混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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銀の絆と王都の毒 その4

 人垣を抜け、大通りを歩いて西の門へと向かう。

 アロガの足音は以前よりも力強く、それでいて軽やかだった。

 

 首元で鈍い銀色を放つ首輪が、朝日に反射して眩しい。

 そんなアロガを見ていると、私まで誇り高い気持ちになってくる。

 

 私の足まで軽やかになって、門へと弾む気持ちで歩く。

 その道すがら、立ち並ぶ露店の端に、一際古びた紫色のテントが、ぽつんと佇んでいた。

 

 周囲の活気から切り離されたようで、その一角だけ妙に静まり返っている。

 通り過ぎようとしたその時、ふわりと不思議な香の匂いが鼻をくすぐった。

 

(……え?)

 

 自然と、足が止まる。

 香の香りはよく知ったもので、お母さんの錬金小屋から漂うものに、とても似ていた。

 

 ――単なる偶然。

 頭ではそう分かっているのに、どうしても素通り出来ない。

 

 まるで、見えない力で引っ張られているかの様だった。

 

「ガゥ……」

 

 アロガも何かに気づいたのか、足を止めてテントを見つめている。

 

 ――《星見の館》。

 語るは時、聞くは命――。

 

 垂れ幕には金糸で、そう書かれていた。

 いつだったかの収穫祭、そこでも今日みたいに店を出していたと思う。

 

 ――あの時も、謎めいた事を言われたけど……。

 今となっては、もう詳しく覚えていない。

 

 ただ、その時の私は、とても重大なことを言われたような心地になったものだ。

 占いは所詮、占い……。

 

 お母さんも、大して信用してないみたいだったし、だから私も、見なかった事にしようと思ったんだけど――。

 

 しかし、引き寄せられるように、気付けば私は、入り口の厚い布をそっと横に除けていた。

 

 中は外の明るさが嘘のように薄暗く、無数の水晶や乾燥した薬草が、天井から吊るされていた。

 

 奥に置かれた小さな机の向こうに、一人の老婆が座っている。

 深く刻まれた皺は樹木の皮のようだけど、その瞳だけは濁りなく、星のように澄んでいた。

 

「よく来たね、銀の絆を持つ子よ」

 

 老婆は枯れ枝のような指で、向かいの椅子を示した。

 

「私はリェーシェ婆。ただの、時を覗く老婆だよ、リル」

 

「リェーシェ、お婆さん……。どうして、私の名前を……? ここに来るって分かってたんですか?」

 

 私が恐る恐る椅子に座ると、アロガはテントの入り口で、番犬の様に静かに伏せた。

 リェーシェ婆さんは、アロガの首輪をじっと見つめ、それから満足げに頷く。

 

「そうとも、分かるのさ。新しい『風』がこの街を出ようとしているとね。……あんた、王都へ行くんだろう?」

 

 ――もしかして、ナナが?

 一瞬そう思ったけど、こういうのは口から出任せも多い。

 

 それらしい言葉を並べ立てて、客の歓心を買うのだ。

 名前にしても、よくよく考えてみれば、ここ数日は大立ち回りだった。

 

 ベントリーさんを初めとして、私とアロガの事を知らせて回ったと思うし、今更この人が、私の名前を知っていても、全く不思議ではなかった。

 

「えぇと……、はい。王都に行きます。S級の席を、一つ貰いに」

 

 私の言葉に、老婆はくく、と喉を鳴らして笑った。

 

「威勢がいいね。だが、王都は魔物の住処より、よっぽど恐ろしい場所だよ。あそこにあるのは牙ではなく、言葉と法という名の毒だ」

 

 リェーシェ婆さんは、机の上に置かれた古びた革袋から、三つの石を取り出した。

 一つは白、一つは黒、そして最後の一つは……透明な水晶だった。

 

 リーシェ婆がそれを机に転がすと、石は不規則な軌道を描いて止まった。

 

「……気をつけな。あんたが向かう先には『二つの顔を持つ男』がいる。片方の顔は慈愛に満ち、もう片方の顔は冷徹な氷。あんたが信じるべきは、耳に入る言葉じゃない。その相棒が鳴らす、喉の震えだよ」

 

 老婆は透明な石を指先で弾き、私の方へと滑らせた。

 

「西へ渡る道は、まだ霧の中だ。そして、あんたが求めるものは、案外近くにある。目と鼻の先、と言っても良い。けれどね……、あんたが行く道は、辿り着く事に意味があるんじゃない。行く道の過程に意味があるのさ」

 

「えぇっと……。意味が、よく……」

 

「あぁ、今は分からんとも。ひどく遠い回り道……その間に、大事なものさえ失うだろう。けれど、母の剣に辿り着くには、その回り道こそが大事なのさ」

 

 私は息を呑んだ。

 お母さんのことはともかく、剣の事なんて、これまで一言も話していない。

 知れるはずのないことだ。

 

「どうして、それを……」

 

「占い師の秘密さ」

 

 リェーシェ婆さんは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ると、ゆっくりと目を閉じた。

 

「あんたに失う覚悟はあるのかい? 得る為に失うそれは、対価に見合っているのかね……」

 

「何を……失うんですか?」

 

「大事なものさ。あんたが何より大事に思うもの、それを失う。それでも行くのかい? ——いや、行くんだろうけどね」

 

 勝手に納得して、リーシェ婆は頷く。

 何かを失う——それが本当なら怖い。

 

 何より大事なもの——そう聞いて、脳裏に描いたのは、アロガとナナ、森の家とシルケ……そして胸元のペンダントだった。

 

 どれも失いたくないもので、占いが本当なら行くのを止めたい、とすら思う。

 ——でも。

 

 それでも、リーシェ婆の言う通り、止まるつもりはなかった。

 

「さぁ、行きな。門の外――その遠い先では、運命が待ちくたびれているよ。……その水晶は持っておいで。道に迷った時、あんたの心に小さな光と……道を灯してくれるだろう」

 

 私は差し出された小さな水晶を握りしめた。

 ほんのりと温かく、不思議と勇気が湧いてくるような感触がある。

 

「……ありがとうございます、リェーシェお婆さん。お代は……」

 

「今日の所はサービスにしとこう。あんたとはまた会える……婆には分かるのさ。何しろ、明日のあんたが、昨日の婆に会うんだからね」

 

「明日の……昨日?」

 

 何を言っているのか意味不明で、首を傾げていると、リェーシェ婆はくっく、と笑った。

 

「今は分からない。……分かろう筈もない。運命ってやつは、いつだってその時を待ちわびているからね」

 

 やっぱり、何が何やら分からない。

 上手くはぐらかされただけ……、占い師の煙に巻く技術に翻弄されただけかもしれない。

 

「じゃあ、あの……ありがとう。行ってきます」

 

 テントを出ると、再び強烈な光が私とアロガを包み込んだ。

 先ほどまでの不思議な静寂は消え、門の向こうに広がる街道の、ざわめきまでが聞こえてくる。

 

「アロガ、行こう。……二つの顔を持つ男、か」

 

 アロガは短く吠え、私を促すように歩き出した。

 王都。六つの席。

 

 そして、母さんの剣がある――あるはずの西の地……。 

 リェーシェ婆さんの言葉を胸に、私は一歩、この始まりの街を踏み出した。

 

 

  ※※※

 

 

 門を賑わす通行の音が、背後で余韻を残して遠退いていく。

 目の前に広がるのは、どこまでも続く真っ直ぐな街道と、朝露に濡れた草原の匂いだった。

 

 私とアロガがその一歩を踏み出したとき、不意に横の木陰から聞き慣れた声が響いた。

 

「おい、リル! 見送りもさせずに行っちまうのかよ」

 

 振り向くと、そこには腕を組んで不敵に笑うモンティと、その隣で控えめに手を振るミーナちゃんの姿があった。

 

「モンティ……、ミーナちゃんも。どうしてここに?」

 

 私が足を止めると、モンティは少しだけ決まり悪そうに鼻を擦り、それから深く息を吐いた。

 

「いや、まぁ……。あの広場の中じゃ、ギルドの連中やら、野次馬やらがうるさかったからな。こういうのは静かな場所の方がいいだろ」

 

 モンティの視線が、アロガの首で鈍く光る銀色の首輪に向けられる。

 

 それを眩しそうに見つめた後、視線を街道の先、遥か彼方にあるはずの王都の方角へと向けた。

 

「……本当ならよ、俺も一緒についていきたかったんだぜ」

 

 ポツリと漏らした言葉には、いつもの快活さとは違う、熱を帯びた“悔しさ”が混じっていた。

 

「でもよ、今の俺が行ったところで、王都のバカ高い宿代を払って、珍しいもんを見て回って……それだけの『観光客』で終わっちまう。……そんなの、冒険者じゃねぇだろ」

 

 モンティは拳を強く握りしめ、自分自身に言い聞かせるように言葉を続けた。

 

「俺はいつか、自分の実力で王都のギルドから指名が来るような、そんな冒険者になってあそこへ行く。リル、お前が切り拓くその道を、俺も俺の足で追いかけてやるからな」

 

 その言葉に、ミーナちゃんが優しく微笑みながら、モンティの背中をそっと支えるように寄り添った。

 

「その時は、私も一緒だよ。モンティが王都で難しい仕事を受けれても、馬鹿しないようにね」

 

「ミーナよぉ……。お前は一言、多いんだよなぁ。ちゃんとやるって」

 

 口ではそう言っていても、二人の間には揺るぎない信頼がある。

 それを見ていると、私の胸の奥にも温かな火が灯るのを感じた。

 

 私は二人に向かって、深々と頭を下げる。

 

「……ありがとう。私、先に行ってるね。王都のギルドで、モンティの名前が響く日を楽しみにしてる」

 

「おう! もたもたしてると、すぐに追い抜いちまうぞ!」

 

 モンティが豪快に笑い、大きく手を振る。

 ミーナちゃんも「気をつけてね」と声をかけてくれた。

 

 二人の姿が小さくなるまで、私は何度も振り返り、手を振り返した。

 そして姿が見えなくなると、ようやく前だけを見据える。

 

 きっと――。

 モンティはその志が砕けない限り、王都のギルドを目指し続けるんだろう。

 

 でも私は、ギルドでの名声に興味がない。

 目指す場所が違うので、きっとその道が交わることはないけれど……。

 

 でも、モンティの夢が叶えば良い、と思いながら私は街に別れを告げた。

 

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