混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

333 / 340
灯は森に還り、娘へ継ぐ その5

 そうして、更に数週間が経つと――。

 お母さんは調子を悪くして、長く立っていられなくなった。

 

 それでも、庭の大樹の下ぐらいまでなら歩けるから、手を取って一緒に歩く。

 そうして切り株に腰を下ろすと、わたしを真正面に立たせた。

 

「今日は……、また少し、専門的な戦い方を教えよう」

 

 その声は以前より弱々しかったけど、でも、まだ芯は揺らいでいなかった。

 

「まず、覚えておきなさい。戦闘は技でするんじゃない」

 

「え? 使っちゃいけないの?」

 

「そうではないよ。勿論、使っていい。そうではなく、大事なのは、選択の方だ」

 

 お母さんは地面に枝で円を描いた。

 

「ここが自分」

 

 それから円の外に、いくつも点を打つ。

 

「敵、地形、風向き、足場、逃げ道。見るべきものは沢山あり、そして全部を同時に見なくてはならない」

 

「そんなの、無理だよ」

 

「無理じゃない。順番に見よう」

 

 枝の先が、円の縁を軽く叩く。

 

「一つ目。距離を測る」

 

 立ち上がれない代わりに、視線だけでわたしを測る。

 

「今の距離なら、わたしの一歩で届く。リルは?」

 

 わたしは一歩踏み出し、少し足りなくてもう一歩加える。

 

「……二歩」

 

「そら」

 

 その瞬間、足元の影が揺れた。

 ハッとして後ろへ跳ぶ。

 さっきまで立っていた場所に、お母さんの投げた小石が過ぎ去っていった。

 

「見えていなかったね」

 

 咎めるような声だったけど、でも、なじるものではなかった。

 

「でも、躱せた。それは偉いぞ。目で測るんじゃなく、肌で測れている証拠だ。……リルの場合、勘が良いせいもあるのかな」

 

 その視線がくすぐったくて、わたしは目を閉じる。

 そして――。

 

 風の向き。

 草の擦れる音。

 

 妖精の羽音。

 アロガの呼吸。

 

「……右後ろ!」

 

 振り向きざまに手を伸ばし、今度は小石を掴めた。

 石を投げたナナが、小さく笑う。

 

「悪くないわね」

 

「うん、悪くない」

 

 お母さんが同意して、静かに頷いた。

 

「二つ目。魔力は常に一定数、溜めておくこと。でも、溜めすぎてもいけない」

 

「え……、そうなの?」

 

「溜めれば溜めるほど、動きが鈍る」

 

 そう言って、お母さんはわたしの胸を指した。

 

「魔力は水だと教えたね。だから、イメージとしては、溜め池ではなく、むしろ川だと覚えなさい」

 

「あ、だから循環なんだ。流す方がいいの? ずっと……?」

 

「そう、呼吸と一緒に巡らせるぐらい、自然に出来るくらいが望ましい」

 

「それって……、ムズカシイよ……。動いていると、もっとやり辛いもん」

 

「ナナは手助けしないように」

 

 わたしの後ろで浮かぶナナに注意してから、お母さんはゆっくり息を吸う。

 

 そうすると、空気が僅かに震えた。

 吐くと同時に、庭の落ち葉がふわりと浮く。

 

 派手な光も、音もない。

 けれど、確かに空気が動いていた。

 

「お母さん、今のなに?」

 

「ちょっとした応用をね。理屈は単純……魔力で膜を張り、押しただけだ」

 

 以前のお母さんなら、もっと簡単に出来たんだと思う。

 でも今は、たったそれだけの事で、額に汗が浮かんでいた。

 

 本当は凄く難しい事をしてたのかと思ったけど、きっと違う。

 

 多分、それだけ――たったそれだけの事が、今のお母さんには辛い事なんだ。

 それでも、休もうとせず、そのまま続けてくれる。

 

「力を“使う”というより、自然を介して“通す”イメージ」

 

 わたしも真似して……吸って、吐く。

 胸の奥が、何となくじんわり温かくなった気がする。

 

 そしてそこから、無理に引き出そうとすると、何だかざらつく感じがした。

 

「リル、焦ってはいけない。出そうとするより、そこにあるものを、整えるイメージで」

 

 もう一度、吸って吐く。

 今度は、足元の草がわずかに揺れた。

 

 ――自分の力で動いた!

 驚いて息が乱れると、すぐ止まってしまった。

 

「でも、出来た……!」

 

「そう、その感じだ。リルはやっぱり、センスが良い」

 

 お母さんの目が細まり、わたしと同じくらい――それは大袈裟だけど、一緒に喜んでくれる。

 

 それが嬉しくて、わたしも身振りを大きくして両手を挙げた。

 

「戦闘中、どうしても魔力は乱れるものだ」

 

 でも、すぐにお母さんの目付きは真剣になったので、わたしは両手をすぐに下げた。

 

「感情を消すのは難しい。だから、一番気を付けるのはね、感情に飲まれてしまう事だ」

 

 その言葉にはしっかり頷いたけど、それよりどうしても気になってしまうのは、チラチラと目に入る黒い痕の方だ。

 今も首元で、微かに脈打っているのが見えた。

 

「そして、最後……」

 

 今度の声は少し掠れていた。

 

「無理に勝とうとしなくて良い」

 

「え?」

 

「生き残るのが、一番大事な事だ。戦闘技術とはつまり、最終的には()()に集約される」

 

 口から出る言葉は辛そうだけど、でも何より重い言葉だった。

 

「敵を倒すことより、自分の無事を優先しなさい」

 

 そう言って締めると、枝で描いた円を足で消す。

 

「倒れたらお終いだ」

 

 少しの沈黙が流れて、そこに風が吹き抜ける。

 それでふと、思い付いたことを尋ねてみた。

 

「でも、わたしにはナナが居るよね?」

 

「それは本当に、最悪を想定した場合だ。ナナはきっと、いつだって助けてくれるし、気絶した場合でもリルを守ってくれるだろうが、それを頼みにしてはいけない」

 

「でも……もし、敵が強かったら?」

 

「逃げなさい」

 

 即答だった。

 

「何より大事にするのは命だ。それで誇りが損なわれようと、生きていれば挽回の機会もある」

 

「でも」

 

「――でも、じゃない」

 

 強い声に気圧されて、思わず口を噤んだ。

 こんなに厳しく言い含められるのは、本当に珍しい事だった。

 

 本当に――。

 本当に戒めないと、いけない事なんだ。

 

「最後に……」

 

 お母さんは強い視線のまま、わたしを真っ直ぐに見つめた。

 

「自分の限界を知りなさい」

 

「限界……」

 

「まだ行ける、と思っても、もう駄目だ、のサインだと思いなさい。ただし……、そうだね。無理をするべき場面――逃げられない場合、と言うのも、確かにある……」

 

 その言葉に、空気が冷える。

 

「そして大抵の場合、そういう時には代償が伴うのさ……」

 

 それはきっと、今のお母さんのことを言っているんだと思う。

 お母さんは、沢山の敵から逃げなかった。

 

 実際、負けはしなかったけど――。

 わたしは唇を噛む。

 

「リルは同じ過ちをするんじゃないぞ」

 

 立ち上がろうとして、足元がふらつくのが見えて、わたしは慌てて立ち上がって支えた。

 

「まだ、終わりじゃない」

 

 そう言って、息を整えながら言う。

 

「今度は、実戦だ」

 

「実戦? ……今から?」

 

「お母さんと、組み手をするんだ」

 

 信じられないことを聞いた気がして、思わず目を丸くする。

 すぐ隣から、透けるように顔を出したナナも、やっぱり同じ反応だった。

 

「無理だよっ! お母さん、立ってるこども出来ないのに!」

 

「無理じゃない。お母さんにも……そしてリルにも、甘やかす時間はないんだから」

 

 ――怖い。

 それでお母さんを傷付けて、それでもしも、もっと悪くなったら……。

 

 想像すると、手が震える。

 でも、お母さんの瞳はどこまでも真剣だった。

 

「……うん」

 

 その想いに応えなきゃいけない。

 はっきり頷くとお母さんは、満足そうに目を細めた。

 

「それでいい……」

 

 風が吹く。

 黒い痕は消えてくれない。

 

 風がどこまでも吹き飛ばしてくれたらいいのに。

 

 でも、お母さんの視線はとても強くて、想いが沢山乗っていた。

 

 知識と覚悟――。

 それが、今も渡されている。

 

 残された時間を、少しずつ削りながら……。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。