混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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灯は森に還り、娘へ継ぐ その4

 呪いの痕はあれから更に広がって、首筋を完全に覆う程にまでなっていた。

 それでもお母さんは、窓辺の椅子に座り、いつもの様に背筋を伸ばしている。

 

「普段なら実戦形式でやるところだけど、今日のところは座学にする」

 

「座学……、なんの?」

 

「本格的な魔力制御を教えよう」

 

 わたしも対面に座って背筋を伸ばし、姿勢を整える。

 いつもなら当たり前の事をしないのは、それだけ、お母さんの身体が悪いからだ。

 

 それが分かって、悲しい気持ちになる。

 

「まず、勘違いしてはいけないことが、一つある」

 

 お母さんの声は静かでも、まだまだ強い芯があった。

 

「強い魔力を持つ者が、強いわけじゃない」

 

「でも……、魔力が多い方が有利でしょ?」

 

「短い戦いなら、それも間違いじゃないけどね」

 

 お母さんは、机の上に指先を置いて、円を描くように動かした。

 

「魔力は水と同じだ。溢れさせれば派手だけど、それではすぐに枯れてしまう」

 

 そう言って、作った円を指で弾くと、次に左右に揺れ動く線を引く。

 

「だが、流れを作れば、少量でも岩を削れるものさ」

 

「流れ……?」

 

「そう。循環、と言い換えても良い」

 

 お母さんは自分の胸に手を当てる。

 

「吸う。溜める。巡らせる。吐く」

 

 呼吸と同じ調子で言う。

 

「魔力も同じだ」

 

 そうして、次に目を閉じるよう促された。

 

「やってみなさい」

 

 言われた通り、息を吸う。

 

「肺からじゃなく、お腹から。重心を意識して……、もっと深く吸う」

 

 意識を、おへその下に落とす。

 剣術の訓練をしているみたいに。

 

「そこに、灯りがあると思いなさい」

 

 うっすらと、温かいものを想像する。

 

「そして、それが揺れないように、保つ」

 

 集中しようとするけど、外で畑の復旧作業をしている、妖精達の声が気になった。

 畑はとても大事なものだ。

 

 お母さんだって凄く大切にしていて、妖精達に任せっきりじゃなくて、昔から自分でも手を掛けていた。

 

 もちろん、私も手伝って――。

 去年の畑作業に気を取られそうになったけど、途中でハッとして意識を戻した。

 

 でも。どうにも上手く行かなくて、お母さんに聞いてみる。

 

「なんか……ダメ。揺れちゃうよ。ちょっとくらい、ダメ?」

 

「駄目だよ。下手をすると、暴走する恐れがあるね。魔力は感情に、引っ張られるものだから」

 

 お母さんの声が、近くで響く。

 

「怒れば熱くなる。恐れれば冷える。焦れば散る」

 

「じゃあ、どうすれば……? なんにも考えない方がいい?」

 

「……でもね、感情を消すのも悪いことなんだ」

 

 そんな事を言われたら、なんにも出来ない。

 もう、八方塞がりの様に思えちゃう。

 

「押し殺すとね、内側で腐るものさ」

 

「じゃあ、どうしたら良いの?」

 

「まず、認める事が大事だ。怒っている、怖わかっている、焦っている、と……。それが最初の段階だ」

 

 そう言って、少し間を置いてから続ける。

 

「その上で、動かすんだ」

 

 そこでようやく、お母さんは目を開けた。

 

「感情は燃料で、理性が舵だ」

 

 お母さんの目は真っ直ぐで、いつもより強い視線に気圧されそうになる。

 

「舵を離してはいけないよ」

 

 わたしは一度、目を閉じて、胸の奥にある灯りを思い描いた。

 

 ――怒りもある。怖さもある。

 

 でも、それを抱えたまま、灯りを揺らさない様に注意しながら集中する。

 しばらくして――。

 

「……少し、静かになった」

 

「そう、それが“保つ”ということだ」

 

 お母さんは満足そうに頷くと、それまであった、張り詰めた雰囲気も消える。

 後には、いつもの様に優しく微笑むお母さんがいて、わたしは成功した喜びと一緒に、席を立ってその胸に飛び込んだ。

 

 

  ※※※

 

 

 また別の日、今度は裏庭に出て、剣術の訓練が始まった。

 これはいつもの事だから、変な気構えとかなかったけど、お母さんの身体は心配だった。

 

「改めて、戦い方を教えよう。基礎から一歩踏み出した、その先をね」

 

 わたしは、いつもの木剣を用意して、言われる前に正眼で構えた。

 

「まず力比べをするのはね、やめた方が良い」

 

「え? でも、この前、瞬発力の強さを、教えてくれたよね?」

 

「あれは一つの手段であって、戦闘の前提にするものではないね。相手の力を受け止めるより、逸らした方がね、本当は良いんだ」

 

 お母さんは弱っているはずなのに、そんな事を感じさせない足取りで木剣を構える。

 

「来なさい」

 

「でも……」

 

「身体の心配はいらないから、本気で来なさい。受け流しは実際難しいから、もっと後に教えるつもりだったけど……、何しろ時間がない」

 

 その一言で、わたしは意を決して一歩踏み込む。

 それと同時に木剣を振り下ろせば、カン、と乾いた音が響いた。

 

 お母さんは、真正面から受けない。

 ほんの少し角度をずらすだけで、わたしの力は横へ流される。

 

 体勢が崩されて、まるで水を斬っている様な、奇妙な感触だけが、てのひらに残った。

 

「強い力は、重い。真正面からぶつかれば、消耗する」

 

 崩れていた体勢もあって、お母さんには簡単に背後を取られてしまい、軽く背を叩かれて転んだ。

 

「だが、流せば相手が崩れる」

 

 もう一度向き直って、今度は慎重に角度を真似る。

 木剣が触れ合う瞬間、力を抜き、流してみると――。

 

 さっきより軽い音が、木剣から響いた。

 

「そうだ、それで良い」

 

 お母さんに褒められると、凄く嬉しい。

 何だか自分が認められた気がして、頬が自然と熱くなってしまう。

 

「戦いは削り合いだ」

 

 お母さんの動きは、どこまでも最小限で、どこまでも無駄がなかった。

 

「生き残るための選択を、誤らない方が勝つ。次からは、それを意識しなさい」

 

 やがて――。

 訓練が終わると、お母さんは椅子に戻った。

 

 ただし、その息は荒く、たったあれだけの運動で、体力を使い果たしてしまったみたいだった。

 

 首筋から覗く黒い痕が、わずかに脈打ったかの様にも見える。

 

「お母さん……、無理しないで」

 

「勿論だ。無理はしてないよ」

 

 そう言って、少しだけ笑う。

 

「……でも、残すための時間は限られているからね」

 

 嫌だ、ってまた叫び出す所だった。

 でも、そんな事をしても、お母さんを困らせるだけだから……。

 

 だから、木剣を握ったまま立ち尽くすしかなかった。

 

「リルに、“覚悟”も教えると言ったろう。今がその時かもね」

 

「覚悟……?」

 

「守ると決めても、助けると誓っても、救えない命はある」

 

 お母さんから、そんな言葉は聞きたくない。

 お母さんなら、きっとどんな事だって出来るし、助けられるのに……。

 

 街のスラムで、苦しむ人達を助けたみたいに。

 獣人国の小さな村で、薬草を煎じて救ったみたいに。

 

 怖い兵士に立ち向かって、将軍さんの娘を助けたみたいに。

 

 ――胸が痛い。

 

 お母さんは色んなヒトを助けた。

 たくさん、たくさん助けたのに、お母さんは……、自分だけは助けられないんだ。

 

「全ては救えない」

 

 まるで、心の中を読んだかの様な、静かな言葉だった。

 

「選びなさい」

 

「……ムリだよ」

 

「何を守るか、決めるんだ。守るものが定まれば、覚悟はぶれない」

 

 息を吸って、細く吐いた。

 何かを思い描こうとしたけど、それは形にならず消えてしまった。

 

「わたしは……」

 

 まだ、言葉にもならない。

 でも、胸の奥に何か――曖昧だけど、何かがあってモヤモヤする。

 

 お母さんは、それを見抜いたように頷く。

 

「急がなくて良い」

 

 そうして、少し遠くにある森を見ながら言った。

 

「覚悟は、追い詰められて決めるものじゃないからね」

 

 黒い痕が、静かに広がっている。

 

「静かに、次第に、積もるものなんだ」

 

 わたしは、自分の小さい――これまでは大して感じてなかった、小さな拳を握り直した。

 

 ――本当に、なんて小さく、役立たずな手だろう。

 

 残り時間は、長くない。

 だからせめて、一つ一つを刻みこむ。

 

 魔力の流し方も。

 力の逸らし方も。

 

 そして――。

 守ると決める、その覚悟も。

 

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