混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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アロガの傷、リルの決意 その2

 アロガの咆哮は、ただの威嚇ではなかった。

 

 まるで、この場にいる全員へ向けた宣言で――そして何より、私の胸の奥へ突き刺さる誓いの声だった。

 

 その一鳴きで、ざわめきが静まる。

 誰もが本能的に悟ったのかもしれない。

 この獣は明確な理性と、戦う意思を持っている……と。

 

 エルフは肩越しに、一度だけ振り返った。

 金色の髪が揺れ、細い目がこちらを射抜く。

 

 そこに浮かぶのは軽蔑でも嘲笑でもなく、もっと純粋な感情だった。

 

 恐れとそれを悟られまいとする、虚勢。

 そして――、殺意に近い憎悪。

 

 でもエルフは結局、何も言わず、ただ去っていった。

 その背中が人混みに消えるまで、私は目を逸らせずにいたけど……しばらくして、誰かがようやく息を吐いた。

 

「……行ったな」

 

 そう呟いたのは、灰髪の女冒険者だった。

 門番隊長が険しい顔で頷く。

 

「面倒な奴だ。エルフとは、皆あぁなのか? だがともかく、言っていること自体は、きっと……制度としては正しいんだろう」

 

 その言葉に、モンティが舌打ちした。

 

「だから余計に腹立つんだよ。正論の顔して差別を混ぜるからな」

 

 私は、拳を握りしめたまま俯いた。

 胸の奥はまだ熱い。でも、その熱の中に、確かな冷たさが混じっている。

 

 ――椅子は六つしかない。

 ――奪わなければならない。

 

 私は、誰かを倒さなければならないんだ。

 その現実が、今になって重くのしかかってきた。

 

《考え込む必要はないわ》

 

 ナナの声が、静かに頭の中で響いた。

 

《あなたは奪うのではなく、“正当に勝ち取る”のよ》

 

(でも、相手はS級……)

 

《だからこそ、挑む価値がある。……でしょ?》

 

 ナナはむしろ喜々としている。

 いつもと変わらぬ気楽さで、私の背中を押すように言う。

 

《あなたは魔女の娘。逃げない》

 

 私は、アロガの首筋に手を置いた。

 温かな、生命の強さを感じた。

 

 この子もまた、私と同じように戦場を歩くのだ。

 私が選んで、そしてアロガも、私を選んだ。

 

 この気持ちをどう言ったら良いだろう。

 迷っていると、獣人の男が大股で近づいてきた。

 傷跡のある腕を組み、眉を顰めたまま言う。

 

「おい、嬢ちゃん」

 

「……はい」

 

「今の話を聞いても、引く気はねぇんだな?」

 

 私は当然頷き、毅然として応えた。

 

「——引きません」

 

 自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。

 獣人の男は一瞬だけ目を細め、次に歯を見せて笑った。

 

「なら、まず一つ覚えとけ」

 

 彼は指を立てた。

 

「S級ってのは、強いだけじゃなれねぇ」

 

「……強いだけじゃ」

 

「そうだ。あいつらには“特権”がある」

 

 その言葉に、周囲の冒険者たちも黙って頷く。

 モンティが苦い顔で言った。

 

「さっきも言ったろ? S級には“役割”みたいのがあるんだよ」

 

「治安維持なんかは、とりわけ有名だな」

 

 門番隊長が低い声で言った。

 

「そうしたものに責任を持つって事でもあるし、出来ない奴に後継はさせられないだろう?」

 

 隊長は次に私を見た。

 

「お嬢さん、冒険者になったばかりだろう? そうした事に責任なんて持てるのかね」

 

 私は喉が鳴るのを感じた。

 普通なら、恐怖を感じたりするんだろうけど、逃げたいとは思わない。

 

 それが自分でも不思議だった。

 灰髪の女冒険者が、静かに口を開く。

 

「大事なのは、どのS級を狙うかだ」

 

「狙う……?」

 

「六席の中にも、それぞれの色がある。純粋な武闘派もいて、“特権”もそっち向き。魔術方面で研究して、研究こそ特権っていうのもいた。人脈こそが大事だとかも聞くが……いや、これは噂話の類いだな」

 

 その言葉に、周囲の冒険者たちがざわめいた。

 

「……つまり、権力でS級にいるの?」

 

「噂だろ、噂。元貴族のもいるし、そういう事にされてるんだろ。実際、S級ともなれば、政治も絡んでくる」

 

 そう、と頷いて、灰髪の女は淡々と続ける。

 

「だから、挑む相手を間違えれば、戦う前に潰される」

 

 私は背筋が冷えた。

 ただ強い相手と戦えばいいんじゃないんだ。

 

 例えば……もしかして。戦う前に罠を張られたりすることもあるんだろうか。

 そんな事を考えていると、そうよ、とナナが言った。

 

《情報を潰されたり、依頼を回されなくなったり……。そうしたら、お金が尽きるわよね。仲間が離れることだってあるかも。そういう形で、妨害って言うのはね、あるものみたいなのよ》

 

 ナナはこれ見よがしに溜め息をつき、やれやれ、と首を振った。

 

《S級の六席は、名誉以上に誇りとなるものよ。それを守る為なら、何でもする者もいる。だからこそ、あなたは慎重にならなきゃね》

 

(……どうすれば?)

 

《まずは、情報を集めましょ。何をするにしろ、誰を相手にするにしろ》

 

 その時だった。

 ギルド職員の一人がオンブレッタさんに駆け寄り、何かを耳打ちする。

 

 するとすぐに、慌てた様子で近寄ってきた。

 

「リルちゃん! 少し……!」

 

 ひどく慌てた様子に、何だか嫌な予感がする。

 

「どうしたんですか?」

 

「今、ギルドの上層から通達がありました。S級特例試練の件……正式に承認されるようです」

 

 私は目を見開いた。

 

「え……っと、つまり、エルフの妨害はもう終わり? 喜んでいいの?」

 

「まさか……!」

 

 オンブレッタさんは、苦々しい顔で両手を左右に振った。

 

「エルフには素早く情報を伝達する手段があるんだけど、それで次なる一手を講じたんでしょう。いえ、違う。多分……最初から、殆ど決まっていたんだと思うの」

 

「最初、って……どこから?」

 

「難癖つけようとする前から、かしら。やり込めて、取り下げる言質を得られたら最善。失敗しても……既に次の策が用意してあった、とそういう事だと思うの」

 

「そうかぁ? アイツはそんな事、考えてるようには見えんかったけど……。絶対認めないってオーラ、プンプンさせてたろ」

 

 モンティが呟く様に言った台詞に、オンブレッタさんは当然、と言わんばかりに頷く。

 

「それはそうでしょう。プライドの塊みたいな種族ですから、やり込めたい、と本気で思っていたでしょうし……。でも、それはそれとして、しっかり失敗した時を想定もしていた、と……」

 

「その場合、どうなるの? さっき正式に認めた、とか何とか言ってたけど……」

 

「えぇ、今回の試練突破を“仮承認”として扱い、三日後に首輪の刻印が完成次第、公衆の場で従属確認と登録を行う、と」

 

「首輪……? 首輪が作られるって、知ってたの?」

 

「いいえ、正式な文言としては、“証明する為の物”とあったから。何かしら用意する所までは予想されていた、のでしょうね」

 

 モンティが面白くなさそうに息を吐き、それから何かに気付いて眉を上げた。

 

「……っていうか、公衆の場でやるって?」

 

「えぇ、ギルド前の広場で。街の代表者も呼ぶそうです」

 

 灰髪の女冒険者が小さく息を吐く。

 

「……見世物にする気か」

 

「違います」

 

 オンブレッタさんは苦い顔で首を振った。

 

「これは……“封じ手”です。こうなったら、多少強引にでも、エルフの都合が良い様に、正式な手続きを踏むつもり……なのだと予想します。誰にも異論を言わせないために」

 

 門番隊長が頷く。

 

「なるほど。街を巻き込んで、嬢ちゃんに不利な証明やら約定やらを、確定させようってわけだ」

 

 獣人の男が唸った。

 

「だが、そんなに上手く行くのか? ……実際、もうその狙いとやらは、見抜いてしまっているわけだろう?」

 

 私は胸がざわつくのを感じ、嫌な想像が頭をよぎった。

 

 公開された場で。

 大勢の前で。

 

 もし、誰かが――アロガを刺激したら?

 もし、首輪が壊れたら?

 もし、アロガに暴れさせる魔術を使われたら?

 

 その一瞬だけで、全部がひっくり返る。

 

《来るわね》

 

 ナナの声が低くなって、嫌悪の声が響いた。

 

《彼らは必ず、恥を掻かされた分を取り返しに来る》

 

(……アロガに何かする?)

 

《すると思うし、最悪……殺しに来る可能性すらある》

 

 私は息を呑んで、思わず全身に力を込めた。

 でも、不思議と怖さは薄かった。

 

 代わりに、腹の底に沈むような怒りがある。

 

 ――また奪うのか。

 ――私から、また大切なものを。

 

 私はアロガの頭を抱き寄せて、その毛並みに頬を寄せる。

 

「アロガ……」

 

 アロガは小さく鼻を鳴らし、私の髪を舐めた。

 温かく、そして優しい。

 

 いつもの……よく知る感触に、ようやく身体から力が抜けた。

 私は顔を上げると、周囲のヒトたちを見回して言った。

 

「三日後、絶対に成功させます。誰にも文句を言わせない形で!」

 

 獣人の男が、歯を見せて笑った。

 

「そうとも。そうじゃないとな」

 

 モンティもまた、それに頷いた。

 

「よし。なら、俺たちも準備するぞ」

 

「準備……?」

 

 ミーナちゃんが首を傾げた。

 

「護衛だ。公開の場は危険があって、妨害が来るかもしれないんだろ?」

 

 門番隊長も頷いた。

 

「門番隊も警戒を強める。ギルド本部前なら、詰所からすぐだ」

 

 そこへ職員がオンブレッタさんとラーシュを交互に見ながら、慌てて付け加える。

 

「ギルドからも警備員を出します……出せます、よね? 可能なら、全冒険者に協力要請を……」

 

 私は、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。

 皆が動いてくれている。

 

 でもそれは、私だけのためじゃない。

 獣人全体の誇りのため――そして、エルフの歪んだ差別を叩き潰すためだった。

 

 私は大きく首を動かして頷いた。

 

「お願いします」

 

 その時、ふいに――。

 広場の端で、子どもが泣き声を上げた。

 

「うわぁぁぁん!」

 

 びくり、と身体が震える。

 反射的にアロガの耳が立った。

 

 筋肉が硬直し、金色の瞳が鋭くなる。

 私は息が止まるかと思った。

 

 ――だめ!

 ここで反応したら……、この程度で落ち着きをなくしたら、必ずそれを餌にされる。

 

 動揺を誘う一手……あるいは、刺激する一手として。

 でも、予想に反してアロガは動かず、私を見るなり、ゆっくりと身体と尻尾を伏せる。

 

 私はホッと胸を撫で下ろした。

 それを見ていた灰髪の女冒険者が、静かに呟く。

 

「ただの獣でさえ、命令もなしに本能を抑えるのは無理だ。それを視線だけで、とは……」

 

 私はアロガの首筋を撫でた。

 そして心の中で、誓う。

 

 三日後、絶対にエルフの思い通りにさせない。

 アロガの安全性を証明して……そして、その先へ行く。

 

 六つしかない椅子の、一つを手に入れる。

 お母さんの剣を取り戻すために。

 

 私自身が、私の足で立つために。

 アロガが静かに吠えた。

 

「グルゥ……!」

 

 それは、私だけに聞こえる誓いだった。

 

 ――行こう、一緒に。

 そう言っている気がした。

 

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