最低でも、A級相当の“魔獣を連れて帰る”。
その条件を聞いた瞬間、私は一つの確信に辿り着いていた。
(……それなら、もうクリアできる)
頭に浮かぶのは、ただ一つ。
森の狩人とも呼ばれる
森の中で共に育ち、共に過ごしてきた弟で、気心もしれている。
そして、安易に狩れる魔獣ではなく、A級冒険者が複数で当たっても苦戦する、紛れもない強者だ。
ましてや森の中となれば、その脅威はさらに跳ね上がる。
“森の狩人”の異名に相応しく、気配を消し、風に紛れ、獲物を仕留める。
実力以上に厄介で、そして恐ろしい魔獣なのだ。
出会ったら死を覚悟しろ、と冒険者の間では噂されるとか。
――そんな存在が、私の隣を一緒に歩いてくれる“弟”なのだ。
《……確かに、条件だけなら満たしてるわね》
ナナの声音は、肯定してくれている様でも、納得の色からは程遠い。
《普通は“連れてくる”どころか、“見つける”前に死ぬ相手よ。でもね……》
「でも……、なに?」
あれを“友達にする”のがどれだけ異常な事か、今なら分かる。
だからこそ——きっと、認めて貰えるだろう。
《でも、それをあたしは、中々怪しく思ってもるのよね……》
「どうして? ……というか、どういう意味?」
《いや、まぁ……。これは単なる勘みたいなものだし、“制度”の方を詳しく知らないから、何とも言えないんだけど……》
「ダメな事もあるの? アロガでも? もっと強いとか、怖い魔獣じゃなくちゃダメ?」
《その基準が問題なんじゃなくて……。まぁ、単なる杞憂かもしれないし、とにかく早く連れて行きましょ》
「うんっ!」
胸の奥が、少しだけ高鳴る。
――誰も利用しない程度には、難易度の高い試練。
それ故に、S級への最短の道だ。
それが、もうすぐ手に入る。
《気が早いわねぇ》
ナナが呆れ半分に笑う。
《でもまぁ、やってみて損はないし、やるだけの価値はあるわ》
「うん、だよね」
駆ける足が、更に更にと前に出る。
もっとずっと時間が掛かると思っていた。
S級というランクは、口にするほど簡単にはなれない。
それは良く分かっていたし、実際一年以内に昇級できれば御の字、とも思っていた。
それが……それなのに、今や手の届く位置にある。
走る速度が上がる度、胸の鼓動も、それに合わせて高まっていく。
(アロガ……!)
門を抜け、街の外へ出ると、草原の風が頬を撫でた。
まだ少し遠いけど、ここからでもあの場所が見える。
さっき、アロガに隠れてもらった茂みへと、私は一直線に向かう。
到着するなり、草をかき分けて進むと、伏せの状態でこちらを窺う姿が見えた。
そして――。
「アロガ!」
声をかけた、その瞬間――。
低く、唸るような気配と共に、巨大な影が、のっそりと起き上がった。
金色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめる。
「ウォフ……」
いつもなら、すぐに飛び付いては舐め回し、顔中がべろべろになるのに、今日だけは違った。
どこか拗ねたような声を出すだけで、近寄ろうともしない。
私は思わず笑ってしまった。
「ただいま」
そう言って、一歩近づく。
「ねぇ、アロガ。お願いがあるんだよ」
アロガは首を傾げるようにして、こちらを見ている。
その瞳を真っ直ぐに見つめて、私は喜びを抑え切れずに言った。
「一緒に、街に行こうよっ!」
その言葉を口にした瞬間。
空気が、ぴたりと止まった気がした。
「グルゥ……」
アロガが低く喉を鳴らす。
金色の瞳が、わずかに細められた。
――警戒している。
本当に行けるのか、と不信を露わにしていて、まるで値踏みでもしているかの様だ。
それも当然かもしれない。
これまで何度となく、街へ行く時、アロガは留守番だった。
それが何故、今日に限って……と思ってしまうのは止められないだろう。
しかも、そこは森じゃないし、狩場でもない。
“ヒトの領域”だ。
私は足を止めたまま、ゆっくりと両手を上げる。
抱き付いて来るのを待つ、いつもの仕草だ。
「大丈夫。今回はね、特別なの。でも、危ないことはしちゃ駄目よ」
静かに、優しく、言葉を選びながら続ける。
「もしかしたらね、これからずっと一緒に居られるかも知れないの。ここだけじゃなくてね、他の街でも!」
アロガは動かない。
ただ、じっとこちらを見ている。
試すように。
……あるいは、見極めるように。
《……まあ、そうなるわよね》
ナナが小さく呟く。
《普段なら、リルにベッタリなアロガだもの。一もなく二もなく飛び付いて、一緒に来るんでしょうけど……。でも、疑っちゃうくらいには、これまで留守番させ過ぎたわね》
(うん……、やっぱそうかぁ……)
――だからこそ。
私は、もう一歩だけ近づいた。
草を踏む音が、小さく鳴る。
それでも、アロガは動かない。
「ねぇ、アロガ。私、あそこに用事があるんだ」
振り返って、遠くに見える街の方を指す。
「一人でも行けるけど……一緒に来てくれたら、嬉しい」
返事はない。
風が、草を揺らす音だけが流れる。
しばらくして――。
アロガは、ゆっくりと顔を逸らした。
「……あれ?」
ふい、とそっぽを向き、尻尾が、ぱたんと地面を打った。
《……拗ねてるわね》
(えっ、なんで!?)
私は思わず慌てる。
「ちょ、ちょっと待って、怒ってる?」
「ウォフ……」
その声は、どこか不安げで、そして不満そうでもあった。
《多分だけど、そんな事言っても、どうせまた置いていかれる、って思ってるわよ》
「う……」
思い当たる節が、ありすぎた。
さっきについてもそうだ。
街に入る前、アロガには「ここで待ってて」と言った。
一緒に森を旅立ち、どこまでも共にあろう、という気持ちでいたのに、結局は私の都合で離れ離れになってしまうのだ。
またいつ帰って来るかも分からないのに、茂みに放置され、ただ待ち続けるのは辛かったと思う。
(そりゃ怒るよね……)
しかも、私が街に行く時は、決まって何か楽しい事をしていた。
それはアロガも知っていて、だから更に不満を募らせていたんだと思う。
私は謝りながら、ゆっくりとアロガの横に回り込む。
大きな体躯なのに、今はどこか子どもみたいに見えた。
「ごめんって」
そう言って、そっと手を伸ばす。
銀灰色の毛並みに触れる直前――、ぴくり、と耳が動いた。
拒まれはしない。
私はそのまま、優しく撫でた。
「ちゃんと戻ってきたでしょ?」
「……グルゥ」
少しだけ、力の抜けた声で返事はあった。
でも、まだ顔を向けてはくれない。
「今度は一緒に行こう?」
撫でながら、ゆっくりと言う。
「絶対、置いてかないから」
その一言で、アロガの耳が、ぴたりと止まった。
そして、ゆっくりと、こちらを見る。
金色の瞳の奥にあった警戒が、ほんの少しだけ緩んだように見える。
やがて、大きな体が、のそりと動いた。
「……来てくれる?」
「ウォフ」
今度は、低く力強い声で、はっきりとした返事があった。
「ありがとう、アロガ」
私は笑ってその首に抱き着くと、ひとしきり撫で回してから身体を離した。
そうして、そのまま隣に並んで歩き出す。
草原を抜け、街の門へ向かう。
だが、巨大な剣虎狼の堂々とした姿は、あまりにも目立った。
門番がこちらに気付いた瞬間――。
「――止まれ!!」
怒号が響いた。
槍が構えられ、空気が一変する。
《はい来た、当然の反応》
ナナが楽しそうに言うのと、アロガの喉が低く鳴るのは、ほぼ同時だった。
そして、目の前では臨戦態勢が敷かれようとしていて、兵が門扉の後ろから次々と出て来る。
私はアロガと門番の前に、割り込む様にして前へ出た。
「待って!! 攻撃しないで! この子、私の……家族です!」
門番たちが、凍りつく。
「……は?」
「魔獣だぞ、それ……!」
「分かってます!」
私は強く言い切ったその背後で、アロガが静かに息を吐く。
アロガのとっては、既に彼らは攻撃の範囲内に入っている。
けれど、私が制している限り動かない。
私の後ろで、じっと機会を窺っていた。
それが、門番にも伝わったのか、とりあえず話を聞く態度は見せてくれた。
「お願いです。この子は危害を加えません。私が責任を持ちます」
私は一歩も引かず、まっすぐに言ったが、返答は沈黙だった。
緊張が張り詰め、空気が重くなる。
やがて――。
「……ギルドに連絡を入れる」
門番の一人が、低く言った。
「勝手には通す訳にはいかん」
「はい、それでいいです」
むしろ好都合だった。
モンティには伝えてあるし、これで“連れてきた”って証明できる。
胸の奥で確信が強くなり、試練の突破は、もうすぐそこに思えた。
私はちらりと後ろを見る。
アロガは警戒を解かないまま、その場に静かに座っていた。
巨大な体躯を地面に預け、ただ向こうの対応を待っている。
――私を信じて、待っていてくれているのだ。
「……大丈夫だよ。すぐ終わるから」
「ウォフ」
その言葉に応えて、短く、穏やかな声が返った。