爆発の余韻が、まだ部屋の空気を揺らしていた。
焦げた木と粉塵の匂いが、砕けた窓枠から吹き込んで、煙を外へ押し流していく。
床に散った矢の破片は青白く光り、魔力の残滓が脈打つように揺れていた。
あれはただの矢じゃない。
――殺意を形にした魔術秘具だ。
私は膝をつき、息を整えようとした。
けれど呼吸のたび、肺の奥が痛んだ。
疲労と恐怖が、心の奥底で締め付けているせい……かもしれない。
それでも、隣にアロガがいるから、私はまだしとでも冷静でいられた。
低い唸り声がアロガから漏れ、その牙は怒りを噛み殺している。
「……遊ばれてるな」
グレイスが窓の外を睨みながら、冷たく言い放った。
「違うよ……」
出した声は震えてしまった。
けど、それは弱さから来るものじゃない。
怒りを抑え切れなくて、だから震えを止められなかった。
「あれは宣戦布告だよ」
モンティが歯を食いしばり、壁に拳を叩きつけた。
傷口から滲んだ血が、包帯を赤く染める。
「ふざけんな……! ギルドの中にまで矢を撃って……それで無事に済むと思ってんのか……!?」
ラーシュは床に落ちた椅子を起こし、深く息を吐くと、セルドを見下ろす。
捕虜は椅子に縛られたまま、顔面蒼白で固まっていた。
矢が狙っていたのは、間違いなく彼だった。
セルドの喉が鳴る。
「……だから言っただろ。俺は消される」
諦観の籠もった声に、オンブレッタさんが首を横に振りながら、静かに言った。
「消されるだけではありません。ギルドを脅すための、見せしめとして使われるでしょう。――もしかしたら、この街そのものを黙らせる為にも、使う腹づもりかもしれません」
ラーシュは拳を握り締め、歯を軋ませた。
「……あいつは、試練の日まで猶予を与えるみたいだな。決着を付ける気はあるにしろ……、余裕のつもりか」
セルドの供述が脳裏をよぎる。
――“魔獣を狂乱させる毒”。
群衆の中で暴れさせる。
もし、そうなったら――。
アロガは悪者にされて、私ももう特例試練だとか言っていられなくなる。
そして街は、もう二度と魔獣を受け入れたりしないだろう。
《――リル》
ナナの声が、鋭く響いた。
《これはもう、勝ち負けじゃないわ。信用を壊すかどうかの話になってる。でもそれは、エルフにとっても同じ事》
(同じ……)
《無理をし過ぎれば、手痛いしっぺ返しを受けるのよ。それでもあの強引さなんだから、エルフも単なる余裕だけでやってる事じゃないと思う》
(……そうだよね)
私が慎重に頷くのと同時に、ラーシュが重たい声で言った。
「こちらも先に手を打つしかねぇよな。ここまで後手後手だ。このまま先手を取られっぱなしじゃ、それこそ勝ち目も何もあったもんじゃない」
グレイスが振り返り、挑む様に問いを飛ばす。
「何をするつもりだ」
ラーシュはすぐに答えず、窓の外を見た。
夕暮れの街は既に、元の賑やかさを取り戻していて、火事の時に飛び交っていた怒号は聞こえない。
ラーシュはしばらく考え込んでから、決断を吐き出すように言った。
「試練の場を使う」
「使うって……、エルフはそこで攻めてくるんだよ?」
私が怪訝そうに言うと、ラーシュは当然分かってる顔付きで頷く。
「元々、このギルド前広場で試練は行うつもりだった。隠れる場所も多く、不意打ちには有利で、それを防ぐのは至難の業だ」
オンブレッタさんが小さく頷いた。
「奇襲する側が有利ですし、敵の庭と言っても良いでしょう。エルフの余裕は、そこにあるのだと思います」
ラーシュはそれに頷くと、拳を持ち上げ、ゴキリと鳴らした。
「だが、エルフだって、街の民意全てを敵に回したくはないんだ。もう昔とは違う。命令一つで言うこと聞いたりしないし、何しろ数が違う。エルフは街を支配したいはずだが……」
ラーシュは一度息を吐いて、それから続ける。
「頭ごなしで言って通用する世の中じゃないんだ、もう。何しろこの国は、獣人との融和を望んだ。遙か昔の出来事だろうと、エルフの暴虐は未だに根付く残ってる」
「そうですね。無茶な方法では、余計な反発を招くでしょう。それはエルフ発祥の、冒険者ギルドとて同じ事です」
オンブレッタさんが同意して、話を続ける。
「堂々と妨害出来ないから裏で動くのでしょうし、そのプライド故に、余裕を見せるのでしょう」
「何とも下らない事だが……」
グレイスは溜め息をついて、髪をかき上げる。
「元々は、獣人がS級になるのが気に食わない、という馬鹿な横槍から始まった騒動だ。実力が伴わないなら、ともかく――」
グレイスは私をしばらく見つめたかと思うと、ふっと笑みを浮かべた。
「私より強いしな」
「え……でも、襲撃者と戦った時は、グレイスの方が……」
私がそう言うと、首を横に振って否定する。
「あれは単に、実戦慣れしているかどうか、の違いだろう。お前、ヒトを殺した事がないんだろう?」
そんなのは当然ないし、これからもなくて良いと思う。
傷付け、傷付けられるのは、冒険者なら当然と受け入れなければならないけど……だからって、殺しても良いとは思えなかった。
「……ま、そこの覚悟の差だろうさ。単純な身体能力じゃ勝てないよ」
「じゃあ、何でもありなら?」
モンティが口を挟むと、グレイスは苦笑しながら、やはり首を横に振った。
「それでも勝てない。何でもありにすると、リルの方が断然、有利だ。――だって、魔力を感知出来るんだろう?」
ざわ、と周囲の目付きが変わる。
魔術自体は有り触れたもので、学べば誰でも使える、とお母さんは言ってた。
だったら、魔力の感知くらい、当然出来るんじゃないだろうか。
私のは精霊魔法だから、色々と勝手が違うし、同じに考えちゃいけない、と言われたけど……。
でも、だとしてもどうして、そんな反応になるのか分からなかった。
「……なんか、変?」
「変って事はないさ。さっきの攻撃、察知出来たのはリルだけだった。それだけ優れた隠ぺいだったのに、リルには通じないってなるとね……魔力の扱いも、相当上手いんじゃないか、と推測が経つのさ」
あれが……
到底、そうは思えない。
どうしてラーシュが気付けなかったのか不思議なくらい、
あれなら精霊の方がずっと上手く隠すし、それより下手な妖精だって、もっとマシなのに……。
そんな事を考えていると、頭の中でナナの苦笑が響いた。
《それらと比較するのは、幾ら相手がエルフでも、可哀想って気がするわね》
(そうなの?)
《だって、精霊がその気配を隠すっていうのは、つまり自然と一体になる、って事だから。水の中、火の中、風の中から、溶け込んだ気配を見出すなんて……赤子の時から、あの森で暮らしてたリルだからこそ、出来る芸当だわ》
(そっか……。じゃあ、潜伏していても、見つけ出せるね)
《魔力を使おうとすればね。その時は、あたしだって協力するし》
私が頭の中で会話していると、ラーシュがパンパンと手を叩いて、全員の意識を自分に集めた。
「話が逸れてるぞ。……っていうか、リルが魔術に長けているなんて、よくよく考えたら不思議でも何でもなかったな。何しろ、あの人の娘だろう?」
「だろう……って、知らないよ、あたしは。誰なんだい」
グレイスが問うと、ラーシュは真顔で首を振った。
「いや、実は俺もよく知らん。凄腕の魔術士で……何より、謎の多い
ラーシュはそれまでの空気を一掃したいのか、実際に大振りに手を振って空気を掻き回し、それから続けた。
「とにかく、だ。そう言う訳でな、奴らも大っぴらに、事を起こしたくないのが本音だと思うんだよな。エルフのシンパはギルドにもいるが、街中にはそれ以上の獣人がいる。だからな、誰もが見てる場所でやる事で、証人を増やして、エルフの思惑を潰そうって考えだ」
モンティは眉間に皺を寄せ、難しそうに息を吐いた。
「でもな……、そんな上手くいくかな……?」
「群衆を呼び込むのは諸刃の剣だ。そう言いたい気持ちは分かる。でも、任せてくれ。火事の一件は、明らかに悪手だった。それを思い知らせてやる」
ラーシュが口角を上げると、部屋の空気が変わった。
危険だ。無茶だ。そう思うのに――他の妙案も思い付かない。
エルフが裏で事を起こそうと言うなら、あえて表沙汰にする――と言うのは、理に適っている気がした。
グレイスが短く言う。
「……賭けになるが、どちらにせよ、か……。相手の情報もないしな」
「まずは先手を打つ事だ」
ラーシュは断言した。
「エルフが何か仕掛けようもんなら、その瞬間、街全体が証人になる。こっちが黙っていれば、奴らは調子に乗るだけだ」
私は拳を握り締めた。
怖い、と思う。
こんな時、お母さんが居たら、どんなに頼もしく、また安心していられただろう。
でも、今はもう遠くにいってしまった……。
だけど——だから、逃げる事だけはしたくなかった。
ここで、もし勝てれば――。
その時は、私のS級への道は、もう誰にも折れない。
アロガが低く唸り、私の頬に鼻を寄せる。
まるで「やるぞ」と言ってるみたいに――いや、きっとそう言っていた。
「……うん、やろう」
ラーシュは私を見て、短く言った。
「明日の朝から準備だ。広場を封鎖する。衛兵も、冒険者も総動員だ」
頷いたオンブレッタさんが、即座に動き出す。
「職員に通達を出します。治癒士も増員し、魔術に秀でた者も待機させましょう」
そこへグレイスが、窓の外を見て冷静に付け加えた。
「弓兵も配置した方が良いだろう。屋根の上を監視する。さっきのような狙撃は、二度と許さない」
モンティも、その空気に触発されたのか、叫ぶように言った。
「俺もやる! 警備でも何でも! やらせてくれ!」
ラーシュは一瞬だけ笑ってから、真顔に戻った。
「……元からそのつもりだった。死ぬ気でやれ。次はヘマするなよ」
その言葉に、モンティだけでなく、全員が頷いた。
私は最後に、床に散った矢の欠片を見た。
青白い光は力を失い、ゆっくりと消えていく所だった。
でも、消えたのは魔力だけで、殺意は消えていない。
未だに衰えることなく、留まっている様に感じられた。
——試練の日、敵は必ず来る。
私はアロガの首筋に手を置いた。
その毛並みは温かく、いつでも私の心を温めてくれる。
「……守るからね。絶対に、守る」
私の言葉に、アロガは静かに鳴いた。
「……ウォフ!」
それはきっと、誓いの返事だった。
そうに違いないと、アロガの瞳を見て確信した。