どうしても落ち着いていられず、わたしは家の中をうろうろしていた。
それはアロガも同じで、わたしの傍を離れようとしないから、二人してあっちこっち家の中を歩き回る羽目になった。
「落ち着きなさい。リルが焦っても仕方ないわ」
それを見ていたナナが、空中に座った体勢で苦笑しながら言った。
「あの魔女が、早々やられたりするもんですか」
「でも……、でもね。さっきからすごい音してるよ。揺れもすごいし……。こんなの、今までなかったもん」
「まぁ、それは……」
ナナは、宙で組んだ足をゆらりと揺らしながら、わざとらしく肩をすくめた。
「確かに派手だし、こんな事、これまでなかった。……あの音は、たぶん岩盤ごと何かしたんじゃないかしら。あの人、本気出すと見境なしなのね」
その時また、どぉん、と腹の底を震わせる衝撃が走る。
梁が軋み、棚の上の小瓶がかたかたと鳴った。
思わず、わたしは耳を塞ぐ。
アロガが低く唸り、わたしの足に体を押しつけてきた。硬い毛並みの温もりが、少しだけ心を引き留める。
「……笑いごとじゃないよ、ナナ」
喉がひりつく。
胸の奥が、嫌な予感でざわついている。
お母さんは強い。
誰よりも、何よりもずっと強かった。
ドラゴンよりも強いんだし、強そうな冒険者だって、本当に子ども扱いだった。
だけど――。
「強いからって、絶対じゃないよね?」
ぽつりと零れた言葉に、ナナの揺れていた足が止まる。
「リル……」
「だって……沢山、沢山来てるんでしょ? 五人とか、十人なら絶対まけないけど……。百人、二百人なら?」
お母さんの背中が、一瞬、脳裏をかすめた。
頼りがいがあって、いつでも自信満々で、見てたら安心できる背中で……。
でも今は、今だけは、思い返すと何だかとっても小さく見えた。
いつもより小さくて、誰かの助けを求めてる……そんな背中。
ナナにわたしの気持ちが伝わったのか、少しだけ目を細める。
からかう色が消えて、代わりに静かな意思の光が宿った。
「……あの魔女はね、確かに負けないわけじゃないわね。死なないわけでもない」
どぉん、とまた大きな衝撃。
窓ガラスがびりり、と震え、外で土煙が上がるのが見えた。
ナナは続ける。
「でもね、あの人は“退く”ことを知ってる。無駄死にはしない。勝てないと判断したら、リルを拾って逃げるでしょ」
本当にそうかなって、ちょっと思う。
お母さんが家を出ていく時、そんな風にはちっとも見えなかった。
もう逃げ場はないし、わたしが居るから逃げられないって感じがした。
「……でも、もし、退く暇もなかったら?」
その時アロガが、はっと顔を上げた。
耳がぴんと立って、忙しなく動いている。
外の音が、変わった。
爆ぜる音ではなく、何かが砕け散る、連続した衝撃。
――ごごごごご、と地鳴りもした。
ナナがすっと立ち上がり、空中に立ったまま、窓の外を見つめた。
「……あら」
その声に、わたしの心臓が跳ねる。
「何? どうしたの?」
「ミスリル銀の気配。しかも、相当な数」
「……え?」
嫌な予感が、形になる。
きっとゴーレムだ。お母さんが暇を見つけては、せっせと作っていたのを知っている。
でもそれは、さっき妖精から壊された、と聞かされたばかりだった。
……もっと嫌な予感が強まった。
居ても立ってもいられず、わたしは扉へと駆け寄り、ノブに手を掛ける。
「待ちなさい」
背後から、ぴたりと声が落ちた。
空気が凍るような圧がして、わたしは後ろを振り返った。
「行ったところで、足手まといよ」
「でも!」
「リル」
ナナの声は、優しくも容赦がない。
「あなたが焦って勝手な行動を取るほど、あの魔女は怒るわよ。“信じなさい”ってね」
外では、青い氷が地面の広い範囲を凍らせていた。
しばらくしてから、轟音と共に炎が天を裂いた。
レベルの違う戦闘に、その通りだと思う一方、わたしは遠くに嫌なものを見つけて息を呑んだ。
「あれは……、異形?」
とんでもないことだ。
一体でも恐ろしいのに、それが何体……何十体と姿を見せている。
わたしは恐ろしくて堪らないのに、でも、ナナにはどこまでも余裕があった。
「今度は本当の本気だもの。前回みたいに、自分をあえて弱く見せるペテンに掛ける必要だってないし、だから……」
一体、また一体と、崩れ落ちていく気配がする。
それと同じくして、アロガも、わたしを不安そうに見つめた。
震えているのは地面か、それとも、わたしか……今はちょっと自信ない。
「……帰ってくるよね」
小さく呟くと、ナナはゆっくりと、わたしの隣に降り立った。
「ええ、大丈夫。必ず帰ってくるわ」
ほんの一瞬、彼女の瞳が遠くを見た。
「だって、あの人――まだ、あなたに言ってない事、教えてない事が山ほどあるもの」
しばらくして、ひときわ大きな振動が襲った。
家もしばらく揺れていたが、数秒後にぴたりと止まる。
「やっぱり結界があると違うわね。全然びくともしてない。これが無かったら、多分二回か三回は、この家ひっくり返っていると思うわ」
それからは、しばらく静寂が続いていた。
戦いが終わったのか、はたまた別の何かが理由か――。
わたしにそんな事は分からない。
ぜんぜん分からないけど……けど、だから余計に不安になる。
「おわっ……、た?」
一縷の望みを掛けて、誰にともなく呟く。
家の中は怖いくらい静かで、わたしの鼓動だけが、やけに大きく響いていた。
※※※
やっぱり家から出て、少し様子を見てきた方がいいのかな……。
そんな考えが、頭をよぎる。
さっきまでは何度も、大きな音とかあったけど、今はそんなものは全然ない。
「ねぇ、ナナ……」
「駄目よ」
「でも、火だって燃えてるし……」
「なら、尚更行くべきじゃないわね。畑は確かに残念だけど、手遅れなのは変わらないもの」
「早く消した方が良いでしょ?」
「それも確かだけど、本当に戦闘が終わったかどうか、ここからじゃ分からないわ。もしも続行中なら、やっぱり問題にしかならないし……」
どうあっても、ナナは行かせたくないみたい。
でも、わたしは、お母さんが心配で仕方ない。
嫌な予感――ううん、予感なんかじゃない。
確かに感じる。
どうしてかは全然、分からないけど……でも、胸を掻きむしりたくなる程、焦る気持ちがずっと高まってた。
「もう……、じっとしてられない!」
走り出そうとした所へ、アロガの大きな身体に通せんぼされた。
「アロガ、じゃま!」
「そんなこと言うもんじゃないわ。それにね、そもそも結界があるから、家から出られないわよ?」
「そうなの……!?」
「そうよ。あの魔女が、自分から解かない限りね。……魔力が尽きようと、ここに回す魔力だけは、何としても確保しようとするでしょう。解除されるって言うことは、その魔力さえ尽きたって意味で……。でもそんなの、有り得ないでしょ。……いや、そうとも言い切れないのかしら。何しろ、万全の状態とは、とても……」
「つまり、どういう事? 今は行けるの? 行けないの?」
「行けないの。いくら駆け付けたくてもね、あの魔女が勝つか、負けるかしないと……」
ナナが言い掛けた、その時だった。
突然、ガラスが割れるみたいな音がして、それまであった、どこか硬い雰囲気が消えた。
「お母さん……!?」
嫌な予感が更に増した。
わたしはアロガの脇をすり抜けて、扉に飛び付く勢いのまま開け放つ。
「うっぷ……!」
外に出ると、炎の熱気が頬を打った。
火の勢いは森の縁で止まっていたけど、畑や果樹園なんかは凄く燃えてる。
「ちょっと、リル! お待ちなさい!」
ナナとアロガが、すぐさま追い付いてわたしを引き留めようとした。
でも、こんなのを見せられて、黙ってなんかいられない。
ざっと見回しても、見えるのは倒れている兵士の姿くらいだ。
恐ろしい気がしたけど、それよりお母さんの事だった。
このまま逃げ帰ったら、もっと恐ろしい事になる気がする。
「お母さん……!」
わたしはお母さんを捜して、とにかく走る。
ナナの声も、アロガの唸りも、今は耳に入らなかった。
「お母さん!」
何処にいるか、そんなのは分からない筈なのに、どうしてか確信が持てた。
直感に従って走ると、そこには仰向けに倒れたお母さんと、その傍に膝を付く何かの姿があった。
暗い色の割外套を着ていて、フードを目深に被っているので、顔までは見えない。
でも、敵だ。
お母さんの敵だ――!
「お母さん!?」
それはわたしに気付くと、弾かれた様に立ち上がり、踵を返して走って行く。
でも、ただ逃げて行った訳じゃない。
その手には、お母さんが誇らしげに見せてくれた、あの剣が握られていた。
……盗ったんだ。
きっとアイツが、なんか卑怯な手でお母さんを倒して、それで剣を奪おうとしたその瞬間に私が来た――。
頭の中が一瞬で、カッと熱くなる。
わたしは足に力を込め、その背を追いながら叫んだ。
「それはお母さんのだぞ! 返せ! 返せぇぇぇ!」
でも、全速力で走ったのに、全然追い付けなかった。
それどころか、どんどん引き離されて、遂には森の縁――ごうごうと燃え盛る炎の中へと飛び込んで、追えなくなってしまった。
「返せ! 返せぇぇぇ!!」
叫んでも、声が返って来ないし、ましてや姿を見せる事もしない。
悔しさで握った拳が震え、目が熱くなって涙が滲んだ。
「リル、勝手に動いちゃ駄目よ! 危ないから早く戻って!」
ナナが後ろから羽交い締めする様に抱き着き、遅れてアロガも服の裾を噛んで引き戻そうとした。
「でも――!」
「いいから、戻るの!」
「……うん、分かった……。戻る。戻るよ……」
悔しさでいっぱいだけど……。
でも、それより今はお母さんの方が心配だった。