「まぁ……、駄目だな」
エルフの一言で、ぴたり、と空気が凍った。
周囲の見物人――特に数が増えてきた冒険者たちから、剣呑な雰囲気か発せられる。
「何が駄目だ?」
「認めたって良いだろう。……いや、そりゃあ、あれが街の中を闊歩するかと思うと、ゾッとせんがよ……」
エルフはそれらの言葉が聞こえていないかの様な素振りで、ゆっくりと言葉を続けた。
「そもそもだ」
視線が、私を上から下まで舐めるように動く。
「S級というものは、“格”を示す称号だ」
《ああ~……、嫌な予感がする》
ナナの苦々しい声を聞いて、私も嫌な予感が嫌でも増した。
そして――。
「そこに、獣臭い連中を加えるわけにはいかん」
あまりにも侮辱的な言葉が、静かに……しかしはっきりと落ちた。
空気が、完全に止まる。
「……は?」
モンティが固まり、ミーナちゃんも言葉を失っている。
私も似たようなもので、何を言われたのか一瞬、理解出来なかった。
しかし、時間が経つにつれ、ゆるゆると怒りが湧いてきて――。
頭の奥で、何かが音を立てて切れかける。
けれど、エルフは止まらない。
感情を感じさせない、冷たい声のまま続けた。
「品が落ちる。格が落ちる。そのような者をS級として認めれば、ギルド全体の価値すら疑われる」
エルフの視線が、真っ直ぐに突き刺さる。
「分かるだろう?」
――分かるはずがない。
胸の奥が、ぐつぐつと煮える。
《冷静になりなさい。ここで暴れても意味はないわ。……いえ、むしろ悪い》
ナナの声が、静かに響く。
落ち着かせたくて、わざとゆっくり、諭すような口調だった。
ゆっくりと息を吐き、長く吸う。
何度か呼吸を繰り返すと、気持ちが少しは落ち着いてきた。
《……そう、それでいいの。暴れるだけ損よ。このエルフを殴っても、ギルドを追放されるだけ》
そう言って唐突に、不意に落ちた様な声を出した。
《……あぁ、もしかして、それも狙い? わざと挑発して、殴り掛からせたかったのかも。そうすれば、S級への挑戦も無かった事に出来る訳だし》
(本当に? 何で……、そこまで?)
《さぁ……? でも多分、あの“試練”のせいでしょ。突破できるなんて想定してなかった……でも、法に則る限り、受け入れなければならない。だから難癖付けて来るんでしょうし、どんな手を使おうと、蹴落とそうとしてる》
――何て卑劣なヤツ!
絶対にお母さんが嫌いなタイプだ。
またも胸の奥が、カッとした。
でも、ここで手を出したり、文句を言ったりしたら、きっと相手の思う壺だ。
私は深呼吸を繰り返して、気分を落ち着かせてから一歩、前に踏み出した。
地面を踏む感触が、やけに硬く感じる。
視線が一斉に集まるのが分かった。
私が何を言うのか。
何をするのか。
――皆が息を潜めて見つめてる。
けれど私は、拳を握ったりしなかった。
怒りはある。
胸の奥で、煮え滾るものがある。
でも、それを爆発させた瞬間が、きっと私の負けなんだ。
――お母さんなら、きっと何か、上手くあしらったりするんだろうけど……。
でも私に、そんな器量や技能はなかった。
だから、私なりに足掻くだけだ。
「……私には分からない」
その一言で、周囲が少しざわついた。
エルフの眉が、わずかに動く。
「ほう?」
まるで、子どもを試すような声で、自分の優位を疑っていない顔だった。
「あなたの言う“格”が、何を指してるのか……私には分からない」
あくまでも平静に。
それを心掛けて……けれど、言葉に芯を込める。
《そう、良いわよ。それで良いの》
「血筋? 見た目? 匂い? そういうものが格なんですか?」
エルフが薄く笑う。
「そうだな、血筋……その通りだ。世の秩序というものは、そうして保たれている」
――秩序。
その秩序の為に、エルフは何をした。
森の奥深くで隠れて暮らすお母さんを、執拗に探り出して排除した。
そうやって、要らないものをどんどん排除していけば、秩序ある世界になるのだろうか。
私はもう一度息を吸って、熱くなりそうな頭を冷やしてから、質問をぶつけた。
「じゃあ……、S級って何ですか? 強さを示す称号じゃないんですか?」
エルフは肩をすくめた。
「強さだけで語るのは、野蛮人の発想だな。“獣”との混ざり物なればこそ、実力至上主義になるのも分かるが……」
その言葉で、また空気が冷える。
この街で――この国で、獣人への侮辱が何を生むか、分からない筈がないのに。
そして、尊厳への侮辱は怒って良いのだと、お母さんは教えてくれた。
でも――。
私は唇を噛んで、拳を握る。
握った拳がふるふると震えた。
耐えるしかない。
お母さんの教えは正しいと思うけど、でも——殴ったら終わりだ。
《そう……いい子ね、リル。アイツの挑発は露骨よ。露骨すぎるわ。あなたを怒らせたいの。だから、冷静でいるのが、一番の勝利の鍵よ》
ナナの声が優しく心を撫でる。
だから私も、冷静でいられた。
《殴るのなら、そのまま、言葉で殴り返しなさい》
(言葉で……)
私は目を閉じ、ほんの一時だけ考える。
そうして五秒、目を開けて声を張った。
「私は魔獣を従えてる。重要なのはその一点で……あらかじめ従えた事の何が問題? 時間を掛けてもどうせ無理だったから、これまで誰一人として、達成していなかったんじゃないの?」
「む……」
「卑怯だよ。ズルだよ。論点ずらしだよ。難癖つけたいだけなんだ」
「……獣人の分際で、よく吠える。いや、獣であればこそ、そこまで吠えるのか」
その言葉に、周囲の冒険者たちの怒りが遂に爆発した。
「おい! 俺らにまで喧嘩売ってんのか!」
「言い過ぎだ!」
「撤回しろ!」
見物人の数は、時間が経つ毎に増えていた。
その中には多くの獣人達がいて、だから怒号の数も馬鹿にならないものになっている。
でもエルフは、それらを平然と受け流しながら言った。
「この娘が本当に
言葉が、刃のように鋭い。
「試練とは、通常の昇級を経ずにS級へと至る制度。疑わしきを残して、突破させるものではない」
その理屈は、もっともらしく聞こえる。
――だからこそ、厄介だ。
《まったく嫌になるわね》
ナナが吐き捨てるようにして言う。
《これって単に、正論の形をした偏見じゃないのよ》
エルフは口元を歪めて続ける。
「それに、もし仮に認めるとして……。やはり、魔獣を目にした民衆は、大いに混乱するだろう。我先にと逃げ出す者もいるかもしれない。死者が出る可能性もある」
周囲の者たちが、これには頷ける部分があるのか言葉を失う。
互いに顔を見合わせて、どう言い返すか考えている風でもあった。
確かに、危険はある。
けれど――。
「……でも結局、それは試練の条件に問題ががある、という話でしかない。従えたら従えたで、起こり得る問題全てを解決しないと認めないの? そんな馬鹿な話ないよ」
突っぱねる様に言うと、賛同する声があちこちから上がって来た。
そして、その中でも一際大きな声が上がる。
モンティだ。
「そうだ、そうだ! そんなこと言うなら、魔獣を従えるって、お題そのものがおかしくなる! 意味のない試練だ!」
「達成者の事を周知させたり、従えた魔獣に分かり易い印を付けたり……。そういう事をすれば、随分変わると思うし、そういうのも、ギルドの仕事だと思います!」
ミーナちゃんも声を上げてくれて、胸が熱くなる。
何より、具体的な方法を言ってくれたのもありがたかった。
「だったら、こうしたら……」
「それなら、むしろ……」
「つまり、こう……」
あっという間に
先程の熱気がそのまま移ったせいか、喧嘩腰になっている人もいる。
でも、エルフの傲慢さに一泡吹かせよう、という意見は一致していて、だから議論は意外なほどアッサリ終わった。