混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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エルフの矜持、折れない牙 その8

 爆発の余韻が、まだ部屋の空気を揺らしていた。

 焦げた木と粉塵の匂いが、砕けた窓枠から吹き込んで、煙を外へ押し流していく。

 

 床に散った矢の破片は青白く光り、魔力の残滓が脈打つように揺れていた。

 

 あれはただの矢じゃない。

 ――殺意を形にした魔術秘具だ。

 

 私は膝をつき、息を整えようとした。

 けれど呼吸のたび、肺の奥が痛んだ。

 

 疲労と恐怖が、心の奥底で締め付けているせい……かもしれない。

 

 それでも、隣にアロガがいるから、私はまだしとでも冷静でいられた。

 低い唸り声がアロガから漏れ、その牙は怒りを噛み殺している。

 

「……遊ばれてるな」

 

 グレイスが窓の外を睨みながら、冷たく言い放った。

 

「違うよ……」

 

 出した声は震えてしまった。

 けど、それは弱さから来るものじゃない。

 怒りを抑え切れなくて、だから震えを止められなかった。

 

「あれは宣戦布告だよ」

 

 モンティが歯を食いしばり、壁に拳を叩きつけた。

 傷口から滲んだ血が、包帯を赤く染める。

 

「ふざけんな……! ギルドの中にまで矢を撃って……それで無事に済むと思ってんのか……!?」

 

 ラーシュは床に落ちた椅子を起こし、深く息を吐くと、セルドを見下ろす。

 捕虜は椅子に縛られたまま、顔面蒼白で固まっていた。

 

 矢が狙っていたのは、間違いなく彼だった。

 セルドの喉が鳴る。

 

「……だから言っただろ。俺は消される」

 

 諦観の籠もった声に、オンブレッタさんが首を横に振りながら、静かに言った。

 

「消されるだけではありません。ギルドを脅すための、見せしめとして使われるでしょう。――もしかしたら、この街そのものを黙らせる為にも、使う腹づもりかもしれません」

 

 ラーシュは拳を握り締め、歯を軋ませた。

 

「……あいつは、試練の日まで猶予を与えるみたいだな。決着を付ける気はあるにしろ……、余裕のつもりか」

 

 セルドの供述が脳裏をよぎる。

 ――“魔獣を狂乱させる毒”。

 

 群衆の中で暴れさせる。

 もし、そうなったら――。

 

 アロガは悪者にされて、私ももう特例試練だとか言っていられなくなる。

 そして街は、もう二度と魔獣を受け入れたりしないだろう。

 

《――リル》

 

 ナナの声が、鋭く響いた。

 

《これはもう、勝ち負けじゃないわ。信用を壊すかどうかの話になってる。でもそれは、エルフにとっても同じ事》

 

(同じ……)

 

《無理をし過ぎれば、手痛いしっぺ返しを受けるのよ。それでもあの強引さなんだから、エルフも単なる余裕だけでやってる事じゃないと思う》

 

(……そうだよね)

 

 私が慎重に頷くのと同時に、ラーシュが重たい声で言った。

 

「こちらも先に手を打つしかねぇよな。ここまで後手後手だ。このまま先手を取られっぱなしじゃ、それこそ勝ち目も何もあったもんじゃない」

 

 グレイスが振り返り、挑む様に問いを飛ばす。

 

「何をするつもりだ」

 

 ラーシュはすぐに答えず、窓の外を見た。

 夕暮れの街は既に、元の賑やかさを取り戻していて、火事の時に飛び交っていた怒号は聞こえない。

 

 ラーシュはしばらく考え込んでから、決断を吐き出すように言った。

 

「試練の場を使う」

 

「使うって……、エルフはそこで攻めてくるんだよ?」

 

 私が怪訝そうに言うと、ラーシュは当然分かってる顔付きで頷く。

 

「元々、このギルド前広場で試練は行うつもりだった。隠れる場所も多く、不意打ちには有利で、それを防ぐのは至難の業だ」

 

 オンブレッタさんが小さく頷いた。

 

「奇襲する側が有利ですし、敵の庭と言っても良いでしょう。エルフの余裕は、そこにあるのだと思います」

 

 ラーシュはそれに頷くと、拳を持ち上げ、ゴキリと鳴らした。

 

「だが、エルフだって、街の民意全てを敵に回したくはないんだ。もう昔とは違う。命令一つで言うこと聞いたりしないし、何しろ数が違う。エルフは街を支配したいはずだが……」

 

 ラーシュは一度息を吐いて、それから続ける。

 

「頭ごなしで言って通用する世の中じゃないんだ、もう。何しろこの国は、獣人との融和を望んだ。遙か昔の出来事だろうと、エルフの暴虐は未だに根付く残ってる」

 

「そうですね。無茶な方法では、余計な反発を招くでしょう。それはエルフ発祥の、冒険者ギルドとて同じ事です」

 

 オンブレッタさんが同意して、話を続ける。

 

「堂々と妨害出来ないから裏で動くのでしょうし、そのプライド故に、余裕を見せるのでしょう」

 

「何とも下らない事だが……」

 

 グレイスは溜め息をついて、髪をかき上げる。

 

「元々は、獣人がS級になるのが気に食わない、という馬鹿な横槍から始まった騒動だ。実力が伴わないなら、ともかく――」

 

 グレイスは私をしばらく見つめたかと思うと、ふっと笑みを浮かべた。

 

「私より強いしな」

 

「え……でも、襲撃者と戦った時は、グレイスの方が……」

 

 私がそう言うと、首を横に振って否定する。

 

「あれは単に、実戦慣れしているかどうか、の違いだろう。お前、ヒトを殺した事がないんだろう?」

 

 そんなのは当然ないし、これからもなくて良いと思う。

 傷付け、傷付けられるのは、冒険者なら当然と受け入れなければならないけど……だからって、殺しても良いとは思えなかった。

 

「……ま、そこの覚悟の差だろうさ。単純な身体能力じゃ勝てないよ」

 

「じゃあ、何でもありなら?」

 

 モンティが口を挟むと、グレイスは苦笑しながら、やはり首を横に振った。

 

「それでも勝てない。何でもありにすると、リルの方が断然、有利だ。――だって、魔力を感知出来るんだろう?」

 

 ざわ、と周囲の目付きが変わる。

 魔術自体は有り触れたもので、学べば誰でも使える、とお母さんは言ってた。

 

 だったら、魔力の感知くらい、当然出来るんじゃないだろうか。

 私のは精霊魔法だから、色々と勝手が違うし、同じに考えちゃいけない、と言われたけど……。

 

 でも、だとしてもどうして、そんな反応になるのか分からなかった。

 

「……なんか、変?」

 

「変って事はないさ。さっきの攻撃、察知出来たのはリルだけだった。それだけ優れた隠ぺいだったのに、リルには通じないってなるとね……魔力の扱いも、相当上手いんじゃないか、と推測が経つのさ」

 

 あれが……()()()()()()

 到底、そうは思えない。

 

 どうしてラーシュが気付けなかったのか不思議なくらい、()だったと思う。

 あれなら精霊の方がずっと上手く隠すし、それより下手な妖精だって、もっとマシなのに……。

 

 そんな事を考えていると、頭の中でナナの苦笑が響いた。

 

《それらと比較するのは、幾ら相手がエルフでも、可哀想って気がするわね》

 

(そうなの?)

 

《だって、精霊がその気配を隠すっていうのは、つまり自然と一体になる、って事だから。水の中、火の中、風の中から、溶け込んだ気配を見出すなんて……赤子の時から、あの森で暮らしてたリルだからこそ、出来る芸当だわ》

 

(そっか……。じゃあ、潜伏していても、見つけ出せるね)

 

《魔力を使おうとすればね。その時は、あたしだって協力するし》

 

 私が頭の中で会話していると、ラーシュがパンパンと手を叩いて、全員の意識を自分に集めた。

 

「話が逸れてるぞ。……っていうか、リルが魔術に長けているなんて、よくよく考えたら不思議でも何でもなかったな。何しろ、あの人の娘だろう?」

 

「だろう……って、知らないよ、あたしは。誰なんだい」

 

 グレイスが問うと、ラーシュは真顔で首を振った。

 

「いや、実は俺もよく知らん。凄腕の魔術士で……何より、謎の多い女性(ひと)だった……って、だから! 今はそれは良いんだよ!」

 

 ラーシュはそれまでの空気を一掃したいのか、実際に大振りに手を振って空気を掻き回し、それから続けた。

 

「とにかく、だ。そう言う訳でな、奴らも大っぴらに、事を起こしたくないのが本音だと思うんだよな。エルフのシンパはギルドにもいるが、街中にはそれ以上の獣人がいる。だからな、誰もが見てる場所でやる事で、証人を増やして、エルフの思惑を潰そうって考えだ」

 

 モンティは眉間に皺を寄せ、難しそうに息を吐いた。

 

「でもな……、そんな上手くいくかな……?」

 

「群衆を呼び込むのは諸刃の剣だ。そう言いたい気持ちは分かる。でも、任せてくれ。火事の一件は、明らかに悪手だった。それを思い知らせてやる」

 

 ラーシュが口角を上げると、部屋の空気が変わった。

 危険だ。無茶だ。そう思うのに――他の妙案も思い付かない。

 

 エルフが裏で事を起こそうと言うなら、あえて表沙汰にする――と言うのは、理に適っている気がした。

 

 グレイスが短く言う。

 

「……賭けになるが、どちらにせよ、か……。相手の情報もないしな」

 

「まずは先手を打つ事だ」

 

 ラーシュは断言した。

 

「エルフが何か仕掛けようもんなら、その瞬間、街全体が証人になる。こっちが黙っていれば、奴らは調子に乗るだけだ」

 

 私は拳を握り締めた。

 怖い、と思う。

 

 こんな時、お母さんが居たら、どんなに頼もしく、また安心していられただろう。

 

 でも、今はもう遠くにいってしまった……。

 だけど——だから、逃げる事だけはしたくなかった。

 

 ここで、もし勝てれば――。

 その時は、私のS級への道は、もう誰にも折れない。

 

 アロガが低く唸り、私の頬に鼻を寄せる。

 まるで「やるぞ」と言ってるみたいに――いや、きっとそう言っていた。

 

「……うん、やろう」

 

 ラーシュは私を見て、短く言った。

 

「明日の朝から準備だ。広場を封鎖する。衛兵も、冒険者も総動員だ」

 

 頷いたオンブレッタさんが、即座に動き出す。

 

「職員に通達を出します。治癒士も増員し、魔術に秀でた者も待機させましょう」

 

 そこへグレイスが、窓の外を見て冷静に付け加えた。

 

「弓兵も配置した方が良いだろう。屋根の上を監視する。さっきのような狙撃は、二度と許さない」

 

 モンティも、その空気に触発されたのか、叫ぶように言った。

 

「俺もやる! 警備でも何でも! やらせてくれ!」

 

 ラーシュは一瞬だけ笑ってから、真顔に戻った。

 

「……元からそのつもりだった。死ぬ気でやれ。次はヘマするなよ」

 

 その言葉に、モンティだけでなく、全員が頷いた。

 

 私は最後に、床に散った矢の欠片を見た。

 青白い光は力を失い、ゆっくりと消えていく所だった。

 

 でも、消えたのは魔力だけで、殺意は消えていない。

 未だに衰えることなく、留まっている様に感じられた。

 

 ——試練の日、敵は必ず来る。

 

 私はアロガの首筋に手を置いた。

 その毛並みは温かく、いつでも私の心を温めてくれる。

 

「……守るからね。絶対に、守る」

 

 私の言葉に、アロガは静かに鳴いた。

 

「……ウォフ!」 

 

 それはきっと、誓いの返事だった。

 そうに違いないと、アロガの瞳を見て確信した。

 

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