混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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第二部 第一章
決意の旅立ちと最強の最下級 その1


 お母さんがいない森での暮らしが、いつの間にか“当たり前”になった。

 泣き崩れ、何も手につかなかった日々も、やがて薄く引き延ばされ、季節の巡りと共に遠ざかっていく。

 

 ――それから、長い月日が流れた。

 私は、今年で十五歳になる。

 

 本来ならば、あの夏の日——。

 何事もなければ、学び舎の門をくぐって、皆と一緒に卒業証書を受け取っていたはずだった。

 

 けれど、お母さんを喪った直後の私は、人前に立てる状態じゃなくて……。

 式の日付は、よりにもよって、母の葬いと心の整理が追いつかない時期と重なっていた。

 

 だから結局、私は出席しなかった。

 それが小さな棘のように胸に残り、やがて膿んでいった。

 

 ミーナちゃんとも、モンティとも会わずじまいで、遂にはそのまま、この年になってしまった。

 

 何と声を掛ければいいのか、分からなくなったというのもある。

 励ましを受け取る余裕もなく、無理に笑う自分を想像するだけで息が詰まった。

 

 そうして……気付けば、自然と疎遠になり、それに合わせて街へ行く回数も減った。

 

 塩、干し酵母、布地、針金、時折必要になる牛乳や油――そうした必需品をまとめて買い込み、用事が済めばすぐに立ち去る。

 

 滞在時間は最小限。

 なるべく回数も少なくなるよう、大量に買い付けるのが常となった。

 

 仕方がない、と自分に言い聞かせる。

 何せ……街には、お母さんとの思い出が多すぎる。

 

 市場の角を曲がれば、串焼きを買おうと財布の中身を確認する私を見て、微笑ましく笑った日が蘇る。

 

 パン屋の前を通れば、焼き立てを半分こした温もりが胸を刺す。

 石畳の通りを踏む度に、隣を歩くはずの人影を探してしまう。

 

 楽しかった思い出ほど、鋭く胸を抉った。

 恋しくて、求めてしまうからこそ、目を背けるしかなかった。

 

 ……違う、これは言い訳だ。

 思い出だったら、森の家のほうが余程多い。

 

 なのに、森から出ようと思った事はなかった。

 台所に立ち寄る時、錬金小屋を開ける時、蔵書小屋を訪れる時……いずれも、母の面影を探さずにはいられない。

 

 そして、いつだって、見つからない代わりに、思い出へと浸る。

 だから街を避けたいのは、きっと——お母さんの事を聞かれたくなかったからだった。

 

 一人でどうした、お母さんは、と訊かれたら、自分の口から訃報を伝えなくちゃいけない。

 それを口にするのが嫌だった。

 

 いつか、ひょっとしたら……。

 その期待を消したくなくて、だから姿を見られる前に帰りたかった……んだと思う。

 

 

  ※※※

 

 

 私はその日いつもの様に、夜明けと共に目を覚ました。

 広いベッドの隣をまさぐり、そして何もない事を確認するのも、またいつものことだ。

 

 精霊が溜めてくれていた水瓶(みずがめ)で顔を洗い、畑の様子を見に行く。

 畝を整え、芽吹きを確かめ、虫を払い、収穫を計算する。

 

 お母さんが教えてくれた通り、土の色と湿り気で次の作業を決める。

 

 当然、狩りにも出る。

 魔獣の足跡を読み、風向きを測り、弓を引く。

 

 肉は余さず使い、皮は干して保存し、骨は道具に加工する。命を奪う以上、無駄にはしない――それがお母さんの教えだった。

 

 蔵書小屋にも、足繁く通った。

 お母さんが集めた魔術理論書、古い歴史書、剣術指南書、精霊学の写本など……。

 

 埃を払い、(ページ)を繰り、夜遅くまで灯りの下で学ぶ。

 

 知識は力だ。

 知識は、生き延びるための刃になる。

 

 ——賢くありなさい。

 いつだったか、水平線か見渡せる空の上で、お母さんはそう言った。

 

 だから以前より積極的に読むようになったし、疎かにしたりしなかった。

 全ては、お母さんがまだ居た頃の延長線上にある暮らし。

 

 まるで、お母さんが今もどこかで見守っているかのように、同じ時間をなぞるように生きている。

 

 もちろん、鍛錬だって欠かさない。

 

 朝は素振り百本から始めて、大体昼間まで続けた。

 刃筋を意識し、重心を低く保ち、無駄な力を削ぎ落とす。

 

 弓は距離を変え、動く的を想定し、風を読んで射る。

 魔力の循環訓練では、ナナとの魔力を均衡させ、暴走させないよう制御を磨く。

 

 かつてはお母さんに見てもらっていた動きも、今は自分で修正するしかない。

 それで仕方なく、鏡のように澄んだ川面に映る自分の姿を見て、少しずつ洗練していった。

 

 私には、目的がある。

 ――母の剣とベンダントを取り返すこと。

 

 あの日奪われた、お母さんの誇りを……責任の証明と言ったあの剣を――。

 必ず、取り戻す。

 

 

   ※※※

 

 

 森の奥深くで暮らしていれば、時折、欲に目が眩んだ冒険者が踏み込んでくる。

 希少な薬草、魔獣の核、古代遺跡の噂……。

 

 理由は様々で、信憑性のないものにまで飛び付いてやって来る。

 古代遺跡なんて、私でさえ見たことがなかったし、見つけられずに帰るんだとしても。森を荒らすことに変わりはない。

 

 私はそれを見過ごせなかった。

 

 アロガの鋭い嗅覚が、侵入者の存在をいち早く察知し、ナナが風上風下を問わず、空気の流れを教えてくれる。

 

 基本は、こちらが有利な状況からの奇襲。

 木々の影に溶け、息を殺し、魔力を抑える。

 

 合図と共に一矢を放ち、怯んだ隙に間合いを詰める。

 剣を振るう時は、一撃で戦意を砕くことを最優先にする。

 

 魔獣に対しても、冒険者に対しても。

 今までそうやってきて、不覚を取ったことはなかった。

 

 それに、あれからエルフの軍団が、森を侵すこともなかった。

 あの大きな戦い以降、森は表面上は平穏を保っている。

 

 ——もう、興味を無くしたのかな。

 色々と奪っていったし、それで満足したのかも……。

 

 十五歳になった私は、もう泣き崩れる少女じゃない。

 森を守る狩人で……そして、母の剣を取り戻すために、刃を研ぎ続ける戦士だ。

 

 それでも、夜更けに暖炉の火——と言うより、火の小精霊の集合体——を見つめていると、ふと胸が締めつけられる瞬間がある。

 

 もしお母さんが今ここにいたら、何て言うだろう。

 

 ――よくやっている、と言ってくれるかな。

 それとも、もっと強くなれ、と笑うのかな。

 

 あるいは、そんな危険なこと止めなさい、と叱るのかもしれない。

 火の粉が闇に溶ける。

 

 私は剣を抱き寄せ、静かに目を閉じた。

 アロガが傍で寝転び、ナナが反対側で身体を丸めて座る。

 

 ——でも。

 たとえ叱られようと、やっぱり目的は変わらない。

 

 お母さんの剣と尊厳を取り戻す、その日まで、私は――。

 

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