混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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灯は森に還り、娘へ継ぐ その1

 どうしても落ち着いていられず、わたしは家の中をうろうろしていた。

 それはアロガも同じで、わたしの傍を離れようとしないから、二人してあっちこっち家の中を歩き回る羽目になった。

 

「落ち着きなさい。リルが焦っても仕方ないわ」

 

 それを見ていたナナが、空中に座った体勢で苦笑しながら言った。

 

「あの魔女が、早々やられたりするもんですか」

 

「でも……、でもね。さっきからすごい音してるよ。揺れもすごいし……。こんなの、今までなかったもん」

 

「まぁ、それは……」

 

 ナナは、宙で組んだ足をゆらりと揺らしながら、わざとらしく肩をすくめた。

 

「確かに派手だし、こんな事、これまでなかった。……あの音は、たぶん岩盤ごと何かしたんじゃないかしら。あの人、本気出すと見境なしなのね」

 

 その時また、どぉん、と腹の底を震わせる衝撃が走る。

 梁が軋み、棚の上の小瓶がかたかたと鳴った。

 

 思わず、わたしは耳を塞ぐ。

 アロガが低く唸り、わたしの足に体を押しつけてきた。硬い毛並みの温もりが、少しだけ心を引き留める。

 

「……笑いごとじゃないよ、ナナ」

 

 喉がひりつく。

 胸の奥が、嫌な予感でざわついている。

 

 お母さんは強い。

 誰よりも、何よりもずっと強かった。

 

 ドラゴンよりも強いんだし、強そうな冒険者だって、本当に子ども扱いだった。

 

 だけど――。

 

「強いからって、絶対じゃないよね?」

 

 ぽつりと零れた言葉に、ナナの揺れていた足が止まる。

 

「リル……」

 

「だって……沢山、沢山来てるんでしょ? 五人とか、十人なら絶対まけないけど……。百人、二百人なら?」

 

 お母さんの背中が、一瞬、脳裏をかすめた。

 頼りがいがあって、いつでも自信満々で、見てたら安心できる背中で……。

 

 でも今は、今だけは、思い返すと何だかとっても小さく見えた。

 いつもより小さくて、誰かの助けを求めてる……そんな背中。

 

 ナナにわたしの気持ちが伝わったのか、少しだけ目を細める。

 からかう色が消えて、代わりに静かな意思の光が宿った。

 

「……あの魔女はね、確かに負けないわけじゃないわね。死なないわけでもない」

 

 どぉん、とまた大きな衝撃。

 窓ガラスがびりり、と震え、外で土煙が上がるのが見えた。

 

 ナナは続ける。

 

「でもね、あの人は“退く”ことを知ってる。無駄死にはしない。勝てないと判断したら、リルを拾って逃げるでしょ」

 

 本当にそうかなって、ちょっと思う。

 お母さんが家を出ていく時、そんな風にはちっとも見えなかった。

 

 もう逃げ場はないし、わたしが居るから逃げられないって感じがした。

 

「……でも、もし、退く暇もなかったら?」

 

 その時アロガが、はっと顔を上げた。

 耳がぴんと立って、忙しなく動いている。

 

 外の音が、変わった。

 爆ぜる音ではなく、何かが砕け散る、連続した衝撃。

 

 ――ごごごごご、と地鳴りもした。

 

 ナナがすっと立ち上がり、空中に立ったまま、窓の外を見つめた。

 

「……あら」

 

 その声に、わたしの心臓が跳ねる。

 

「何? どうしたの?」

 

「ミスリル銀の気配。しかも、相当な数」

 

「……え?」

 

 嫌な予感が、形になる。

 きっとゴーレムだ。お母さんが暇を見つけては、せっせと作っていたのを知っている。

 

 でもそれは、さっき妖精から壊された、と聞かされたばかりだった。

 ……もっと嫌な予感が強まった。

 

 居ても立ってもいられず、わたしは扉へと駆け寄り、ノブに手を掛ける。

 

「待ちなさい」

 

 背後から、ぴたりと声が落ちた。

 空気が凍るような圧がして、わたしは後ろを振り返った。

 

「行ったところで、足手まといよ」

 

「でも!」

 

「リル」

 

 ナナの声は、優しくも容赦がない。

 

「あなたが焦って勝手な行動を取るほど、あの魔女は怒るわよ。“信じなさい”ってね」

 

 外では、青い氷が地面の広い範囲を凍らせていた。

 しばらくしてから、轟音と共に炎が天を裂いた。 

 

 レベルの違う戦闘に、その通りだと思う一方、わたしは遠くに嫌なものを見つけて息を呑んだ。

 

「あれは……、異形?」

 

 とんでもないことだ。

 一体でも恐ろしいのに、それが何体……何十体と姿を見せている。

 

 わたしは恐ろしくて堪らないのに、でも、ナナにはどこまでも余裕があった。

 

「今度は本当の本気だもの。前回みたいに、自分をあえて弱く見せるペテンに掛ける必要だってないし、だから……」

 

 一体、また一体と、崩れ落ちていく気配がする。

 それと同じくして、アロガも、わたしを不安そうに見つめた。

 

 震えているのは地面か、それとも、わたしか……今はちょっと自信ない。

 

「……帰ってくるよね」

 

 小さく呟くと、ナナはゆっくりと、わたしの隣に降り立った。

 

「ええ、大丈夫。必ず帰ってくるわ」

 

 ほんの一瞬、彼女の瞳が遠くを見た。

 

「だって、あの人――まだ、あなたに言ってない事、教えてない事が山ほどあるもの」

 

 しばらくして、ひときわ大きな振動が襲った。

 家もしばらく揺れていたが、数秒後にぴたりと止まる。

 

「やっぱり結界があると違うわね。全然びくともしてない。これが無かったら、多分二回か三回は、この家ひっくり返っていると思うわ」

 

 それからは、しばらく静寂が続いていた。

 戦いが終わったのか、はたまた別の何かが理由か――。

 

 わたしにそんな事は分からない。

 ぜんぜん分からないけど……けど、だから余計に不安になる。

 

「おわっ……、た?」

 

 一縷の望みを掛けて、誰にともなく呟く。

 家の中は怖いくらい静かで、わたしの鼓動だけが、やけに大きく響いていた。

 

 

  ※※※

 

 

 やっぱり家から出て、少し様子を見てきた方がいいのかな……。

 そんな考えが、頭をよぎる。

 

 さっきまでは何度も、大きな音とかあったけど、今はそんなものは全然ない。

 

「ねぇ、ナナ……」

 

「駄目よ」

 

「でも、火だって燃えてるし……」

 

「なら、尚更行くべきじゃないわね。畑は確かに残念だけど、手遅れなのは変わらないもの」

 

「早く消した方が良いでしょ?」

 

「それも確かだけど、本当に戦闘が終わったかどうか、ここからじゃ分からないわ。もしも続行中なら、やっぱり問題にしかならないし……」

 

 どうあっても、ナナは行かせたくないみたい。

 でも、わたしは、お母さんが心配で仕方ない。

 

 嫌な予感――ううん、予感なんかじゃない。

 確かに感じる。

 

 どうしてかは全然、分からないけど……でも、胸を掻きむしりたくなる程、焦る気持ちがずっと高まってた。

 

「もう……、じっとしてられない!」

 

 走り出そうとした所へ、アロガの大きな身体に通せんぼされた。

 

「アロガ、じゃま!」

 

「そんなこと言うもんじゃないわ。それにね、そもそも結界があるから、家から出られないわよ?」

 

「そうなの……!?」

 

「そうよ。あの魔女が、自分から解かない限りね。……魔力が尽きようと、ここに回す魔力だけは、何としても確保しようとするでしょう。解除されるって言うことは、その魔力さえ尽きたって意味で……。でもそんなの、有り得ないでしょ。……いや、そうとも言い切れないのかしら。何しろ、万全の状態とは、とても……」

 

「つまり、どういう事? 今は行けるの? 行けないの?」

 

「行けないの。いくら駆け付けたくてもね、あの魔女が勝つか、負けるかしないと……」

 

 ナナが言い掛けた、その時だった。

 突然、ガラスが割れるみたいな音がして、それまであった、どこか硬い雰囲気が消えた。

 

「お母さん……!?」

 

 嫌な予感が更に増した。

 わたしはアロガの脇をすり抜けて、扉に飛び付く勢いのまま開け放つ。

 

「うっぷ……!」

 

 外に出ると、炎の熱気が頬を打った。

 火の勢いは森の縁で止まっていたけど、畑や果樹園なんかは凄く燃えてる。

 

「ちょっと、リル! お待ちなさい!」

 

 ナナとアロガが、すぐさま追い付いてわたしを引き留めようとした。

 でも、こんなのを見せられて、黙ってなんかいられない。

 

 ざっと見回しても、見えるのは倒れている兵士の姿くらいだ。

 恐ろしい気がしたけど、それよりお母さんの事だった。

 

 このまま逃げ帰ったら、もっと恐ろしい事になる気がする。

 

「お母さん……!」

 

 わたしはお母さんを捜して、とにかく走る。

 ナナの声も、アロガの唸りも、今は耳に入らなかった。

 

「お母さん!」

 

 何処にいるか、そんなのは分からない筈なのに、どうしてか確信が持てた。

 直感に従って走ると、そこには仰向けに倒れたお母さんと、その傍に膝を付く何かの姿があった。

 

 暗い色の割外套を着ていて、フードを目深に被っているので、顔までは見えない。

 

 でも、敵だ。

 お母さんの敵だ――!

 

「お母さん!?」

 

 それはわたしに気付くと、弾かれた様に立ち上がり、踵を返して走って行く。

 でも、ただ逃げて行った訳じゃない。

 

 その手には、お母さんが誇らしげに見せてくれた、あの剣が握られていた。

 ……盗ったんだ。

 

 きっとアイツが、なんか卑怯な手でお母さんを倒して、それで剣を奪おうとしたその瞬間に私が来た――。

 

 頭の中が一瞬で、カッと熱くなる。

 わたしは足に力を込め、その背を追いながら叫んだ。

 

「それはお母さんのだぞ! 返せ! 返せぇぇぇ!」

 

 でも、全速力で走ったのに、全然追い付けなかった。

 それどころか、どんどん引き離されて、遂には森の縁――ごうごうと燃え盛る炎の中へと飛び込んで、追えなくなってしまった。

 

「返せ! 返せぇぇぇ!!」

 

 叫んでも、声が返って来ないし、ましてや姿を見せる事もしない。

 悔しさで握った拳が震え、目が熱くなって涙が滲んだ。

 

「リル、勝手に動いちゃ駄目よ! 危ないから早く戻って!」

 

 ナナが後ろから羽交い締めする様に抱き着き、遅れてアロガも服の裾を噛んで引き戻そうとした。

 

「でも――!」

 

「いいから、戻るの!」

 

「……うん、分かった……。戻る。戻るよ……」

 

 悔しさでいっぱいだけど……。

 でも、それより今はお母さんの方が心配だった。

 

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