混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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決意の旅立ちと最強の最下級 その5

 幾つかの書類への記入が終わると、手続きは最後の段階へと移った。

 

「あと一つだけね」

 

 オンブレッタさんは、カウンターの下から小さな器具を取り出す。

 銀色の細い針が、ほんのわずかに先端を覗かせていた。

 

「指先を少しだけ」

 

 私は言われるまま、右手の人差し指を差し出した。

 

 針の先に、指を軽く押し当てると、ちくり、とした小さな痛みが走る。

 ほんの一滴、赤い血が滲んだ。

 

 それを書類の片隅にある、魔法陣の紋様へと押し付けると、淡い光が一瞬だけ走る。

 

 でもすぐに消えて、紙の上には何事もなかったかのように、ただ血判の跡だけが残された。

 

「これで登録は完了よ」

 

 オンブレッタさんは、書類を軽く確認しながら説明を続けた。

 

「この血判には簡単な追跡魔術が組み込まれているの。万が一、冒険者が犯罪を犯した場合、その位置をかなり正確に読み取れる仕組みになっているわ」

 

 思わず書類を見つめる。

 小さな血の跡には、冒険者という存在を縛る“責任”が刻まれている。

 

「つまり……簡単には逃げられない、ってことですね」

 

「そういうこと」

 

 オンブレッタさんは苦笑し、それから少しだけ声を柔らかくした。

 

「……でもね、位置情報が分かるというのは、何も悪いことばかりじゃないのよ」

 

 書類を指先で、軽く叩きながら続ける。

 

「遭難した時や、危険な依頼で行方不明になった時……。ギルドはこの魔術を頼りに、救助を出すこともできる」

 

 青い瞳が、私をまっすぐ見つめる。

 

「だから、何でもかんでも悪い方向に考えなくても大丈夫」

 

 私は、素直に頷いた。

 

「……そうですね」

 

 森で暮らしてきた私には、追跡されるということに少し抵抗もあった。

 けれど、同時に“助けが届く可能性”は、捨てがたい魅力だろう、と思う。

 

 その時だった。

 

「おい、まさか……!」

 

 横合いから、ひどく驚いた声が飛んできた。

 

「ん……?」

 

「お前、リルか!? 本当にリルなのかよ!?」

 

 声の方向に目を向けると、そこには、一人の青年――いや、冒険者が立っていた。

 

 日焼けした肌に短い髪。

 革鎧を身に着け、腰には剣を佩いている。

 

 まだ若輩と言って良いのに、すでに幾つかの戦いを経験してきたような雰囲気があった。

 

 けれど――その表情は、どこか懐かしいものを見つけた子どもの様だ。

 言葉を返せずにいると、その隣からもう一人、顔を覗かせる。

 

「本当……? 本当にリルちゃん?」

 

 こちらも軽装の冒険者装備だが、まだどこか幼さが残る。

 栗色の髪を肩口でまとめた、私より少しだけ年上の少女が、心配そうにこちらを見つめていた。

 

 二人とも、見覚えなどない――と、そう思った矢先だった。

 

 青年の笑い方。

 少女の首の傾げ方。

 

 記憶の奥に眠っていた何かが、急に浮かび上がる。

 

「もしかして……!」

 

 思わず声が上擦った。

 

「モンティとミーナちゃん……!?」

 

 名前を呼んだ瞬間だった。

 

「やっぱりだ!!」

 

 モンティが大声を上げ、その横でミーナちゃんは目を潤ませると、次の瞬間、勢いよく抱きついてきた。

 

「リルちゃん……!」

 

 そのまま、ぎゅっと抱き締められて、突然のことに呆然としてしまった。

 少しよろめきながらも、私はその身体を受け止める。

 

 鼻腔をくすぐる匂いは、少しだけ石鹸の香りが混じった、懐かしい匂いだった。

 

 昔、一緒に遊んだ時と、ほとんど変わっていない。

 胸が、ぎゅっと締め付けられる。

 

 懐かしさと――そして、申し訳なさ。

 何も言わずに、離れてしまったこと——。

 

 二人の前から、突然消えるように姿を消してしまった。

 

「……ごめんね」

 

 自然と、抵抗なく謝罪の言葉がこぼれた。

 

「勝手に居なくなって……」

 

「いいんだよ……!」

 

 ミーナちゃんは首を横に振って、肩口に顔を押し付けたまま、震える声で言う。

 

「きっと事情があったんだって……分かってたから……!」

 

 肩に当たる部分が、じんわりと熱い。

 

 ……泣いている。

 本当に、再会を喜んでくれているんだ。

 

 胸の奥が、温かくなると同時に、少しだけ痛む。

 そのとき、モンティが困ったように頭を掻いた。

 

「なぁ……」

 

 周囲をちらりと見回しながら、申し訳なさそうに言う。

 

「積もる話もあるしさ……、ここじゃなんだから……」

 

 言われて、私も気づいた。

 いつの間にか、かなりの視線がこちらに集まっている。

 

 珍しい再会を面白がる者。

 単なる好奇心で見ている者。

 

 そして、明らかに迷惑そうに、眉を顰めている冒険者もいる。

 ギルドのど真ん中で、抱き合って泣いていれば当然だ。

 

「わっ……!」

 

 ミーナちゃんも、ようやくその事に気づいたらしい。

 慌てて顔を上げ、真っ赤になると、袖で涙を拭いながら、私の手を掴んだ。

 

「ご、ごめん……! こっち、こっち行こ!」

 

 ぐいぐいと引っ張られ、モンティも苦笑しながら後ろについてくる。

 

 ギルドの喧騒の中を抜け、壁際の少し静かな席へ。

 そこでようやく、三人は向かい合って腰を下ろした。

 

 六年ぶりの再会だ。

 言いたいことも、聞きたいことも、きっと山ほどある。

 

 けれど今は――。

 ただ、こうして同じ場所に座っているだけで、胸がいっぱいだった。

 

 

  ※※※

 

 

 壁際は依頼ボードから離れている事もあり、中央の喧騒から遠ざかった。

 それでも冒険者ギルド特有の騒がしさは消えない。

 

 笑い声や依頼内容を巡る口論――そんな音の波が遠くから押し寄せてくる。

 けれど、私たちの周りだけは、どこか静かだった。

 

 ギルドホール内に椅子などないので、三人で向かい合って立つ形になり、少し気まずい。

 

 ミーナちゃんはまだ少し目を赤くしていて、何度か瞬きをしていた。

 モンティは腕を組んでいるけれど、その視線はずっと私から離れていなかった。

 

 心配しているのが、よく分かる。

 

「……えっと」

 

 何から話せばいいのか分からなくて、言葉が詰まった。

 

 森での暮らし。

 母のこと。

 この数年での出来事――。

 

 話そうと思えば、いくらでもある。

 けれど、最初に口から出たのは別の言葉だった。

 

「まず……、ごめん」

 

 二人の表情が、少し驚いたように変わる。

 

「卒業式、出られなくて……」

 

 二人を直接見られなくて、視線を床に落とした。

 

「あの時、どうしても……人前に出られる状態じゃなくて」

 

 その時の事を思い出して、胸の奥が少しだけ重くなる。

 

「それに……そのまま、何も言わないまま居なくなっちゃって」

 

 ミーナちゃんとモンティとは、あの頃いつも一緒にいた。

 それなのに何も言わず、何も説明せず、突然いなくなった事で、悲しい思いをさせただろう。

 

「本当に、ごめんね」

 

 頭を下げると、ほんの少し沈黙が降り、そして――。

 

「だから、いいって言っただろ」

 

 モンティの声が、すぐに返ってきた。

 顔を上げると、彼は少し困ったように笑っていた。

 

「事情があったのくらい、分かるよ」

 

「うん」

 

 ミーナちゃんも頷く。

 

「リルちゃんがそんな不義理するとは思えないし、それから全然姿を見せなくなるなんて、よっぽどだよ」

 

 あの日のことを思い出すように、言葉がゆっくり続く。

 

「だから、きっとリルちゃん、すごく辛いんだろうなって……」

 

 優しい言葉を掛けられて、涙が出そうになった。

 

「私たちも、何回か自分達の方から行こうか、って話したんだよ?」

 

 そう、と頷いて、モンティが言う。

 

「でもさ……、家の場所も知らないし、街の入り口で待ち構えるってのも……」

 

「うん……」

 

 二人が顔を見合わせる。

 

「無理に会いに行ったら、余計辛いかもしれないって思って」

 

 ミーナちゃんの声は、どこまでも優しく、気遣いに、満ちていた。

 

「だから……、待ってたの。いつかきっと、また昔みたいに話せる様になるって……」

 

 その言葉に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

 

 待っていてくれた。

 何も言わずに消えた私を……。

 

 責めるでもなく、ただ、待っていてくれた友達に感謝の気持ちが溢れる。

 

「……ありがとう」

 

 素直な気持ちで言葉を落とし、それから、少しだけ深く息を吸う。

 その時、モンティから窺う様な視線と共に、控え目な問いが飛んできた。

 

「この数年、どうしてたのか、訊いても良いか? お袋さんは……、今日は一緒じゃないのか?」

 

「うん、ちょっと来られなくて……」

 

「病気……とか?」

 

「うん、そんな感じ……。もう、街で姿は見られないと思う」

 

 二人が真剣な顔で聞く。

 

「そんなに重い病気なんだ……。心配だね……。あ、だから、稼ぐために冒険者を? 薬代が必要になった、とか……」

 

「うん、まぁ……」

 

 二人を騙すようで気が引ける。

 でも、やっぱりまだ、正直に言う勇気は湧かなかった。

 

「そっか……。お袋さん、良くなると良いよな。大丈夫、上手くすりゃあ、薬代なんてすぐさ!」

 

 無理に明るく言っているのだとは、その雰囲気から分かった。

 私があまり話したがらないのも察して、だから深く追求しようともしない。

 

「でも、こっちじゃ手に入らないモノたから……」 

 

「どういう事だ? ()()()……?」

 

「私の求める()はね、西大陸にしかないと思う。それでないと、回復しない」

 

 それは病ではなく、名誉に対する特効薬だ。

 奪われた剣を取り戻さない事には、永遠にその名誉は回復しない。

 

 モンティは腕を組み直し、ふと真顔になって言った。

 

「むしろそれで、冒険者登録したのか?」

 

 さっきの受付のやり取りは、遠目に見えていたのだろう。

 私は静かに頷いた。

 

「うん、西に行くには、それが一番早いから」

 

 二人の表情が、同時に変わる。

 そこには、驚きと戸惑いが浮かんでいた。

 

 ギルドの喧騒が、遠くに聞こえる。

 モンティとミーナちゃんは、しばらく黙ったままでいた。

 

 そして――。

 モンティが、小さく息を吐く。

 

「……なるほどな」

 

 その声に、軽さはなかった。

 ただ、真剣に受け止めてくれている響きがある。

 

 ミーナちゃんは、そっと私の手を握り、優しい声を掛けてくれた。

 

「リルちゃん……、大変な道だと思うけど……」

 

 一瞬だけ言葉を探し、それから笑った。

 

「でも、リルちゃんが決めたなら、あたしは応援するよ」

 

 森を出てきてよかった。

 そう、初めて思えた気がした。

 

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