混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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灯は森に還り、娘へ継ぐ その7

 妖精たちが帰ったあとの部屋は、妙に静かだった。

 

 さっきまであんなに賑やかだったのに、小さな羽音も、光の粒も、今はもうない。

 

 代わりに残ったのは、薬草の匂いと、何かの気配。

 わたしは、その気配が最初、悪いものかどうかすら分からなかった。

 

 でもそれは、三年前――呪いを受けたという日から、ずっと一緒にあるものだ。

 だったら、それが何なのかなんて、考えるまでもない。

 

 きっと――。

 きっとそれが、呪いから発せられるものだったのだろう。

 

 お母さんなら――お母さんだから、それが何であれ大丈夫だ、と思い込んでいた。

 ちっともそんな事はなかったのだと、今更ながら痛感していた。

 

 

 

 それから、さらに数週間が経って――。

 お母さんはもう、殆ど起き上がれなくなっていた。

 

 最初は椅子に座るのも辛そうで、次は歩くのが難しくなり……。

 そして今は、身体を横に倒すのさえ、億劫そうにする。

 

 黒い痕は、首から顔の半分まで伸び、片目の色が変わるまで侵食している。

 少しずつ……でも、確実に広がっていく姿は、見る度に胸が痛む。

 

「……リル」

 

 ある日の夕方。

 お母さんは、いつになく真面目な声で呼んだ。

 

「書き取り用の、帳面を持って来なさい」

 

「帳面……? どうして?」

 

「書き留めておく為に。もう、全ては教えらないから。だから、せめて……」

 

 喉が、ひゅっと鳴る。

 “全ては教えられない”……。

 

 その言葉の意味を、嫌でも理解してしまう。

 ――嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ……!

 

 でも、どんなに嫌がっても、呪いは止まってなんかくれない。

 お母さんはそれ以上何も言わなかったけど、その視線を強くなった。

 

 わたしは涙が溢れそうになるのを堪えて、その視線に押されるみたいに部屋を出る。

 

 そうして急いで、古い革表紙の帳面を持ってくると、また椅子に座り直した。

 ペンを握る手が震える。

 

「こうした事を話せる機会は、もうそんなに多くないだろう……」

 

 お母さんは天井を見たまま話す。

 

「まずは戦い方の基本だ。リルに教えた戦い方は、力任せとは違う」

 

 呪いが顔まで広がってから、お母さんは訓練に出られなくなった。

 でも、その戦術と理論は、わたしの中に積み上がっている。

 

「まず、相手の“流れ”を読むこと。魔力の癖、呼吸、視線……。人も魔物も、必ずそうした予兆がある」

 

「……予兆」

 

「それを拾う。そうすればね、力をぶつける前に、勝敗を測れるものさ」

 

 普段なら、転がされながら聞く言葉だ。

 そして一度どころか、何度も転がされ、それを身体で覚えていったんだと思う。

 

 でも、今は書き留めるしかない。

 いつもと違うやり方がとても嫌で、何よりそうするしかないのが悲しかった。

 

 でも、今は――。

 決して、漏らさない様に。

 

 ぜったい、聞き逃しちゃいけないんだ。

 その気持ちで、お母さんを見つめる

 

「リル……お前は優しい。だから、差し出せられるものがあれば、全部を差し出そうとする」

 

 そうかな、と思う。

 でも、お母さんがそう言うなら、きっとそうなんだろう。

 

「それは戦闘においても同じで、力を全て燃やせば、その先がない」

 

 静かな言葉が、重く落ちる。

 

「力とは、未来を切り分ける刃だ。一瞬を勝つために、明日を捨てないように。それを良く、心に留めておきなさい」

 

 帳面に書く手が止まる。

 涙で、文字が滲んでしまった。

 

「“勝つ”よりも、“続ける”ことの方が難しい」

 

 その言葉は、呪いを三年抱えながら生きてきた人の重みのように思えた。

 

「……うん」

 

「最後まで立っている者が、勝者だ。倒れぬための、力の使い方を学びなさい」

 

 黒い痕が広がっていく身体で、それでも……。

 お母さんは、まだ負けてない。

 

 気持ちの上では今も戦い続けていて、我慢比べに勝とうとしているのだ。

 その姿が、きっと何よりの証明だった。

 

 

 

「精霊に頼るな、とは言わないよ。ナナはリルを裏切らない、絶対的な味方だ」

 

 ナナはわたしの横に現れて、肩を抱きながら頷いた。

 わたしも、そのナナに頷き返す。

 

「だが、依存するのはいけない。助けてくれはしても、代わりに生きてはくれないから」

 

 また一つ、涙が落ちた。

 ペン先が……、滲む。

 

「最後には、しっかりと自分の足で立っていなければいけないよ」

 

 お母さんの姿は前と変わらず、綺麗なままだけど……。

 最近は、なんだかずっと老けた様な気がした。

 

 だけど、そう言い切った声は、弱っているのに揺らぎない。

 ――まだ、大丈夫。

 

 お母さんは負けてない。

 負けるつもりはないんだと、改めて思って泣き顔のまま、お母さんの胸に顔を埋めた。

 

 

 

 その日の夜――。

 

 精霊が一体、お母さんの枕元に現れた。

 小精霊ではない、しっかりと個を確立した精霊だ。

 

 中位精霊かと思ってよく見てみると、直後に違うと分かった。

 ナナが緊張で身体を硬くしたのを、肌で感じたからだし、着ている物も立派に見える。

 

 それに、その顔には覚えがあって、いつだったか、一度だけ会ったことがある――。

 

 お母さんと一緒に、綺麗に着飾って迎えた。

 多分……、精霊王その人じゃないか、とそう思った。

 

 その精霊王が、何を言うでもなく、静かにお母さんを見つめている。

 

 まるで、見守るというより――。

 見届けるような、そんな不思議な視線を向けていた。

 

「……連れて行かないで」

 

 思わず、わたしは呟いていた。

 

 でも、精霊王は視線一つ向けず、声すら発さない。

 ただ揺れる様に留まって、お母さんを見つめるだけ……。

 

 その時ふと、苦しげに呻いていたお母さんが目を開けた。

 

「誰かと思えば……。いつから、ここに?」

 

 答えないので、代わりにわたしが答える。

 

「……ついさっきだよ」

 

「そうか……」

 

 弱く、でも確かに笑う。

 

「わたしの命が危ういからと、いよいよ様子見に来たのかな」

 

 ずん、と身体が重くなった。

 まるで胸に、重い石が落ちたみたいだった。

 

「リル」

 

「はい」

 

「覚悟とは、悲しみを消すことじゃない。悲しみを抱えたまま、それでも立つことだ」

 

 わたしは、泣くまいとして唇を噛む。

 今日はもう、散々泣いた。

 

 本当はゆっくりと、寝かせさせてあげなきゃいけないのに、長い時間、頭を撫でて慰めて貰った。

 

 ナナにも、それじゃダメよ、って言われたけど……。

 でも、涙はどうしても止まらなかった。

 

 今も止められない。

 

「いいかい、リル」

 

 余り調子が良くないのか、お母さんの声は擦れていた。

 

「わたしはもう、死ぬ」

 

 世界が止まったかの様に、一切の音がなくなった。

 痛いほど静な中、キーンと、耳鳴りだけが響いていた。

 

「だが、呪いに負けたわけではないよ」

 

 弱い声音だったけど。静かに断言した。

 

「奴は封じた。森も守れた。何より大事な、リルは無傷だ……。奴としては、私に絶望を叩きつけたい所だろう。でもそれを凌いだのだから、敗北とは違う」

 

 そう言ってから、自嘲気味に笑った。

 

「強がりかな? ……それでも、いいさ。私の気持ちが、何より大事だ」

 

 目が熱い。

 呼吸が、うまく出来ない。

 

「リルは、生きなさい」

 

 指先が、わたしの手を探す。

 咄嗟に握り返したけど、その握る力は、もう全然強くなかった。

 

「無事に大きくなって、成長しなさい。わたしを理由に、止まる事のないように……」

 

 妖精の小さな光が、ひとつ戻って来て、そっと、わたしたちの間に浮かぶ。

 まるで、証人みたいに。

 

 わたしは、泣きながら頷く。

 泣きながら、震える声で返事をした。

 

「……はい」

 

 怖い。

 嫌だ。

 

 いなくならないでほしい。

 叫んで、泣いて、暴れたかった。

 

 ――でも。

 でも、そんな事をしても困らせるだけで、何も変わらないと分かってる。

 

 お母さんの死の気配は、遠退いたりしないし、近くなるだけだ。

 

「リル、今から言う事を、しっかり聞きなさい」

 

 わたしは乱暴に涙を拭って、それから頷く。

 本当は聞きたくない。

 

 全てを聞き終えたら、それでお母さんはいなくなってしまう気がした。

 

 だから、耳を塞いでしまいたい。

 でも、それは出来ない。

 

 ここで逃げ出したら、お母さんの言葉を聞けないだけじゃなくて、きっと()()()()()()()

 

 ――それだけはイヤだ。

 だからわたしは、込み上げる涙をまた拭って、お母さんの言葉をただ待った。

 

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