商隊の先頭が止まり、荷馬車が重い音を立てて静止した。
夕闇が迫る中、検問所の焚き火が赤々と揺れている。
その光に照らされた門兵たちの顔は、職務に忠実な公務員というより、獲物を待つ猟師の鋭さに似ていた。
「おい、そこの獣人。……いや、そこの『飼い主』だな。降りろ」
隊長らしき男が、アロガを指差しながら、顎で私に合図を送った。
その手には、威嚇するように用意された、抜き身の槍が握られている。
「……何のご用ですか?」
私は荷台から飛び降り、アロガの傍らに立った。
アロガは低く唸り、地面を爪で薄く削っている。
アロガもまた、この場所を支配する“嫌な気配”を感じ取っているようだ。
「ご用も何も、知らねぇとは言わせねぇぞ。王都直轄令だ。最近、やたら魔獣被害が多発していてな。出所不明の大型魔獣なんぞ、ここから先を通すわけにはいかんのよ」
「直轄令……? それに、魔獣被害の多発ですって? そんな話、聞いた事もありません!」
御者の青年が、慌てて割って入った。
「隊長さん、彼女はベントリー商会の紹介で、ギルドの正式な推薦も受けているんです。この首輪を見てください。バルミーロ親方が打った、由緒正しい……」
「黙れ、商人。ギルドの裁量など、ここでは何の意味もない。言ったはずだぞ、直轄令だ。法の下に行われている事なんだよ」
隊長は冷たく鼻で笑い、私とアロガの間を割るように歩み寄ってきた。
「特にこの個体だ。
――また、エルフか。
そんな感想が頭をよぎる。
《きっと、ここを通ると踏んで、鼻薬でも嗅がせたんでしょ。——あぁ、つまり、買収したって意味ね。切り口を変えてきたわね》
(バイシューって?)
《お金を渡して、自分の都合の良いように、動かすってことよ》
(この隊長からは、確かに魔力の残滓を感じられないけど……。でも、本当に? お役人なんでしょ? 正しいことをする人なんだよね?)
《そうだけど、役人は薄給なのよ。だから、お金を渡して便宜を図って貰う、とか普通に通用するのよね……》
私は内心で、げんなりと息を吐く。
(そんなの変だよ……。お金で正しいことを捨てちゃうの?)
《そうね……、変だと思うわ。そんな事の為にって、あたしも思う。でもね、ヒトにとってお金ってのは、幾らあっても足りないものなのよ》
(だから、お金さえ渡せば言う事きく? 私も渡さないといけないのかな……)
それが今は正しいこと……なのだろうか。
だとしても、何だかとても嫌な感じがした。
今だけ、と言い聞かせても、胸の内のモヤモヤが増えていくだけで、やりたいとはどうしても思えない。
お母さんなら、何か上手く躱したり、もっと上手い方法を思い付くのかな……。
答えを出せず考え込んでいると、隊長から苛立しげな声をぶつけられた。
「さぁ、そいつを檻に移せ。抵抗するなら、法の下に魔獣殺処分の対象とするぞ」
――本当に嫌になる。
“安全”や“法”という言葉を盾にして、私の大切な
これが、リェーシェ婆の言っていた“毒”で……そして、こういう手段を取ってくるのがエルフなんだ。
いっそ力尽くで通ってやろうか。
そんな事を考えていると――。
《リル、待って。……来るわよ》
ナナの鋭い警告が頭に響いた。
アロガが喉を鳴らし、関門の奥――王都へと続く道の闇を見据える。
そこから、一台の白塗りの馬車が静かに現れた。
装飾過多なその車体には、立派な紋章が刻まれている。
《あれは多分、評議会――そこに属する偉ヒトの紋章ね》
ナナが呟くのと同時、扉が開いて、一人の男が降りてきた。
「……そこまでにしましょう。私の管轄を汚すような真似は、感心しませんね」
その声は、驚くほど澄んでいて優しかった。
二十代後半ぐらいの年頃で、絹のような金髪に、柔和な垂れ目が印象的だった。
口元には、見る者を安心させるような、慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいる。
「カ、カスティエル様!」
門兵たちが一斉に膝をつき、槍を収めた。
男――カスティエルと呼ばれた人は、軽やかな足取りで私の方へと歩いてくる。
「怖がらせてしまいましたね。私はこの管轄の責任を預かる者です。兵たちが無作法を働いたこと、どうか許してください」
彼は私の目の前で足を止め、深々と頭を下げた。
その態度はどこまでも紳士的で、先ほどの門兵たちの威圧感が、まるで悪い夢のようだった。
「あ……、いえ……」
「この子が噂の
カスティエルさんは私の手を取り、包み込むように握った。
その温もりは本物の善意のように感じられる。
けれど、私は知っている。
――これは、あの時と同じだ。
お母さんとの旅路の途中、山間に作られた砦を任されていた代官……。
柔和な表情で歓迎して、その時は良い人そうだと勘違いした。
あの時の雰囲気に、この人はとても似ていた。
微笑みは、まだ彼の口元にあって、声も依然として柔らかい。
けれど、私を見つめるその瞳だけが、死んだ魚のように無機質で、氷のように冷徹だった。
その目は、私を人間として見ていない。
アロガを生き物として見ていない。
利用価値があるかどうか、それを見定める目をしていた。
《……リル、気を引き締めて。この男よ。あの婆さんが言っていたのは》
ナナの声も、痛いほどの緊張を含んでいる。
「リルさん、私はあなたの味方です。王都でのS級昇格、私が全力で後押ししましょう。……その代わり、一つだけお願いがあるのですが」
カスティエルさんは、顔を近づけて囁いた。
相変わらず声は甘く、慈愛に満ちている。
「そのアロガという魔獣……。あなたの『従属』を証明するため、王都に入る前に一度、私の所に立ち寄らせてはいただけませんか? 手続きを簡略化するため……いわば、法を味方につけるため、ちょっとした手続きをするのです」
アロガが、今まで聞いたこともないような低い、地を這うような音で喉を鳴らした。
私の指先にある水晶が、微かに熱を帯びる。
目の前の男は、相変わらず優しげに笑っている。
けれど、その背後には、底の見えない奈落が広がっているような気がした。
「……手続き、ですか?」
「ええ。法とは、守るためのものであり、守る者を庇護するものであり、そして縛るためのものでもある。私はあなたを守りたい。……信じていただけますね?」
夕闇の中、彼の瞳が不気味に輝いた。
王都への入り口――。
私は、自分が想像していたよりもずっと恐ろしいものの正体を、その微笑みの裏に見た気がした。