「……アロガ」
私は目一杯腕を回し、そっと首筋を抱く。
アロガは震えていたりしてなかったけど、でも呼吸が少しだけ荒かった。
いつもの落ち着きが、ほんの少しだけ失われている。
それが怖かった。
《時間がないわ》
ナナが静かに口を開いた。
《この毒、魔獣の自然治癒に任せるには怖い。分の悪い賭けになるし、だったら……》
(解毒薬……)
《そう、解毒薬が必要》
(でも、エルフが持ってる毒なんて……)
《レシピがあるなら作れる。毒を調合した者がいるなら、必ず材料と器具もあるでしょう》
ナナの言葉で、私の中に一つの答えが浮かんだ。
――捕まえられたケレイ。
あの男が、もし調合に関わっているなら。
もし、どこかで調合された毒なら。
そこには必ず、痕跡がある。
私が顔を上げると、ケレイは衛兵に両腕を掴まれて、引き摺られようとしている所だった。
「隊長! ケレイをどこに連れて行くんですか!?」
門番隊長が振り返り、眉をひそめる。
「詰所だ! 拘束して尋問する!」
「詰所じゃ遅い! アロガに毒が回ってる! 解毒薬を作らないと!」
「……作れるのか!?」
隊長の顔色が変わる。
灰髪の女冒険者が、鋭い目でケレイを見た。
「だが、毒の調合元を知っているかどうか……。使い捨てにするつもりだったろうから、毒そのものは渡されても、他には何も知るまい」
それに同調を唱える獣人の男が、怒鳴る様にして言った。
「それもそうだな! コイツに調合なんて繊細な作業が出来るとも思えん!」
「それはその通りだが、まだ分からない。エルフは傲慢が服を着て歩いている様な輩だ。そこに付け入る隙があるかもしれない」
女冒険者の声は、どこまでも冷静だった。
「エルフは自らの犯行を誤魔化す為、敢えて程度の低い魔術を使った。実際、敵愾心を煽れる相手を選んだ事で、簡単に命令を利かせられただろう。しかし、完全支配じゃないからこそ、何かを見て覚えているかもしれない」
その言葉に、周囲が一瞬静まる。
私も息を呑んで周囲を見渡した時、女冒険者は声を張った。
「ペイル! また頼む!」
「えぇ、呼ばれると思ってました」
そう言って前に出て来たのは、先程アロガを診てくれた、白衣の冒険者だった。
灰髪の女冒険者が、私をチラリと見てから、ペイルへと目を移す。
「アンタ、治癒の専門だったよね? 精神系の治癒も出来るタイプかい?」
「えぇ、お任せを。……とはいえ、支配から解放されても、意識は薄弱してますし、本来なら三日ほど安静させてから、尋問した方が良いんですがね……。まともな受け答えは期待できません」
「だが今は、その時間が無い」
女冒険者は小さく首を振ると、ケレイの顎を掴んで、無理やり顔を上げさせた。
でも、その目は虚ろで、焦点が合っていないし、唇は乾き、泡が滲んでいる。
《精神を鈍らせ、無理に命令だけを刻み込まれた結果ね。目的の達成か、あるいは失敗した時点で、抜け殻みたいになってしまうのよ》
(ひどい……)
《自害を命じてなかっただけマシかも。……まぁ、このケレイはある意味で被害者だから、そう悪く言うのも可哀想ね。さっき聞いた通り、今後突っかかれる事はあっても、殺し合いまでは行かなかったでしょうから》
(うん……)
ナナと心の中で話している間にも、ペイルは手早く治癒を続けていた。
白い光を纏う掌を数秒ほど押し当て、ケレイの額から手を離す。
未だ目は虚ろなものの、先程よりはマシになった様に見える。
女冒険者はケレイの頬を、先程よりずっと軽く、ビタビタと叩いた。
「おい、聞こえるか」
でも、ケレイから反応はない。
だから次に、もう少し強めに叩く。
すると、眉間に皺が寄り、ケレイの視線が女冒険者に移った。
ケレイの唇が、何かを呟く様に動いたのが見える。
私は一歩近付いて、耳を澄ませた。
「……なに……?」
「おい、毒は誰に受け取った? 何処かで落ち合ったのか?」
「……戻れ……」
擦れた声は小さかった。
だけど、確かに聞こえた。
灰髪の女冒険者が目を細める。
「戻れ? どこへだ」
襲撃者は苦しそうに喉を鳴らし、呻いた。
「……街の……端……」
「端?」
「……水車……小屋……近くの、宿」
確かに、街の外れの川沿いには、古い水車小屋があった。
そして、その辺りはスラムとまでは言わないまでも、寂れた印象がある。
あまり稼げない冒険者などは、そうした場所にある安宿を利用するらしい。
「宿の名前は?」
「川の畔、亭……。二号……室」
《良いわね》
ナナの声が低くなる。
《そこが何であれ、行ってみるしかないでしょう。多分、毒の受け渡しに使われた場所なのは間違いない》
灰髪の女冒険者がケレイの両肩を掴み、顔を覗き込む。
「解毒薬はあるのか」
ケレイは喉を震わせ、笑うように息を吐いた。
「……しら、ねぇ……」
その言葉は予想できていた事だ。
焦りはある。もし、解毒薬がある、と聞けていたら、どんなに良かったろう。
でも、まだ——。
アロガがまだ助かる可能性は、十分残されている。
私は震える声で言った。
「……案内できる?」
ケレイの瞳が、ほんの僅かだけ揺れた。
そして、力なく首を振る――振ろうとして、かくりと落ちた。
灰髪の女冒険者が舌打ちした。
「気絶したか」
「無理もないですよ。精神支配の負担が、まだ抜けてないんですから。ここまで応答出来たことさえ……いえ、これは彼なりの意地なのでしょうかね」
ペイルは難しい顔でそう言うと、女冒険者から襲撃者の身体を受け取ると、改めて治癒し始めた。
それを横目にしつつ、女冒険者は腕を組んで息を吐く。
「後の問題は、罠があるかどうか、だが……」
私は唇を噛んだ。
ここに来て、まだ障害があるのか、と苛立たしい気持ちになる。
でも、どうであっても、行かなければアロガが死んでしまう。
選択肢など、あって無いようなものだった。
《行くしかないわ》
ナナが言った。
《罠だと分かっていても、踏まなきゃならない罠がある》
私はアロガの首を抱き、耳元で囁いた。
「……アロガ。少しだけ、頑張って」
アロガは鼻を鳴らし、私の髪を舐めた。
「ウォフ……」
その声は少し弱くなっていて、それが私の胸を刺した。
私は振り返って、門番隊長を見やる。
「行きます。水車小屋近くの宿屋へ」
隊長は眉を吊り上げる。
「お嬢さん、それは危険すぎる! 第一、解毒薬なんてものが、本当にあるかどうかさえ……」
「でも、行かないと! アロガの為にも行かなきゃ!」
叫ぶ声に、喉が震えた。
その時、考えに没頭していた女冒険者がふと顔を上げた。
「……いや、罠はないか」
「どうしてだ? いかにも、やりそうじゃねぇか」
獣人の男が、丸太のごとく太い腕を組み、挑むように顔を突き付けた。
「事態は突発的だった筈だ。エルフがギルドに出入りし、名簿を見たり、実際に尋問めいたやり方で聞き取りなんかしていたのは、何かの際に、利用するつもりだったからだろう。――それで都合良く、都合の良いところに、ちょうど使えそうな奴を見掛けた……」
それがつまり、今回利用されたケレイ、と言う訳だ。
「計算づくでやったにしては、粗が多い。殆ど衝動的だったにしては、よくもここまで……とも思うけど、その更に先にまで、罠を張る余裕はないだろう」
「それもそうだな……。嬢ちゃんか魔獣、どちらかを仕留めろってのも、火事現場に来たかどうか……。空振りに終わる方が高かった筈だ」
獣人の男が、腕組みしたまま頷く。
「その空振りすら失敗した場合に備えて……なんて、この短時間で出来るか? いいや、ムリだと思うね」
灰髪の女冒険者は、我が意を得たり、と頷いた。
「咄嗟の事で、ここまで出来ただけでも、大したもんだとは思う。だからこそ、罠はないと踏んだ」
そこまで黙って聞いていたオンブレッタさんが、焦ったように言う。
「では、今から……?」
私はアロガを見ながら、強く頷く。
「火消しの手伝いが出来ないのは、本当に申し訳ないと思うんですけど……。でも、アロガが死ぬ方が嫌です」
その言葉に、オンブレッタさんが一瞬黙り込み――それから頷いた。
「……そうね、分かったわ。こちらの方は大丈夫。既にギルドには応援を頼んできいるから、人手は足りるでしょう」
バルミーロ親方もこれに頷き、グルダーニを小突きながら言った。
「まあ、コイツも無事だったんだ。店の方は、助けの手は足りてる。勿論、そっちを優先してくれ」
「ごめんなさい、私に協力したばっかりに……」
「そいつは言いっこなしだ。大体、嬢ちゃんのせいでもねぇしな。俄然、やる気が出るってもんだ。職人に売った喧嘩は、成果で以て返す!」
これ以上、迷惑はかけられない。
そう思うのに、バルミーロ親方の強い眼差しが、それを遮った。
「いいから、行きな。後のことは、こっちで考える。相棒の命が懸かってるんだろうが」
私は深く一礼して踵を返す。
そうして、アロガの瞳を正面から見つめて言った。
「アロガ……、いくよ」
「グルゥ……!」
本当なら休ませてやりたい。
身体を動かすと毒の巡りを早めるし、安静にしておくに越したことはなかった。
でも、目を離しておく方がよっぽど怖く……それにそもそも、アロガの方に離れるつもりがなさそうだ。
いくよ、と声を掛けた時の嬉しそうな声が、それを証明していた。
まずは水車小屋へと向かおう。
背後で燃え盛る鍛冶屋を置き去りにし、私たちは走り出した。
煙の匂いが遠ざかり、代わりに湿った土と川の匂いが強くなる。
その先に待っているのは、救いか。
それとも――更に深い地獄か。
私は隣で併走するアロガの毛皮を撫でながら、歯を食いしばった。
(絶対に……負けない! 諦めたりなんかしない!)
アロガが小さく唸った。
「グルル……」
その声は弱くても、まだ怒りを失っていない。
――いつまでも、共に。
そう誓うかの様で、私はその思いを力に変えて、とにかく走った。