混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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灯は森に還り、娘へ継ぐ その6

 それから数週間、お母さんから受ける教えは、一日も欠けることなく続いた。

 

 立って歩ける日は庭で行われ、立てない日は、椅子に座って……。

 それも無理な日は、ベッドの上から教えてくれた。

 

「流れを止めるな」「視線で相手の呼吸を読め」「迷ったら退け。退くのも戦いだ」

 

 声は少しずつ弱くなっていったけれど、その芯は変わらず鋭いままだった。

 

 わたしは毎日、森を走り、戻ってきては報告する。

 

 魔力の循環。

 感情の制御。

 力の逸らし方。

 

 出来たことも、出来なかったことも、全部話した。

 お母さんはそんな時、目を閉じて聞いていることが増えた。

 

「……それでいい」

 

 短い言葉の評価だったけど、満足しているのは伝わってきた。

 だから、それだけで胸が温かくなる。

 

 けれど――。

 黒い痕は、止まらなかった。

 

 首元から耳の付け根へ。

 指も爪先を残して、殆ど黒く染まってしまった。

 

 薄い墨を水に垂らしたみたいに、じわじわと広がっていく。

 最初は服とかで隠せていたのに、今ではもう、隠すとかじゃない。

 

 どんどん悪くなるのは止まらなくて、立ち上がる回数も、それに合わせて減っていった。

 

 庭に出る日は、三日に一度になり……。

 やがて、五日に一度に。

 

 そして――とうとう、なくなった。

 

「今日は、ここでやろう」

 

 そう言って、枕を少し高くする。

 息が、前より少し浅い。

 

「無理しないで、お母さん……」

 

「大丈夫、無理はしていないよ」

 

 その言葉も、もう何度目か分からない。

 でも、わたしは信じることにした。

 

 信じていないと、泣いてしまうから。

 お母さんが本当に大事な事を、伝えようとしているのか分かるから。

 

 だから、私はお母さんを信じる。

 大丈夫って言葉を信じる。

 

 

  ※※※

 

 

 ある日の午後。

 窓の外が、いつもより明るかった。

 

 羽音が重なり、きらきらとした光が差し込んだ。

 ここの所、よく来る妖精達がそばに寄った時の合図だった。

 

「……遊んでいる方が好きな癖に、随分と律儀だな」

 

 お母さんが目を細めて、呟く様に言うと、窓辺に小さな影がいくつも舞い降りた。

 

 今日は珍しく、それ以外にも精霊を伴っている。

 姿形が定まらない小精霊の方で、今のところ、ナナみたいな人型の精霊は、姿を見せていなかった。

 

「やぁ、魔女。元気そうで安心したよ。何だか、今にも走り出しそうじゃないか?」

 

「病人っぽくないもんね」

 

「実際、病人ではないからな」

 

 お母さんが苦笑すると、妖精達からも笑いが起きた。

 そのどれもが気遣うもので、本音でないのは簡単に分かる。

 

 空元気でいれば、本当に元気になるんだと、思っているのかもしれない。

 その気持ちは分かる。

 

 ――わたしも同じだから。

 

「畑の方は順調さ。今年の収穫は絶望的だけど、あんな事があった後だ。来年以降に期待だな」

 

「精霊と妖精が本気を出したんだぜ。果樹の方は、もうちっと時間かかるけど……。でも、良いよな? 二、三年くらい待てるだろ?」

 

「あぁ……」

 

 無理な要求だって、本当は妖精も気付いてる。

 でも、お母さんが否定しないものだから、妖精の方も調子に乗り始めた。

 

「だよな! 酒も造ろうぜ! 更に二、三年、時間が増えるけど……でも、平気だろ? 酒を飲める喜びは、何物にも勝るんだろ?」

 

「酒は百薬の長、って人間は言うらしいよ」

 

「大体さ、千年生きた魔女なんだ。そんなの誤差だって!」

 

 きゃいきゃいと妖精達は騒いで、ひとしきり喜びを分かち合うと、また窓から外へと飛び出て行った。

 

 お見舞いのつもりかもしれないけど、好きなように好きなだけ喋って、満足したら帰っていく。

 それがいつものパターンだったのに、でも、今日は少し違った。

 

 一体だけ残っていて、腕組みした姿でお母さんの前に浮かんでいる。

 

 妖精達の見分けは凄い難しいけど、あの妖精のことは知っていた。

 物腰が柔らかで、他と違って騒がないから。

 

「やぁ……。結局、いつだか言った通りになったね」

 

「そうだな……」

 

「何の話?」

 

 わたしが尋ねると、二人は視線を合わせてから、首を横に振った。

 

「リルが気にする事じゃない」

 

「いや、何……。魔女はいずれ、リルを守って敗れる、という話をした事があるのさ」

 

「お母さんは負けてない……」

 

「そうだな、痛み分けだ。でも、魔女を失った森はさ、いずれ敵の侵入を許すぜ」

 

「また、来るの? あれが……?」

 

 多くの兵を引き連れて……?

 森を――畑を焼きにやってくる……?

 

 それは考えるほどに、恐ろしい事だ。

 わたしがぶるり、と尻尾を震わせると、お母さんから違うよ、と声を掛けられた。

 

「違う、そうはならない。敵戦力は、ほぼ全滅に近い被害だったし、これを立て直すには時間が掛かる。そしてね、そうこうしている内に、森は閉じてしまうからさ」

 

「閉じる……? わたし、森から出られなくなるの?」

 

 街にも行けず……ミーナちゃんや、モンティに会えなくなるのは、すごく寂しい。

 

「いいや、リルは関係ない。敵意を持つ輩がね、ここまで来られなくなる、という意味さ。だから、もう二度と、あんな恐ろしい事は起きないよ」

 

「そうなんだ……!」

 

 わたしは肩から力を抜いて、ホッと息を吐いた。

 あんなの、もう二度とゴメンだ。

 

「ともあれ、だ……」

 

 妖精は肩を竦めて仕切り直すと、お母さんの方へするりと近付いた。

 

「ここから守人(もりびと)がいなくなる。皆はそれを敢えて考えないようにしているし、そんな事にはならない、と思い込みたい様だけど……。そうはならない訳だろう?」

 

 空気が固まった気がした。

 大丈夫、と言い聞かせていたのは、わたしも同じだし、きっと良くなる……その筈だった。

 

「お母さんは……、お母さんは、我慢比べの最中なんだよ。悪魔が音を上げれば、お母さんは助かるんだ……!」

 

「そうらしいね。だから、妖精は誰もがそうなるべき、と思っているよ。でも現実には……」

 

「やめてよ……」

 

 目の奥がカッと熱くなって、身体が震える。

 尻尾に力が入って、その毛が逆立つのが分かった。

 

「……悪かった」

 

 妖精は素直に詫びて、頭を下げる。

 

「リルの前で言う事じゃなかったよ」

 

「お母さんの前でも、だよ……」

 

「あぁ、そうだね」

 

 妖精はどこまでも素直で、今度は頭をしっかり下げる。

 それからお母さんに向き直って、世間話をする様な気楽さで話を続けた。

 

「妖精王様がさ、見舞いに来たいって話も出てるけど、どうする?」

 

「遠慮しておこう。気を遣われるのは、余り嬉しくないし……。それにきっと、そっちの方が決意が鈍らないと思うから」

 

「そうか……」

 

「何のこと?」

 

 わたしが聞いても、お母さんは優しく微笑むだけだ。

 こうなったら、きっと何も話してくれない。

 

 仕方なく諦めて、唸り声を上げていると、別の妖精が複数やって来て、枕元に降り立った。

 

 小さな手で、お母さんの指に触れる。

 淡い光が、じんわりと広がっているけど、治しているわけじゃない。

 

 それが何となく分かる。

 これは慰めで、そしてきっと感謝も含まれてる。

 

 別れの準備みたいで、胸が痛い。

 

「やめてよ……」

 

 思わず声が出て、妖精たちが一斉にこちらを見た。

 

「まだ、終わらない。お母さんは、良くなるんだから……!」

 

 自分に言い聞かせるみたいになってしまい、その気配に充てられて、その身体が少し揺れた。

 

 でも、去ろうとはしない。

 一緒に来ていた小精霊が、複数近付いて、妖精と一緒に寄り添う。

 

 きっと、お母さんの事が好きだから。

 わたしと同じだから……。

 

 見つめていると、小精霊の一体が、わたしの肩に止まった。

 ……温かい。

 でも、その温かさが、涙を誘う。

 

「……リル」

 

 お母さんの声に、無理にでも笑って見せた。

 ――泣かない。

 泣くのは、あとでいい。

 

 黒い痕は今も確実に広がっていて、お母さんの身体は、確実に弱っている。

 

 でも、この部屋は温かかった。

 

 見舞いに来た妖精たちが、枕元で何かを囁き、小精霊が優しい風をそっと揺らす。

 

 森は、生きている。

 これからも生きる。

 

 震えは止まらないけど、逃げない。

 ――お母さんは、きっと良くなるから。

 

 良くなる筈だから。

 

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