混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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決意の旅立ちと最強の最下級 その8

 冒険者ギルドの建物の裏手には、広く開けた裏庭があった。

 

 石の壁にぐるりと囲まれたその場所は、簡素ながらよく整えられていて、地面は踏み固められた砂地になっている。

 

 どうやら普段は、冒険者たちが訓練に使う場所らしい。

 実際、今も何人かの冒険者が素振りしたり、木剣で打ち合ったりしていた。

 

 そこへ、ぞろぞろと人が移動してくるのだから、当然視線も集まる。

 訓練していた冒険者の一人が、動きを止めて眉をひそめた。

 

「……なんだ?」

 

「揉め事か?」

 

 怪訝そうな表情で、こちらを見つめた。

 裏庭に来たのは、私とケレイだけではなかった。

 

 モンティとミーナちゃんは勿論のこと、さっきギルドの中で野次馬になっていた連中まで、ぞろぞろとついて来ている。

 

 どうやら皆、事の顛末を最後まで見届けるつもりらしい。

 

 ざわざわと人垣が出来始める。

 その中には、ギルドマスターのラーシュの姿まであった。

 

 腕を組んで立っているが、その表情は明らかに穏やかではない。

 眉間に深い皺が寄り、どこか心配そうな目をしていた。

 

 それでも、止めに入る様子はない。

 

 止めても無駄だと理解しているのか、それとも、どちらか一方に肩入れすることを避けているのか――。

 

《どっちもじゃない?》

 

 ナナが軽く言って、私は小さく息を吐く。

 

「そうかもね……」

 

 私はケレイの前へ歩み出た。

 距離を測って十分な間を取り、ゆっくりと足を止める。

 

 ケレイは壁を背にしていた。

 後ろは五メートルほどで、石壁に突き当たる。

 

 逃げ場のない位置だけど、攻撃される方向を限定させる狙いがあるのかもしれない。

 もしくは、一歩も退かないという意思表明か——。

 

 ケレイはその場で軽く屈伸運動をし、肩を回し、足をほぐす。

 やけに念入りな準備で、少し意外な気持ちがした。

 

《案外、口ほどには侮っていないのかもね》

 

 私はその様子を見ながら、心の中で小さく呟く。

 

(負けられないのは確かかも。だって、ここで大敗でもしたら……恥の上塗りだもんね)

 

 その時、準備を終えたケレイが、腰の剣を抜いた。

 金属の擦れる音が、乾いた空気に響く。

 

 それを見て、周囲からすぐに声が飛んだ。

 

「おい!」

 

「訓練用の武器を使わないのか!?」

 

「本気の剣はやめとけ!」

 

 しかし、ケレイはまったく取り合わない。

 剣を肩に担ぎ、ふんと鼻で笑って吐き捨てる。

 

「真剣勝負だ。なら当然、真剣を使う」

 

 文句を言う連中の方を睨みつけるその顔は、明らかに鬱憤を晴らそうとしている人間のものだった。

 

 それを見たナナが、小さく鼻を鳴らす。

 

《訓練中の事故、ってことで片付けたいのかしらね。大怪我させてやろうって顔よ、あれは》

 

 それは別にどうでも良かった。

 どうせ負けないし、傷も負わない自信がある。

 

 でも——だとしても、ふと思う事があった。

 

(お母さんなら……。こういう時、どうするかな)

 

《さぁて……?》

 

 ナナは少し考えるようにしてから答えた。

 

《格の違いを思い知らせるんじゃない? 二度と刃向かう気が起きないくらいに》

 

(そっか。じゃあ、そうしてみようかな)

 

 私もケレイに倣って、準備運動を始めた。

 脚の腱を伸ばし、軽く飛び跳ねて調子を確かめる。

 

《――でも》

 

 足の調子がいつも通りであることを確認した時、ナナから一言付け加えられた。

 

《その前に警告はするでしょうね》

 

 確かにそうだ。

 お母さんは、相手が格下だとしても――。

 

 むしろ格下だからこそ、事前に引き際を与えていた。

 

 無用な怪我をさせないために。

 そして、無駄な恨みを残さないために。

 

「そうだね」

 

 私は軽く息を吐き、ケレイへ向き直った。

 

「始める前に、警告だよ」

 

 ざわ、と周囲から声が上がる。

 

「やめるなら今のうち。C級の看板を下ろすのも、今のうち」

 

「なんだと……?」

 

 ケレイの眉がぴくりと動き、形相が怒りに染まる。

 それでも構わず、私は続けた。

 

「新人相手に負けたら……、それ全体の格が落ちるよ?」

 

 その瞬間、ケレイの怒りが爆発した。

 

「言いたいことはそれだけかよ!? ――お前ら獣人が、S級になれない理由を教えてやろうか! 魔術を使えねぇからだ!」

 

「う〜ん……?」

 

 それは多くの点で間違っている。

 使わないのではなく、使おうとしないのだ。

 

 魔術はエルフのもの、という認識があって、まず忌避する部分があるし、そして魔法は精霊の領分だ。

 

 そして精霊は敬うものであり、使役するものではない。

 だからどうしても、魔術に頼らない戦い方が多くなる。

 

 精霊に好かれれば魔法が使えても、愛し子として村落で大事にされるので、冒険者の様な形で表に出ないものだ。

 

 それら複数の要因こそ、獣人が肉体派と思われてしまう原因だった。

 私が注釈を加えるか迷っていると、ケレイは口汚く罵る。

 

「魔術を使える俺に勝てるワケがねぇんだ! さっさと構えろッ!」

 

「うぅん……まぁ、警告はしたからね」

 

 それから、ゆっくりと息を吐く。

 

 ――そして。

 腰にも背中にも手を伸ばさず、ただその場で足を開く。

 

 武器を取らずに拳を軽く握った。

 素手のまま、心は落ち着いている。

 

 ――これは遊びだ。

 ナナが言っていた通り、ケレイにとってはともかく、私にとっては遊び以上の意味などなかった。

 

 

  ※※※

 

 

 誰かが「合図を出してやる」と買って出て、野次馬の中から進み出た男が、両者の間に立った。

 

 左右を見比べ、軽く頷くと、片手を高く掲げる。

 

「いいな――!」

 

 ざわついていた空気が、一瞬だけ静まり返る。

 そして男は、勢いよく腕を振り下ろした。

 

「始め!」

 

 その声と同時に、ケレイが動いた。

 剣を肩に担いだまま、地面を蹴る。

 

 砂が弾け、一直線にこちらへ突進してきた。

 

 ——でも、遅い。

 

 合図と同時に私も動いていて、既に地面を蹴っている。

 距離が一気に詰まり、ケレイの目が驚きに見開かれる。

 

 そして、次の瞬間――。

 私はその勢いのまま、身体ごとぶつかっていた。

 

「はい、ドーン!」

 

 いつも良くやる、工夫も技術もない、単なる体当たりだった。

 そして、その一撃だけで、決着はついた。

 

 ケレイは剣を振り下ろす暇すらなく、そのまま後方へ吹き飛ばされ、背中から石壁へ叩きつけられた。

 

 鈍い音がして、ずるずると壁を滑り落ちる。

 剣が地面に落ち、乾いた音を立てた。

 

 周囲が一瞬、呆然とする。

 

「……おい、速すぎだろ。離れて、ようやく目で追えたレベルだ……」

 

 誰かが呟いた。

 

「その上で打撃が軽いわけでもねぇ。一撃かよ……」

 

 私は倒れたケレイを見ながら、小さく息を吐いた。

 

「お母さんなら……このくらい、平気で受け止めるんだけどな」

 

《それどころか……》

 

 ナナがくすりと笑う。

 

《勢いと慣性を完璧に制御して、衝撃を感じさせずに高い高いしてくるしね》

 

「せめて躱すか受けるぐらい、すると思ったんだけど……」

 

 そんなやり取りは、私とナナにしか分からない。

 だから、挑発の様に聞こえてしまったかもしれない。

 

「くそったれ……」

 

 視線を向けると、ケレイがまだ立ち上がろうとしている。

 剣を杖代わりにして、震える身体をどうにか持ち上げようとしていた。

 

「もう……、勝った気で、いるのか……っ!」

 

 息を荒く吐きながら、こちらを睨む。

 

「ふざけやがって……!」

 

 私は少しだけ目を細めた。

 

 ダメージは深刻そうだけど、骨が折れている様子はない。

 さすがに、多少は鍛えているらしい。

 

 けれど、足取りは明らかに不安定で、続行には不安がありそうだった。

 周囲からも、心配そうな声が上がる。

 

「もうやめとけ! 勝負ついただろ!」

 

「実力差が分からねぇのか!?」

 

「無理すんな、下手すりゃ死んでたぞ!」

 

 しかし、そんな声もケレイの耳には届いていない。

 顔を歪めながら、どうにか身体を起こした。

 

 剣を握る手が震えていて、気力で立っているのは明らかだった。

 ぎり、と歯を食いしばる。

 

「まだだ……! こんなんで……終わるかよ」

 

《どうする? もう十分だと思うけど》

 

 確かに。

 格の違いは、誰の目にも分かったはずだ。

 

 でも、ケレイはまだ立っている。

 私は軽く息を吐いた。

 

「まだやりたいの?」

 

 静かに問いかけると、ケレイは無言で剣を持ち上げた。

 腕は震えていたが、それでも構えは取っている。

 

「……来いよ」

 

 唾を吐くように言う、その威勢は大したものだ。

 けど、先程の様に飛び込んでは来ない。

 

《来ないんじゃなくて、来れないんでしょ。踏み込むのが不安だから、迎え撃とうとしてるの。あとは……さっき見せた攻撃を、警戒してるのもあるんでしょうけど》

 

「あれは別に、攻撃のつもりじゃなかったけどね……」

 

 でも、どっちにしろ、このまま収まりがつくとは思えなかった。

 私は少しだけ考えてから、肩をすくめた。

 

「分かった。じゃあ、行くよ」

 

 そして、今度はゆっくり歩いて、距離を詰めた。

 

 ケレイは剣を握り直して、姿勢もそれに合わせて変える。

 でも、その場から動こうとしないのは変わらない。

 

 足を踏みしめ、重心を低く落とし、構えたまま、じっとこちらを見据えて、身体強化の魔術を重ねがけしていた。

 

《あら、今度は慎重だこと》

 

「こっちを待ってるみたい」

 

 ケレイの狙いは分かりやすかった。

 

 動かず、こちらに攻めさせる。

 そしてその瞬間を狙って、剣で迎え撃つ。

 

 つまり、カウンター狙いだ。

 さっきの一撃で、真正面からぶつかっては勝てない、と理解したんだと思う。

 

 ケレイの目は、さっきまでの怒りとは、明らかに違う色を帯びていた。

 

 ――きっとそれを、必死と言うのだろう。

 

 意地でも、ここで一太刀入れてやろうという決意。

 周囲の冒険者たちも、それに気づいた。

 

「待ち構えてやがるな」

 

「カウンター狙いか」

 

「まあ、そうするしかねぇよな」

 

 ざわざわと声が広がる。

 そこへ、モンティの声が、風に流れて聞こえて来た。

 

「リル……!」

 

「リルちゃん……」

 

 ミーナちゃんは心配そうに、その手を握りしめながら見つめていた。

 私は二人の方をちらりと見て、軽く笑う。

 

「大丈夫」

 

 そして、ケレイへ向き直ると、今も油断なく睨む視線に噛みつかれた。

 剣先はこちらの動きを逃すまい、と微かに揺れている。

 

《どうする? 下手に飛び込めば、刃の良い餌食でしょうけど》

 

「うん、でも……ナナも分かってるでしょ? 下手に突っ込まなければ、良いだけだよね」

 

 私は無造作に一歩、踏み出した。

 

 ケレイの剣がぴくりと動く。

 しかし、まだ振らない。

 

 もっと近づくのを待っている。

 もう一歩――。

 

 距離が詰まり、ケレイの肩がわずかに揺れた。

 

 今だ、と言わんばかりの緊張があり、剣先が僅かに持ち上がる。

 

 そして、次の瞬間——。

 私は地面を強く蹴った。

 

 緩やかな歩調から一転して、本気の一歩を踏み出す。

 ただそれだけで、空間そのものが縮んだかのように、距離が詰まった。

 

 ケレイの目が見開かれ、咄嗟に剣が振り上げられる。

 だけど、その時には既に、ケレイの懐へ潜り込んでいた。

 

「ごめん。それ、遅いよ」

 

 そして、握った拳を腹部へ、真っ直ぐに打ち込む。

 

「――ぐほっ!」

 

 鈍い衝撃音と共に、ケレイの身体が大きく折れ曲がる。

 肺の空気が一瞬で吐き出され、剣が手から滑り落ちた。

 

 拳を引くと、そのままケレイの膝が崩れる。

 直後。完全に力を失った身体が、前のめりに倒れ、砂が小さく舞った。

 

 一瞬の静寂。

 そして――。

 

「おおおおおおっ!!」

 

 裏庭が歓声で揺れた。

 

「一撃だ!」

 

「今の見たか!?」

 

「カウンター狙いを、正面から潰したぞ!」

 

 興奮した声が、あちこちから上がる。

 モンティも両手を振り上げて、喝采を叫んでいる。

 

「リルぅぅ!! やってくれると思ってたぜぇぇ!!」

 

 ミーナちゃんも満面の笑みで駆け寄って、あらん限りの力で抱き着いて来た。

 

「リルちゃん凄い! こんなに強いなんて!」

 

 手放しに褒められている間にも、周囲の冒険者たちが口々に言う。

 

「素手でC級を倒しやがった」

 

「しかも、二発で終わりだぞ」

 

「いや、あれは実質一発だろ……」

 

 腕を組んでいた男が唸った。

 

「今の時点で、少なくともC級の実力はあるんだろ? まぁ、楽勝勝ちしてるから、それより上なのは確実だが……」

 

 別の男も、難しい顔をさせて頷いた。

 

「いや……下手すると、あの年で既に、A級の実力はあるぞ。S級を狙うって話も、あながち……」

 

 そんな声が、次々に広がっていく。

 そして、誰かが笑いながら言った。

 

「なんだよ、あいつ。最下級のくせに、一番強ぇじゃねぇか」

 

「あぁ、最強の最下級だな」

 

 どっと笑いが起きて、私は少し困った顔で頭を掻いた。

 

《変な二つ名が付いたわね》

 

 ナナからもくすくすと笑いを送られ、私はかっくりと肩を落とす。

 

「ほんとだね」

 

 足元では、ケレイが完全に伸びたまま倒れていたけど、もう――。

 誰も彼を見てはいなかった。

 

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