいいつけは守り、力は最小限に留めたまま、腕を構える。

 

「いくよ」 

 

 短く声を掛け――。

 

「せーの」

 

 ――叩いた。

 パチン、と先程と変わらぬ音がする。

 

 だが、リルの腕は落ちなかった。

 僅かに揺れはしたものの、完全に拮抗している。

 

「……え?」

 

 リルは目を丸くし、自分の腕を見つめる。

 もう一度、催促されて叩いてやったが、やはり結果は代わらなかった。

 

「動かない……」

 

「どうしてだと思う?」

 

「……分かんない」

 

 私は一度苦笑してから、分かり易いように、ゆっくり言葉を選ぶ。

 

「瞬発力っていうのはね、それだけ“大きくて強い”力なんだ」

 

 言いながら、まだ上げたままだったリルの腕を、そっと下ろしてやる。

 

「ずっと力を入れているよりもね、必要な瞬間にだけ引き出す方が、力はちゃんと応えてくれるものなんだな」

 

 そう言って、私は自分の腕を広げて見せる。

 

「お母さんは、普段から余計な力なんて入ってないだろう?」

 

「……うん」

 

 こくこく、と素直に頷くその様子を見て、最後に一つ、薫陶を授ける。

 

「敵に攻撃する時。あるいは、攻撃を受ける時。ここだ、というタイミングで力むこと」

 

 間を置いて、はっきり告げた。

 

「これを、――見切りと言う」

 

 言葉は短く、重い。

 リルはそれを胸に刻むように、静かに息を吐いた。

 

 自分でも分かったのだろう。

 剣を拾って構えると、今度は自然に刃が前へ出た。

 

「技術は、力を節約するためにある。長く戦うために、怪我をしないために、そして――」

 

 一瞬、言葉を選ぶ。

 

「生き残るために」

 

 リルは真剣な顔で頷いた。

 力は、確かに必要だ。

 

 だが、それを制御できなければ、いずれ自分を壊す。

 朝の鍛練は、そうしたことを、少しずつ身体に刻み込む時間だ。

 

 剣を振り、汗を流し、呼吸を整える。

 それもまた、私たちの日常の一部だった。

 

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