「出来れば使いたくなかったが……」
指揮官の喉から、諦観滲ませた声が漏れるのが聞こえた。
「囚人兵!」
躊躇いを押し殺した、しかし鋭さだけは失われていない号令が発せられる。
それに応え、明らかにこれまでとは異質な一団が、前線へと押し出されてきた。
粗末な襤褸を身に纏い、兵士とは到底思えぬ者達だ。
目は虚ろで、生気も覇気も感じられない。
それなのに――目の奥に宿る殺気だけが、異様なほどに研ぎ澄まされていた。
号令と同時に駆け出す姿は、恐怖に引き攣っている。
逃げ出したいという意思は明白なのだが、何かしらの強制力に縛られているのか、その足は止まらない。
だが、森は情け知らずの上、相手を選んで容赦もしなかった。
地を割って伸びた根が、囚人兵達の足へと絡みつく。
逃走も回避も叶わず、動きを封じられた、――その瞬間。
彼らの身体に変化が起きた。
嫌な予感が背筋を走る。
「……精霊達、攻撃を。距離を取って!」
即座に呼び掛けるが、判断は少し遅かった。
囚人兵の変化は突然で、そして異常なほど急速だった。
肉を内側から突き破るようにして現れたそれは、人ひとりの内部に閉じ込められていたとは思えぬほど巨大なものだ。
骨を砕き、皮膚を引き裂き、悲鳴すら途中で飲み込みながら――。
それはあっという間に人の身体から、まったく別の生き物として姿を現した。
――異形。
歪に肥大した四肢、異常な数の関節。
目はなく、代わりに闇そのものが口を開けたような空洞が、こちらを“見て”いる。
――間違いない。
あれは強制的に、悪魔と契約させられた者達だ。
しかもこれは、暴走ではない。
発動条件付きの契約だ。
拘束、妨害、命令違反。
そのいずれかが成立した瞬間、悪魔が“代替の身体”として主導権を奪う。……そういう類いの。
「……森を、更地にするつもりか」
異形と化したそれらは、根を引き千切り、枝を噛み砕きながら前進してくる。
自然への畏怖も、痛覚も、恐怖も存在しない奴らが、今度は敵だった。
その間にも精霊達の攻撃が降り注ぐが、致命打にはならない。
攻撃し、足止めするほど、周囲の囚人兵が次々と変貌していく。
それを見ていた指揮官の顔が、はっきりと歪んだ。
「……穢らわしい。あんな力に頼らなければならないとは……」
その声は淡泊で、変貌する囚人兵に対する憐憫は欠片もなかった。
単に、異形への嫌悪感ばかりがある。
――止めれば、異形が増える。
だが、止めなければ、こちらが押し潰される。
私は屋根の上から戦場を見下ろし、歯嚙みしたい衝動を必死に抑えていた。
精霊達は異形に攻撃しているが、小精霊は、そもそも力が強くない。
異形を相手にするには荷が勝ちすぎる。
出来るのは、囚人兵を足止めする事くらいだが、それも最早……。
「精霊達よ、ありがとう。もう退がってくれ」
大きな声量ではないが、それでもしっかり伝わって、精霊達は光の軌跡を残して去って行く。
異形は何をするか分からない。
どういった能力を持ち、どれ程の力を有するか、それば外見からでは判別出来なかった。
「……とりあえず、触れる事なく周囲を腐らせる……などという輩がいないだけでも、まだ安心出来るか……」
契約した悪魔が、どれ程の強さを持つかによっても、色々と変化して来る。
そして、異形の姿が一様に同様な所を見ると、同一の悪魔と契約したのだと推測できた。
「マジョヲコロセ……! マジョヲコロセ……!」
異形は氷の地面など、ものともしない。
異形の歪な足で氷を蹴り、氷の礫を巻き上げながら突進して来ていた。
「流石にこうなると、魔力を温存、なんて言ってられないか……」
私は剣を引き抜き、軽く息を吐く。
――いつも通りだ。
気負う事なく自然体で――その上で、魔力出力は絞る。
絞りすぎては本末転倒なので、そこは気を付けなければならない。
だが、いま求めるのは異形の破壊ではなく、狙うのは異形の胸奥で脈動する契約核だ。
悪魔と人を繋ぐ“窓”。
そこを断てば、異形はただの抜け殻になるはずだ。
私はそれを、前回の異形との戦いで感じた。
「結局のところ……異形とは所詮、悪魔の操り人形に過ぎない」
力押しは、相手の土俵だ。
それに乗ってやる必要はない。
私は私なりのやり方で、異形を出し抜くまでだ。
屋根から下り、着地と同時に駆け出す。
凍った地面を走るのは骨だが、魔力で無理やり吸着させ、それで走り続けた。
『ギィォォオオオ!!』
雄叫びらしきものを上げるのと同時、異形の速度が一気に上がった。
掌を振り上げ、爪を伸ばし、背中からも無数に触手を伸ばす。
私はそれらを避け、或いは掻い潜り、その内の一体へと肉薄した。
「フッ――!」
この場合において、剣で斬り付けることは、切断したいからではない。
あくまで触媒としての役割であり、接続点だけを削ぎ、それを断つ為に振るう。
『ギィヤァァアア……!』
耳をつんざく悲鳴を上げ、異形は灰となって朽ちていく。
――問題ない、この程度なら。
腕の数を増やし、触手の数を増やし、少しでも抵抗しようとするが、全て無駄だった。
私は猛攻全てを回避するか剣で防ぎ、一体、また一体と、異形を落としていく。
彼らが人に戻ることはない。
だが、少なくとも――悪魔にこれ以上使われることは、終わらせてやれる。
――倒した異形は、これまで五体。
しかし、残りの数はその倍以上もある。
その上、精兵達も体勢を立て直し始めていた。
既に矢を持ち、弓に番えようとする動きも見える。
「やはり、引きずり出された感は否めないな……。これ以上、長引くと……」
そのうえ異形は、数体が討たれたことで完全に理性を失った。
触手の先々に、次々と炎が灯る。
制御された魔術ではなく、ただ魔力を燃やし、力へと変換しているものだ。
そして恐らく、それこそが、悪魔が使う魔法なのだろう。
マナから法則性を見出し、そこから術式を作り上げた魔術とは違い、あるがまま力業で振り回す――そういう類いの。
「全く……、厄介な事この上ない……!」
術式ならば妨害出来るが、そうでないなら、干渉のしようがない。
その上、やっている事と言えば、癇癪のままに吐き散らすような有様だった。
そういう意味でも、やはり厄介に違いなかった。
敵も味方も区別がない。
四方八方へと、無秩序に、破壊衝動そのものを叩きつけてくる。
せっかくミッコラが地面を覆った氷も、それで意味を失った。
凍結によって無効化されたはずの罠が、炎で溶け、重さで崩れ、次々と強制的に発動していく。
案の定、地面が裂け、あるいは跳ね上がり、下半身を喪失する異形も現れた。
だが――。
それでも、止まらない。
肉の断面が泡立ち、黒い粘液のようなものが蠢くと、部位の再生が始まり出した。
完全ではないにせよ、行動不能には程遠い。
「……なるほど」
私は奥歯を噛み締める。
――これも狙いの一つか。
罠を避けるのではなく、踏み抜かせて無力化する。
再生を前提にした、あまりにも乱暴で、あまりにも合理的な突破方法……。
再生可能な異形だからこそ出来る、非人道的な力業だ。
そして、癇癪の炎は尚も止まらない。
戦場となっている家の周囲だけでなく、その外へ、さらに外へと及ぼうとしている。
森は問題ない。
元より防火耐性は堅固だし、精霊達が火勢を押さえてくれる。
母屋には結界があって何処よりも堅固だし、離れも同じ木材だから、やはり心配の必要はなかった。
だが、畑は違う。
野菜も、果樹も、薬草も。
魔力で守られているわけではない、生きた作物達だ。
炎が触れ、火と煙がなぶる度、葉が縮れ、実が黒く焦げていく。
「やめろ……ッ!」
思わず、声が荒れた。
理性より先に、怒りが前に出る。
妖精達の実り、共に育てた時間、リルの奮闘と笑顔――。
それら全てを汚されて、到底我慢ならなかった。
私は一体の異形へと、迷いなく踏み込む。
感情が先行したせいで、魔力が自然と身体を流れた。
「――チィッ!」
呪いが疼いたせいで、頭が冷える。
だが、使用してしまったものは、もう戻らない。
それまでとは全く違う速度で接近すると、一気に刃を振り抜いた。
「――シッ!」
狙うは、異形の胸奥。
悪魔と人を繋ぐ“窓”を見誤らず、一閃した。
「……ギッ、イ、イィィィ……ッ!」
肉と魔力が同時に裂け、異形は声にならない絶叫を上げて崩れ落ちた。
だが、その代償として――。
腕の内側が、熱を持つ。
呪いの紋様が確実に広がり、掌を見ると、指の付け根まで広がっていた。
「……馬鹿をやった」
使えば使うほど、命を削られる。
それは分かっている。
それでも、この浸食速度は異常だった。
「今も殺され続けている、ルグ・ヴァレン=サルド……。アイツの執念が、呪いの浸食を早めているのか……」
そうとしか考えられない。
そして、奴が未だ耐えられているのは、その怨みを支えにしているからだろう。
炎に包まれた畑を見つめながら、ある種の確信をもってそう考えていると、妖精達の悲鳴が聞こえた。
痛みや恐怖からではない。
嘆きを訴えて、声を上げているのだ。
「小精霊達よ、今一度頼む! 風を集めんだ! 火を散らすな、押し返せ!」
声に応じ、風が渦を巻く。
炎は空へと押し上げられ、異形達の背後へと叩き返された。
エルフや冒険者達が、今度は炎から逃げる番だ。
「大丈夫! 任せて!」
そうだ、向こうにはミッコラがいた。
得意の氷結魔術で、自分とその周囲の炎を鎮火させていく。
火傷らしきものは負わせられたが、それ以上ではない。
戦闘続行については、何ら問題なさそうだ。
だが、異形の動きは乱せた。
その隙を逃さず、森が動く。
地面が盛り上がり、太い蔓が腕を絡め、あるいは顔に巻き付き視界を奪う。
「いいぞ……!」
拘束された状態のまま、核だけを断った。
後はこの手順を、繰り返すしかない。
だが、敵の数は已然として多かった。
そして、時間が圧倒的に足りない。
炎に追われる畑を見て、私は覚悟を決めた。
「……畑は、後で取り戻す」
声に出して、自分に言い聞かせた。
失われた作物は、また育てられる。
だが、この場を落とされれば、全てが終わる。
私は細く息を吐いて、戦場全体を見渡した。
異形。
精兵。
冒険者。
そして、その奥には――指揮官が、こちらを見ていた。
炎越しに、確かな恐怖と、多くの敵意を宿した目で。
「……まだ、切り札を残しているって顔だな」
ならば――。
こちらも、もう一段、踏み込むしかない。
様子見の段階はもう、とうに過ぎた。
ここからは、私も覚悟をもって戦わなければならない。
――リルの為だ。
その為にこの命を懸けると、それは初めから決めていた事だった。