カツン、カツン、という金属質の足音が、群衆の歓声の中から響いた。
それは、これまで暗躍していた忍びやかさとは無縁の、誇り高く、それでいてどこか疲れ切った歩調だった。
そうして、人垣から見えたのは、
「……親方」
私の声に、バルミーロ親方は短く鼻を鳴らした。
その顔は、ひどいものだった。
寝不足で目は血走り、火傷を負った腕には無造作に包帯が巻かれている。
けれど、その手には、ボロ布に包まれた“それ”が大切そうに抱えていた。
「待たせたな、リル。……そして、
親方は広場の中央まで歩み寄ると、重々しく布を広げた。
現れたのは、鈍い銀色に輝く、見たこともないほど精緻な首輪だった。
でも、ただの首輪とは違う。
表面には魔力を安定させるための魔術文字が刻まれ、内側にはアロガの毛並みを傷つけないよう、しなやかそうな革が裏打ちされている。
「店は焼かれたがよ、他の鍛冶場と、俺の腕までは焼けちゃいねぇ。頼めば仕事場を貸してくれる奴は、ごまんと居る」
親方は不器用な手つきで、首輪の細部を指し示した。
「エルフどもの理屈を黙らせるために、
首輪の正面、一番目立つ場所には、彫金師に作らせたと思しきプレートが埋め込まれていた。
そこにはしっかり、冒険者ギルドの印章が刻まれている。
「どうだ、立派なモンだろ。それに、表面の魔術文字は、何も飾りじゃねぇ。アロガの力を抑え込む様に見えるが、実は魔力を流すと反転する。弱体化どころか、守りを高める効果を得るだろう」
私は息を呑み、その冷たい銀の感触に触れた。
指先から、親方が一晩で注ぎ込んだ凄まじい熱量と、職人の意地が伝わってくる。
「親方、こんな……こんなに素晴らしいものを」
「礼はいらねぇ。俺は、気に入らねぇ連中の鼻を明かしたいだけだ。店の借りもあるしな」
親方はアロガを真っ直ぐに見据え、不敵に笑った。
「おい、アロガ。こいつは今の俺に打てる最高のモンだ。……リルを守るために、使ってやってくれ」
アロガはゆっくりと立ち上がり、親方の前に歩み寄った。
普段は決して人間に首を差し出さない誇り高い魔獣が、静かに頭を下げ、その首輪を受け入れる姿勢を見せる。
パチン、と硬質な音が周囲に響いた。
首輪がアロガの首に収まった瞬間、刻まれた魔術文字が淡く発光し、彼の銀色の毛並みと調和して輝いた。
それはもう、獣を縛る鎖などではなく、王者に相応しい貫禄を備えた、装飾品にしか見えなかった。
《素晴らしいわ。……これなら、連中も文句の付けようがない。技術的にも、魔術的にも完璧よ》
ナナの感嘆する声が頭に響く。
私はアロガの首を抱きしめた。
伝わってくるのは、以前よりもずっと深く、鮮明になった相棒の鼓動だった。
「よし、リル。これでお披露目は十分だろう」
ラーシュか惚れ惚れとした様子で、アロガを見つめながら笑った。
「我らギルド支部としては、その正当性を保証する。S級へ挑戦する資格は十分にあり、と本部に推薦すると約束しよう」
「そっか、そうだ……。色々と苦労させられたけど、まだ『S級』への一歩を踏み出しただけなんだよね……」
「なぁに、大丈夫。リルならきっとやり遂げるだろ!」
そう勢い良く太鼓判を押したのは良いものの、ラーシュはすぐに、かっくりと肩を落とした。
「我がギルドから、S級を推薦できるのは名誉な事だが、滞在期間が三日というのもなぁ……。全然、所属してるホームって感じしねぇだろ?」
「うん、まぁ……。正直……」
「……だよな。まぁ、いいさ。あっちの事は流石にフォロー出来ねぇが、何か困った事があれば言え。相談ぐらいなら乗れる」
「うん。ありがとう、ございます……」
私は素直に頭を下げて、お礼を言った。
それから、ふと気になった事を訊いてみる。
「あの……もう、向こうに行って良いの? つまり、アロガを連れて歩いて……。道中とか王都で、騒ぎになったりしないかな……」
「それも大丈夫! 既に伝令は走らせているからな。ほうぼうに行き渡るには、勿論まだ時間は掛かるだろうが、その道は敷けた」
そう言って、今度はニヒルに笑うと、傍らのオンブレッタさんを見る。
「だよな、オンブレッタ?」
「はい、その際にはベントリーさんにも、ご助力願っております。商品の販路は大規模ですから、ついでに広める助けを……」
「え、でも……そんなに早く? 試練を妨害されて、結局失敗上してたかもしれないのに……」
「まぁ、そこは……
いつの間にやら、すぐ近くまでベントリーさんが来ていて、その太鼓腹を叩いて笑った。
「いっそ、既成事実を作ってしまおう、という目論見もありましたな。試練の結果はどうあれ、リルさんが
「それって……良いの? あんまり良くないんじゃ……」
「勿論、良くありませんな」
澄ました顔でそう言うと、次に視線を鋭くする。
「しかし、最初に“あるべき形”を乱したのは、あちらの方ですよ。邪道を用いたら、同じく邪道で以て返される。善意に期待するのが間違いと言うもの」
言うべき事を言い終わると、ベントリーさんは相好を崩して笑う。
「御者と随伴する護衛達には、強く言い含めてあります。何しろ三百年ぶりの快挙だ、と言うではありませんか。そこも含めると、噂は火の手より早く回るでしょうな」
「今だけは、火の手だの何だの言うんじゃねえ。気分が悪くなる」
バルミーロ親方が憤慨した様子を見せると、ベントリーさんは素直に頭を下げた。
「これは確かに……。口にするべき例えではありませんでしたな。陳謝いたします」
バルミーロ親方は快く謝辞を受け、用事は終わった、と踵を返した。
「徹夜は堪える。寄る年波にゃ敵わん。お前さんは、
言うだけ言って、返事も聞かずに去って行ってしまう。
呼び止めようとしたけど、人垣に潜り込んでしまって、後すら追えなかった。
「あ……っ! お店の修復代、出しますって話、したかったのに……」
「あの御仁は受け取らんでしょうなぁ……」
ベントリーさんがそう言って、苦笑を浮かべて見せて、それから続けた。
「頑固な方ですからな。何より、原因はエルフの方にこそある、というお考えでしょうし、それは私も同じです」
「でも……、エルフはきっと、賠償なんてしない……ですよね?」
「左様ですな……。リルさん達は捕虜を得たと聞き及びましたが、そこから突き崩そうにも難しいでしょう。……ともあれ、そこはリルさんが気にする事ではありません」
そうなのかな、と不安になる。
私に協力を表明したからこそ、狙われる事になったのは間違いない。
だから、責任の幾らかは請け負わなきゃ、と思ったんだけど、返ってきた言葉は、やはり否だった。
「自分の孫ほどの年代の子に、金を出させるのは、やはり気が引けるというものですよ。加えて、大恩ある方のお子さんな訳ですしね。そこを汲み取って差し上げる必要もあるかと……」
「そういう……、ものなんだ……」
「ええ……」
「ともあれ、だ……!」
ベントリーさんが大きく頷いた所へ、ラーシュが腕を広げて言う。
「色々と思うところはあるだろうが、お前さんは、まず王都に向かわなきゃならん」
「……うん」
「少し休んでからにしたらどうだ? 何しろ、ここのところ大変続きだったろう。良いと思うぞ」
「ううん、すぐにでも行く」
「そりゃ……、ちょっと性急過ぎやしないか」
ラーシュは難色を示して、腕を組んだ。
しかし、私は首を横に振る。
「ううん。王都でエルフが、次にどんな罠を仕掛けてくるか分からないもん。隙を見せる訳にはいかないと思う。だから、行くならすぐが良いと思って」
「あ~……、そっか……。そうだな」
ラーシュは何度か頷き、その度に理解を深めた様な感じだった。
最終的にはむしろ、背を押すまでに態度を変える。
「そういう事なら行ってこい。ただし、十分、気を付けてな」
「うん――じゃない、はいっ!」
私は一礼すると、アロガの隣に並ぶ。
周囲の人垣から、また
私が一歩踏み出すと、人垣が割れて一本の道が出来る。
朝の光が照りつけて、その道が
その道の先に、待ち受けているのは何だろう。
それが何であれ、もう怖くはない。
私の隣には、最高の相棒と、命を懸けてこれを打ち上げた職人の魂がある。
それが私の背中を押して、勇気の源泉となっていた。