混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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アロガの傷、リルの決意 その8

(これだ……!)

 

 私が瓶を握り締めた、その時――。

 床板が、ギシ、と鳴った。

 

 背後へと、私は反射的に振り向き――息が止まった。

 

 部屋の隅で、布が掛けられていた場所から、ゆっくりと人影が立ち上がろうとしている。

 

 ——もう一人いた!?

 二号室には二人で来ていて、その一方が逃げずに隠れていたのだ。

 

 やはり、その身体には黒い外套をまとい……そして、その手には細い短剣が握られている。

 

 その刃が、ぬらりと不吉な光りを放った。

 ――毒だ。

 

「……っ!」

 

 身体が凍る。

 男は何も言わず、音すら立てず、一瞬の内に飛びかかってきた。

 

 純粋な殺意に当てられて恐怖する。

 私は咄嗟に瓶を抱えたまま後ろへ下がる事しか出来ず、短剣が頬を掠め、血が滲んだ。

 

「リル!!」

 

 モンティが叫ぶと共に、剣を抜く。

 でも、狭い部屋で振り回せば、味方を巻き込む危険があった。

 

 動ける場所が少ない。

 男がもう一度、突きを放つ。

 

 瓶を落とせば、アロガが死ぬ。

 その余裕のなさが、私の身体を固くしていた。

 

《リル! 右!》

 

 ナナが叫び声で咄嗟に身体を捻り、刃を避けた。

 短剣は壁に突き刺さり、木材が割れる。

 

 その隙に、グレイスが男の腕を掴んだ。

 

「捕まえた!」

 

 そのまま腕を捻り上げ、関節を折る勢いで締め上げる。

 

「ぐっ……!」

 

 そこへモンティが背後から男を押さえつけ、喉元に剣を当てた。

 

「動くな」

 

 男は抵抗しようとしたが、数の有利は覆せず、そのまま押さえ込まれた。

 でも――だと言うのに、男の口元が笑みで歪んでいる。

 

「……来るのが少し、遅かったな」

 

 低い声だった。

 その一言が、私の背筋を凍らせる。

 

「ちょっと待て! こいつ、操られてないのか!? 自主的な協力者……? お前、エルフの部下か手下かよ!?」

 

 モンティが怒鳴り付けると、男は薄く笑ったまま、呟くように言った。

 

「解毒薬は……、それでは足りまい」

 

「……え?」

 

 思わず、私の口から震える声が漏れた。

 男は続ける。

 

「……剣虎狼(ウルガー)は巨体だ。あれを救うには、瓶一本では足りない」

 

 私は手の中の瓶を見た。

 確かにこれは、一般的には小瓶の部類だ。

 

 大人一人には十分でも、アロガには少な過ぎる気がする。

 もし、全身に毒が回っているなら――。

 

 もっと量が必要だった。

 男は私の反応を見て、その笑みを深めた。

 

「……だが、お前が飲む分には、十分かもしれないな」

 

 ぞわり、と鳥肌が立つ。

 その考えに吐き気がした。

 

 こいつは、最初からこうするつもりだったんだ。

 逃げようと思えば逃げられたのに――。

 

 もう一人の仲間と一緒に逃げられたのに、敢えて残って、誰かを毒に犯そうとした。

 

「ほんの少しでも傷を与えれば……、我らの勝利みたいなものだ。そして、選ばせる」

 

「この……ッ!」

 

 ――アロガを助けるか。

 ――自分が助かるか。

 

 命を天秤に乗せ、どちらに傾くか楽しんでいる。

 そしてきっと、アロガを見捨てる、と思っているんだろう。

 

 アロガを見捨てれば、当然S級への試練は終わりで、そしてアロガを助ければ……そんなの言うまでもない。

 

 怒りの衝動そのままに殴りつけたくなり、私は拳を強く握り込んだ。

 

「……ふざけるな」

 

 震える声が抑えられない。

 

「アロガは、アロガは……私と一緒に、ずっと一緒にいるんだ!」

 

 男は笑う。

 

「それは無理だ。その内きっと、誰かを喰ってしまうに決まっている。逆に感謝して欲しいものだ。誰かを害する前に、魔獣を仕留めるのだから……」

 

「うるさい!」

 

 アロガの事を、何も知らない癖に……!

 アロガは、絶対そんな事しないなのに……!

 

 怒りで視界が白く染まりそうになったその時、ナナが低い声音で言った。

 

《リル。瓶の中身を、ちよっと精査してみたんだけど……》

 

(……え?)

 

《これ、解毒薬じゃない。“毒の巡りを止める薬”だわ。つまり――単に症状を遅延させるだけの薬》

 

 私はまたも怒りで、我を忘れそうになった。

 解毒薬の振りをして、実は全くそんなものではなかった。

 

 結局、共倒れを狙ったのだ。

 剣の柄に手を当てたその時、ナナから再び声が掛かる。

 

《大丈夫、敢えて遅延させるだけの薬を作れるんだもの。解毒薬もきっとある。それにね、致死毒には必ず、万が一に備えて解毒薬も用意するものよ》

 

(万が一……? 間違って、自分の指を切りつけた時とか?)

 

《かなり間抜けなケースだけど、つまりそういう事ね》

 

 私は男を睨んで、床板を蹴り付ける。

 

「……本当の解毒薬はどこ?」

 

 男の笑みが、一瞬だけ固まった。

 その瞬間、確信する。

 

 ――ある。

 本当に、これとは別の薬が、何処かにあるんだ。

 

 グレイスは男の髪を掴みんだかと思うと、躊躇なく頭を床に叩きつけた。

 

「吐け!」

 

 鈍い音がもう一度響いたけど、男の方は呻き声を上げるだけで、返事はろくにない。

 グレイスは、容赦なくもう一度叩きつけた。

 

「我慢比べなんて、やるだけ無駄だ。苦しみが長引くだけだぞ」

 

 額が割れて、血が床に滲む。

 そこで初めて、男の目に恐怖が滲んだ。

 

 私は震える息を吐き、瓶を握り締める。

 もうこれ以上、時間の猶予はない。

 

 アロガは外で待っていて、今も毒が回っている。

 そのアロガに、もしもの事があったら……。

 

 嫌な想像を追い出したくて、堪らず私は叫んだ。

 

「言え!! アロガが死んだら、お前を絶対に許さない!!」

 

 男は、血混じりの唾を吐き――笑ったまま言った。

 

「……川の……下……」

 

 グレイスが眉をひそめる。

 

「川の下だと?」

 

 男はかすれた声で続けた。

 

「……水車小屋の……地下……」

 

「そんな場所が、あるの?」

 

 本当かどうか疑わしい。

 口から出任せの可能性だってあった。

 

《あるわ》

 

 でも、ナナがそう言って断言した。

 

《古い密造酒の貯蔵庫が、そこにあるって噂。何かを隠すには打ってつけだし、逃げた片割れも、そこに身を隠しているかも……》

 

 グレイスがモンティを見て、一つ頷く。

 

「急げ」

 

「分かった! 水車小屋に向かう!」

 

 私もまた、瓶を握り締めたまま、モンティを追うようにして走り出した。

 

 廊下を抜け、階段を駆け下りる。

 宿の扉を飛び出した瞬間、冷たい水気を含んだ風が肌を刺した。

 

 そして私は、外で待つアロガを見て顔を歪める。

 アロガは伏せた姿勢で、息が荒く、目も半分閉じている状態だった。

 

 それでも、私を見た瞬間だけ、耳がぴくりと動く。

 

「アロガ!!」

 

 すかさず駆け寄り、膝をついて瓶の栓を抜く。

 苦い匂いが立ち上がり、アロガは少しでも遠ざかろうと顔を背けた。

 

「飲んで……お願い、飲んで……!」

 

 アロガの口元へ瓶を押し当てると、アロガは難色を示した。

 どうあっても飲みたくないみたいで、動くのも億劫そうなのに、顔だけは瓶から逃げようとした。

 

「大丈夫だよ、アロガ。ほら、お薬だから」

 

 私も毒を受けている。

 だから少量口に含み、しっかりと飲み込む所を見せてやる。

 

「ほら……ね? お薬!」

 

 何度もする懇願に負けて、弱々しく舌を動かし、液体を飲んだ。

 

 ごく、と喉が鳴る。

 その音が、涙が出るほど嬉しかった。

 

 私はアロガの額に手を当てる。

 

 ――熱い。

 毒が燃えるように身体を蝕んでいる。

 

 モンティはその場で足踏みしながら身も守っていてくれていたが、遂に焦れて身体の向きを変えた。

 

「リル、先に行ってるぞ!」

 

 その頃にはグレイスも出て来ていて、モンティの直ぐ傍に立った。

 

「アイツはとりあえず、拘束して転がしておいた。宿屋の主人には、見張っていろと伝えてある。――それより、急ぐぞ。本命はそこだ」

 

 それは勿論、分かっている。

 でも、苦しむアロガの傍を離れたくなかった。

 

《解毒薬を持ち去ったのは、手元にその毒があるからだわ。万が一の為に、必要だから持ち去った。でも、もし宿屋の方が失敗したと知れたら、破棄するかもしれない。スピードが大事だわ。何より――》

 

 一度言葉を切って、それから意を決したかの様に言う。

 

《あなただって、毒を受けているのよ。小さなかすり傷だったから、まだ動けているけど、それも時間の問題。動かないならそれでも良いから、さっさと二人に任せちゃいなさい》

 

「……ううん、行くよ。大丈夫、動ける」

 

 私は立ち上がり、アロガの首筋を撫でた。

 

「……もう少しだけ。絶対、助けるからね」

 

 アロガは弱々しく鳴いた。

 

「……ウォフ」

 

 それは、信じてる、と言っている声にも聞こえた。

 私は前を向いて、モンティが動くのと同時、弾く様に走りだした。

 

 水車小屋へ向かう途中、相手を見失ったのか、門番隊とすれ違い、グレイスが何事かを言って宿に向かわせる。

 

 それを気にするより、今は水車小屋の地下へ――!

 

 火事は始まりの合図に過ぎず、一の矢で毒を。

 そして、解毒薬を求めた先には二の矢の罠があった。

 

 だったら、この先にだって、何かあっても驚かない。

 更に気を引き締めて進む。

 

 ——ここからが、正念場だった。

 

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