混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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決意の旅立ちと最強の最下級 その3

 転移陣の淡い光が足元から消え、視界が静かに晴れていく。

 

 森の外縁へと一瞬の内に到着し、私は一応周囲を警戒する。

 転移直後はどうしても無防備になりがちたから、こうした気構えは必要だった。

 

 ここの周囲だけ地面が踏み固められていて、また刈り払われた低木が、ここが“境界”であることを示している。

 

 深く息を吸うと、森の湿った匂いに、街道の乾いた土の匂いが混じっていた。

 

 五分ほど進み、街道へと出る。

 左右に視線を走らせて、今はまだ人影も、馬車の軋む音もない事を確認した。

 

「良かった……。とりあえず、アロガも一緒に歩けるね」

 

 胸を撫で下ろしてそう言うと、背後から低い声が返る。

 

「ウォフ……」

 

 呆れ半分、面倒臭さ半分、といった響きだった。

 振り向けば、堂々たる体躯——見上げる程の位置にあるアロガの頭から、金色の瞳を向けられている。

 

「仕方ないでしょ。魔獣は普通、ヒトと一緒にいないんだから」

 

《——しかもそれが、剣虎狼(ウルガー)ときてはねぇ……》

 

 風が耳元で揺れ、ナナの声が溜息混じりに響く。

 

 剣虎狼(ウルガー)

 この地方では子どもでさえ知っている、森の頂点に立つ魔獣の名。

 

 剣のように鋭利な牙と、刃のように硬質化した前肢の爪は、単体でさえA級冒険者数人を相手に取って負けない、と言われる存在だ。

 

 それが、街道を少女と並んで歩いていて、それを見咎められたとなれば――。

 

 軽い騒ぎでは、きっと済まないだろう。

 衛兵が駆けつけ、鐘が鳴り、討伐隊が編成される。

 

 せっかく一緒に出てアロガが、いかなり“討たれる側”になるのは、ちょっとした悪夢だった。

 

「だから、街の中にも入れてあげられないからね。ちゃんと近くの茂みとかに隠れてるのよ」

 

「グルル……」

 

 不満げな唸りが上がり、私もつい溜め息をついた。

 

 ――分かっている。

 アロガにとって私は“守るべき群れ”の一員で、傍にいなければ意味がない、と本気で思っているのだ。

 

 けれど、街は森とは違う。

 見知らぬ視線。噂好きな口。過剰な正義感――。

 それら全てが、アロガとの堂々かを邪魔する。

 

「大丈夫だから、アロガ。ここは私の知ってる場所だよ」

 

 ゆっくりと歩み寄り、その首筋に手を当てる。

 温かく、力強い鼓動が伝わって来た。

 

「危険があるとしても、精々ゴロツキくらい。アロガが見つかって、討伐隊が動く方が、よっぽど危険なの」

 

 辛抱強く言い聞かせると、しばらくしてから、低い唸りが小さくなった。

 

 納得はしていない。

 けれど、私の言葉を信じてくれた。

 

 その首筋に顔を沈めてぐりぐりと動かし、それから離れる。

 私達は改めて街道を歩き出した。

 

 そうしていると、やがて視界の先に灰色の影が浮かび上がる。

 街を囲む石壁——。

 

 その中央には開かれた大門があって、木製の分厚い扉には、鉄の補強が重々しく光っていた。

 

 人の流れも、少しずつ増えて来ていて、農夫らしき男が荷車を引き、旅装の商人が馬を曳く。

 ここまで来ると、流石に衛兵の姿も見えてきた。

 

「ほら、アロガ。そこの辺り」

 

 街道から少し外れた草原の一角を指差す。

 疎らに生えた木々と、背丈のある下草が風に揺れている。

 

 草丈は十分。

 あの巨体でも、伏せればきっと隠れられるだろう。

 

 アロガは一度、街の方を見た。

 そして次に、私を見る。

 

「ほら、行って」

 

 最後に、鼻先を私の肩に押し付けるようにしてから、音もなく草地へと向かった。

 

 その間、何度も振り返る。

 そのたびに私は、笑って手を振って応えた。

 

 本当は引き留めたい。隣にいてほしい。けれど、それでは意味がない。

 

 やがて、目的場所に辿り着くと、その体躯は完全に下草の中へと消えた。

 

 森の狩人の名は伊達ではない。

 あの巨体が、ほんの数息で風景に溶け込んでしまった。

 

 知らなければ、そこに剣虎狼(ウルガー)が潜んでいるなど、誰も思わない。

 

 私は小さく安堵の息を吐き、再び街へと向き直る。

 そうして門前に並ぶと、次々と流れる順番を待った。

 旅人は荷を検められ、名前と目的を簡単に問われる。昔と変わらない見慣れた光景だった。

 

 そうして私の番が来る。

 

「入市か?」

 

「はい。買い付けと、少し用事が」

 

 顔を覚えられているのか、衛兵は深く詮索せず、足税の額を告げる。

 小袋から銅貨を数え、手渡した。

 

 特に確認もせず、硬貨が木箱に落ちる音と共に、手を街の方へと示す。

 

「通っていいぞ」

 

 短い言葉で許可を得て、一歩、石畳の内側へ踏み込む。

 その瞬間、喧騒が一気に押し寄せてきた。

 

 商人の呼び声と、鍛冶屋の槌音。

 焼き立てのパンの香りと、肉を焼く香り。

 人々の笑い声に混じって、言い争う罵声も聞こえてくる。

 

 この光景を前にすると、否が応でも思い出が甦り、胸がきゅっと締まった。

 

 けれど、今は立ち止まっていられない。

 私は人混みの中へと歩き出した。

 

 森の狩人としてではなく、目的を持った旅の始まりとして——。

 

 門の外、ここからではもう見えない茂みの中には、アロガがいる。

 そして、ナナは私と一体となって、心の中で控えていた。

 

 独りじゃない。

 

 それでも――ここから先は、私が切り開く道だ。

 石畳を踏みしめながら、私は街の奥へと進んで行った。

 

 

  ※※※

 

 

 向かう先は、最初から既に決まっていた。

 

 石畳を踏みしめながら、私は迷いなく冒険者ギルドの方角へと歩を進める。

 

 目的は、お母さんの剣を取り返すこと。

 あのとき森を攻めた軍隊は、西大陸から派遣された奴ら、と精霊たちは言った。

 

 だったら、手掛かりはきっと西にある。

 そう改めて意識していると、胸の奥で風がそよぐ感覚があった。

 

《まぁ、東に住むヒトが西に行く手段は、とても限られてるものねぇ……》

 

 ナナの声が悩ましげに響く。

 

 東大陸と西大陸を繋ぐのは、ただ一本の橋だけで、しかもその橋には船で乗り付ける必要があるらしい。

 

 “境界橋”と呼ばれる巨大な石橋が、唯一の公的な往来手段なのに、陸続きにはなっていなかった。

 

 それを無視して船による入国も不可能ではないけれど、それは橋を渡る以上に、厳しい審査と監視を受ける。

 

 密航など論外、正規の許可なくしては辿り着けない——、という話だった。

 

 ただし、ここ数年で制度は幾分か緩和された、とも聞く。

 けれど――それでも尚、一般人が気軽に行き来できるほど甘くはない。

 

《緩和されたってのも、つまりお母さんを打ち倒したからでしょ》

 

 ナナの声が少しだけ低くなる。

 

《封鎖されてた理由も単純よ。顔も姿も自在に変えられるって言われる相手を、迂闊に入国させない為だもの。あの時代……、西は本気で怯えていた》

 

「臆病なんだね……」

 

 思わず、そんな言葉が口から零れた。

 

《まぁ……、殆ど病的だったのは間違いないわね。どちらかが滅ぶまで終わらない、って本気で思い込んでたんでしょうし》

 

 東大陸と西大陸。

 魔女と、その討伐を掲げた側。

 

 正義と恐怖が絡まり合い、それが執拗な追撃を続けさせていたのだろうか。

 

「どうして、そんな事になったんだろう……」

 

 私の問いに、ナナは少しだけ沈黙した。

 

《さぁ……。そこまで流石に、風にも分からないわね》

 

 風は噂を運ぶ。

 けれど、真実の根までは掘り起こせない。

 それはあくまで、風の噂を届けるが故の、仕方ない部分だった。

 

 ――やがて、視界の先に大きな建物が現れる。

 

 木と石を組み合わせた重厚な造りで、入口の上には、剣と盾を交差させた紋章が見えた。

 

 目的の冒険者ギルドだった。

 

 外にまで溢れ出すような喧騒と活気があり、笑い声や怒鳴り声、そして武具の擦れる金属音などが聞こえた。

 

 私は足を止め、建物を見上げる。

 

 ここに遊びに来たことは何度もあった。

 お母さんに連れられて、依頼掲示板を眺めたり、受付の人と世間話をしたり……。

 

 もしくは、ミーナちゃんやモンティと、遊び場としてやって来たこともある。

 あの頃の私は、ただの見学者だった。

 

 けれど、今日は違う。

 “求めて”ここに、やって来た。

 

 ――冒険者になるためだ。

 

 胸の奥が、少しだけ痛む。

 お母さんは、冒険者になることに反対だった。

 

『あそこはね、命を金に換える場所だよ』

 

 そう言って、苦笑と似た――何かを隠す笑みを浮かべていた。

 

 危険を承知で飛び込み、怪我をするだけならまだしも、命を落とす者も少なくない。

 自由の裏に、責任と無謀が潜む世界——。

 

 もし今の私を見たら、お母さんがっかりするのかな。

 それとも……必要だと、理解してくれるんだろうか。

 

 私は拳を握って、意識を整える。

 

 私は名誉を求めるのではなく、ただただ西へ渡るための資格を求めていた。

 

 情報網や信用といったものも、私が求めるものを探すには有用だろうけど、S級冒険者の肩書きが、“西”へと渡れる資格になる。

 

「……必要なことだから」

 

 小さく呟き、扉へと手をかける。

 重い木扉を押し開けた瞬間、熱気が一気に押し寄せた。

 

 汗の匂い。そして、革と鉄の匂い。

 荒々しい笑い声が飛び交い、壁一面の掲示板には無数の依頼書が見えた。

 

 屈強な戦士、軽装の斥候、ローブ姿の魔術士……。

 様々な装いの人々が、思い思いに席を陣取っていた。

 

 一瞬、視線が集まったけれど、すぐに興味は失せる。

 見慣れぬ少女が一人やって来る程度、ここでは別に、珍しい光景でもないのだろう。

 

 私は一歩、二歩と中へ進む。

 

 受付カウンターが見えた。

 その向こうで、書類を捌く女性職員が顔を上げる。

 

 見知った顔が見えて安堵するのと同時、事情の説明が必要に思えて気分が暗くなった。

 私は、意を決して息を吸い込んだ。

 

 森で暮らす獣人としてではなく、お母さんの娘としてでもなく……。

 

 目的を持つ、一人の剣士として、私は喧騒の只中へと踏み出した。

 

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