決意の旅立ちと最強の最下級 その1
お母さんがいない森での暮らしが、いつの間にか“当たり前”になった。
泣き崩れ、何も手につかなかった日々も、やがて薄く引き延ばされ、季節の巡りと共に遠ざかっていく。
――それから、長い月日が流れた。
私は、今年で十五歳になる。
本来ならば、あの夏の日——。
何事もなければ、学び舎の門をくぐって、皆と一緒に卒業証書を受け取っていたはずだった。
けれど、お母さんを喪った直後の私は、人前に立てる状態じゃなくて……。
式の日付は、よりにもよって、母の葬いと心の整理が追いつかない時期と重なっていた。
だから結局、私は出席しなかった。
それが小さな棘のように胸に残り、やがて膿んでいった。
ミーナちゃんとも、モンティとも会わずじまいで、遂にはそのまま、この年になってしまった。
何と声を掛ければいいのか、分からなくなったというのもある。
励ましを受け取る余裕もなく、無理に笑う自分を想像するだけで息が詰まった。
そうして……気付けば、自然と疎遠になり、それに合わせて街へ行く回数も減った。
塩、干し酵母、布地、針金、時折必要になる牛乳や油――そうした必需品をまとめて買い込み、用事が済めばすぐに立ち去る。
滞在時間は最小限。
なるべく回数も少なくなるよう、大量に買い付けるのが常となった。
仕方がない、と自分に言い聞かせる。
何せ……街には、お母さんとの思い出が多すぎる。
市場の角を曲がれば、串焼きを買おうと財布の中身を確認する私を見て、微笑ましく笑った日が蘇る。
パン屋の前を通れば、焼き立てを半分こした温もりが胸を刺す。
石畳の通りを踏む度に、隣を歩くはずの人影を探してしまう。
楽しかった思い出ほど、鋭く胸を抉った。
恋しくて、求めてしまうからこそ、目を背けるしかなかった。
……違う、これは言い訳だ。
思い出だったら、森の家のほうが余程多い。
なのに、森から出ようと思った事はなかった。
台所に立ち寄る時、錬金小屋を開ける時、蔵書小屋を訪れる時……いずれも、母の面影を探さずにはいられない。
そして、いつだって、見つからない代わりに、思い出へと浸る。
だから街を避けたいのは、きっと——お母さんの事を聞かれたくなかったからだった。
一人でどうした、お母さんは、と訊かれたら、自分の口から訃報を伝えなくちゃいけない。
それを口にするのが嫌だった。
いつか、ひょっとしたら……。
その期待を消したくなくて、だから姿を見られる前に帰りたかった……んだと思う。
※※※
私はその日いつもの様に、夜明けと共に目を覚ました。
広いベッドの隣をまさぐり、そして何もない事を確認するのも、またいつものことだ。
精霊が溜めてくれていた
畝を整え、芽吹きを確かめ、虫を払い、収穫を計算する。
お母さんが教えてくれた通り、土の色と湿り気で次の作業を決める。
当然、狩りにも出る。
魔獣の足跡を読み、風向きを測り、弓を引く。
肉は余さず使い、皮は干して保存し、骨は道具に加工する。命を奪う以上、無駄にはしない――それがお母さんの教えだった。
蔵書小屋にも、足繁く通った。
お母さんが集めた魔術理論書、古い歴史書、剣術指南書、精霊学の写本など……。
埃を払い、
知識は力だ。
知識は、生き延びるための刃になる。
——賢くありなさい。
いつだったか、水平線か見渡せる空の上で、お母さんはそう言った。
だから以前より積極的に読むようになったし、疎かにしたりしなかった。
全ては、お母さんがまだ居た頃の延長線上にある暮らし。
まるで、お母さんが今もどこかで見守っているかのように、同じ時間をなぞるように生きている。
もちろん、鍛錬だって欠かさない。
朝は素振り百本から始めて、大体昼間まで続けた。
刃筋を意識し、重心を低く保ち、無駄な力を削ぎ落とす。
弓は距離を変え、動く的を想定し、風を読んで射る。
魔力の循環訓練では、ナナとの魔力を均衡させ、暴走させないよう制御を磨く。
かつてはお母さんに見てもらっていた動きも、今は自分で修正するしかない。
それで仕方なく、鏡のように澄んだ川面に映る自分の姿を見て、少しずつ洗練していった。
私には、目的がある。
――母の剣とベンダントを取り返すこと。
あの日奪われた、お母さんの誇りを……責任の証明と言ったあの剣を――。
必ず、取り戻す。
※※※
森の奥深くで暮らしていれば、時折、欲に目が眩んだ冒険者が踏み込んでくる。
希少な薬草、魔獣の核、古代遺跡の噂……。
理由は様々で、信憑性のないものにまで飛び付いてやって来る。
古代遺跡なんて、私でさえ見たことがなかったし、見つけられずに帰るんだとしても。森を荒らすことに変わりはない。
私はそれを見過ごせなかった。
アロガの鋭い嗅覚が、侵入者の存在をいち早く察知し、ナナが風上風下を問わず、空気の流れを教えてくれる。
基本は、こちらが有利な状況からの奇襲。
木々の影に溶け、息を殺し、魔力を抑える。
合図と共に一矢を放ち、怯んだ隙に間合いを詰める。
剣を振るう時は、一撃で戦意を砕くことを最優先にする。
魔獣に対しても、冒険者に対しても。
今までそうやってきて、不覚を取ったことはなかった。
それに、あれからエルフの軍団が、森を侵すこともなかった。
あの大きな戦い以降、森は表面上は平穏を保っている。
——もう、興味を無くしたのかな。
色々と奪っていったし、それで満足したのかも……。
十五歳になった私は、もう泣き崩れる少女じゃない。
森を守る狩人で……そして、母の剣を取り戻すために、刃を研ぎ続ける戦士だ。
それでも、夜更けに暖炉の火——と言うより、火の小精霊の集合体——を見つめていると、ふと胸が締めつけられる瞬間がある。
もしお母さんが今ここにいたら、何て言うだろう。
――よくやっている、と言ってくれるかな。
それとも、もっと強くなれ、と笑うのかな。
あるいは、そんな危険なこと止めなさい、と叱るのかもしれない。
火の粉が闇に溶ける。
私は剣を抱き寄せ、静かに目を閉じた。
アロガが傍で寝転び、ナナが反対側で身体を丸めて座る。
——でも。
たとえ叱られようと、やっぱり目的は変わらない。
お母さんの剣と尊厳を取り戻す、その日まで、私は――。