混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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銀の絆と王都の毒 その8

「いいかい。王都で一番価値があるのは、ギルドの認定証(プレート)じゃない。……相手に『こいつはヤバい』と思わせるだけの、実力さ」

 

 カトリーヌさんはそう言って、背中に背負う大剣の柄を親指で示した。

 その仕草一つで、周囲にいた事務官たちがびくりと肩を揺らす。

 

 彼女の存在そのものが、この静謐な空間においては“異物”で……そして、圧倒的な“暴力”の象徴なんだ。

 

「カトリーヌ様、困ります! ここは手続きの場であって、決闘場では……!」

 

 事務官が悲鳴のような声を上げる。

 それだけで、何となく普段の素行が分かる気がした。

 だけど、彼女も別に暴れるつもりがないらしく、それを鼻で笑い飛ばした。

 

「分かってるよ。あたしはただ、新顔に挨拶しに来ただけさ。……リル、あんたの宿泊先は?」

 

「あ……さっきの御者さんが、今、手配してくれていて」

 

「御者……? 馬車を使うのは分からんでもないとして……、どういう経緯でそうなったんだい?」

 

「あの……、ベントリーさんの商隊が送ってくれたので。色々と便宜を図ってくれているんです」

 

 ふぅん、と興味深そうに笑って、それから頷いた。

 

「なるほど、ベントリーと懇意なのか。なら、宿の心配はいらないね。あいつは商売人として、その見る目は確かだ」

 

 カトリーヌさんは満足げに頷くと、不意に声を潜めて私に近づいた。

 彼女からは、戦場を駆ける風のような、鋭くも爽やかな匂いがした。

 

「……明日の朝、もう一度ここへ来な。あんたの『推薦状』の処理を、あたしの目の前でやらせてやる。今この事務官に渡しても、明日の朝には『紛失』してゴミ箱の中さ」

 

 事務官の顔が、見る間に真っ青になる。

 私は、思わず書類を握る手に力を込めた。

 

《……やっぱりね。エルフの『毒』が回るのは、随分お早くあること》

 

 ナナの声が、冷ややかに響く。

 カトリーヌさんは、青ざめる事務官をチラリと見下ろしてから、私に背を向けた。

 

「アタシは……、そうだな。仮眠室なんてモンはないから、邪魔にならないよう、二階の資料室で休むとするかな。アンタは魔獣と一緒に、しっかり疲れを癒しな。……夜道には気をつけなよ。王都の影は、どこの街より深いからね」

 

 カトリーヌさんが去ろうとしたその背に、私は声を掛けて呼び止めた。

 

「あの……! どうして、良くしてくれるんですか?」

 

「はぁン? そんなの、アンタを気に入ったからに決まってる」

 

 意外なことを言われた気がして、声を返せずにいると、カトリーヌさんはニヒルに笑った。

 

「エルフに正面から喧嘩売るなんて、中々出来る事じゃない」

 

「こっちから売った訳じゃないけど……。って、どんな伝わり方してるんですか?」

 

「まぁ、そりゃ色々さ。エルフ関連の話題は、それだけ注目されてるから、何かと話題に登りやすい。……尾ひれの数も、だからそれなりだね」

 

 カトリーヌさんはそう言うと、笑みを深めて続けた。

 

「普通、エルフが駄目と言ったら、そのまま受け入れるもんなのさ。でも、膝を折るどころか、その鼻っ柱、殴り付けたってんだろう?」

 

 そう言って笑った顔は、愉快で堪らない、と物語っていた。

 

「ギルドはエルフにベッタリさ。……ま、元からエルフの支配下……って言うと違うか。エルフが作った冒険者ギルドだ。だから、その意思に則って運営するのも当然なんだが……」

 

「でも……」

 

「あぁ、アンタは間違ってないよ。数百年も達成されてない特例を、どうやったんだか達成しただけだ」

 

 そうして、アロガに羨望にも似た視線を向け、唐突に虚空を睨む。

 

「――ただし、獣人は認めない、なんて話があるか? そんな文言がない以上、道理はそっちにある」

 

「うん、達成されたくないから……なんて、そんな理由で。それに、私だけじゃなくて、知り合いも被害に遭って……」

 

「ああ、そいつは酷い。間違いなく酷い事だ。でも、相手はエルフなんだ」

 

 そのシンプルな答えこそが、全てを物語っている気がした。

 でも、とカトリーヌさんは続ける。

 

「それでも鼻を明かしたヤツがいる。それだけで話題は十分だろう。アタシだって、別にエルフは好きじゃないしね」

 

「そんなこと、言っていいの……? その……、S級なのに……」

 

「ギルドの顔だからね、S級は。勿論、誰彼構わず、場所を選ばず言う事じゃない。でも……」

 

 言い止して、視線を横に向ける。

 数秒、考える仕草をしてから、再び視線を戻して笑った。

 

「誰しもが、エルフに友好的じゃないってだけさ。ありゃ何年前だ? 五年か、六年か……それぐらい前にふらっとやって来て、これ以降は我らに従え、と来たもンだ」

 

 カトリーヌさんは、大袈裟に肩を竦めて、やれやれと首を振った。

 

「はい、ようございます、ってなるもんかね? アタシらはそれまで、エルフ無しでも十分やって来たんだ。今更なんだ、ってのがアタシの本音さ」

 

 エルフの東大陸進出は、唐突とまで言えるものだったという。

 

《ま、その理由を語らないし、足掛かりだけは常に残していたエルフだから、ギルドにも古巣に戻るような感覚だったのかもしれないけど……》

 

 ナナは呆れた様な物言いで続ける。

 

《でも、その感覚は長命なエルフだからこそ持つものよ。ヒトからすると、土足で我が家に踏み込まれた様にも感じられたでしょうね》

 

(じゃあ皆、カトリーヌさんみたいに思ってるの?)

 

《思ってはいるでしょうけど、だからって表には出さないわ。エルフと対立するのは嫌がる……って言うか、元々エルフが上に居たのは周知のことだし》

 

 何より……、とナナは深刻そうな声音で言う。

 

《敵対すると面倒なのよ。ネチネチとしつこいったら……。もう、実感してるでしょ?》

 

(うん、だね……)

 

 でも、事前に忠告されていたとしても、きっと答えは変わらなかった。

 だから後悔はないけど、今もって続くエルフの妨害には、辟易としていた。

 

「……ま、そういう事で、アンタ的には味方したいのさ。その魔獣が従うのは、あるいは運なのかもしれないが、ここからは実力を示さなきゃならない。……頑張んなよ。それじゃ、また明日来な」

 

 そう言うと、今度こそ踵を返して去って行く。

 私はその背が見えなくなるまで見送ると、受け付けホールには再び、あの冷徹な静寂が戻ってきた。

 

 事務官は、汚らわしいものを見るような目で私を一瞥し、それから無言で仕事に戻った。

 

 もう、私の言葉を聞くつもりはないらしい。

 

「行こう、アロガ……」

 

 私はアロガの首を軽く叩き、ギルドの重い扉を押し開けた。

 

 

  ※※※

 

 

 外に出ると、ちょうど先ほどの青年が、別の馬車を連れてこちらへ向かってくる所だった。

 

「リルさん! お待たせしました!」

 

 彼は御者台から飛び降りると、額の汗を拭いながら笑顔を見せる。

 

「宿の手配、完了しましたよ。ギルドからもほど近い、『鹿の蹄亭』です。アロガさんも一緒に泊まれる、中庭付きの離れを確保できました」

 

「……ありがとう。助かるよ」

 

「いえいえ。……それで、ギルドの方は?」

 

 青年の問いに、私は少しだけ言葉を濁した。

 カトリーヌさんの言葉をそのまま伝えるわけにもいかず、私はただ「明日、出直すことになった」とだけ答えた。

 

「そうですか……。やはり、一筋縄ではいかないのですね。……おや、どうされました?」

 

 青年が私の手元を見て、不思議そうに首を傾げた。

 私の右手に握られた、透明な水晶――リェーシェ婆から貰った石が、微かに熱を帯びて震えていた。

 

「……何だろうね。でも、あまり気にしなくて大丈夫」

 

《リル、左の路地の奥。……見てるわよ》

 

 ナナの警告に、私はさりげなく視線を流した。

 魔術の灯火に照らされた華やかな大通りのすぐ脇――。

 

 深い闇が沈殿する路地裏に、一人の男が立っていた。

 

 カスティエルではない。

 けれど、その男が纏う空気は、検問所で感じたあの“無機質な冷たさ”と同じものだった。

 

 男は、私が視線を向けたことに気づくと、音もなく闇の奥へと消えていく。

 

「リルさん? 馬車の準備、出来ていますよ」

 

「……うん。行こう」

 

 私は馬車へと乗り込み、その隣にアロガが付き従う。

 

 王都、リュミエール。

 この美しく眩い街は、何か巨大な生き物のようだ。

 

 そして私たちは今、その生き物の胃袋の中に放り込まれたばかりの、異質な獲物なのかもしれない。

 

(お母さん……私、ちゃんと戦えるかな)

 

 乗った馬車が揺れ始める。

 窓の外を流れる魔導の光が、網膜に焼き付くように輝いていた。

 

 明日になれば、本当の“戦い”が始まる。

 剣を抜くのとは別の、正解のない、泥沼のような戦いが。

 

 私は膝の上の水晶をぎゅっと握りしめ、アロガの輝く銀の鎖を見つめた。

 

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