リルが再び目覚めるまで、ゆっくりとお茶を飲んでいた。
掛かった時間は三十分にも満たず、やはり初めて場所ではそう深く眠れるものではないらしい。
リルが眠気眼だったのも最初の一分だけで、すっかり目が覚めてから、冒険者ギルドを後にした。
時間は夕刻に迫ろうとして、この時期は暗くなり始めたと思ったら一気に傾く。
門前も混み合って渋滞してしまうので、早めの辞去が正解だった。
時刻は現在、午後三時から四時の間ほど――。
オンブレッタが丁寧にギルドの出口まで案内してくれ、そしてその背後では、ラーシュが大捕物をしたのだと話題になっていた。
「いや、本当だって! 俺はこの目で“黒鉄”の奴らを見たんだ。意気消沈して、素直なモンでよ……! ギルド長が縄で縛って連行してんの!」
「いつもサボって楽してると思ってたが、やる時はやるんだな」
「馬鹿お前ぇ、こういうの別に初めてじゃねぇから! きちんと仕事する人なんだよ!」
ラーシュの普段の行いを知っている者ほど、今回の捕物には懐疑的らしい。
昔はそこそこの腕だったかもしれないが、現役を引退して久しいのだ。
それなのにどうやって、というのが疑問の原因だろう。
そして、実際に彼がやったのは待っていただけなので、その懸念は正しかった。
盛り上がっている冒険者の一団に、また別の冒険者が一人加わる。
そして、周囲を
「ギルドには処刑人がいる、って噂を聞いたけど、本当か……?」
「何だ、お前ぇ……。そんな噂、真に受けてんのかよ?」
「いるにはいるんだろ? 処刑人じゃなくて、憲兵みたいなのが。今回みたいに犯罪やらかした冒険者は、そういうのに捕まえられるって聞いたぞ」
「でも、ウチにはおらんだろ、そんなの」
引退した冒険者がやっているとか、そうした事を専門にしている奴がいるとか、まことしやかに囁かれているのだが――。
それが事実か、知る者は少ない。
ギルド本部や、規模の大きい支部にはいる、とされていて、実態を掴んだ消される、という恐ろしい気な噂が流れるのみだ。
私はその処刑人紛いの真似事をしているが、ギルドには実際にこうした生業の者がいる。
犯罪傾向の強い地域などでは、冒険者がそこに加担しているケースも多く、だからそうした存在は必要だった。
ただし冒険者の人員も少なく、ギルドが危惧するほど犯罪傾向も強くないこの街では、そうしたギルド員は居ないと思って良かった。
しかし、疑心暗鬼とは、時に理屈を押し通すものだ。
そんな筈がないと思っても、一度もしかしたら、を考え始めると止まらない。
「実は、俺らの中にその処刑人が混じっているんじゃないか……?」
「だから、処刑人じゃないって。さっきだって、生きて捕まえられたんだから」
「良いんだよ、細かい事は。俺が言いたいのは、素知らぬ顔して冒険者気取って、実は裏の顔を持つ奴が潜んでいるんじゃないかって事さ!」
「俺らの中に……? そんな実力隠してそうな奴、思い当たらねぇけどな」
冒険者の多くは、不思議そうに首を傾げるばかりだ。
そして、それらを見ていたオンブレッタからは、小さな忍び笑いを漏れた。
そのすぐ後方にいる私からは、彼女が何を考えているか、手に取るように分かる。
「何か言いたげだな……?」
「いえ、別に……。ただ、噂話というものは、誰もが好きだなと思った次第でして……」
どういう噂が広まろうと、それこそ私の知った事ではないが、ラーシュは色々と針の筵に立たされそうだ。
いつも適当にその場のノリで返事するから、困った事になる。
今回の件もラーシュが捕縛した事になっているが、化けの皮が剥がれたら大変そうだ。
……いや、案外そうでもないのかも。
頭を掻いて誤魔化して、それで適当に罵詈雑言をぶつけられて終わりになる気もする。
彼の人徳と言うべきか、憎むにしては小悪党過ぎるというべきか……。
とにかく、大きな問題にはならない、という不思議な信頼感がある。
そうこうしている内に、ロビーの出入り口へと到着した。
そこで改めて一礼するオンブレッタに、頷く様な小さな返礼をした。
「見送りありがとう。では、また春先に」
「はい、またいつでもお待ちしております」
一般的には、依頼人とその受付嬢に見えるだろう。
商家風の格好をしている事もあって、上客が依頼した様に、他人からは見えるかもしれない。
その誤解を敢えて狙った部分もあり、私はそれまで黙っていたリルの手を引き、ギルドの外へと出て行った。
※※※
暗くなる前に門を出よう、と考えるのは誰もが一緒で、この時間であっても門前は多くの人で賑わっていた。
渋滞といえる程でないのは、入る時と違って、外に出る際はチェックも緩いからだ。
殆ど流れ作業で人が捌かれていくが、それでも少し歩いて立ち止まる、を繰り返す。
そうして、そろそろ出られる、というタイミングで、リルがくわゎ、と欠伸をして大きく伸びをした。
「眠いか、リル?」
「んーん、おきてる!」
大きく首を横に振ると、顔をあちこちに向けては不満そうな声を上げた。
「かえるの?」
「もう、やる事は終わったから」
私がそう言うと、リルは頬を膨らませ、唇を尖らせる。
「まだ、あそびたい」
「でもほら、もう暗くなる。お空を見てごらん」
言われた通りに空を見上げるものの、リルの不満は収まらない。
「まだ、あかるいもん!」
「家までの距離を忘れちゃいけないな。家の近くだったら、暗くなったと思えばすぐに、家に入れば済むけど、ここではそうもいかない」
「んぅ……」
子どものワガママに理屈はいらない。
遊びたいとなれば、遊ぶことしか頭にないものだ。
初めて体験する街の喧騒と広さは、リルにとって良い刺激になったのは間違いない。
途中で怖い思いをした事など、すっかり何処かへ行っており、まだ見ぬこの街の面白さを探したい、と顔に書いてあった。
しかし、それを許容していては、いつまで経っても帰れなくなってしまう。
ここは心を鬼にして、駄目と言い含めないといけなかった。
「またすぐに来れるから。今日の所は、もう帰ろう。リルは良い子だから、きちんと我慢できるよな?」
「んぅ……、でも……」
「アロガも待ってるぞ。寂しくて泣いているかも……」
「アロガ、なくかなぁ……?」
「逆の時、どうだった? アロガと私だけで森に行っている時、リルは寂しくなかったか?」
私がそう問い掛けると、リルは唇を引き絞って頷いた。
その時の事を思い出しているのか、若干唇が震えている。
「さびしかった……。すぐかえってきてって、おもった……」
「だろう? 暗くなっても帰らなかったら、アロガはどう思うだろう? きっと、すごく寂しく思うだろうな」
「うん、おもう、かも……」
今度は素直に頷いて、リルは腕の中で私に抱き着いてきた。
私もリルを抱き締めて、腕の中へと抱え上げると、ポンチョのフードの上から頬を押し当てる。
「またすぐ来られるから。……な?」
「すぐ? あした?」
「ふふ……、明日は流石に無理だな。次は春になってからだ」
「それ、すぐじゃないよ。ずっとずっと、とおくだよ……」
リルに言われて、おや、と私は顔を上げた。
間近で互いに目を合わせ、それから小さく首を傾けた。
長く生きると、時間の感覚が違ってくるらしい。
確かに一つの季節を跨ぐのは、すぐとは言えないのかもしれなかった。
「大丈夫、春なんてあっという間だ」
慰めにもならない言葉を言って、列をまた一歩前に進む。
時刻は夕方、日は傾き、空は既に茜色に染まっていた。
数羽のカラスが連なって、鳴きながら空を横切る。
私はリルが寒くならないよう、より一層強く抱き締めた。