混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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アロガの傷、リルの決意 その4

 走る勢いに任せて、私はひたすら前に進んだ。

 いつの間にやら門番隊を追い越してしまい、後ろから制止の声が届いて、それで気付いた。

 

「先行し過ぎだ! 護衛の冒険者を置き去りにしてどうする!?」

 

 それでも足は止められない。

 気ばかりが焦る。

 

 背後では門番隊の鎧ががしゃがしゃと鳴り、その横から冒険者たちの怒号が重なっていた。

 

 その彼らも制止の声を上げていたけれど、無理と分かれば、すぐに別の声が重なる。

 

 ――鍛冶屋を守れ。

 ――卑怯な真似を許すな。

 

 道の先を進めば、アロガに面食らって逃げる者も現れる。

 その背後では門番隊が追っているので、事態を勘違いしている者までいた。

 

 それらを無視して、私は走る。

 少しでも速く着けば、それだけ早く火を抑えられる。消火が進む。

 

 道の先を見ていれば、煙が濃くなっていくのが分かった。

 

 黒い煙と、焦げた匂い。

 それが風に乗って鼻を刺した瞬間、胸の奥が冷たくなった。

 

 冗談でも比喩でもない、本物の火が屋根の間から僅かに顔を出している。

 アロガが前へと出て走り、低い唸りを漏らした。

 

「グルルル……!」

 

 毛が逆立ち、鼻先がぴくぴくと動く。

 嗅ぎ取っている匂いは、煙だけじゃない。

 

 私もまた、スンスンと鼻を動かした。

 焦げた木の匂いの奥に――血と汗の匂いが混ざっている。

 

(誰か……怪我してるの?)

 

 そう思った瞬間、心臓が跳ねた。

 更に駆けて角を曲がった先では、ようやく鍛冶屋の通りが見えた。

 

 そしてそこでは、地獄みたいな光景が広がっていた。

 バルミーロ親方の鍛冶屋の屋根から、炎が噴き上がっている。

 

 火の粉が舞い、熱風が吹き付けた。

 周囲の店の人間たちが桶を持って走り回り、泣き叫ぶ声が飛び交う。

 

「水だ! 水を回せ!」

 

「隣に燃え移るぞ!」

 

「子どもをどこか遠くへ!」

 

 怒号と悲鳴が響き渡り、そこへ木材の爆ぜる音が挟まる。

 炎の赤と煙の黒が、街の空を汚していた。

 

 門番隊長が追い付くなり、前へ出て叫ぶ。

 

「門番隊! 左右に展開! 消火班と警戒班に分けろ!」

 

「了解!」

 

 隊員たちが一斉に散り、桶を運ぶ者と、剣を抜いて周囲を警戒する者に分かれる。

 

 まるで本物の戦場みたいだった。

 私は何をするべきか迷い、その場に立ち尽くしてしまう。

 

 炎の熱が頬を刺す。

 汗が噴き出し、喉が渇く。

 

 それでも目が離せなかった。

 バルミーロ親方の鍛冶屋が燃えている——。

 

 お母さんに連れられて入った、思い出の場所……。

 抱き上げて貰いながら、武具が立ち並ぶ物珍しさに、はしゃいで……。

 

 ――お母さんにとっても、大事な場所だったはずだ。

 それが燃えている。

 

「グルダーニィ……!!」

 

 バルミーロ親方が叫びながら駆け出す。

 だが、門番隊の一人が腕を伸ばして止めた。

 

「危険です! 屋根が落ちます!」

 

「うるせぇ! 儂の弟子が……弟子はどうなった!? 中にある炉は!? 爆ぜたら隣まで吹っ飛ぶぞ!」

 

 親方は歯を剥き、必死に暴れようとする。

 その姿は職人の誇りと、弟子への労りに満ちていた。

 

 命を賭しても惜しくないものが、あの炎の中にあるのだ。

 私は拳を握りしめた。

 

 きっとそれは師弟愛であったり、家族愛であったりするんだ。

 ――お母さんと同じように。

 

 その為ならば、炎の中にさえ投げ出せるに違いない。

 私が一歩、踏み出そうとしたその時、灰髪の女冒険者が私の肩を掴んだ。

 

「惑うな。探せ」

 

「……探す?」

 

「放火犯だ。火は陽動の可能性が高い」

 

 私は息を呑んだ。

 

 陽動――。

 つまり、狙いは別に……?

 

 それは何だろう、と思ったその瞬間、アロガが唐突に唸り声を強めた。

 

「ガルルル……!」

 

 牙が覗き、耳が鋭く立つ。

 そして次の瞬間――アロガは私の前に回り込み、私を庇うように立った。

 

 身体が低く沈む。

 獣の戦闘態勢だ。

 

「……え?」

 

 私が反射的に周囲を見ると、煙の向こう――人影が一つ、屋根の上にいた。

 

 黒い外套を身に付け、顔は布で覆われている。

 人間か、獣人か、それすら分からない。

 ただ、その手に握られているものは、ハッキリと見えた。

 

 ――弓だ。

 それも取り回しや持ち運びし易い短弓で、既に弦は引かれていて――狙いは、私。

 

 まっすぐ、私の胸を狙っていた。

 

「――ッ!!」

 

 声にならない悲鳴が漏れる。

 それと同時に矢が放たれた。

 

 風を切る音と共に、一直線に飛んでくる。

 ――だが。

 

 それより前に、アロガが跳んだ。

 轟音のような踏み込みと共に身体を捻り、矢を剣のような牙で弾いた。

 

 鉄の矢尻が砕け、火花が散る。

 アロガは着地と同時に低く唸り、屋根の上の影を睨んだ。

 

「なっ……!」

 

 それで周囲の冒険者たちも気付く。

 

「弓だ!」

 

「襲撃者がいる!」

 

「リルを狙ってるぞ!」

 

 門番隊長が即座に怒鳴った。

 

「警戒班! 弓兵を押さえろ!」

 

「了解!」

 

 門番隊の数人が盾を構え、矢の射線を切るように前へ出る。

 でも、屋根の影に動揺は見えなかった。

 

 次の矢を番え、今度の狙いを――アロガに変える。

 てっきり二の矢も私を狙うと思って、対応が一瞬、遅れた。

 

(やめて……!)

 

 矢が放たれる。

 狙いは首筋、致命の一撃――。

 

《任せて!》

 

 血の気が冷えている間に、ナナが風の道を作り、矢を逸らした。

 軌道が変わったのを理解してか、アロガは避けず、矢が毛皮を掠める。

 

 血が一筋だけ飛んだ。

 その間に我を取り戻した私は、咄嗟に弓を取り出し、矢を番えた。

 

 斜角が悪く、上手く相手を狙えない。

 屋根の上の相手を狙うには、いかにも地の利が悪かった。

 

(ナナ、お願い!)

 

 私は曲射で影を狙う。

 普通なら、命中する筈のない矢だけど――。

 

「うそ……!」

 

 誰かが驚愕の声を漏らす。

 襲撃者が一瞬だけ怯み、背を向けて逃げようとした所へ、矢が襲った。

 

 まるで襲撃者の動きを読んで命中させたかの様だが、勿論これは、全面的にナナのお陰だ。

 

 命中した矢が襲撃者の外套を裂いて、肩に命中する。

 

「ギャアッ!!」

 

 悲鳴が炎の中に響き、弓が手から落ちた。

 その頃には門番隊も屋根へと上り終わっていて、走り込んで取り押さえる。

 

「捕らえろ!」

 

「縄だ、縄よこせ!」

 

「動くなよ、容赦せんぞ!」

 

 襲撃者はまだ抵抗しようとしたが、門番隊の数には勝てず、押さえつけられ腕を捻られた。

 

 もう片方の手で握っていた矢が地面に落ちる。

 その矢尻が、ぬらりと黒く光った。

 

 オンブレッタさんが何かに気付いた様子で駆け寄り、息を呑む。

 

「……これ。毒だわ……!」

 

 灰髪の女冒険者は、目を細くさせて見て、ひどく冷静に言った。

 

「火事の陽動……いや、リルが来るとは限らなかった筈だから、あわよくば、一挙両得を狙った形か。鍛冶屋が焼けるだけでも、それで十分意味はある」

 

 獣人の男が怒りで歯を鳴らす。

 

「あの耳長野郎……!」

 

 私にも怒りはある。

 それでも今は、アロガの方が心配だった。

 

 駆け寄って手傷を確かめると、肩の傷から血が滲んでいた。

 

「アロガ! 大丈夫!?」

 

 アロガは私を見て、鼻を鳴らした。

 

「ウォフ」

 

 平気だ、と言いたげで、実際傷自体は大したことなさそうだった。

 でも、傷は浅かろうと、問題は毒の方だ。

 

《まずいわね》

 

 ナナが深刻そうに呟いた。

 

《アロガは魔獣だから、毒にもそれなりに強い。でも、エルフが用意した毒なら、“それなり”で耐えられる毒じゃないと思うわ》

 

 私は震える手で、傷口に触れようとし――慌てて引っ込めた。

 

 触れたら、毒が移るかもしれない。

 オンブレッタさんが叫ぶ。

 

「治癒術を使える人を! すぐに!」

 

「ここにいるぞ!」

 

 誰かが叫び、白衣の冒険者が駆け寄って来た。

 その人はアロガの傷を見た瞬間、顔色を変える。

 

「……この毒、かなり強い。手に余るかもしれない」

 

 聞きたくない言葉に、私は息が止まりそうになった。

 

「助かりますか!?」

 

 即答しない……してくれない。

 それが一番怖かった。

 

 白衣の冒険者は、短く祈りの言葉を唱えすと、傷口に手をかざす。

 白い光が傷を癒し、血は止まったのに、その顔は未だ険しいままだった。

 

「応急処置は出来た。しかし毒は……、自然のものじゃないな。調合毒だから、解毒薬なしには無理だ。せめてレシピがあれば、もう少し何とか出来るんだが……」

 

「そんな……」

 

「症状を遅らせる事は出来る。でも、可能な限り速く、解毒薬を手に入れないと……」

 

 この先は言わなくても分かる。

 そして、毒の持ち主など分かったようなものなのに、手に入れるのは絶望的だった。

 

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