「……お気持ちは、とても嬉しいです。カスティエル、様……」
私は、繋がれた手をそっと、けれど明確に引き抜いた。
カスティエルさんの眉が、ほんの一瞬だけ、ぴくりと跳ねる。
「ですが、私は冒険者です。手続きは、しかるべき場所……ギルドの本部で行うべきだと教わりました。特例を認めていただくのは、かえってギルドの顔に泥を塗ることになりかねませんから」
お母さんから教わった“丁寧な断り方”を思い出しながら、必死に言葉を紡ぐ。
カスティエルは、驚いたように目を丸くした後、またあの慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「……おや、真面目なのですね。王都では、その真っ直ぐさが仇にならなければ良いのですが……」
彼は残念そうに首を振り、門兵たちに手招きをした。
「通してあげなさい。彼女は我が国の『宝』になるかもしれない方だ。法を柔軟に運用することも、我々の務めですよ」
隊長が慌てて槍を引き、道を空ける。
私は頭を下げて馬車に戻ると、元の位置に座って出発を促す。
カスティエルはその時になっても何もせず、私とアロガが通り過ぎるのを、ただ静かに見送っていた。
《……リル、前だけ見て。振り返っちゃダメよ》
ナナの声が、今まで以上に厳しい。
私は言われるがまま、真っ直ぐ前を見つめて、アロガと共に検問所を通り抜けた。
背中に突き刺さるようなあの無機質な視線が、闇に溶けて消えるまで、私は一度も後ろを見なかった。
※※※
検問所を越えて数時間――。
夜の静寂を切り裂いて現れたのは、星を地上にぶちまけたような、眩い光の海だった。
「……すごい」
王都、リュミエール。
石造りの巨大な城壁が夜空を圧するようにそびえ立ち、その門を潜れば、真夜中だというのに魔術の灯火が街中を昼間のように照らしていた。
前に来た時は昼間だったから当然だけど、夜の姿がここまで様変わりするなんて知らなかった。
「凄いね……」
《いつだったか、都市の上には必ずマナ溜まりがある、って教えられたでしょ? これがその答えの一つよ》
なるほど、と内心でごちる。
街を埋め尽くす程の魔術秘具……。
これを動かすのに、ヒトが一々魔力を流すのは大変だ。
でも、それを自動化できるから、マナ溜まりを求めるんだ……。
「こういう“便利”が欲しいから、きっと誰もが欲しいんだね……」
その結果、精霊や妖精が割を食うのは釈然としないけど……。
でも、だから過去、土地を巡って争い事が絶えなかったのも分かる。
エルフが独占したい、と考えるのも――。
そして、リェーシェ婆が言った通り、そこは“言葉と法という名の毒”が匂う場所だった。
豪華な石畳、行き交う高価な絹を纏った人々、そして至る所に立っている、銀の甲冑を纏った騎士たち。
森やいつもの街にあった自由な空気は、ここには一切存在しない。
以前来た時には、気付きもしなかった。
何て華やかで、活気があって、多くの人、多くのお店があるんだろう、としか見えていなかった。
《これが政治の中心地……。あらゆる言葉に裏があり、あらゆる法が武器になる場所。アロガに気を抜かない様に言って。あんたの牙も、ここでは『違法な凶器』にされかねないって》
アロガは、あまりの人の多さと普段とは違う種類の魔力密度に、苛立ったように喉を鳴らしている。
そしね王都の人々は、そんなアロガを見て慄くような様子を見せた。
でも、どうやらアロガの事は既に伝わっているらしくて――。
恐れる視線はありつつも、好奇の視線も寄せてきていた。
勝手に触れようとして、アロガに威嚇される場面もあったけど、概ね平和な状況ではあった。
「では、我々はこの辺で」
御者の青年が、そう言って一礼した。
「大した役にも立てず、申し訳ありませんでした」
「いえ……!」
私は慌てて、両手を左右にパタパタと振る。
「庇って貰えましたし、そんな……とんでもないです。荷台に座らせて貰って、楽も出来ました」
そう弁明して、今度は私から頭を下げる。
「運んで貰って、ありがとうございました。ベントリーさんに、よろしく伝えて下さい」
「はい。旦那様には、必ず伝えておきます。途中で起きた、不愉快な件についても含めて」
そう言った青年の瞳が、横を向いてスッと細まる。
でも、すぐに私の視線に気付いて、パッと表情を和らげた。
「では、私は急ぎ商品を納品せねばなりませんので、こちらで失礼します。宿の方はどうされますか? よろしければ、こちらで見繕う事も出来ますが……」
「う~ん……」
私が腕を組んで首を傾けると、ナナからの声が響いた。
《お願いしたら? あたしも
(そうなの……? そういうもの?)
《そうなの。都市部ではね、人気の宿ほど簡単には泊まれないの。特に若い相手は舐められるわ。支払い能力がないかも、って思われたりさ》
(じゃあ……お願いしたら、泊まれるの?)
《だと思うわ。ベントリーは王都でも手広く商売してるみたいだし、その名前に信用が置けるでしょう。その辺はあっちの方が心得ているでしょうし、だから上手くやるでしょ》
うん、と心の中で頷いて、私は青年に頭を下げた。
「じゃあ、お願い出来ますか? あまり立派な所でなくて良いので……」
「お任せ下さい。リルさんに、ご不便かける様な宿は選びません」
青年は胸を叩いて請け負い、それから御者台へと戻った。
手綱を握りながら、こちらを向く。
「今すぐ向かいますか? こちらの仕事を終えてからなので、少々お待ちいただく事になりますが……」
「あ、それなら先に、ギルドに行きます。あの手の早さから言って、妨害するならもう手を打ってそうですけど……。翌朝に持ち越すのも怖いし」
「なるほど、確かに……。一晩明かした後に行くのは、あまり懸命とはいえないかもしれません」
青年はしきりに頷いて、それから使命感を燃やす瞳で頷いた。
「分かりました。では、手配が終わりましたら、ギルドまで迎えに行きますよ。もし、そちらの方が早く終わったら、待っていただいてもよろしいですか?」
「分かりました。そうします」
私も頷き返すと、青年は善は急げとばかりに、馬に鞭を打つ。
「では、リルさん、また後で!」
その背を見送ってから、私たちは雑踏を切り込んで進む。
放っておいても、大抵はアロガの威風を受けて道を開けてくれるので、混雑している道でも関係なく歩けてしまった。
そうして辿り着いたのは、街の中央広場に面した、冒険者ギルド本部だった。
そこでは、私の良く知るギルドのような喧騒はない。
代わりにあったのは、冷徹なまでの静寂と、分厚い書類を抱えて歩き回る事務官たちの足音だ。
「……あ、あの。S級の推薦を受けて来た、リルです」
受付でそう告げると、座っていた年配の事務官が、眼鏡の奥で品定めするように私を見た。
「……あぁ、あの……。話は聞いていますよ。ですがね、お嬢さん。S級の空席を埋めるというのは、単に実力を示すだけでは足りないのです」
事務官は、山積みになった書類の一つを指差した。
「現在のS級六席は、それぞれが我が国の主要な派閥や、魔術学園、あるいは聖教会の支持を得ています。あなたがその一席を奪うということは、彼らの既得権益を切り崩すということ……。分かりますか?」
――権益。そして、派閥。
力や技の強さだけではなく、誰が味方についているか。
それが重要だと言っているのだ。
「私は、ただS級の資格を得て、西へ行きたいだけなんです」
「その『だけ』のために、王都の均衡を壊そうとしているのですよ、あなたは。大体ね、そうした受け付けは午前中に……」
事務官が冷たく言い放ったその時、奥の階段から、一人の女性が降りてきた。
燃えるような赤髪を頭頂部で結い上げ、全身から圧倒的な武人の威圧感を放っている。
「良いじゃないか。均衡なんて、壊れるためにあるもんさ」
彼女の出現に、事務官が慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「こ、これは、カトリーヌ様……! S級第二位のあなたが、何故こちらに」
「面白い噂を聞いてね。エルフの鼻を明かした、大きな犬を連れた女の子がいるってさ」
カトリーヌと呼ばれた女性は、私の目の前まで来ると、不敵に笑ってアロガの頭を撫でようとした。
アロガはそれで牙を剥き、威嚇しようとする。
でも彼女は、それで怖がるどころか、楽しそうに目を細める。
結局、撫でるのは止めて、手を引っ込めながら、私に目を向けた。
「いい面構えだね、この
私は小さく頷いた。
「あいつの微笑みには毒がある。……いいかい、リル。ここで信じられるのは、本当に少ないんだ。それをよく覚えておきな」
胸の奥が、ドクンと一度、強く脈打った。
力と矜持、政治、そして欲望が渦巻く王都。
私のS級への挑戦は、どうやら剣を抜く前に、もう始まっているらしかった。