混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

341 / 343
決意の旅立ちと最強の最下級 その4

 少し緊張した足取りで、受付カウンターへと近づいた、その瞬間だった。

 

「え……? ……リル、ちゃん?」

 

 柔らかく、それでいてはっきりとした声音が耳を打つ。

 顔を上げた受付の女性と目が合って、私もハッとした。

 

 淡い栗色の髪をきちんと結い上げ、落ち着いた青の衣を纏った女性で、穏やかな笑みと、鋭すぎない観察眼を持つ人だった。

 

 最後に見た時と、その見た目は殆ど変わりない。

 懐かしい気持ちが、胸の中に満ちる。

 

「レッタお姉ちゃん――ううん、オンブレッタさん……」

 

 冒険者ギルドの受付嬢であり、そしてギルドマスターの妻。

 幼い頃から何度も顔を合わせてきた、数少ない“街の大人”のひとりだ。

 

「……お久しぶりです」

 

 久々に顔を合わせる気不味さも手伝って、自然と背筋が丸まる。

 オンブレッタさんは、書類を置き、カウンター越しに身を乗り出した。

 

「本当に……、あなたなのね。ずっと姿を見せなかったから、どうしているのかと……」

 

 その目には、責める色はない。

 ただ、純粋な心配が滲んでいる。

 

 それだけの思いを向けられて、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

「大きな問題もなく……、元気に暮らしていました」

 

「ええ、噂は少し……。買い出しには来ていたみたいだけれど、すぐ帰ってしまうって」

 

 そう言って、小さく苦笑する。

 ……やっぱり、知られていたんだ。

 

 だけど、情報通でなければギルドなどやれないだろうし、むしろ知られているのは不思議じゃないのかもしれない。

 

「本当に、心配していたのよ。でも、あなたのお母様は……?」

 

 慎重に選んでいると分かる言葉遣いで、オンブレッタさんは、そっと続ける。

 

「卒業式にも来なかったでしょう? 何かあったんじゃないかって、ミーナちゃんも、モンティくんも、すごく心配していたわ」

 

 胸の奥が、きゅっと締まる。

 隠す事ではないし、むしろ教えるべきなんだろう。

 

 それに、特に親しくしていた二人には、せめて何か伝えておくべきだった。

 

「……ごめんなさい」

 

「謝らなくていいのよ」

 

 即座に返ってきた声は、優しかった。

 

「きっと色々、事情はあったんでしょうから……。今も無事で元気なら、それでいいの。昔は可愛らしいだけだったけど、今は凛々しさも加わって……。面影はあったから、もしかしたらと思ったら……、本当にそうなんだもの……」

 

 その言葉がまっすぐ胸に刺さり、喉の奥が熱くなった。

 

「でも、とにかく……」

 

 オンブレッタさんは、少しだけ表情を改めた。

 

「今日は……どうして、ここへ?」

 

 問いは穏やかだが、その奥には察するものがある。

 私は一度、深呼吸をして、真っ直ぐに見つめながら言った。

 

「冒険者登録を、したくて来ました」

 

 一瞬、周囲の喧騒が遠のいた気がした。

 オンブレッタさんは驚いたように目を見開き、それからゆっくりと細める。

 

「……そう」

 

 否定も、即答の賛成もない。

 

「あなたのお母様は、なんて……?」

 

「賛成は……してくれる、と思います」

 

 頷く途中で動きを止め、それから首を傾げた。

 

「つまり……、許可は得ていないのね?」

 

「でも、必要なんです。目的のために。情報と、実績と、信用が要るから」

 

 ――濁して伝える意味はない、と理解していても、正直に言うのが怖かった。

 何より、お母さんの訃報を伝えなくちゃいけないのが辛い。

 

 その勇気が出ないままでいると、オンブレッタさんは、しばらく私を見つめて言った。

 

 まるで、子どもの頃から知る少女が、本当にその道を選ぶ覚悟があるのか、見極めるように。

 

「……随分、強い目をするようになったわね」

 

 そうして、ふっと微笑む。

 

「どうやら、それなりの心得はあるみたいだし……。昨日、今日の思い付きで、家出同然にやって来た訳でもなさそう」

 

「……分かるんですか?」

 

「えぇ、そういうヒト、結構多いから。でもあなたは、しっかり鍛練して来たみたい」

 

 その発言に、アロガやナナとした、厳しい鍛錬の日々がよぎる。

 独力でやってきた訳ではない。

 

 お母さんが遺してくれた、指南書もあった。

 それらのお陰で、まだまだ発展途上だった実力も、そこそこ見られるものになったと思う。

 

 ……お母さんには、まだまだ全然、届かないけれど。

 

 そんな事を考えている間に、オンブレッタさんは、カウンターの下から一枚の書類を取り出した。

 

「登録自体はできるわ。でもね、リルちゃん。ここは“覚悟”だけでは足りない場所よ」

 

 紙を差し出しながら、話を続ける。

 

「怪我の原因は一つじゃなくて、冒険者同士って事もある。裏切られることだって……。命を落とす者も、少なくない」

 

 視線が、私の奥を覗き込む。

 

「それでも、来るのね?」

 

 私は迷わず、挑む様にして頷いた。

 

「はい」

 

 お母さんの剣を取り戻すため。

 お母さんの誇りと責任を取り戻すため。

 

 何より、あの日の恐怖から逃げ続けないために必要な事だった。

 

 私の目を正面から見つめていたオンブレッタさんは、ゆっくりと頷いた。

 

「分かったわ。……なら、私はあなたを“紫銀の方の娘”としてではなく、一人の志願者として扱います」

 

 その声音は知人のものではなく、受付嬢としてのものへと切り替わっていた。

 

「じゃあ、こちらの書類に記入して下さい」

 

 羽根ペンを受け取り、私は書類の所定欄にゆっくりと名前を書き入れる。

 

 ――リル・シャムラ・シャムシット。

 

 森で何度も写本を取り、母の蔵書を筆写してきた。

 線の強弱、余白の取り方、文字の呼吸。

 

 自然と身についた癖が、紙の上に現れる。

 そうして、さらり、と最後の一画を払ったときだった。

 

「……へぇ」

 

 低く、よく通る声が、横合いから飛び込んで来た。

 

 振り向いてみれば、奥の階段から大柄な男が降りてくるところだった。

 茶色の髪を後ろで束ね、広い肩幅に濃紺の外套を背負っている。

 

 ともすれば、頼りなさを感じさせる優しい目元は、時を経て、それが更に顕著になった様に思う。

 

 ギルドマスターの、ラーシュだった。

 この街の冒険者たちを束ねる男であり、オンブレッタさんの夫でもある。

 

「久しいな、リルちゃん」

 

「……はい、お久しぶりです」

 

 小さく礼を取ると、ラーシュは困った様に頭を掻いて笑った。

 

「リルちゃんに、そんな態度を取られるのは……何て言うか、妙な気分だ。昔はもっと……いや、まぁ、それは良いか」

 

 ラーシュはカウンターへ近づき、私の書いた書類を覗き込むと、片眉を上げる。

 

「これは……お前さんが書いたのかい?」

 

「はい」

 

 短く答えると、彼は感嘆の息を吐いた。

 

「綺麗な字だなぁ。均整が取れているし、筆圧も安定している」

 

 そう言って、指先で紙の端を軽く叩きながら続ける。

 

「これなら書士にだってなれるぞ。下手な役人より、よっぽど上等な文字だ」

 

 思わぬ方向からの賛辞に、少し戸惑う。

 

「お母さんに、よく綺麗に書きなさいって、言われていたので……」

 

「なるほど。あの人らしい」

 

 ラーシュは一瞬だけ、遠い目をした。

 

「お前さんの母親からは、よく自慢話を聞かされたよ。あの子は手先が器用で、根気もあるとか。頭が良くて、飲み込みが早いとか」

 

 胸の奥が、じんわりと熱くなる。

 でも同時に、嬉しいやら恥ずかしいやら、複雑な気分になった。

 

「だが同時に、こうも言っていたな」

 

 視線が、まっすぐに私を射抜く。

 

「“あの子を冒険者にはさせたくない”と」

 

 空気が、少しだけ張り詰める。

 その遣り取りを、オンブレッタさんが、そっと窺っているのが分かった。

 

 ラーシュは声を荒らげない。

 むしろ穏やかなもので、その口調は諭すものだった。

 

「冒険者は、選ばれし者の職じゃあないんだ。誰でもなれる……だからこそ、その死亡率ってのはなぁ、結構高いものなんだ」

 

 静かな言葉が、染みるように伝わる。

 

「お前さんの母親は、その現実をよく知っていたんじゃねぇのかな。だから、別の道を歩ませたかったんだろう」

 

 視線が、再び書類へと落ちる。

 

「この字を書けるなら、役所勤めもできる。俺だって、書士見習いとして紹介もしてやれる。収入の安定は段違いだ。命を削る必要もない。——それに聞いてるぜ。学舎では計算も、得意だったみたいじゃないか。そっちを生かす方法もある」

 

 提案は気遣いに満ちたもので、理にかなっていた。

 お母さんから授けられ、培った知識と筆の技術——。

 それらを確かに、生かす道はある。

 

「今なら、まだ間に合うぞ」

 

 ラーシュの声は、心から案ずるものだった。

 

「登録は保留にしてもいい。考え直せ。母の望みを、無下にしてまで、なるもんじゃない」

 

 胸の奥が揺れ、お母さんの言葉が蘇る。

 ——『命を金に換える場所だよ』

 

 あの苦笑までもが、目の前に見える気がした。

 でも。

 それでも――。

 

「……お母さんは、私が無事に大きくなること、人並みの幸せを見つける事を、望んでいたんだと思います」

 

 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

 

「でも、私は……生きるために来ました」

 

 ラーシュの目が、僅かに細まる。

 

「生きる、と言うのは?」

 

「はい。森に閉じ籠もることもできて……そしてきっと、その方が安全で、平和でした」

 

 それだけの下地を、お母さんは残してくれた。

 最期には自分の身体さえ差し出して、精霊王を含んだ多くの精霊たちを味方にして——。

 

「……でも、それでは死んでないだけ。取り戻す物を取り戻せないと、私は止まったままなんです」

 

 母の剣。

 あの日、奪われた誇り——。

 

「西へ行くためには、実績と信用が必要です。それには冒険者であることが、一番早いと耳にしました」

 

 真っ直ぐに、ラーシュを見る。

 

「これは、憧れでも反発でもありません」

 

 一呼吸置いてから、更に続けた。

 

「必要だから、選びました」

 

 ギルド内の喧騒が、遠く感じる。

 

 ラーシュはしばらく何も言わなかった。

 でもやがて、ふっと息を吐く。

 

「……目が変わったな。昔は、ただ守られるだけの、何処にでもいる子どもだったのに。……いや、平均よりもずっと裕福だったかもしれないが……」

 

 腕を組み、私を見下ろす。

 

「今は、自分の足で立とうとする目をしている」

 

 完全な賛同ではない。

 でも、頭ごなしの否定でもなかった。

 

「最後に聞かせてくれ」

 

 これまでとは違う、重く挑む様な声だった。

 

「死ぬ覚悟はあるか?」

 

 一瞬だけ、森の景色が脳裏をよぎる。

 アロガの背。ナナの風。母の笑顔――。

 

「死ぬ覚悟はありません」

 

 腹に力を入れて、はっきりと口に出した。

 ラーシュの眉が、ピクリと動く。

 

「でも、生き抜く覚悟ならあります」

 

 しばらく静寂が続くと、ラーシュは低く笑った。

 

「はは……、なるほど。あの人の娘だな、間違いなく」

 

 そう言うと、書類を取り上げ、オンブレッタさんへ渡す。

 

「登録を進めてくれ。ただし――」

 

 そこで一度、私へ視線を戻す。

 

「最初は最低のGランクからだ。実力主義だからな。情けはかけられない」

 

「はい」

 

「そして、いつでも引き返せることを忘れるな。意地で突っ走るとな、簡単に転ぶもんだぞ」

 

 そこまで言うと、それまでの重かったものから一転、声が和らぐ。

 

「お前さんには、帰る森も、帰る街もあるだろ」

 

 その言葉に、胸の奥が静かに温かくなった。

 

「……ありがとうございます」

 

 ラーシュは頷き、背を向ける。

 

「んじゃ、改めて……。オンブレッタ、手続きを」

 

「ええ」

 

 笑顔で頷くと、羽根ペンが再び走り出す。

 こうして私は――。

 

 母の望みと向き合いながら、それでも自分の選んだ道へと、正式に足を踏み入れたのだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。