どうしようかと、暗澹たる気持ちになっている時、鍛冶屋の屋根が大きく崩れ落ちた。
火の粉が舞い、爆ぜる音が響く。
それを見たバルミーロ親方は、吐き捨てる様にして叫んだ。
「クソッ……!」
親方の目には涙が滲んでいたけど、それでも、炎を睨みつける。
燃えているのは店じゃない。
親方の人生そのものだ。
私もまた、燃え盛る鍛冶屋を見て、胸の奥が締め付けられた。
でも――今は、泣いている暇なんてない。
その時、門番隊長が叫んだ。
「犯人は拘束した! 残りは消火に回せ!」
「はいっ!」
忙しく駆け回る門番隊をよそに、灰髪の女冒険者は、捕らえられた襲撃者の顎を掴むと、無理やり顔布を剥ぐ。
そうして露わになったのは、私も知る顔で——それは間違いなく、ケレイだった。
「クソっ! 離せ! 離しやがれ!」
なんで……。
どうして、こんな事を……。
女冒険者が舌打ちする。
「バカな真似しやがって……! 自分が何をやったか、本当に分かってるのか?」
「うるせぇッ! 知ったことか!」
ケレイは暴れて拘束から逃げ出そうとする。
でも、屈強な男たち複数人で取り押さえているので、身動ぎくらいしか出来ていなかった。
「同じ冒険者同士、衝突する事くらいある。喧嘩ぐらいは笑い話だ。しかし、明確な殺意をもって刃を振り下ろすのはご法度だ。……しかも、毒だと?」
あり得ない、と吐き捨てて、ケレイの横っ面を張る。
甲高い音と共に、その顔が跳ねて落ちた。
でもまたすぐに、顎を掴んで無理やり顔を合わせる。
「何でこんなことをした? 極刑もあり得るぞ」
「知るかよ! オレはあいつが気に食わないんだ!」
「あいつ……? リルか?」
「これまで何もかも上手くいってたんだ! もっともっと上に行く! なのに、あいつに恥を掻かされた!」
「それだけの理由でか……。逆恨みも甚だしい」
まったくおなじ気持ちだった。
周囲の冒険者たちからも、侮蔑の視線が飛ぶ。
「負けのない人生などない。多くのA級も、多くの失敗を経験してる。それを知らぬはずがないだろう」
「うるせぇッ! 恥を掻かされた! 同じ奴に二度も!」
「ああ、そうか……」
その声はどこまでも素っ気ない。
結局の所、その程度の理由で襲った、という感想しか浮かばなかったのは、誰もが同じだった。
「コイツ、どうする……?」
問われて一瞬、答えに詰まる。
——許せない。
間違いなく許せないけど、今はそれより重要な事がある。
解毒薬があるなら、それが欲しい。
「ねぇ……」
「うるせぇッ! 知るか! 知るか! あぁ……! あぁあ、あ、あ……!」
「おい、様子がおかしいぞ……」
「いよいよ、錯乱したのか?」
「——いや、違う!」
女冒険者は、ケレイの顔を二度、張った。
それでもケレイの調子は変わらず、うわ言のように同じ言葉を繰り返している。
「……薬か、もしくは魔術か。リルへの敵愾心を利用されたか。攻撃しろ、と言う命令を、この上なく正確に実行したことだろう」
同じようにして、それを見ていたオンブレッタさんが青ざめ、隣に立っていたラーシュは舌打ちした。
「これじゃあ、尋問出来ないかもしれないな……」
門番隊長が唸りながら、ケレイを見やる。
「状況的に、犯人はエルフだと思うが……」
「しかし、証拠がない。洗脳や意識操作は高度な術ではあるものの、エルフでなければ使えない、という訳でもないからなぁ……。Bランク相当の魔術士ならば、大抵は出来ちまう」
獣人の男が、怒りで拳を震わせる。
「卑怯な奴らめ……! ケレイは問題のある奴だったが、やるにしても喧嘩の範疇に収まっただろう。それを殺意まで膨れ上げさせたのは、間違いなく外からの干渉だ。これだから、エルフというヤツは好かんのだ!」
怒りと興奮で憤るのは、誰もが同様だった。
そんな中、私はアロガの顔を両手で包んだ。
熱い息がかかり、金色の瞳が私を見つめ返す。
少しだけ、辛そうだ。
でも、まだ立っていて、私を守ろうとする意思は強かった。
「……アロガ」
私は唇を噛んで、呟いた。
「ごめんね……私のせいで……」
アロガは小さく鼻を鳴らし、私の頬を舐めた。
「ウォフ」
責めるな、と言っているみたいだった。
私はその優しさと、その温もりに申し訳なくなる。
だけと、同時に理解した。
――これは、ただの嫌がらせじゃない。
エルフは、私を潰すためなら火を放つ。
人を使い捨てる。毒を盛る。
この街の安全すら、犠牲にする。
目尻に浮かび掛けていた涙は、すぐに引っ込んだ。
その代わり、胸の奥に残ったのは、燃えるような怒りだった。
「……三日後まで待つつもりなんて、最初からないんだね」
誰に向けた言葉でもなく、私は呟く。
ただ、自分の中で確かめるように。
灰髪の女冒険者が私を見て、何か言いたげな顔を向けたが、結局なにも言わなかった。
《もう……これ、S級の試練とか関係ないわよ》
ナナが言って、私も内心で頷く。
(うん……、私とアロガを潰すための、戦いになってる)
《だったら、リルはもっと強くならないといけないわ。力や技術の話じゃないわよ。心の方。どっしり構えて、隙を与えないの》
私はアロガの首筋を撫で、炎の向こうを見据えた。
煙の中で、火が燃えている。
でも私の胸の中にも、同じ火が灯っていた。
――こんな卑怯な手には負けない。
絶対に、S級になる。
そして必ず、この卑劣な真似をする連中を、正面から叩き潰す。
アロガが、もう一度だけ低く唸った。
「グルル……!」
それは、怒りの声だった。
私の怒りと、同じ色をした声だった。
※※※
アロガの唸り声が、火の粉の舞う空気を震わせる。
その声に呼応するように、私の中の怒りが更に燃え広がった。
――許さない。
火を放ち、毒を盛り、罪のない人間を操って使い捨てる。
――それが“格”を語る者の、やることなのか。
私の拳は、いつの間にか爪が食い込むほど握り締められていた。
「……親方」
私は炎に向かって立つバルミーロ親方に声をかけた。
親方は振り返らず、唸るように答える。
「何だ、嬢ちゃん……」
「お弟子さんは……?」
名前が咄嗟に思い付かなかったので、そんな問い掛けになってしまったが、親方はそれを聞いて肩をわずかに揺らした。
「それは……」
何かを答えようとして言葉に詰まった、その時だった。
横合いから、息の切れた声で呼び掛ける者がいる。
「親方……っ!」
「おめぇ……、グルダーニ!? 無事だったのか!」
顔の辺りを乱暴に拭って、バルミーロ親方は近づいて行く。
感動の再会……の筈なのに、グルダーニはどこまでも自然体で、むしろ飄々とさえしていた。
「いやぁ……、命張って店を守るってのも考えたんですけど、ちょっと荷が重そうだったんで……。とりあえず、仕事道具だけは持ち出しました」
ほら、と差し出した木箱の中には、確かにハンマーなどを始め、一式全て揃っていそうに見えた。
「確かに一式だが……、最低限の物しかねぇじゃねぇか。どうせなら、ちゃんと全部持ってこい!」
「無茶言わないで下さいよ! そんな事したら、両手じゃとても抱え切れませんって! それに……」
そう言って、慌てた素振りから一転し、険しい顔付きになる。
「火の回りが早すぎました。油か何かを撒いたんだと思うけど……とにかく、あっという間の事で……!」
その言葉に、周囲の冒険者たちが歯噛みする。
「油……!」
「しゃらくせぇ真似しやがってよ……!」
門番隊長の行動は素早く、周囲に声を張り上げる。
「消火班! 油を断て! 土を持ってこい! 桶の水は火元じゃなく、延焼を止める方へ回せ!」
「了解!!」
門番隊が走り、土嚢や砂袋が運ばれていく。
冒険者たちも桶を奪うようにして手伝い始めた。
魔術を使えるヒトは使い、他にも自分の得意分野を駆使して手助けしていく。
街のヒトも、ただ見ているだけではなく水を運んでいて、誰もが必死だった。
――だけど。
私は、アロガの方を、どうしても心配してしまう。
肩の傷を見れば、既に血は止まっていた。
けれど、毛の奥の皮膚が、赤黒く変色し始めているのが分かる。
――毒が回り始めているんだ。
それを見た瞬間、頭が冷えて、怒りよりも先に恐怖で背筋が冷えた。