「……隊列を再編する。前衛は下がれ。斥候を二組、左右に――」
「待ってられるかよ!」
ついにしびれを切らした一人の冒険者が、指揮官の声を無視して飛び出した。
彼のパーティーと思しき戦士達も、それに続いて後を追っている。
彼らは一様に重装の剣士だが、それを感じさせない速度で走っていた。
そして、その自信に裏打ちされた実力もあるのだろう。
だからこそ、我慢出来なかった。
屋根の上から、私はその動きを酷く冷淡に見据えていた。
剣士が我が家まで後半分、という距離まで踏み込んだその瞬間、後方からエルフの叱責が飛ぶ。
「戻れ! それ以上は――」
だが、もう遅い。
そこには妖精に回収させた、ゴーレムの残骸が埋まっている。
正しく調整・運用すれば、その巨体を動かす程のエネルギーになるが、扱いを誤ればそのエネルギーは暴発して牙を剥く。
地表の下で、何かが――鳴った。
鈍く、腹の底に響くような、金属と魔力が擦れ合う音だ。
それは爆発音ですらなく、むしろ破裂音に近かった。
「――っ、止まれ!」
遅れて気付いた冒険者が叫ぶが、重装の足は簡単には止まらない。
一歩、二歩……。
三歩目を踏み出した、その瞬間だった。
――地面が、沈んだ。
沈下したのではなく、撓み、歪み、爆発の影響で変化したのだ。
埋めておいたゴーレムの残骸――胸部炉心の破片が、踏圧を引き金に、内部の魔力回路を誤爆させた。
次の瞬間、地中から吹き上がったのは、歪みの力だった。
空気がねじれ、音が潰れ、視界が一瞬だけ白く歪む。
魔力が暴発する際に起こる、おおよそ最悪の現象――“境界破断”だ。
「う、ぐわ――ッ!?」
剣士の足が、消えた。
正確には、削り取られた、と言うべきだろう。
装甲ごと、肉ごと、存在そのものを剥ぐように、脛から下が消失していた。
続いて突っ込んできた二人が、慌てて止まろうとして――やはり遅かった。
恐怖は、ブレーキの助けにならない。
彼らは転び、絡まり、互いを押し倒しながら、危険地帯に踏み込んでしまう。
ゴーレム残骸は、全部で七つ。
それら全て、妖精達がデタラメに配置したものだ。
狙ってやるにはその知識がないから無理なのだが、マナの純度に敏感な彼らだから、そこにさえ注意すれば、埋める段階では危険を最小限に出来る。
それを無感動に見ていた私は、屋根の上から淡々と告げた。
「……どうせなら、もっと多くを巻き込めたら良かったな」
聞こえるはずもない距離だが、耳の良いエルフには届いたらしい。
指揮官が、歯を食いしばって、周囲に告げた。
「……退け! 無理に助けるな! その場所から離れろ!」
正しい判断だ。
埋没しているゴーレムの罠は、未だ全てが起動していない。
だが、その命令を“即座に”実行できる兵だけで、構成された部隊でないのが徒となった。
冒険者は仲間を見捨てない。
それが美徳であり、同時に弱点でもある。
私は屋根の縁へと歩み寄り、視界に入るよう、わざと姿を晒した。
「……魔女が何かするぞ!」
誰かが叫び、その瞬間、全員の意識が私に向く。
助けるべき仲間から、視線が外れた。
私は静かに、外套の内側に指を滑らせ、巻物の残数を確かめる。
攻撃用巻物はもうないが、治癒の巻物がひとつだけ残っていた。
いかにも、今から攻撃して来るようにみえるだろうが、私も攻撃を躊躇う場面だった。
追撃するには絶好の機会――。
だが、今は私を見て畏怖し、足を止めさせていた方が、今は益が高い。
「――次に踏み出す足は、慎重に選べ。同じ目に遭いたくなければな」
冒険者達が躊躇した、その刹那。
森の奥から、低く、重い音が響いた。
エルフの精兵部隊が、動き出した音だ。
私は、薄く息を吐く。
――いいだろう。
ようやく、全員が盤上に揃った。
※※※
――やはり、来たか。
屋根の上から見下ろした視線が、精兵の一角で止まる。
氷色の外套、背に負った大剣。
その歩調と魔力の運び方を見ただけで、すぐに誰かは分かった。
三年前、森の結界を抜け、罠を潜り、最後の最後まで私に食らい付いた人間――。
名前は確か……、ミッコラだったか。
仲間の一人を犠牲にして逃げ切るという、中々
その彼女が、今は隊列の中心にいる。
――精兵の核、か。
ミッコラは足を止めない。
詠唱は短く、殆ど一呼吸の間に終わらせる。
すると空気が冷え、瞬く間に地面が白く染まり、次の瞬間には凍結した。
バキリ、という嫌な音と共に、分厚い氷が敷かれる。
埋伏した罠は、あれでは動作しないだろう。
しかも表面はザラついて、敢えて雑に起伏が多くなっている。
あれでは歩行するにも、支障は最低限で済みそうだ。
「……中々、見事な術だな」
思わず、声が漏れた。
氷結魔術は単純な術式に見えて、実際には極めて高度なものだ。
その上、地形を読み、罠の存在を前提とし、それら全てを一括で無効化するのは、並大抵の腕では出来ない。
――中核に据えられるだけの事はある。
そこへエルフの指揮官が、短く号令を飛ばす。
「前進! 足場は安定した。散開しつつ、魔女を圧迫しろ!」
精兵達が、氷上を慎重に進む。
罠が完全に無効化されたか、今はどうしても半信半疑の状態だ。
もしかしたら――、それを考えずにはいられないだろう。
誰も彼も、足を失う二の舞いは踏みたくない。
ミッコラは、その先頭に立ちながら、一瞬だけこちらを見上げた。
目が合って、そこに強烈な意思を感じ取る。
怯えも慢心もなく、そこにあるのは、執念にも近い集中だった。
――あぁ。
彼女は、三年前の敵討ちをしに来たのだ。
「……罠は潰された、か」
呟きながら、私は屋根の上で姿勢を低くする。
魔力は極力、使いたくない。
高所防衛という地の利も、罠を無効化されたことで、少しずつ崩れ始めている。
だが――。
私は指を弾いて、パチッ、と軽い音を立てた。
それを合図に、各種の小精霊が音もなく宙を舞う。
私はそれらに視線を向けると、顎で森の奥を指した。
それを合図に、小精霊らは三々五々に散っていく。
森の奥へと消え行く彼らを見送りながら、私は思考を切り替える。
――地面は封じられた。
それは仕方がない。
最初から最後まで、全て手の平の上などと、自惚れてもいなかった。
視線を上げて、木々と枝、そして夜空に目を移す。
そして、氷結魔術という一点に、力を集中させた――ミッコラを見据えた。
「……相変わらず、愚直な奴だ」
それは美点であり、同時に突破口でもある。
私は、屋根の縁から一歩、後ろへ下がった。
次に動くのは、私ではない。
――森だ。
森は、いつでも私の側にある。
※※※
――森は、生きている。
それは決して、比喩ではない。
魔女として生きた千年は、各地を転々と移動し、居を移す必要性を迫られたが、拠点というものは存在している。
各地にある拠点はいずれも、ヒトが近付くには難所と言える場所ばかりだが、ここはその中でも別格だった。
何しろこの数百年、この森と共に在り続け、精霊達と生きてきた私は、それを誰よりも理解している。
氷に覆われたのは、あくまで地表だけで、しかも森の縁から我が家に続く、狭い距離のみだ。
枝の先、幹の内、根の奥。
そこまで完全に凍らせる程、ミッコラの魔術は強力ではなかった。
――だから、そこに付け入る隙がある。
そうして最初に異変が起きたのは、その音だった。
ギ……、ミシ……。
氷の下で、何かが軋む音がする。
精兵の一人が、違和感に足を止めた、その時だった。
地面を覆う氷が内側から盛り上がり、彼らの足元を揺るがした。
「な――っ!?」
次の瞬間、氷を突き破って現れたのは、黒褐色の“根”だ。
太く、節くれ立ち、まるで意思を持つ蛇のように蠢く。
それも一本、二本ではない。
森の至る所から同時多発的に、それは起こっていた。
これら全て、精霊達と妖精の手によるものだ。
超自然的存在である彼らだから、自然と調和し、それを利用する事など造作もない。
氷の平面を前提に組まれた隊列が、即座に乱れる。
「足元だ! 根が――」
誰かの叫びは、途中で途切れた。
足首に絡みついた根が、強引に引き倒したのだ。
精兵といえど、結局は人の身体だ。
氷の上で姿勢を崩せば、立て直しは難しい。
それに、引き倒しただけでは終わらない。
根に引き上げられ、宙吊りにされる者も現れる。
そして、次は枝だ。
風もないのに、木々の枝葉がざわめき、しなり、狙い澄ましたように精兵達の頭上へと伸びる。
絡め取り、持ち上げ、そして――放り投げた。
氷上に叩き付けられる衝撃音が、あちこちで響く。
「……森が、動いている?」
誰かの呆然とした声。
ミッコラは即座に理解したらしい。
大剣を背負ったまま、鋭く視線を走らせる。
「魔女だけ、と考えていたのは間違いだった……! ここが……森全体が、全てが敵だ……!」
――その通りだ。
私は屋根の上で、外套の裾を風に揺らしながら、静かに息を吐いた。
氷結によって均された戦場は、今や完全に仇となった。
焦りから滑り、転び、逃げ場を失う。
幾ら凹凸を多くして、歩き易くしたと言っても、平地と同様にはいかない。
焦りが募れば尚のことだろう。
ミッコラが歯噛みする。
「……搦め手ばかり……! 魔女が直接動いていないのに、これなの……!?」
私は、その呟きに小さく笑った。
「そうとも」
聞こえるはずもない声で、私は静かに告げる。
「ここは私の領域だ。私が動かなくていい戦場を、作るのはむしろ当然だろう」
そして、向って来る者は、容赦なく排除する。
精兵達の足が止まり、隊列は完全に分断された。
攻めるための時間を稼ぐつもりだった彼らは、今や逆に、時間を奪われる立場とかっている。
私は、屋根の縁に立ち、剣の柄に手を置いて息を吐く。
――さぁ、次に動くのは、誰だ?