混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

359 / 361
アロガの傷、リルの決意 その6

「……アロガ」

 

 私は目一杯腕を回し、そっと首筋を抱く。

 アロガは震えていたりしてなかったけど、でも呼吸が少しだけ荒かった。

 

 いつもの落ち着きが、ほんの少しだけ失われている。

 それが怖かった。

 

《時間がないわ》

 

 ナナが静かに口を開いた。

 

《この毒、魔獣の自然治癒に任せるには怖い。分の悪い賭けになるし、だったら……》

 

(解毒薬……)

 

《そう、解毒薬が必要》

 

(でも、エルフが持ってる毒なんて……)

 

《レシピがあるなら作れる。毒を調合した者がいるなら、必ず材料と器具もあるでしょう》

 

 ナナの言葉で、私の中に一つの答えが浮かんだ。

 

 ――捕まえられたケレイ。

 

 あの男が、もし調合に関わっているなら。

 もし、どこかで調合された毒なら。

 

 そこには必ず、痕跡がある。

 私が顔を上げると、ケレイは衛兵に両腕を掴まれて、引き摺られようとしている所だった。

 

「隊長! ケレイをどこに連れて行くんですか!?」

 

 門番隊長が振り返り、眉をひそめる。

 

「詰所だ! 拘束して尋問する!」

 

「詰所じゃ遅い! アロガに毒が回ってる! 解毒薬を作らないと!」

 

「……作れるのか!?」

 

 隊長の顔色が変わる。

 灰髪の女冒険者が、鋭い目でケレイを見た。

 

「だが、毒の調合元を知っているかどうか……。使い捨てにするつもりだったろうから、毒そのものは渡されても、他には何も知るまい」

 

 それに同調を唱える獣人の男が、怒鳴る様にして言った。

 

「それもそうだな! コイツに調合なんて繊細な作業が出来るとも思えん!」

 

「それはその通りだが、まだ分からない。エルフは傲慢が服を着て歩いている様な輩だ。そこに付け入る隙があるかもしれない」

 

 女冒険者の声は、どこまでも冷静だった。

 

「エルフは自らの犯行を誤魔化す為、敢えて程度の低い魔術を使った。実際、敵愾心を煽れる相手を選んだ事で、簡単に命令を利かせられただろう。しかし、完全支配じゃないからこそ、何かを見て覚えているかもしれない」

 

 その言葉に、周囲が一瞬静まる。

 私も息を呑んで周囲を見渡した時、女冒険者は声を張った。

 

「ペイル! また頼む!」

 

「えぇ、呼ばれると思ってました」

 

 そう言って前に出て来たのは、先程アロガを診てくれた、白衣の冒険者だった。

 灰髪の女冒険者が、私をチラリと見てから、ペイルへと目を移す。

 

「アンタ、治癒の専門だったよね? 精神系の治癒も出来るタイプかい?」

 

「えぇ、お任せを。……とはいえ、支配から解放されても、意識は薄弱してますし、本来なら三日ほど安静させてから、尋問した方が良いんですがね……。まともな受け答えは期待できません」

 

「だが今は、その時間が無い」

 

 女冒険者は小さく首を振ると、ケレイの顎を掴んで、無理やり顔を上げさせた。

 

 でも、その目は虚ろで、焦点が合っていないし、唇は乾き、泡が滲んでいる。

 

《精神を鈍らせ、無理に命令だけを刻み込まれた結果ね。目的の達成か、あるいは失敗した時点で、抜け殻みたいになってしまうのよ》

 

(ひどい……)

 

《自害を命じてなかっただけマシかも。……まぁ、このケレイはある意味で被害者だから、そう悪く言うのも可哀想ね。さっき聞いた通り、今後突っかかれる事はあっても、殺し合いまでは行かなかったでしょうから》

 

(うん……)

 

 ナナと心の中で話している間にも、ペイルは手早く治癒を続けていた。

 白い光を纏う掌を数秒ほど押し当て、ケレイの額から手を離す。

 

 未だ目は虚ろなものの、先程よりはマシになった様に見える。

 女冒険者はケレイの頬を、先程よりずっと軽く、ビタビタと叩いた。

 

「おい、聞こえるか」

 

 でも、ケレイから反応はない。

 

 だから次に、もう少し強めに叩く。

 すると、眉間に皺が寄り、ケレイの視線が女冒険者に移った。

 

 ケレイの唇が、何かを呟く様に動いたのが見える。

 私は一歩近付いて、耳を澄ませた。

 

「……なに……?」

 

「おい、毒は誰に受け取った? 何処かで落ち合ったのか?」

 

「……戻れ……」

 

 擦れた声は小さかった。

 だけど、確かに聞こえた。

 

 灰髪の女冒険者が目を細める。

 

「戻れ? どこへだ」

 

 襲撃者は苦しそうに喉を鳴らし、呻いた。

 

「……街の……端……」

 

「端?」

 

「……水車……小屋……近くの、宿」

 

 確かに、街の外れの川沿いには、古い水車小屋があった。

 そして、その辺りはスラムとまでは言わないまでも、寂れた印象がある。

 

 あまり稼げない冒険者などは、そうした場所にある安宿を利用するらしい。

 

「宿の名前は?」

 

「川の畔、亭……。二号……室」

 

《良いわね》

 

 ナナの声が低くなる。

 

《そこが何であれ、行ってみるしかないでしょう。多分、毒の受け渡しに使われた場所なのは間違いない》

 

 灰髪の女冒険者がケレイの両肩を掴み、顔を覗き込む。

 

「解毒薬はあるのか」

 

 ケレイは喉を震わせ、笑うように息を吐いた。

 

「……しら、ねぇ……」

 

 その言葉は予想できていた事だ。

 焦りはある。もし、解毒薬がある、と聞けていたら、どんなに良かったろう。

 

 でも、まだ——。

 アロガがまだ助かる可能性は、十分残されている。

 

 私は震える声で言った。

 

「……案内できる?」

 

 ケレイの瞳が、ほんの僅かだけ揺れた。

 そして、力なく首を振る――振ろうとして、かくりと落ちた。

 

 灰髪の女冒険者が舌打ちした。

 

「気絶したか」

 

「無理もないですよ。精神支配の負担が、まだ抜けてないんですから。ここまで応答出来たことさえ……いえ、これは彼なりの意地なのでしょうかね」

 

 ペイルは難しい顔でそう言うと、女冒険者から襲撃者の身体を受け取ると、改めて治癒し始めた。

 

 それを横目にしつつ、女冒険者は腕を組んで息を吐く。

 

「後の問題は、罠があるかどうか、だが……」

 

 私は唇を噛んだ。

 ここに来て、まだ障害があるのか、と苛立たしい気持ちになる。

 

 でも、どうであっても、行かなければアロガが死んでしまう。

 選択肢など、あって無いようなものだった。

 

《行くしかないわ》

 

 ナナが言った。

 

《罠だと分かっていても、踏まなきゃならない罠がある》

 

 私はアロガの首を抱き、耳元で囁いた。

 

「……アロガ。少しだけ、頑張って」

 

 アロガは鼻を鳴らし、私の髪を舐めた。

 

「ウォフ……」

 

 その声は少し弱くなっていて、それが私の胸を刺した。

 私は振り返って、門番隊長を見やる。

 

「行きます。水車小屋近くの宿屋へ」

 

 隊長は眉を吊り上げる。

 

「お嬢さん、それは危険すぎる! 第一、解毒薬なんてものが、本当にあるかどうかさえ……」

 

「でも、行かないと! アロガの為にも行かなきゃ!」

 

 叫ぶ声に、喉が震えた。

 その時、考えに没頭していた女冒険者がふと顔を上げた。

 

「……いや、罠はないか」

 

「どうしてだ? いかにも、やりそうじゃねぇか」

 

 獣人の男が、丸太のごとく太い腕を組み、挑むように顔を突き付けた。

 

「事態は突発的だった筈だ。エルフがギルドに出入りし、名簿を見たり、実際に尋問めいたやり方で聞き取りなんかしていたのは、何かの際に、利用するつもりだったからだろう。――それで都合良く、都合の良いところに、ちょうど使えそうな奴を見掛けた……」

 

 それがつまり、今回利用されたケレイ、と言う訳だ。

 

「計算づくでやったにしては、粗が多い。殆ど衝動的だったにしては、よくもここまで……とも思うけど、その更に先にまで、罠を張る余裕はないだろう」

 

「それもそうだな……。嬢ちゃんか魔獣、どちらかを仕留めろってのも、火事現場に来たかどうか……。空振りに終わる方が高かった筈だ」

 

 獣人の男が、腕組みしたまま頷く。

 

「その空振りすら失敗した場合に備えて……なんて、この短時間で出来るか? いいや、ムリだと思うね」

 

 灰髪の女冒険者は、我が意を得たり、と頷いた。

 

「咄嗟の事で、ここまで出来ただけでも、大したもんだとは思う。だからこそ、罠はないと踏んだ」

 

 そこまで黙って聞いていたオンブレッタさんが、焦ったように言う。

 

「では、今から……?」

 

 私はアロガを見ながら、強く頷く。

 

「火消しの手伝いが出来ないのは、本当に申し訳ないと思うんですけど……。でも、アロガが死ぬ方が嫌です」

 

 その言葉に、オンブレッタさんが一瞬黙り込み――それから頷いた。

 

「……そうね、分かったわ。こちらの方は大丈夫。既にギルドには応援を頼んできいるから、人手は足りるでしょう」

 

 バルミーロ親方もこれに頷き、グルダーニを小突きながら言った。

 

「まあ、コイツも無事だったんだ。店の方は、助けの手は足りてる。勿論、そっちを優先してくれ」

 

「ごめんなさい、私に協力したばっかりに……」

 

「そいつは言いっこなしだ。大体、嬢ちゃんのせいでもねぇしな。俄然、やる気が出るってもんだ。職人に売った喧嘩は、成果で以て返す!」

 

 これ以上、迷惑はかけられない。

 そう思うのに、バルミーロ親方の強い眼差しが、それを遮った。

 

「いいから、行きな。後のことは、こっちで考える。相棒の命が懸かってるんだろうが」

 

 私は深く一礼して踵を返す。

 そうして、アロガの瞳を正面から見つめて言った。

 

「アロガ……、いくよ」

 

「グルゥ……!」

 

 本当なら休ませてやりたい。

 身体を動かすと毒の巡りを早めるし、安静にしておくに越したことはなかった。

 

 でも、目を離しておく方がよっぽど怖く……それにそもそも、アロガの方に離れるつもりがなさそうだ。

 

 いくよ、と声を掛けた時の嬉しそうな声が、それを証明していた。

 

 まずは水車小屋へと向かおう。

 背後で燃え盛る鍛冶屋を置き去りにし、私たちは走り出した。

 

 煙の匂いが遠ざかり、代わりに湿った土と川の匂いが強くなる。

 

 その先に待っているのは、救いか。

 それとも――更に深い地獄か。

 

 私は隣で併走するアロガの毛皮を撫でながら、歯を食いしばった。

 

(絶対に……負けない! 諦めたりなんかしない!)

 

 アロガが小さく唸った。

 

「グルル……」

 

 その声は弱くても、まだ怒りを失っていない。

 ――いつまでも、共に。

 

 そう誓うかの様で、私はその思いを力に変えて、とにかく走った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。