混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

320 / 325
束の間の安息 その7

 翌朝の事だった。

 森の静寂が、ほんの僅かに歪んだのを感じた。

 

「……来たか」

 

 結界に触れた“感触”は、蜘蛛の巣にかかった露ほどの微細さだったが、私には十分すぎるほど明確だった。

 

 今はまだ外層の警告を受けただけで、中層の方向攪乱にまでは達していない。

 しかし、それも時間の問題だろうし、方向攪乱についても、やはり時間稼ぎにしかならないだろう。

 

 だが、時間を稼げるのは、心にゆとりを宿す。

 相手は前回と同じ手段で、魔法陣を回避したつもりだろうが、それはもうダミーと化している。

 

 奴らの動きは、既に私の手の平の上だ。

 

 陣を踏まない為、僅かに浮く浮遊の靴を用意していたし、魔力波形を極限まで薄め、存在を“地形の一部”に偽装もしていた。

 

 だが、その解析と対策は、とっくの昔に終えている。

 ――何の問題もない。

 

 彼らは罠を回避出来るつもりで、盛大に罠へと踏み込むだろう。

 

 だが、暢気に構えている訳にもいかない。

 結界が教えてくれた敵の数は、およそ一千。

 

 師団規模の人数だ。

 探索ではない。威圧でもないだろう。

 

 これは、制圧を目的とした軍事行動だ。

 ナナが、ひゅっと風を強める。

 

 普段の遊ぶような軌道ではなく、警戒時に見せる鋭い旋回だった。

 アロガもまた、喉の奥で低く唸り、森の方角から視線を外さない。

 

 二体とも、結界から“質”を受け取っているから、敵の思惑は明確に知れた。

 敵意、殺意、組織的行動――そして、私を狙っているという明確な意思。

 

 それが分かるから、自然と表情だけでなく、態度まで険しくなった。

 

 ただしリルだけが、普段と違う様子を理解出来ず、困惑した表情を浮かべていた。

 

「……ナナ? アロガ? どうしたの?」

 

 二体は答えず、私もまた答えない。

 伝えるつもりも、今はなかった。

 

「……準備が必要だ。離れに行く」

 

 それだけ告げて、踵を返す。

 リルは一瞬迷ったが、すぐに後をついてきた。

 

「何するの? 準備って、なに?」

 

 ここから先、隠しても意味がないと分かっていても、口にするのは憚られた。

 それで曖昧に笑って頭を撫で、離れに向けて歩き出した。

 

 離れは、母屋から少し距離があり、家屋と同じ材で造られているが、その空気が違う。

 

 魔力が沈殿し、染み込み、呼吸するたびに肺の奥が僅かに痺れる。

 ここは、私自身の為の場所だ。

 

 リルには危険だから、と近付けさせなかった場所でもある。

 その秘密めいた場所に踏み込めるとあって、私達の思いとは裏腹に、リルは楽しそうな声を上げた。

 

「わっ、すごい……! 初めて入る! 何があるんだろ……?」

 

 扉を開けると、まず整然と並べられた棚が目に入った。

 多種多様の武器、魔力を内包した秘具、魔術を記した数々の巻物、販売品とは一線を画す水薬……。

 

 それらが所狭しと並んでおり、そして最奥の壁一面には、数多の剣が陳列されていた。

 大小、長短、形状も重心も異なる刃が、まるで静かな墓標のように並んでいる。

 

 どれも、ただの鋼ではない。

 魔力を織り込み、術式を刻み、幾度となく戦場を潜り抜けてきた、“選りすぐりの剣”たちだ。

 

 リルが、思わず息を呑む。

 

「……あれ、全部、……剣?」

 

「そう。私の、記録みたいなものだよ」

 

 一振りずつ、用途が違う。

 対魔物用、対人用、対大型魔獣用、対結界破壊用、そして――殲滅用。

 

 全て私が手ずから造ったものだ。

 私は、中央に掛けられた一本へと手を伸ばした。

 

 柄は黒檀。

 鍔は簡素な円形で、飾り気はない。

 

 だが、抜き放った瞬間、空気が震えた。

 刃は透き通るような蒼銀で、光を反射するのではなく、呑み込むような鈍い輝きがあった。

 

 剣身には、無数の微細な魔術刻印が走り、呼吸に合わせるかのように、かすかに脈動している。

 

「……きれい」

 

 リルの素直な感想に、私は小さく笑う。

 

「見た目だけならね」

 

 この剣は、斬るためにあるのではない。

 その真髄は“魔力に対抗する”為にある。

 術式、結界、――あるいは、放たれた魔術と、その効果が及ぶ二次的範囲まで。

 

 魔力に通じるもの全てを、分解し、霧散させる。

 千年の研鑽の果てに、用途を一つに凝縮した、珠玉の一振りだ。

 

 自分が本当に欲しい効果を突き詰めていった結果、こうした結果になった。

 

 ――魔女殺し。

 そう呼んで差し支えない、膨大な魔力と魔術力を、制して圧倒するのに向いている。

 

 だがこの武器は、強力であるからこそ、敵に奪われた場合、とても恐ろしい事になると覚えておかなければならない。

 

「これはね、とても強い武器だけど、力の象徴って訳でもない。どちらかと言うと、責任の象徴かもね」

 

 リルにはまだ、難しいか。

 そう思いながら笑いかけ、私はゆっくりと刃を鞘に納めると、腰に佩いた。

 

 そうして次に、外套を手に取る。

 深い暗色の物で、装飾も紋様もない。

 

 だが、これは単なる“布”とは違った。

 

 魔力を織り込み、層を重ね、衝撃・熱・刃・魔力に対して最適化した魔術秘具だ。

 下手な全身鎧より、よほど信頼できる。

 

 もしも売り値を付けるなら、屋敷一軒どころか、土地付きで二、三は買える程になるだろう。

 

 だが値段など、どうでも良かった。

 これは、生き残るための道具だ。

 

 私は外套を羽織り、留め具を留める。

 それだけで私の魔力と呼応して、僅かに震えた。

 

 リルはそれを、何も言わずに見ていた。

 ――聡い子だ。

 

 もう、只事ではないと理解している。

 

「お母さん」

 

 リルが真摯な瞳で、小さく呼ぶ。

 

「……何か、来るの?」 

 

 私は一瞬、言葉を選ぼうと口をつぐみ――だが結局、素直に告げる事を選んだ。

 

「――そう、来るよ」

 

 しかし、なにが来るかまでは教えなかった。

 いつも通り、冒険者の類いが来ていると誤解してくれれば御の字で、無駄に怖い思をさせる必要はない。

 

 外に出ると、森は変わらず、静かだった。

 だが、その静けさは、嵐の前の静けさそのものだ。

 

 師団規模の敵が来る。

 戦意を持って襲い来る、千の(つわもの)が。

 

「あと出来る用意は、妖精と精霊に指示を飛ばすだけ、か……」

 

 迎え撃つ準備は、整った。

 ――あとはそれが、いつ来るかだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。