「うわぁぁっ!」
「魔獣が暴れるぞ!!」
「逃げろ!!」
――違う!
アロガは暴れてない。暴れようともしてない。
ただ、敵に対して、強く威嚇しただけだ。
でも、群衆はそんな事まで理解しない。
暴れ出すのでは、という恐怖だけが伝染していく。
私は群衆に向けて、声の限りに叫んだ。
「違う! アロガは暴れない! 敵以外を傷付けたりしないッ!」
でも、誰も聞いてくれなかった。
沈静化する気配すら見せず、それどころか更に拡大していく。
《単なる混乱じゃないわね。最初の叫び声も、いま思えば何だか怪しかった。きっと、暗躍してるのがいるのよ》
(エルフのシンパとか言う……?)
《多分ね。そいつらが危険を煽って混乱させてるんだわ》
悔しげに呻く中、次の影が動いた。
毒煙の外側――広場の人混みの中で、ごく普通の市民服を着た男が、アロガへ近付こうとしている。
その動きだけか、異様に滑らかだったから気付けた事だった。
それに、一般市民と比べて動揺が少なすぎる。
ある予想が頭の中を駆け巡り、私は強く睨み付けた。
あれはきっと、“刺す役”じゃない。
刺す役が失敗したから、次の手が動いたんだ。
私は指先に魔力を集めて、細く、細く……風の糸を紡ぐ様に、見えない刃を形成する。
《やりすぎないでよ!》
ナナが焦った様に叫ぶ。
《殺したら駄目よ! 今は証拠が必要!》
(分かってる……!)
私は息を止めて、目標を定めた。
狙いは首ではなく――手か、足だ。
まず、動きを止める。
風の刃が走り、男の手首を浅く裂いた。
「うぐッ――!?」
男が呻き、突然傷付いた腕を見て驚愕する。
それと同時に、私は叫んだ。
「そこ!! その人!!」
ラーシュが即座に反応し、顔を周囲に向けてから、指を突き付けて怒鳴った。
「捕らえろ!!」
近くにいた冒険者が飛びつき、男を押し倒す。
男は抵抗しようとしたが、何かをする前に、グレイスが喉元へ剣を突き付けた。
「動くな。次は首を傷付けられたいか?」
男が舌打ちと共に抵抗を緩めたのも束の間、その時、屋根の上で何かが跳ねる音がした。
そこへ見張りの弓士から、悲鳴にも似た怒号を発する。
「逃げるぞ!! 屋根の上、銀髪――!!」
私は反射で屋根を見上げた。
そこに立つのは、昨日とよく似た影だった。
銀の髪、薄い緑の瞳。そして手には、指輪の光が反射して見えた。
あの時のエルフだ。
そのエルフが、心底楽しそうに笑っていた。
「――面白いな」
声が魔術で私に届く。
「獣人の娘。貴様は思ったよりも、よく出来る」
私は剣を握り締め、叫び返した。
「今度は逃がさない!!」
エルフは肩をすくめた。
「そうかね? まぁ、好きに吠えろ。犬らしくな。それより……」
彼の指が、軽く鳴る。
次の瞬間、捕らえられた男の身体が硬直した。
「……ッ!?」
男の目が白目を剥き、次いで泡を吹く。
身体が痙攣し、喉から声にならない音が漏れた。
――また魔術。
そして、きっとこれが、“頭を壊す魔術”だ。
セルドの言葉が脳裏に蘇ると同時に、私は叫んでいた。
「やめて!!」
白衣の治癒士が即座に術式を唱え、治癒魔術を飛ばす。
でも、男の痙攣は止まらない。
エルフはそれを冷ややかに見つめ、薄く笑った。
「拾った道具が壊れるのは惜しいが……、余計な事を喋られるのは、もっと困る」
そう冷徹に零してから、淡々と言い放つ。
「そして、思い知ると良い。力ある者に刃向かうと、どうなるのかを」
エルフは弓を引き絞った。
狙いは――私。
青白い矢尻が、こちらへ向けられる。
息を呑み、剣を構えたその瞬間――。
アロガが、私の前へと踊り出た。
巨体が盾となり、牙を剥く。
「アロガ、駄目!!」
叫んだのに、アロガは動かない。
――必ず守る。
そう決めた獣の背中が、私の視界を塞いだ。
そして、エルフの矢が放たれた――けど、でも、その矢は途中で唐突に弾けた。
空中で風が裂け、矢の軌道が歪み、それで逸れたのだと分かった。
地面に突き刺さり、その直後、矢尻が爆発して砂埃が舞う。
一拍遅れて、今のはナナのお陰だと気付いた。
《今よ! リル!!》
私は歯を食いしばって、思い切り腕を伸ばした。
遠過ぎて、走ったのでは逃げられるし間に合わない。
だから、屋根の上へ向けて、風の魔力を最大まで引き絞った。
刃ではなく、イメージしたのは罪人を縛る“縄”だ。
風の糸を束ね、鞭のように伸ばす。
それは屋根の縁を叩き、エルフの足元を絡め取った。
「……ッ!?」
銀髪のエルフの眉が、初めて動いた。
驚愕と共に彼の足が止まり、体勢が崩れる。
その隙を逃さず、屋根の上の弓兵が矢を放った。
矢はエルフの肩を掠め、血が飛ぶ。
「……なるほど」
エルフは笑った。
傷を負っても尚余裕で……だからそこか、その笑みは崩れない。
「器用な事をする。中々に厄介だ」
彼が指輪に触れ、淡い光を灯すと、次の瞬間、風の糸が霧散した。
きっと、そういう魔術秘具なんだろう。
――でも、十分だ。
今の一撃で、奴は“安全圏”から狙撃する余裕を失った。
警備の弓兵が、完全に狙いを定めている。
エルフもまた、己の不利を悟ったらしく、屋根の反対側へと下がって行く。
「今日はここまでにしよう」
そして、薄い緑の瞳で私を見下ろす。
「――チャンスはこれ一度限り、という訳でもなし。私は、もっと面白い結末を期待している」
そう言い残し、奴は屋根の陰へ消えた。
追いかけるべきか――そう考えた途端、頭の中からナナの声が響いた。
《放っておきなさい。下手に追うのは危険だわ。それより、気にする事があるでしょう》
私は息を吐き、膝が震えるのを叩いて叱咤する。
(……うん、広場の混乱は、まだ完全には収まってない)
でも、致命的な惨事は防げた。
そう思っていると、ラーシュの怒号が聞こえてくる。
「落ち着け!! 暴れてねぇだろ、良く見ろ!!
それと同じくして、グレイスが捕らえた男を蹴り倒し、周囲に向けて叫んだ。
「証拠を確保した! 毒針だ! これが奴らの手口だ!!」
その朗報に、少し安堵したのも束の間、治癒士からは悲痛な叫びが聞こえて来た。
「……駄目です。意識はもう薄く……、反応がありません。これでは、もう……!」
最後にエルフが使った魔術は、もしかしたら、もっと酷いものだったのかもしれない。
それこそ、命まで奪ってしまうような……。
私はアロガの首に両手を置いた。
「アロガ、大丈夫?」
アロガは鼻を鳴らし、私の手に頬を擦りつけた。
その温かさに、私はようやく実感する。
――守れた。
そして、広場に集まった誰もが見た。
エルフが毒を使い、妨害したこと。
ギルドがそれを止めたこと。
そして、アロガが暴れたのではなく、“狙われた”ことを――。
ラーシュが、血走った目で空を睨みながら吐き捨てた。
「……いいぜ。幾ら気にしねぇって言っても、証人は山ほどいる」
私は剣を仕舞うと、木柵の中――試練の場を見た。
集まった人数は、もう半分程に減ってしまったけれど……。
でも、アロガはギルドに認められた、正式なパートナーだと知らしめなければならない。
私は声を張って尋ねた。
「ラーシュさん……この場合、どうなりますか?」
一瞬だけ考え込む仕草を見せ、それから困ったように笑った。
「まぁ実際、さっきのでアロガはしっかり言う事を聞く、と証明されたようなもんだしな……。そこについては、問題なしとして良いだろう!」
そう言って、広場全体に響く声で宣言した。
「――この
今も尚、泰然としているアロガの姿を見て、散り散りになった群衆が、元に戻ろうとしている。
恐怖ばかりの状況とは違い、今は少し冷静になったのもあって、ある程度話を聞く気になった様子だ。
「今の妨害行為、全員見ただろう! 魔獣を従えられた者は、S級への資格を得る!
だが、それを良しとしなかったから、今回のこれが起きた!」
群衆が、怒りと興奮でざわめく。
私はアロガの隣に立ち、木柵の中へ踏み出した。
ラーシュの演説は続く。
「冗談じゃない! ギルドに定められた、正式な試練だ! 魔獣を従え、その安全性を示す! 今回の件で、それは間違いないと、ギルドとして認めるものとする!」
私が一礼すると、冒険者達を中心として拍手が起こる。
グレイスは控え目なものだが、モンティはバンバンと激しく手を叩き合わせている。
いつの間にやら、その横にはミーナちゃんもいて、やっぱり激しめの拍手を送ってくれていた。
――でも、そこで終わりではない。
群衆の間を掻き分けて、ある人物が現れたからだった。