「その魔獣……」
エルフは足を止め、アロガを一瞥した。
値踏みするような冷たい視線で、何だかとっても嫌な感じがする。
「試練の対象として、認めるべきではない」
ざわり、と周囲の見物人が揺れた。
「……どういうことだ」
ラーシュが低く問うと、エルフはゆっくりと口角を上げた。
「単純な話だ。あまりに速すぎる。時間が掛かっていない」
「は?」
思わず声が漏れた。
エルフは私を見ることすらせず、淡々と続ける。
「
そう言って、指先で軽くアロガの方を示す。
「試練に挑むと私が耳にしたのは、ついさっきだ。そして、この短時間で“連れてきた”? 笑わせるな」
空気が、ぴり、と張り詰める。
「つまり――」
そこでようやく、エルフの視線が私に向いた。
冷たい、氷のような目だと思った。
「予め調教された個体を、用意していたのだろう」
「なっ……!」
誰より早く声を荒らげたのは、モンティだった。
「ふざけんな! そんなこと――」
「違うと? では可能だと思うのか、この短時間で捕獲と調伏を」
しかし、どこまでも冷徹な声で、反論は遮られた。
二の句を継げないモンティは、それで言葉に詰まってしまった。
その反応に満足したエルフは、わずかに肩をすくめる。
「森まで往復するだけならば、可能かもしれんな? ……だが逆を言うと、それだけの時間しか経っていないのだぞ。ならば、この場での評価は保留が妥当だ」
「待ってください」
私は一歩前に出て、必死の弁明を試みた。
確かに私が取った行動は拙かったと思う。
言われてみれば当然で、せめて二日か三日、待つべきだった。
でも、逸る気持ちが、その判断を誤らせた。
「この子は森で出会って、一緒に――」
「感情論は不要だ」
しかし、即座に切り捨てられる。
「我々が見るのは、“結果”と“過程の妥当性”だ」
淡々とした声は、私の意見など、まるで価値がないと断じるかの様だった。
《あたしも迂闊だったわ……》
ナナが悔しげに呟く。
《こんなのが居るなんて知らなかったけど、でもエルフはもう、西大陸に浸出しているんだもの。ギルドにも当然の様にいたし、そして色んな事に口を出したんでしょ。――何故って、自分たちが一番偉いと思ってるから》
奥歯を、ぎゅっと噛みしめる。
それは以前、ナナからも聞いていたことだ。
エルフが西大陸から来てなかったのは、お母さんたった一人を恐れていたからだ。
でも、もう居ないと安心したから、かつての勢いを取り戻そうとしている。
《冒険者ギルドは、そもそもエルフが作ったものだから、その頭を抑えるのも簡単だったでしょうね》
そう言って、ナナは舌打ちする。
《失敗したわね。エルフの見える所で、あんな話、させるんじゃなかった。予想以上に、エルフは存在感を表に出したいみたいね》
これまで溜めていた鬱憤もあるのかしら、とナナの思考は違う方向に向き始める。
だけど、いま大事なのは、アロガを認めさせる事――そして、S級への道を閉ざされない事だった。
「じゃあ、どうすれば証明になるんですか」
出来るだけ、冷静に問う。
すると、エルフは少しだけ考える素振りを見せてから、薄く笑った。
「そうだな……。この場で、その魔獣を殴らせろ」
「……え?」
「その上で、我々に牙を剥けぬことを、明確に示せ」
周囲からざわめきが広がり、それ以上の動揺が辺りを揺らした。
「無理だろ……!」
「挑発するだけでも危険なのに……」
「反撃させるなって? 不可能だ、そんな事……!」
「魔獣が攻撃されて、反撃しないなんて、あるもんか!」
周囲の声は、当然としか言えなかった。
危険を感じてか、周囲の人垣が遠退く。
魔獣は普通、攻撃的なものだし、只の獣であってさえ、殴られて
しかも今この場は、複数の武装した人間によって囲まれている。
アロガの緊張は、とても高いはずだった。
少しでも刺激すれば――。
普通の魔獣なら即座に暴れ出し、そうでなければ逃げ出す。
――と、エルフはそう考えている。
「……分かりました」
しかし、ここで引くわけにはいかない。
《ちょっと、本当にいいの?》
(うん、仕方ないよ。嫌だけど……、本当に嫌だけど……アロガを殴らせるなんて)
《まぁ、代替案を出したところで乗ってこないでしょう。何より、提案すること自体に機嫌を悪くしそうよね》
だったら、尚更だ。
あの覚め切った目を見れば、自分の考えを曲げそうにない事は、直ぐに分かる。
私はアロガの首筋や耳の周りを、撫でつけながら見つめた。
「アロガ」
金色の瞳が、こちらを見据える。
「これから、怖いことあるかもしれないけど……何もしないでね。じっとしてて」
沈黙が下り、風の音だけが耳に残る。
そして――。
「……ウォフ」
低く、穏やかな声で返答があり、その場に座り直すと、完全に動きを止めた。
耳と尾に、力は入っているものの、完全な非戦闘姿勢を取ってくれた。
ざわっ、と周囲の気配が揺れた。
「おい……、今の……」
「本当に殴らせてやるつもりか……?」
しかし、エルフは白けた雰囲気で、わずかに目を細めただけだった。
「なるほど。どうやったら、ここまで従順になるのやら。……では、問題ないな?」
「いつでもどうぞ」
私が言うと、エルフは顔を横に向けて言い放った。
「ラーシュ、やれ。武器を抜いても構わんぞ」
「お、俺ですかい!?」
ラーシュは自分を指差しながら目を剥いた。
私もてっきり、あのエルフがやると思ってたけれど、視線に気付いて露骨に溜め息をついた。
「私が直接、“それ”に触れるなど有り得んことだ。獣の臭いを移されては適わんからな」
「へぇへぇ……、さいですか」
《どうやらラーシュにしても、完全に恭順してる訳ではないみたいね。まぁ、気に食わなくても従わないといけないのかしら。ギルド長として、色々あるんでしょう》
それは何となく分かる。
大人は好き勝手に、何でも自由に、とはいかないらしい。
「じゃあ、リルちゃん……。すまねぇけど……」
「はい、どうぞ。アロガは大丈夫」
私はアロガの傍から離れず、その首に手を添える。
ラーシュは武器こそ構えたが、鞘に収めたまま、抜き身にはしなかった。
それを上段に振りかぶり、頂点でピタリと止める。
もう一度、私にやるぞ、という視線を向けてきたので、頷いて返す。
そうしてから、次の瞬間——。
細い呼気と共に剣が振り下ろされた。
攻撃はアロガの眉間辺りに命中し、ゴッ、と鈍い音を立てる。
周囲で固唾を呑んで見守っていた人達から、声にならない悲鳴が上がった。
しかし、アロガは全く意を介さない。
どうやら随分、手加減してくれたみたいで、あの程度では攻撃とすら思ってないかもしれなかった。
でも、それがエルフには気に食わなかったらしい。
「……誰が一発で良いと言った。もっと殴れ」
「いや、しかし……」
「安全性を保障するのは、お前の仕事だろう。街に入れた後、酔った冒険者が殴り付けたら? もしも、子どもが尾を踏んだら? 被害が出た後、“一発”殴っても平気だったから、と釈明するのか?」
ラーシュは苦虫を噛み潰した様な顔をして、それから頷いた。
《まぁ、これに関しては正論、って気がするわよね。難癖付けて、単に失敗させたいだけかもしれないけど》
「アロガ、大丈夫……大丈夫よ。もうちょっと我慢してね」
「ウォフ……」
エルフが再度「やれ」と指示して、ラーシュが殴る。
今度は一発ではなく、何度となく打たれた。
眉間だけではなく、鼻先や顎、首に肩と、色々な所を打ち付けていく。
しかし、アロガに動じたところはなく、途中から欠伸までする始末だった。
《手を抜き過ぎ……と思ってたけど、もしかして結構、本気だったのかしら》
(……というより、途中から本気になったんだと思う。それでもやっぱり、アロガには全然、通じてないけど)
私と打ち合う時と比べて弱すぎ、遅すぎるから、尚のこと警戒する必要も感じてないんだと思う。
最後の一撃を放った後、ラーシュは肩で息をする程だったから、彼なりに本気だったのは間違いない。
それは見物している者達も同じように感じたみたいで、最初にあった緊張は既に消えていた。
「なぁ……、もう十分じゃないか」
「おお……。あれだけされても、暴れようともしないしな」
「証拠やら保障なら、もうしっかり見せて貰ったろ……」
周囲の雰囲気も、明らかに醒めたものになっている。
ラーシュにしても、剣を腰の留め金に付け直していて、これ以上やる気はない、と暗に示していた。
「アロガ、よく我慢したね」
「グルゥ……」
あの程度……、と呆れた雰囲気さえ発し、私が良い子良い子して撫でると、甘えた声を出した。
顔を擦り付け、そして舐めてくる。
程々の所で止めさせて、私はエルフに向き直った。
そこではやはりというか、白け切った表情で溜め息をつく姿がある。
どうやら……。
まだまだ、納得には程遠い様子で、許可を得るのは難しいみたいだった。