「来るぞ、魔術だ!」
誰かが悲鳴のような声を上げた。
それと同時に全員が備える。
判断は早い。
だが――それでも尚、私に対しては遅かった。
屋根の上に立つ私は、すでに“場”を支配している。
そしてここ一帯は、私が何度も結界を張り、魔力の流れを馴染ませてきた土地だ。
「――展開」
短く告げると同時に、屋根の周囲に幾何学模様が浮かび上がる。
円環、交差する線、風を示す符号。
次の瞬間――轟、と音がした。
風が巻き起こったのだが、勿論ただの突風ではない。
屋根を中心に、渦を巻くように発生した圧縮風が、地上へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
盾役の女が踏ん張る。
だが、足元の土が削られ、体勢を維持できなかった。
弓手の放った矢は、途中で弾かれ、あらぬ方向へ飛んでいく。
魔導士の詠唱は、声が風に散らされ、成立していなかった。
そうして、暴風にあおられ、吹き飛ばされ――彼らは一カ所に集められる。
私は屋根の上を移動しながら、術式を重ねた。
風だけではなく、次なる一手は――圧だ。
視線を落とした先、大剣の男の足元に、円陣が浮かぶ。
そして、気付いた時には、もう遅い。
重力が、反転した。
「なっ――!」
男の体が、地面に“押し潰される”。
斬撃でも衝撃でもないこの魔術は、ただ、立っていることだけの事が苦痛になる。
私は彼らを冷静に見下ろし、声が届かないと知りつつ言った。
「エルフなんぞに与するから、こういう事になる。……だが、そうだな。S級にまで上り詰めると、そういう訳にもいかないか。この時の為の冒険者だ」
憐憫の視線と共に、杭を投げて地面に突き刺した。
これは呪いを受けるより遙か前に用意していた物で、魔術が封入されている物だ。
ほんの僅かな魔力を照射するだけで、誤差なく発動してくれるから、今の私には助かる武器だ。
ただし、威力や範囲の調整が出来ないのは、少し考えものだった。
杭から放たれた魔力の束が、蛇のようにうねり、地面を這う。
咄嗟に避けようとした冒険者達だったが、今は重力によって、その身体は縫い止められている。
躱そうにも躱せず、その足首に絡みついて締め上げる。
「お前達も、こんな末路を迎える為に、腕を磨いて来たんじゃないだろうにな……」
私は一歩足を出し、棟木を踏み鳴らす。
「こんな所では、死なないと思ったか?」
冒険者だから、いつでもその覚悟はあっただろう。
だが、勝ち続けたからこそ、今の地位があり、そして生き残り続けた矜持もある。
いつか死ぬかも、と思いつつ、それは今ではない、という相反する思いがあるものだ。
だが、いよいよ、その時がやって来たのだ。
彼らの能力と限界を超えた相手――。
逆立ちしても勝てない相手――。
それをようやく、理解し始めた顔をしていた。
この戦いは、力比べではない。
技量比べですらない。
――圧倒的な高みから見下ろされ、指先で転がされている感覚。
それが今、彼らの身に起きている事だった。
「……お前達の実力は大体、分かった。私も少しは温存して戦えそう、という事もな」
「ま、待っ……!」
言葉は最後まで続かなかった。
それより前に重力が、規定値を超えてしまったからだ。
もう少し早い段階で範囲外に逃げれば助かったのだが、それも封じておいたので、やはり彼らの命運は、既に決まっていた様なものだ。
ひしゃげ、潰れる音を聞きながら、私は屋根の上で、今は静かに息を整える。
まだ終わりではない。
森の奥に潜む本命は、まだ動いていない。
冒険者もまた、あれ一組だけではないだろう。
私は夜空と月を背に、再び魔力の制御を始めた。
※※※
次に森を割って姿を現したのは、エルフと人間の混成部隊だった。
前列には冒険者が置かれ、先程の捨て身の一団とは違い、装備も動きも洗練されている様に見える。
盾役、前衛、術士、斥候――役割分担が明確で、互いの間合いを正確に保っている。
そして、その後方には、月光を受けて淡く銀色に光る影が見えた。
エルフの精兵だ。
しかも、ただの弓兵ではない。
長弓を携えた射手の列の間に、短槍と曲刀を持つ近接兵が混ざり、さらにその奥には、樹皮のような装束を纏った魔術士が控えている。
――森林戦仕様の、完成された編成。
冒険者が前線で撹乱し、エルフが後方から制圧する。
視界、距離、地形。
すべてを活かし切るための組み合わせだ。
私は、そこでようやく腑に落ちた。
「……なるほど」
先程の冒険者達は、捨て石に過ぎなかった訳だ。
私をある一定の場所に拘束していれば、それで役目を果たしている。
その上で魔力を使わせ、術の傾向を測るなど、そうした役割もあったのかもしれない。
あくまでも、時間稼ぎ――。
戦力の逐次投入は愚策。
そんなことは、戦を知る者なら誰でも理解している。
だからこそ、あれだけの戦力しか来なかった時点で、気付くべきだった。
――本命は、別にいる。
もっとも、分かっていたとして、防げたかと問われれば、それはまた別の話だ。
呪いがある以上、私は魔力を際限なく使えない。
そして、高所――屋根の上に陣取っての防衛戦は、合理的であると同時に、殆どそれしか選べない様なものだった。
エルフが呪いとその効果を、知らない筈がない。
それを見越しての作戦行動だと、察するべきだった。
「……来るか」
精兵達が合図を交わした次の瞬間、戦場の空気が変わった。
冒険者達が、一斉に動く。
盾役が前へ。
斥候が左右に散り、死角を作る。
魔術士が詠唱を始め、エルフの射手が弓を引き絞った。
矢は、まだ放たれない。
だが、その“溜め”が、逆に圧となってこちらを押して来ていた。
「……ここからが本番だな」
私は屋根の上で、深く息を吸った。
無理に迎撃すれば、魔力の損耗が拡大する。
だが、放置すれば、包囲されてしまうだろう。
取れる選択肢は少ない。
――ならば、削る。
私は、術式を一段、静かに切り替えた。
派手な魔術は使わない。
まず必要なのは、整然とした足並みを崩すことだ。
ベルトから杭を取り出すと、それぞれの指の間に挟んで、合計六本、前方に放った。
封入されていた魔術が展開される。
そうして、最初に異変が起きたのは、冒険者の前列だった。
「――なっ!?」
踏み込んだ足が、沈む。
先程の冒険者にも使ったものと術式は違うが、たとえ事前に見ていたとしても、彼らには躱せない。
勝手に隊列を崩すことは許されていないはずだから、むしろ受けるしかなかったと言える。
そして、動けないというそれだけの事で、連携は乱れ、作戦行動に支障が出るだろう。
だが、動揺から立ち直るのは早く、エルフの射手達が次々と矢を放った。
雨の様に降り注ぐ矢は――しかし、屋根まで届かない。
風の小精霊が集合し、僅かに軌道を逸らしたからだった。
私は視線を上げ、夜空と月を背に、低く告げる。
「……いい部隊だ。よく訓練されている」
余裕のなさを、表に出す訳にはいかない。
どこまでも泰然と――そして、尽きない余裕を見せ付けなければならなかった。
「ここから先は、消耗戦だな」
彼らが一歩進む度に、私は一手放ち、その戦力を削る。
どうあっても、何をやっても、小揺るぎもしない、と思わせねばならない。
その圧力でもって、踏み出す足が鈍ってくれなければ、私の負けだ。
そして――。
私の敗北は、そのままリルの危機へと繋がる。
生存者は誰一人残さないだろうし、何よりリルに渡した“首飾り”が拙い。
もし、それを見つけられたら、それが持つ“力”を知らない、なんて言い訳は通じないだろう。
その存在を、他に漏らされない為にも、必ず始末される。
だから、この身がどうなろうとも、負ける訳にはいかなかった。
それに、切っていない札は、まだいくつも残っている。
呪いのせいで、身体の痛みは脇腹を中心として全身に広がっていたが、リルを想えば耐えられた。
「フウゥゥゥ……」
細く息を吐いて、今は耐える。
「返り討ちだ。何をしても無意味だと、教育してやる……」