私の奥義を教えてからと言うもの、リルは試行錯誤しながら、剣を振るう機会が多くなった。
ナナから積極的に勧められた事もあり、だから魔力鍛練にも力が入っている。
この奥義で大事なのは、剣の技量ではない。
それはあくまでイメージの補助に過ぎず、どう斬れば対象を切断出来るか、それを実感と共に納得する方が優先だ。
「必要なのは、魔力を拡げる事だけど……。それが如何にも難しい……」
今も自主練しているリルを見つつ、洗濯物を干しながら呟く様に言う。
「世界と調和する様なイメージ、と口にするのは簡単だけど、それを実行するのは至難の業だ」
努力よりも、センスの問題になる。
どれだけ魔力があろうとも、出来ない者には永遠に出来ない。
その様な事を考えていると、ナナがふわりと飛んで来て、私の近くを周遊し始めた。
「どうした、ナナ?」
「何て言うか……、ちょっと違和感がね」
「うん……? 何がだ?」
「何をそんなに急いでいるの? あんな高度な技、今のリルには必要ないじゃない」
それは事実だ。
リルはまだ幼く、基礎をどれだけ固めても、固めすぎるという事がない時期だった。
「過程を全て飛ばして、いきなり、だなんて……。足りないものが多すぎて、意味なんかないのに」
「やる気にするには有効だろう? いつも基礎ばかりでは飽きてしまうし……、実際リルはやる気になっている」
「それはそうだけど……」
そう言って、互いにリルヘ顔を向けると、今も変わらず試行錯誤しながら、再現しようと躍起になっている姿が見えた。
「でも、それが本当の理由じゃないんでしょ? ……そんなに悪いの?」
敢えて主語を抜いて訊いてきたのは、彼女なりの労りだろうか。
それとも、単なるカマ掛けか……。
しばし考え込んでいると、ナナから苦笑と共に言葉を投げられた。
「別に言いたくないなら良いわよ。でも、精霊には漠然と、分かってしまうものよ。目に見える訳じゃないけれど……、貴女を取り巻く、嫌な感じが増している」
「うん……」
「あっちで悪魔を封印してからは、特に酷くなってる感じだわ。……でも、どうして? だって、封印したんでしょう?」
私は思わず口をつぐむ。
これを告白するのは、中々心苦しいものがあった。
「……悪魔の執念が勝ったからだ。普通なら、心が折れてしまう筈だし、その時点で呪いも消えると思ったが……」
「悪魔って殺せないの?」
私は眉間に皺を寄せて、頭を振った。
「無理だ。現世でどれだけ害そうと、本当の意味で死にはしない。だから、心を折る方向で、言う事を聞かせようとしたんだ」
「なるほどね……。そしてだからこそ、時間の経過で呪いが酷くなっているのかしら……。その怨みつらみが、逆に反骨心を強くしているのかも……」
有り得ない話ではなかった。
そして、今も尚、呪いが強まっている事実を思えば、かなり正解に近い部分を指摘していると思う。
「最初は極力、魔力を使わなければ良い、と考えていた。それで呪いは最小化できると……。だが、奴は私に使わざるを得ない状況を作り出すと言い、更には強い怨みで呪いそのものを強めている点だ」
だから最早、魔力を使わずにいても意味がない。
呪いに呑みこまれるまでの時間が延びるだけで、いつかは完全に呑みこまれる。
「……どうにかならないの?」
「我慢比べだな……。即座に折れなかったのは流石と言っても良いが、永遠には無理だろう」
「じゃあ、もし……」
ナナは口元を引き攣らせて、挑むように訊ねる。
「もし、呪いの方が先に全身を覆ったら……」
「異形が生まれる……、だろうな。それも恐らく、これまで類を見ない規模の異形となるだろう。それだけじゃなく、異形の支配権を得た悪魔は、自らの開放を命じるだろう。そうなったら、それまで溜め込んだ鬱憤を発散しようとする……かもしれない」
周辺地域の壊滅は勿論、私が最も愛するリルを、自らの手で殺せと命じるだろう。
それも、最も残虐な方法で……。
ナナは顔を青くして、呟く様に言う。
「どうにかならないの? 今からでも、何か手が……」
「あるなら、とっくに行動してるよ。それに、下手に外へ出ると、
「この前は大丈夫だったじゃない? ……ほら、冒険者の奴らとかさ。あぁいうのなら、素の実力でとっちめられるし……。あたしだって手伝うわよ!?」
「確かに、ナナの手助けは助かるよ。でもそれは、リルを無用な騒動に巻き込むって事でもある。あの程度の木っ端冒険者なら、どうとでもなるのは確かだが……」
それを許してくれない状況が、きっと来るだろう。
誰かの命を見捨てるとか、リルの安全を確保するとか、そうした已むに已まれぬ状況が、きっと来る。
「このまま森に引き籠もっていれば、確実に安全……なの?」
「それは分からない。だが、解呪を求めて外へ出ると言うには、もう八方手を尽くしてしまった……」
「そんな……」
朝の森は、いつもより少しだけ柔らかな印象だった。
家の周りに生えるら木々の隙間から差し込む光が、淡く揺れながら地面に落ちている。
その平和的な光景とは裏腹に、私の周囲だけが、どんよりと蜘蛛っている様に感じられた。
※※※
私は鍋を火に掛け、木匙で中身をかき混ぜていた。
シルケと共に台所に立ち、料理するのは珍しくない。
だが、その頻度は格段に上がり、今ではほぼ毎回の事になっている。
少しでも、リルにやれる事を増やしたいからだった。
「さて……」
薬草と根菜を刻み、塩と少量の獣脂を落とす。
それだけの簡素な煮込みだが、お昼のスープはこれで十分だ。
「まだ~?」
背後から、リルの気の抜けた声が聞こえる。
「まだだよ」
即座に返すと、リルは頬を膨らませた。
「昨日もそれ言ってた」
「昨日も、まだだったからね」
ナナがくすくすと笑いながら、鍋の上をふわりと旋回する。
湯気に触れた途端、びくっと跳ねて、慌てて距離を取った。
アロガは母屋の縁側に腹ばいになり、前脚を投げ出したまま、私とリルを交互に見ている。
時折、森の奥へ視線をやり、何かを確かめるように鼻を鳴らした。
「アロガ、番犬気取り」
リルがそう言って、アロガの首元に飛びつく。
ずしり、と音がしそうな勢いなのに、アロガは嫌がりもせず、むしろ嬉しそうに尾を振った。
その勢いで、リルの髪がぐしゃりと乱れる。
「ちょ、ちょっと! 毛が口に入るってば、もぅ!」
抗議しながらも、笑っている。
私はその様子を横目で見て、鍋に蓋をした。
「今日は、森の見回りも畑仕事も、全部お休みだ」
「ほんと? この前も休みだったよね?」
リルの弾む声に、笑顔で応じる。
「ほんと。リルはちょっと気張りすぎだし、魔力の使い過ぎも身体に毒だ。こういうのは蓄積するから、リセットしないといけない」
「じゃあね、じゃあね!」
リルは何か思いついたらしく、奥の部屋に駆けていく。
後を追うように、アロガがのっそりと立ち上がり、ナナがその上をくるくると舞った。
しばらくして、リルは一抱えの布切れを抱えて戻ってきた。
「外で食べよ!」
それは、以前一緒に染めた布だった。
色むらもあるし、端も揃っていないが、リルはそれを宝物のように扱っている。
「良いとも。じゃあ、そうしようか」
敷物としてそれを広げ、それから皿を並べる。
アロガは当然のようにその横に伏せ、ナナはアロガの腰にちょこんと腰掛けた。
「いただきます」
三つ分の声が、少しずれて重なる。
煮込みは、湯気と一緒に素朴な香りを立てていた。
リルは一口食べると、目を細める。
「……おいしいね!」
「それは良かった」
「昨日よりおいしい」
「それは、気のせいかもね」
ナナが「気のせいかもね」と真似して、また笑う。
食後、リルはアロガの背に凭れかかり、空を見上げた。
雲がゆっくりと流れていく。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
「こういう日、ずっと続いたらいいね」
私は答えず、その代わりにリルの髪を指で梳いた。
アロガが満足そうに喉を鳴らし、ナナがその音に合わせてふわふわと上下する。
森は変わらず、静かに息をしていた。
危険も、訓練も、焦りも――今は少し遠くに置いて。
ただ、母と娘と、魔獣と精霊が揃った、何でもない一日。
今はただ、その幸せを堪能していたかった。