街へ戻る道は、さっき来た時よりも遠く感じた。
足の全体が重くて、呼吸のたびに肺が少し痛む。
でも、アロガの足音が隣にあるだけで、私は前へ進めた。
襲撃者はモンティとグレイスが縄で縛り上げ、口にも布を噛ませている。
噛ませていなければ、舌を噛み切るかもしれない――そんな雰囲気があったからだった。
彼か今、自由になるのは目ぐらいて、だからずっとこちらを睨んでいる。
その視線が、私の背中を刺していた。
……憎悪だけじゃない。
絶望と、諦めと、そして――多分、焦りも。
まるで「早く殺せ」と言っているみたいだった。
《妙ね……》
ナナが小さく呟いた。
《この男、捕まったことより……“捕まったままでいること”を恐れているみたい》
(口封じが来るってこと?)
《……かも、しれないわね。エルフは使い捨てが好きみたいだし、それに……こっちの予想より、ずっと行動が早い。また失敗した事を悟ったら、今度はその証拠を消しに来るかも》
私は無意識に襲撃者から距離を取った。
もし今、遠距離から矢が飛んできたら――最初に狙われるのはこいつだ。
そして次は、私たち。
捕虜は“餌”になる……と、そう考えた瞬間、背筋が冷たくなった。
「急ごう」
私が言うと、グレイスが短く頷いた。
「分かっている。だが焦って隊列を乱す方が危険だって、知っておくと良い。隙を見せた瞬間、そこを狙われる」
淡々とした口調だったけど、だからこそ、今はそれが頼もしい。
モンティは歯を食いしばりながら捕虜を引きずっていて、肩の傷から滲む血が痛々しい。
「モンティ、大丈夫?」
「大丈夫……じゃねぇけど、平気だ。俺がヘマしたんだし、仕方ねぇ。それに水薬だって飲んだしな。知ってるか、リル? 今の水薬は凄いんだぞ。回復力の強弱と回復速度が、その場で注文出来るんだ。“紫銀の試験紙”ってのがあってな、目で見て分かり易いから、詐欺にも遭わないって代物さ」
「紫銀……?」
思わず問い返すと、モンティは自慢気な顔付きで頷いた。
「紙は普通の麻色なんだけどな。何でか、紫銀の、って言うんだよ。一番最初は、そんな色だったのかね? その名残とか……」
「違うよ」
お母さんが作ったからだ。
でも、お母さんは自分の事を自慢するのが嫌いだった。
なのに、私が勝手に言うのも違う気がして、そのまま黙ってしまう。
モンティが不思議そうに首を傾げた時、グレイスから声が上がった。
「無駄話は止めておけ。適度にリラックスするのは良いけどな」
「うん、ごめん……」
素直に謝罪して、もう一度、モンティの傷に目を向けた。
「傷は本当に大丈夫? 無理してない?」
「おう、さっきの話に少し戻るけど、だから俺みたいな見習い冒険者でも、水薬なんてのが買えるんだ。傷が完全に塞がる上等なモンじゃないけど……でも、大丈夫」
苦笑するように言って説明を終えると、唐突に目が据わる。
その目は怒りで燃えていた。
「傷なんてどうでも良いんだ。俺……、あいつらにリルを殺されかけた方が、ずっとムカつく」
私はその友情に、素直に感謝した。
胸が熱くなって、咄嗟に返事が出来ない。
……私が無茶をしたせいで、巻き込んだのに。
そんな事を考えている間に、川沿いの道を抜け、襲撃者の一人を残した宿屋に戻った。
でも、その時――唐突に、風が変わった。
焦げた匂いは、まだ完全には消えていない火災の残り香だけど、それに混じって――鉄臭い血の匂いがする。
私は足を止めて、呟くように言った。
「……何か、変」
グレイスもすぐに止まり、周囲を見回す。
アロガが耳を立て、鼻を鳴らした。
捕虜が、その瞬間だけ目を見開き、その反応にモンティが眉をひそめる。
「おい、何だよ……?」
捕虜は布を噛まされているから、言葉を出せない。
だが喉の奥で、くぐもった息を漏らした。
グレイスが即座に捕虜の顔を掴み、強引にこちらへ向けさせる。
「……お前、何を知ってる?」
グレイスが低く問う。
だけど、その質問にはもう意味がないと、たった今、気付いてしまった。
街の入口付近――崩れた塀の影に、幾つかの人影がある。
また、あの黒い外套だ。
手には弓を持っていて、数は三人――。
どれも背が高く、動きが軽い。
そして、こちらを品定めする様な、不躾な視線が印象的だった。
――エルフだ。
肌の白さが、夕暮れとなった今の薄い光で、余計に映える。
こっちとの実力差は、一体どれくらいだろう。
森に――お母さんの森に、攻め込んで来たのはエルフだった。
そして、そのエルフに、お母さんは瀕死になるまで追い詰められた。
心臓がドキリと、一度大きく跳ねる。
逃げ道はあった。
あの林に戻ればいい。
でも、もしこのまま逃げたら――。
次にまた、別の誰かが狙われるかもしれない。
私に協力を申し出た、他の誰かが……。
ベントリーさんは街の有名人だから、店の場所なんて、すぐに分かる。
もし、新たにターゲットを定めるなら、次はそこ、という気がした。
その上で、捕虜も消される。
連れて逃げる訳にはいかないから、当然そうなるはずだ。
――どうしよう。
すぐに答えを出せなかった私と違い、グレイスは迷わなかった。
捕虜を地面に叩きつけ、剣を引き抜く。
今度は短剣ではなく、腰に佩いていた長剣の方だ。
「……口封じに、殺しに来たか」
エルフの一人が、笑うように肩を揺らした。
「おやおや……」
その声は冷たく、どこまでも見下すものだった。
胸が寒くなる心地がして、人間の声じゃない様に思える。
「我々は回収しに来ただけだ。お前らの手を渡ると、少々面倒になる」
「まったく……、洗脳された仲間を捕らえるだけで、満足していれば良かったものを……。宿屋まで来ることがなければ、こんな面倒な事にならなかった」
「我らにとって、文字通り口をきけなくさせるのは容易い事だ。白痴の様になってしまうが……まぁ、死ぬよりマシだろう?」
捕虜の顔が歪む。
その目が必死に何かを訴えていた。
――助けてくれ、と言っている気がする。
でも、助けたところで、こいつが善人になるわけじゃない。
――それでも。
ここで白痴にされたら、殺されたも同然だし、エルフの思い通りになる。
——それは嫌だ。
私は歯を食いしばった。
「渡さないよ」
私が言うと、エルフたちは一瞬だけ驚いたように目を細めた。
そして次に、小馬鹿にしながら笑う。
「獣人の娘が、我々に逆らうのか」
「逆らうよ、当たり前」
私は剣を握り直した。
腕が少し震える。
でも、この恐怖を隠さなかった。
怖いのは当然で――でも、怖くても、決して逃げない。
エルフの一人が弓を引き絞った。
「ならば、教育が必要だな。まずはその魔獣を沈めるとしようか」
番えた矢尻が青く光った。
――魔術を付与された、特殊な矢だ。
私も持ってる、普通の矢とは根本的に違う武器。
当たれば骨ごと砕けるか、あるいは防御など関係なく貫く。
「アロガ!!」
私が叫ぶとアロガは一瞬で理解して、身を低く構える。
それと同時に矢が放たれ、空気が裂けた。
矢はアロガの肩目掛けて一直線に飛んだけど、それを横へ跳んで躱した。
矢は地面に突き刺さると同時、轟く様な音と共に爆ぜた。
土が弾け、石が飛び、木の皮が裂ける。
私は衝撃で身を守るので精一杯で、思わず片膝をついた。