目の前に伸びる白茶色の街道は、遥か地平線の先まで続いている。
見上げる空はどこまでも高く、自由と、それと同じくらいの不安が、私の胸を占めていた。
しばらく歩いていると、街道脇で待機していた一台の馬車が見えてきた。
その側面に描かれているのは、ベントリーさんの商会の紋章だ。
「リルさん、こちらです!」
御者台から身を乗り出して、手を振っているのは若い御者だった。
何だか頼りなさそうに見えるけど、あのベントリーさんが任せるくらいだから、それなりの人物なのかもしれない。
「……どうしたの? 何か困りごと?」
「いえ、旦那様の計らいです。王都へ向かう商隊に、これから合流するので、どうせなら便乗されてはどうか、と……」
「そっか……、ありがたいね」
私がアロガに向けて言うと、不満そうに鼻を鳴らした。
アロガはその巨体故、当然荷台には乗れない。
「アロガ、どうせなら自分に乗れって、思ってる?」
アロガは馬車を一瞥し、頷き代わりに鼻から勢い良く息を吐いた。
「普段なら、そうしても良いんだけど……」
今は他人の目があるし、何より互いに別方向を警戒しておいた方が良い。
「もう妨害はない……なんて思ってられないもの。アロガに乗ってると、いざって時、躱せなかったりするでしょ? だから、アロガはそっちの方を見てて」
私が指差すのは、馬車の進行方向に対して左側だった。
そして、私は荷台から逆方向を警戒する。
見えるのは、だだっ広い草原だけだけど、今は警戒し過ぎて、し過ぎるという事はないはずだ。
私が荷台に乗り込んで、御礼と共に手を振ると、馬車はゆっくりと歩き出した。
馬はアロガを酷く警戒していて、今にも逃げ出そうとしている。
力ある魔獣が傍に居るだけで、獣は酷くストレス受ける……と、お母さんは教えてくれた。
――あの時は森獣を手放すしかなかったけど……。
あの馬の様子を見ていると、今更ながらにお母さんは正しいことをしたんだと分かった。
お母さん……。
今や遠い過去となってしまった事に思いを馳せる。
でもすぐに、頭の中でナナの声が響いた。
《ようやく出発ね。……ねぇ、リル。あの老婆の言葉、気にしてる?》
ナナはいつも通り冷静な声音だったけど、でも少しだけ面白がっているようにも聞こえた。
(……“二つの顔を持つ男”、でしょ? 気にしない方が無理だよ)
《“言葉と法という名の毒”、か……。確かに、剣が届かない相手ほど厄介なものはないわ。――でもリル、忘れないで。いつだって、あたしとアロガは、頼りになる相棒なんだからね》
(……物騒な言い方しないでよ。でも、そうだね……)
私は懐に仕舞った、あの透明な水晶に触れた。
リェーシェ婆が言っていた“心の光”。
それこそが、王都という権謀術数渦巻く場所で、私とアロガが自分たちを見失わないための道標かもしれない。
※※※
警戒すると言いつつも、いつまでもその緊張が続くはずもなく――。
いつの間にやら、馬車が揺れるに任せて、私は流れていく景色を眺めるだけになっていた。
緑の草原が続き、時折、遠くに古い遺跡や小さな村が見える。
「……ねぇ、アロガ」
荷台のすぐ横で併走――というより、併
私はその毛並みに指を沈ませ、温かな方熱を感じながら言う。
「お母さんの剣を取り戻すのに、西の地へ行く。……その為には、きっと、もっと頑張らなきゃいけないんだよね。S級の人たちって、どのくらい強いんだろ」
アロガは目を向けず、ただ静かに尻尾を一度だけ振った。
まるで、気にするな、とでも言うかのように。
そして、全て任せろ、とでも言いたげな、自信に満ちた雰囲気を発した。
馬がまた怯えて、馬車がグラリと揺れる。
「もぉ~、アロガぁ~……」
苦笑しながら、毛並みを叩く様にして漉く。
まだまだ、王都までは時間が掛かりそうだった。
※※※
今はすっかり王都行きの商隊と合流し、気軽な道行きを楽しんでいる。
「これだけ立派な
そう言って、商隊のリーダーは笑ったものだ。
それは護衛の冒険者も一緒で、既に話を聞いていた彼らは、多少おっかなびっくりではあったものの、その堂々たる姿に惚れ惚れしていた。
そうして、旅が始まって二日目の夕暮れ時――。
前方を走っていた護衛の冒険者が、鋭い口笛を鳴らした。
「おい、見ろ! 検問所があるぞ!」
沈みゆく夕日に照らされて、木の杭を幾つも打ち込み、急ごしらえで作られた関門が見えてきた。
ここを越えれば、いよいよ王都の管轄内に入るらしい。
前にも一度通ったはずなのに、記憶にないのは何故だろう。
そんな小さな呟きを、御者の青年が耳聡く拾って答えてくれる。
「別に珍しくないですよ。関が設けられれば、その分だけ税の徴収が出来るわけてすからね」
「それって、行き来し辛くならない?」
「なりますね。その分だけ商品の値段も上がりますし……。特に最近は、街の再建が上手く行って羽振りが良いですから」
「そうなの?」
「うちから“紫銀の試験紙”が多く輸出できるようになったのも、理由の一つですよ」
そう言って、青年は笑った。
「作れば作るほど売れるので、我らが商会は過去最高益を更新し続けています。……で、その旨みを貰い受けようって、国としては考えたんでしょうね」
「イヤだね……」
「ま、仕方ないですよ。関があれば、野盗なんかも出なくなりますし、安全性を保たれるって意味もありますから、邪険にし過ぎるのも考えものです」
「色々……複雑なんだね。森とは大違い……」
あっちはもっと、単純だった。
商売なんてしてないから、それはそうだと思うけど……。
でも、妖精達が精霊界に帰る時、関なんて作ろうとは思わない。
お互い、それが当然だと思っていたけど、国って言う大きな家を維持するには、必要な事なんだろうか。
――ヒトの世界は面倒くさい。
妖精も言ってた事が、今更ながら一つ理解できた気がした。
そんな事を考えていると、関がもう目の前まで来ていた。
でも、門番たちの様子が、少しおかしい。
商隊を歓迎する風でもなく、どこかピリついた空気でこちらを睨みつけている。
「……アロガ」
私は短剣の柄にそっと手をかけた。
王都へ着く前から、もう“毒”の気配が漂い始めている。
リェーシェ婆さんの予言――。
“二つの顔を持つ男”との出会いは、案外すぐそこまで来ているのかもしれない。