混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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銀の絆と王都の毒 その6

 商隊の先頭が止まり、荷馬車が重い音を立てて静止した。

 夕闇が迫る中、検問所の焚き火が赤々と揺れている。

 

 その光に照らされた門兵たちの顔は、職務に忠実な公務員というより、獲物を待つ猟師の鋭さに似ていた。

 

「おい、そこの獣人。……いや、そこの『飼い主』だな。降りろ」

 

 隊長らしき男が、アロガを指差しながら、顎で私に合図を送った。

 その手には、威嚇するように用意された、抜き身の槍が握られている。

 

「……何のご用ですか?」

 

 私は荷台から飛び降り、アロガの傍らに立った。

 アロガは低く唸り、地面を爪で薄く削っている。

 

 アロガもまた、この場所を支配する“嫌な気配”を感じ取っているようだ。

 

「ご用も何も、知らねぇとは言わせねぇぞ。王都直轄令だ。最近、やたら魔獣被害が多発していてな。出所不明の大型魔獣なんぞ、ここから先を通すわけにはいかんのよ」

 

「直轄令……? それに、魔獣被害の多発ですって? そんな話、聞いた事もありません!」

 

 御者の青年が、慌てて割って入った。

 

「隊長さん、彼女はベントリー商会の紹介で、ギルドの正式な推薦も受けているんです。この首輪を見てください。バルミーロ親方が打った、由緒正しい……」

 

「黙れ、商人。ギルドの裁量など、ここでは何の意味もない。言ったはずだぞ、直轄令だ。法の下に行われている事なんだよ」

 

 隊長は冷たく鼻で笑い、私とアロガの間を割るように歩み寄ってきた。

 

「特にこの個体だ。剣虎狼(ウルガー)……とか言ったか。S級に匹敵する危険生物だろう。これだけのモノをガキ一人の手に委ねるなど、国防上の怠慢と言わざるを得ん」

 

 ――また、エルフか。

 そんな感想が頭をよぎる。

 

《きっと、ここを通ると踏んで、鼻薬でも嗅がせたんでしょ。——あぁ、つまり、買収したって意味ね。切り口を変えてきたわね》

 

(バイシューって?)

 

《お金を渡して、自分の都合の良いように、動かすってことよ》

 

(この隊長からは、確かに魔力の残滓を感じられないけど……。でも、本当に? お役人なんでしょ? 正しいことをする人なんだよね?)

 

《そうだけど、役人は薄給なのよ。だから、お金を渡して便宜を図って貰う、とか普通に通用するのよね……》

 

 私は内心で、げんなりと息を吐く。

 

(そんなの変だよ……。お金で正しいことを捨てちゃうの?)

 

《そうね……、変だと思うわ。そんな事の為にって、あたしも思う。でもね、ヒトにとってお金ってのは、幾らあっても足りないものなのよ》

 

(だから、お金さえ渡せば言う事きく? 私も渡さないといけないのかな……)

 

 それが今は正しいこと……なのだろうか。

 だとしても、何だかとても嫌な感じがした。

 

 今だけ、と言い聞かせても、胸の内のモヤモヤが増えていくだけで、やりたいとはどうしても思えない。

 

 お母さんなら、何か上手く躱したり、もっと上手い方法を思い付くのかな……。

 答えを出せず考え込んでいると、隊長から苛立しげな声をぶつけられた。

 

「さぁ、そいつを檻に移せ。抵抗するなら、法の下に魔獣殺処分の対象とするぞ」

 

 ――本当に嫌になる。

 “安全”や“法”という言葉を盾にして、私の大切な相棒(おとうと)を奪おうとしている。

 

 これが、リェーシェ婆の言っていた“毒”で……そして、こういう手段を取ってくるのがエルフなんだ。

 

 いっそ力尽くで通ってやろうか。

 そんな事を考えていると――。

 

《リル、待って。……来るわよ》

 

 ナナの鋭い警告が頭に響いた。

 アロガが喉を鳴らし、関門の奥――王都へと続く道の闇を見据える。

 

 そこから、一台の白塗りの馬車が静かに現れた。

 装飾過多なその車体には、立派な紋章が刻まれている。

 

《あれは多分、評議会――そこに属する偉ヒトの紋章ね》

 ナナが呟くのと同時、扉が開いて、一人の男が降りてきた。

 

「……そこまでにしましょう。私の管轄を汚すような真似は、感心しませんね」

 

 その声は、驚くほど澄んでいて優しかった。

 二十代後半ぐらいの年頃で、絹のような金髪に、柔和な垂れ目が印象的だった。

 口元には、見る者を安心させるような、慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいる。

 

「カ、カスティエル様!」

 

 門兵たちが一斉に膝をつき、槍を収めた。

 男――カスティエルと呼ばれた人は、軽やかな足取りで私の方へと歩いてくる。

 

「怖がらせてしまいましたね。私はこの管轄の責任を預かる者です。兵たちが無作法を働いたこと、どうか許してください」

 

 彼は私の目の前で足を止め、深々と頭を下げた。

 その態度はどこまでも紳士的で、先ほどの門兵たちの威圧感が、まるで悪い夢のようだった。

 

「あ……、いえ……」

 

「この子が噂の剣虎狼(ウルガー)ですね。……素晴らしい。話に聞く以上の気高さだ。あなたがリルさんですね? ベントリー殿から手紙を受け取っていますよ。あなたがどれほど街のために尽くし、そして理不尽な試練に立ち向かっているか、その全てを把握しています」

 

 カスティエルさんは私の手を取り、包み込むように握った。

 その温もりは本物の善意のように感じられる。

 

 けれど、私は知っている。

 ――これは、あの時と同じだ。

 

 お母さんとの旅路の途中、山間に作られた砦を任されていた代官……。

 柔和な表情で歓迎して、その時は良い人そうだと勘違いした。

 

 あの時の雰囲気に、この人はとても似ていた。

 微笑みは、まだ彼の口元にあって、声も依然として柔らかい。

 

 けれど、私を見つめるその瞳だけが、死んだ魚のように無機質で、氷のように冷徹だった。

 

 その目は、私を人間として見ていない。

 アロガを生き物として見ていない。

 

 利用価値があるかどうか、それを見定める目をしていた。

 

《……リル、気を引き締めて。この男よ。あの婆さんが言っていたのは》

 

 ナナの声も、痛いほどの緊張を含んでいる。

 

「リルさん、私はあなたの味方です。王都でのS級昇格、私が全力で後押ししましょう。……その代わり、一つだけお願いがあるのですが」

 

 カスティエルさんは、顔を近づけて囁いた。

 相変わらず声は甘く、慈愛に満ちている。

 

「そのアロガという魔獣……。あなたの『従属』を証明するため、王都に入る前に一度、私の所に立ち寄らせてはいただけませんか?  手続きを簡略化するため……いわば、法を味方につけるため、ちょっとした手続きをするのです」

 

 アロガが、今まで聞いたこともないような低い、地を這うような音で喉を鳴らした。

 私の指先にある水晶が、微かに熱を帯びる。

 

 目の前の男は、相変わらず優しげに笑っている。

 けれど、その背後には、底の見えない奈落が広がっているような気がした。

 

「……手続き、ですか?」

 

「ええ。法とは、守るためのものであり、守る者を庇護するものであり、そして縛るためのものでもある。私はあなたを守りたい。……信じていただけますね?」

 

 夕闇の中、彼の瞳が不気味に輝いた。

 王都への入り口――。

 

 私は、自分が想像していたよりもずっと恐ろしいものの正体を、その微笑みの裏に見た気がした。

 

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