人垣を抜け、大通りを歩いて西の門へと向かう。
アロガの足音は以前よりも力強く、それでいて軽やかだった。
首元で鈍い銀色を放つ首輪が、朝日に反射して眩しい。
そんなアロガを見ていると、私まで誇り高い気持ちになってくる。
私の足まで軽やかになって、門へと弾む気持ちで歩く。
その道すがら、立ち並ぶ露店の端に、一際古びた紫色のテントが、ぽつんと佇んでいた。
周囲の活気から切り離されたようで、その一角だけ妙に静まり返っている。
通り過ぎようとしたその時、ふわりと不思議な香の匂いが鼻をくすぐった。
(……え?)
自然と、足が止まる。
香の香りはよく知ったもので、お母さんの錬金小屋から漂うものに、とても似ていた。
――単なる偶然。
頭ではそう分かっているのに、どうしても素通り出来ない。
まるで、見えない力で引っ張られているかの様だった。
「ガゥ……」
アロガも何かに気づいたのか、足を止めてテントを見つめている。
――《星見の館》。
語るは時、聞くは命――。
垂れ幕には金糸で、そう書かれていた。
いつだったかの収穫祭、そこでも今日みたいに店を出していたと思う。
――あの時も、謎めいた事を言われたけど……。
今となっては、もう詳しく覚えていない。
ただ、その時の私は、とても重大なことを言われたような心地になったものだ。
占いは所詮、占い……。
お母さんも、大して信用してないみたいだったし、だから私も、見なかった事にしようと思ったんだけど――。
しかし、引き寄せられるように、気付けば私は、入り口の厚い布をそっと横に除けていた。
中は外の明るさが嘘のように薄暗く、無数の水晶や乾燥した薬草が、天井から吊るされていた。
奥に置かれた小さな机の向こうに、一人の老婆が座っている。
深く刻まれた皺は樹木の皮のようだけど、その瞳だけは濁りなく、星のように澄んでいた。
「よく来たね、銀の絆を持つ子よ」
老婆は枯れ枝のような指で、向かいの椅子を示した。
「私はリェーシェ婆。ただの、時を覗く老婆だよ、リル」
「リェーシェ、お婆さん……。どうして、私の名前を……? ここに来るって分かってたんですか?」
私が恐る恐る椅子に座ると、アロガはテントの入り口で、番犬の様に静かに伏せた。
リェーシェ婆さんは、アロガの首輪をじっと見つめ、それから満足げに頷く。
「そうとも、分かるのさ。新しい『風』がこの街を出ようとしているとね。……あんた、王都へ行くんだろう?」
――もしかして、ナナが?
一瞬そう思ったけど、こういうのは口から出任せも多い。
それらしい言葉を並べ立てて、客の歓心を買うのだ。
名前にしても、よくよく考えてみれば、ここ数日は大立ち回りだった。
ベントリーさんを初めとして、私とアロガの事を知らせて回ったと思うし、今更この人が、私の名前を知っていても、全く不思議ではなかった。
「えぇと……、はい。王都に行きます。S級の席を、一つ貰いに」
私の言葉に、老婆はくく、と喉を鳴らして笑った。
「威勢がいいね。だが、王都は魔物の住処より、よっぽど恐ろしい場所だよ。あそこにあるのは牙ではなく、言葉と法という名の毒だ」
リェーシェ婆さんは、机の上に置かれた古びた革袋から、三つの石を取り出した。
一つは白、一つは黒、そして最後の一つは……透明な水晶だった。
リーシェ婆がそれを机に転がすと、石は不規則な軌道を描いて止まった。
「……気をつけな。あんたが向かう先には『二つの顔を持つ男』がいる。片方の顔は慈愛に満ち、もう片方の顔は冷徹な氷。あんたが信じるべきは、耳に入る言葉じゃない。その相棒が鳴らす、喉の震えだよ」
老婆は透明な石を指先で弾き、私の方へと滑らせた。
「西へ渡る道は、まだ霧の中だ。そして、あんたが求めるものは、案外近くにある。目と鼻の先、と言っても良い。けれどね……、あんたが行く道は、辿り着く事に意味があるんじゃない。行く道の過程に意味があるのさ」
「えぇっと……。意味が、よく……」
「あぁ、今は分からんとも。ひどく遠い回り道……その間に、大事なものさえ失うだろう。けれど、母の剣に辿り着くには、その回り道こそが大事なのさ」
私は息を呑んだ。
お母さんのことはともかく、剣の事なんて、これまで一言も話していない。
知れるはずのないことだ。
「どうして、それを……」
「占い師の秘密さ」
リェーシェ婆さんは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ると、ゆっくりと目を閉じた。
「あんたに失う覚悟はあるのかい? 得る為に失うそれは、対価に見合っているのかね……」
「何を……失うんですか?」
「大事なものさ。あんたが何より大事に思うもの、それを失う。それでも行くのかい? ——いや、行くんだろうけどね」
勝手に納得して、リーシェ婆は頷く。
何かを失う——それが本当なら怖い。
何より大事なもの——そう聞いて、脳裏に描いたのは、アロガとナナ、森の家とシルケ……そして胸元のペンダントだった。
どれも失いたくないもので、占いが本当なら行くのを止めたい、とすら思う。
——でも。
それでも、リーシェ婆の言う通り、止まるつもりはなかった。
「さぁ、行きな。門の外――その遠い先では、運命が待ちくたびれているよ。……その水晶は持っておいで。道に迷った時、あんたの心に小さな光と……道を灯してくれるだろう」
私は差し出された小さな水晶を握りしめた。
ほんのりと温かく、不思議と勇気が湧いてくるような感触がある。
「……ありがとうございます、リェーシェお婆さん。お代は……」
「今日の所はサービスにしとこう。あんたとはまた会える……婆には分かるのさ。何しろ、明日のあんたが、昨日の婆に会うんだからね」
「明日の……昨日?」
何を言っているのか意味不明で、首を傾げていると、リェーシェ婆はくっく、と笑った。
「今は分からない。……分かろう筈もない。運命ってやつは、いつだってその時を待ちわびているからね」
やっぱり、何が何やら分からない。
上手くはぐらかされただけ……、占い師の煙に巻く技術に翻弄されただけかもしれない。
「じゃあ、あの……ありがとう。行ってきます」
テントを出ると、再び強烈な光が私とアロガを包み込んだ。
先ほどまでの不思議な静寂は消え、門の向こうに広がる街道の、ざわめきまでが聞こえてくる。
「アロガ、行こう。……二つの顔を持つ男、か」
アロガは短く吠え、私を促すように歩き出した。
王都。六つの席。
そして、母さんの剣がある――あるはずの西の地……。
リェーシェ婆さんの言葉を胸に、私は一歩、この始まりの街を踏み出した。
※※※
門を賑わす通行の音が、背後で余韻を残して遠退いていく。
目の前に広がるのは、どこまでも続く真っ直ぐな街道と、朝露に濡れた草原の匂いだった。
私とアロガがその一歩を踏み出したとき、不意に横の木陰から聞き慣れた声が響いた。
「おい、リル! 見送りもさせずに行っちまうのかよ」
振り向くと、そこには腕を組んで不敵に笑うモンティと、その隣で控えめに手を振るミーナちゃんの姿があった。
「モンティ……、ミーナちゃんも。どうしてここに?」
私が足を止めると、モンティは少しだけ決まり悪そうに鼻を擦り、それから深く息を吐いた。
「いや、まぁ……。あの広場の中じゃ、ギルドの連中やら、野次馬やらがうるさかったからな。こういうのは静かな場所の方がいいだろ」
モンティの視線が、アロガの首で鈍く光る銀色の首輪に向けられる。
それを眩しそうに見つめた後、視線を街道の先、遥か彼方にあるはずの王都の方角へと向けた。
「……本当ならよ、俺も一緒についていきたかったんだぜ」
ポツリと漏らした言葉には、いつもの快活さとは違う、熱を帯びた“悔しさ”が混じっていた。
「でもよ、今の俺が行ったところで、王都のバカ高い宿代を払って、珍しいもんを見て回って……それだけの『観光客』で終わっちまう。……そんなの、冒険者じゃねぇだろ」
モンティは拳を強く握りしめ、自分自身に言い聞かせるように言葉を続けた。
「俺はいつか、自分の実力で王都のギルドから指名が来るような、そんな冒険者になってあそこへ行く。リル、お前が切り拓くその道を、俺も俺の足で追いかけてやるからな」
その言葉に、ミーナちゃんが優しく微笑みながら、モンティの背中をそっと支えるように寄り添った。
「その時は、私も一緒だよ。モンティが王都で難しい仕事を受けれても、馬鹿しないようにね」
「ミーナよぉ……。お前は一言、多いんだよなぁ。ちゃんとやるって」
口ではそう言っていても、二人の間には揺るぎない信頼がある。
それを見ていると、私の胸の奥にも温かな火が灯るのを感じた。
私は二人に向かって、深々と頭を下げる。
「……ありがとう。私、先に行ってるね。王都のギルドで、モンティの名前が響く日を楽しみにしてる」
「おう! もたもたしてると、すぐに追い抜いちまうぞ!」
モンティが豪快に笑い、大きく手を振る。
ミーナちゃんも「気をつけてね」と声をかけてくれた。
二人の姿が小さくなるまで、私は何度も振り返り、手を振り返した。
そして姿が見えなくなると、ようやく前だけを見据える。
きっと――。
モンティはその志が砕けない限り、王都のギルドを目指し続けるんだろう。
でも私は、ギルドでの名声に興味がない。
目指す場所が違うので、きっとその道が交わることはないけれど……。
でも、モンティの夢が叶えば良い、と思いながら私は街に別れを告げた。