私は、静かに呼吸を繰り返し、息を整えた。
呪いがある以上、魔力の大量消費は自殺行為に等しい。
だが――使わねば、異形を撃退出来ないし、その背後に控える者達も倒せない。
「……仕方ない」
外套の留め具に指を掛け、ひとつ外す。
それだけで、封じていた魔力の流れが、堰を切ったように溢れ出した。
森が応え、空気が変わる。
その圧力が、重さを持って場を支配した。
「聞け。ここから先は、私の領分だ」
言葉と同時に、私は地面へと掌を向けた。
――魔女術、“深層連結”。
土壌、根系、岩盤、そのすべてと魔力を接続する術式。
通常ならば儀式が必要となる大魔術だが、私にとっては違う。
“魔術”と“魔女術”の違いは多くあるが、魔術が魔力を用いて物理現象を起こすものとするなら……。
魔女術は物理世界の法則から脱却する、という正反対のアプローチをする点が、一番大きな部分だろう。
異形の足元で、大地が蠢く。
土が盛り上がり、岩がせり出し、無数の根が絡みついた。
拘束から抜け出そうとする異形を、分解するように引き裂きつつ、拘束する。
だが異形も、ただ黙っている訳ではない。
触手を振り回して暴れ、炎を撒き散らす。
しかし、地面ごと押さえ込まれているため、逃げようがない。
「再生する? 結構。なら――」
私は指を鳴らす。
「再生する前に、削ぎ続ける」
地面から突き出た石槍が、連続して異形を貫いた。
一撃では足りない。
だから、十。百。千……と数を増やした。
核を見極める必要などなく、あらゆる箇所を無差別に削る。
そうなれば、運悪く核を打ち抜かれ、悲鳴を上げながら朽ちる個体も現れた。
だが、その時――。
「――構わん! まとめて焼き払え!」
鋭い号令が戦場に響き、エルフの精兵達が動いた。
彼らは既に、準備を完了させていた。
異形は最初から味方などと思っていないだろうし、諸共攻撃する事に躊躇などないだろう。
弓が一斉に引き絞られる。
その矢尻には、複雑な紋様が刻まれていた。
「魔力貫通矢……!」
私は舌打ちする。
それは、対象だけでなく、周囲の魔力場ごと破壊する兵器だ。
異形を消し飛ばす代わりに、私の術式も巻き添えにする。
「撃て!」
放たれた矢は、流星のように降り注いだ。
命中と同時に轟音が響き、爆炎と衝撃波が撒き散らされる。
地面ごと、異形と拘束を吹き飛ばし、私もまた、それに巻き込まれた。
爆風が収まると、異形達は全て、跡形もなく消えた。
だが私は、全身の打ち身だけで済んでいる。
「――っ!」
煤と埃を払って立ち上がると、一瞬、視界が白く弾けた。
腹の内側から、焼け付くような痛みが走り、それが全身に駆け巡る。
崩れそうになる膝を必死に叱咤し、私は何とか踏み留まった。
「……あと何発、使えるんだか……」
私はエルフ達を睨みながら、呟く様に言った。
どうやら、私が魔女術を使うのを待っていた様に思えるし、その隙を狙って、今回の攻撃をした様に思う。
「あれが切り札だったのか……?」
精兵達は無言で、敵意の視線ばかりがある。
二の矢がないのは、あれだけの数を用意するのに精一杯だったからか……。
そうだろう、と思うと同時に、それだけか、と訝しむ私がいる。
決定打に成り得る攻撃ではあったが、事実、私は無事に立っている。
エルフはそこまで楽観的だろうか。
呪われているのは知っていても、浸食具合までは知らない筈だ。
十分な時間を置いて襲撃したにしろ、異形化するまで放置する事まではしなかった。
「殺しはしたいが、異形化させるのは避けたい……。そういう事か?」
それとも、他に理由があるのか。
あるとすれば、それは――。
「魔女は間違いなく弱っている! 間断なく攻め立てよ! ――魔術部隊!」
指揮官が腕を大きく振り上げ、私目掛けて振り下ろした。
私は薄く笑い、痛みを堪えながら魔力を練り上げる。
「それは少し、私を舐めすぎだな」
最早、腹は括ったのだ。
使うことに躊躇いがなければ、無力化は容易い。
――魔女術“領域干渉・主権宣言”。
この森において、私以外の魔力行使を、一時的に制限する術式だ。
発動した瞬間、エルフ達の魔力の流れが千々に乱れた。
「なっ……、魔力が……!?」
「術が、構築できない……!」
彼らの動揺を見て、私は静かに告げる。
「お前達が相手をしているのは、――魔女だ。魔女相手に、魔術勝負が成立すると思っていたのか?」
ここまでの狙いは良かった。
その勝負をしたくないから、ここまで面倒な手順を踏んだ。
使えても数回、それも大魔術は不可能――そう思って、最後の決着のつもりで、こうして来たのだろう。
私は深く息を吐いた。
呪いが、また確実に進んだ感触がある。
――だが、それでも。
「……まだ、やれる」
夜の森が、僅かにでも頷いた気がした。
後は一気に押し潰すだけ――。
この戦いもいよいよ、終わりに向かおうとしていた。
※※※
「――何ッ!?」
それはある種、偶然気付けた事だった。
上空、それもほぼ真上から気配を感じて、咄嗟に避ける。
前転するように前へ飛び出し、その直後に風切り音が首筋を通っていった。
所々、地面が泥になっているせいで、身体が汚れる。
それを忌々しく思いながら、転がる勢いを利用して立ち上がった。
「チッ……」
そうして背後に目を向けると、そこには剣を手にした、一人のエルフが立っている。
薄身の刃の刀身で、耐久性を抑えた代わりに切れ味を特化させた武器……の様に見えた。
不意打ちならば、確かにこの首を断ち切るのに苦労はしないだろう。
私はあわや危険だった首筋をするりと撫で、そうして不意に気付く。
「ない……」
いつも肌身離さず身に付けている、四つ揃えの宝玉が連なるネックレス。
それが無くなっている。
「ふむ……」
目の前のエルフの手には、そのネックレスが握られていて、宝玉を見つめては矯めつ眇めつしていた。
「どうやら、間違いないな。ようやく……、ようやく我が手に……!」
では、最初からそれが狙いだったのか、と
「この部隊運用も、囚人兵を利用した非人道的戦法も……。全ては、この一手の為だったのか……!」
「そうとも。空から好機を窺っていたものの、唐突に落とされた時は、正直焦ったものだがね。……まぁ、結果的にはそれが功を奏した」
エルフは、喉の奥で低く笑った。
その笑みには、勝利の余韻と、長年の執念が滲んでいる。
「……千年だ。千年も、我々はこの時を待った。森に守られ、国を渡り、時代を渡り……だが、ようやくだ」
彼はネックレスを掲げる。
四つの宝玉が月光を受け、淡く、しかし確かな脈動を返していた。
――時間停滞、老化否定、因果固定、存在定着。
私が“今も若く在る”理由そのものだ。
魔女として、幾重にも積み重ねてきた力の集積。
それは寿命を延ばすなどという生易しいものではない。
時間の流れそのものから零れ落ちぬよう、自身を世界に縫い留めるための楔だ。
私自身が作り出したものではなく、師匠から譲り受け、託されたものでもあった。
――それを、奪われた。
奪った相手は、エルフ国――カレドシーリア新皇国の神官長であり新皇でもある、アーダルブレヒト・ハルストレーム。
数多いるエルフの頂点たる王その人が、わざわざここまで足を伸ばしてきた。
その意味は大きい。
「こんな僻地までご苦労な事だ……。お前は塔の奥深くで動かないものだと思っていたぞ」
「
恍惚とした表情で宝玉を見つめた後、一転して路傍の石を見つめる視線を、こちらに向ける。
「……ふむ、久々の再会だが、髪色以外は随分、変わったものだ。
「言ってろ。その余裕に塗れた顔を、今すぐ恐怖に塗り替えてやる」
「強がりは止せ。お前の前に姿を現すリスクなど、百も承知だ。こうして逃げずに長話しているのも……」
チラリと向けた視線の先に、何がいるかなど、確認するまでもなく分かる。
先程の精兵達が、半包囲した形で、その輪を狭めるように接近して来ていた。
アーダルブレヒトは、口の端に笑みを浮かべながら言う。
「物量の圧殺は、未だ有効な戦術だろう。現在、不調なお前ならば、私であっても食い止められよう」
それとも――、と蔑む視線そのままに、言葉を投げ掛ける。
「この魔術封じを解除して、また別の魔女術を使ってみるかね?」
状況は最悪で、打つ手は殆ど残されていなかった。
――アーダルブレヒトは強い。
万全な状態ならば決して負けないが、今はその正反対で、使える魔女術はあと一回くらいだろう。
私は歯嚙みしたくなるのを堪え、アイツに分からないよう、意思ある瞳で睨み付けるしかなかった。