混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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銀の絆と王都の毒 その1

 そして、試練当日――。

 

 その日の朝は早かった。

 夜明けの冷たい空気が、街の石畳を刺すように冷やしている。

 

 だというのに、ギルド前の広場には、既に多くの人で埋まっていた。

 

 冒険者、職人、商人。

 火事の後始末を終えた者たち。

 そして、昨日の噂を聞きつけた野次馬たちがいて、誰もが同じ顔を見せていた。

 

 不安、怒り、期待。

 そして、興奮――。

 

 広場の周囲には、冒険者たちが警備として並び、屋根の上にも弓兵が配置されている。

 建物のベランダには、見張りも立っていた。

 

 ギルドは本気だ。

 それはきっと、今も虎視眈々と狙っているエルフにも、そう感じられた事だろう。

 

 私は広場の中央、木柵の内側に立ち、深く息を吸った。

 胸がまだ痛む。身体も重い。

 

 未だに本調子とはいかなかった。

 けれど、もうアロガはすっかり元気で、隣に座っている。

 

 あの日、死にかけていたのが嘘みたいに今は堂々としていて、群衆の熱気さえ気にしていない様だった。

 

 黄金の瞳は鋭く、耳は僅かな物音にも反応しようとしている。

 その姿を見て、人々は息を呑んだ。

 

「……あれが剣虎狼(ウルガー)か……」

 

「店を焼いたっていう……?」

 

「違う、あの獣は……」

 

 噂と憶測の囁きが飛び交う。

 私はそれを聞き流し、前を見据えた。

 広場の中央には、簡易の木柵が組まれ、試練の場が作られている。

 

 その中央に立つのは――ラーシュだった。

 ギルド長は、いつもより背筋を伸ばし、広場全体を睨み渡す。

 そして、太い声で叫んだ。

 

「聞け!!」

 

 怒号が広場を震わせ、ざわめきが一瞬で消える。

 

「本日、ここで試練を行う!! 獣人冒険者リル、そして剣虎狼(ウルガー)のアロガ!! こいつらがS級へ上がる資格があるかどうか、ギルドがこの場で判断する!!」

 

 広場がどよめいた。

 歓声と、疑念と、恐怖が混ざった音だ。

 でも、それらを押し潰すように、ラーシュは演説を続けた。

 

「そして、ここに集まった全員が証人だ! 今現在、エルフがこの試練の妨害を企ている! 試練を妨害するなら――それが如何なる理由でも、我々への叛意と見なす!!」

 

 その言葉が空気を鋭くし、その瞬間、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 ――見られている。

 

 屋根の上。窓の影。人混みの奥。

 どこかにエルフがいる――そう、確信できる感覚があった。

 

《来るわ。絶対に、来る》

 

(……うん、油断しないよ)

 

 ナナの囁きに頷き、私は剣の柄を握り締めた。

 

(私は逃げない)

 

「――リル。前へ出ろ」

 

 ラーシュか私に視線を移して言い、それで一歩、前に出る。

 

 足が震えた。

 でも、それは恐怖からじゃない。

 

 身体が戦いに備えているから、出てくる震えだった。

 広場中の視線が、私に刺さる。

 

 喉が無性に渇いて、息が浅くなった。

 私は、それでも声を張り出して――張り出すつもりで言った。

 

「……試練を受けます」

 

 ラーシュが頷き、宣言する。

 

「よし、ならばこれより――」

 

 その瞬間、空気が変わった。

 風が止まり、広場のざわめきが、まるで遠くに引いていく感覚を覚える。

 その時、屋根の上の見張りが叫んだ。

 

「――上だ!!」

 

 私は反射で空を見上げた。

 

 青い光が、弧を描いて飛んでくる。

 矢じゃない。もっと大きな何か。

 

 魔術の塊――氷の槍だ。

 

 誰かが、試練の開始と同時に仕掛けた。

 その狙いは――。

 

「アロガ!!」

 

 私が叫ぶと同時、アロガは瞬時に跳び、氷槍は地面へ突き刺さる。

 次の瞬間、凍気が爆ぜ、石畳を白く染めた。

 

 人々が悲鳴を上げ、後退する。

 警備の冒険者が剣を抜き、屋根の上を睨んだ。

 

 ラーシュの怒号が響く。

 

「……あんだけ言っても()めねぇのかよ! もっと機会を選ぶと思ったが……!!」

 

 私は歯を食いしばり、剣を抜いた。

 ――始まった。

 

 そして、分かっていた事でもある。

 これは私のS級への道を巡る、命を賭けた戦争だ。

 

 アロガが唸り、牙を剥く。

 その黄金の瞳は、狩人の光を宿していた。

 

「注意して、アロガ……! 魔術は多分、目眩まし! 本命はきっと別にある!」

 

 広場の上空で、次の魔力が揺らめいた瞬間、私は直感で悟った。

 

 ――さっきの氷槍は、ただの合図だ。

 

 混乱を引き起こし、人の視線を上に向けさせ、警備を屋根へ集中させるための“初手”に過ぎない。

 

 エルフは、もっと陰湿で、もっと確実な手を用意している――という気がした。

 何しろ、エルフはお母さんを倒すために、

あらゆる手段を講じた、と精霊達が教えてくれた。

 

 ――だからきっと、陰湿なエルフは、この程度じゃ終わらない。

 私は唾を飲み込んで、周囲を見渡した。

 

 広場の端では、子どもを抱えた母親が悲鳴を上げ、衛兵代わりの冒険者と、押しつ押されつしている。

 

 屋根の上では弓士が矢を番え、見張りの役を果たさんと、警戒箇所を必死に叫んでいた。

 

 冒険者たちは剣を抜き、混乱を鎮めようと怒鳴り合い、まさに阿鼻叫喚だった。

 

 ――人が多すぎる。

 そして、ラーシュの策は完全に裏目だった。

 

 街そのものを敵に回したくないだろう、という考えは間違いだったのだろうか。

 それとも、混乱が起きたとしても、収めるだけの自信があるのだろうか。

 

 ――いずれにせよ。

 この状況で、もう一度爆発矢でも撃ち込まれたら……。

 

 群衆の中で、誰かが死ぬ。

 そして、それはきっと、“アロガのせい”にされる気がした。

 

《来る……!》

 

 ナナが声を鋭くして言った。

 

《リル、左の建物! 窓の影――魔力の歪みがある!》

 

 私は即座に、左手側の二階建ての家を見た。

 窓枠の影に、何かが揺らめく。

 

 薄い布を被せたような、歪な空気の層があって、私の感覚がそれを確かに捉えた。

 

 ――隠密の魔術だ。

 私は息を呑むと同時に確信した。

 

 さっきの氷槍は、注意を逸らすためのもので、やっぱり本命は今、狙っている方なんだ。

 

「アロガ、動かないで!」

 

 私は叫びながら、剣を握り直して走り出す。

 地面を蹴った瞬間、背後でざわりと空気が震えた。

 

 人混みの中から、異様な匂い——。

 甘く、鼻の奥が痺れるような。

 

 ――毒だ。

 

 私は急停止して、振り返りつつ広場の端、木柵の外側へと身体を向ける。

 

 でも、もう遅かった。

 その時にはもう、誰かが地面に小瓶を叩きつけていた。

 

 ぱん、と割れる音と共に、白い煙が広がり、人々の悲鳴が一斉に膨れ上がる。

 煙の中心で、数人の冒険者が咳き込みながら、膝をついた。

 

「毒煙……ッ!」

 

 モンティが叫び、そちらへ駆けようとする。

 しかしそこへ、グレイスの怒号が飛んだ。

 

「モンティ、止まれ! 近付くな、煙の中は罠だ!」

 

 多分、その通りだ。

 毒煙は“人を倒すため”じゃない。

 

 ――人を逃がすためでもない。

 

 混乱の中で、アロガに近付くためのものだ。

 私は全身が冷えるのを感じた。

 

 狙いは、セルドが言っていた“毒の打ち込み”。

 アロガを狂乱させる毒を、群衆の中で打ち込めば――。

 

 どれだけアロガが理性的な魔獣でも、抵抗はきっと無理だし、そして暴れた瞬間に終わる。

 

 私たちは証明する機会を失い、魔獣の脅威だけが取り沙汰されてしまう。

 そしてきったと、その主人である私にも沙汰が及ぶ。

 

「……来る! アロガの周り、絶対に近付けないで!!」

 

 私が叫ぶと、ラーシュが即座に怒鳴り返した。

 

「警備隊! 剣虎狼(ウルガー)の周囲を固めろ! 誰だろうと、近付いた奴は叩き伏せろ!!」

 

 冒険者たちが動き、輪を作る。

 統率は取れていたけど、でも――遅い。

 

 毒煙の中から、影が飛び出した。

 

 黒い外套と、顔を覆う布という姿だから、エルフなのか、その手下なのかまでかは分からない。

 そして、片手には細い筒を握っていた。

 

 吹き矢――では、ないだろう。

 その程度の威力では、アロガの皮膚を突き破れない。

 

 多分、針のような物を突き刺す器具だと思った。

 私は咄嗟に走っけど、僅かに距離が遠い。

 

 間に合わない――!

 そう思った瞬間、アロガが吠えた。

 

「ウォオオオォッ!!」

 

 咆哮が広場を震わせる。

 

 ただの威嚇じゃない。

 あれは、森で獲物を追い遣る時の“威圧”だ。

 

 襲撃者の足が、一瞬止まる。

 その時を見据えていたかの様に、グレイスが動いた。

 

 地を蹴り、低い姿勢のまま滑り込むように突進し――短剣を放った。

 刃は空を裂き、襲撃者の手首に突き刺さる。

 

「ぐっ……!」

 

 鮮血と共に、筒が落ちた。

 襲撃者は即座に後退しようとしたけど、モンティが盾を構えて体当たりを叩き込む。

 

「逃がすかよ!!」

 

 襲撃者が転倒し、毒煙の中へ転がった。

 でも、その瞬間――。

 

 屋根の上から、再び魔力が走った。

 青白い矢が、真下へ降り注ぐ。

 

 狙いは襲撃者ではなく、そしてモンティでもない。

 ――それは、アロガの足元だった。

 

「……ッ!」

 

 矢が石畳へ突き刺さるのと同時に爆ぜる。

 爆風と氷が同時に噴き上がり、石畳が凍り付いた。

 

 凍った地面は滑り、足が取られる。

 アロガがバランスを崩し、姿勢を低くして唸った。

 

 それを見た広場の人々は、戦闘態勢を取った様にみえたらしい。

 誰かが悲鳴を上げて、それを皮切りに大勢のヒトが一斉に叫んだ。

 

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