「いいかい。王都で一番価値があるのは、ギルドの
カトリーヌさんはそう言って、背中に背負う大剣の柄を親指で示した。
その仕草一つで、周囲にいた事務官たちがびくりと肩を揺らす。
彼女の存在そのものが、この静謐な空間においては“異物”で……そして、圧倒的な“暴力”の象徴なんだ。
「カトリーヌ様、困ります! ここは手続きの場であって、決闘場では……!」
事務官が悲鳴のような声を上げる。
それだけで、何となく普段の素行が分かる気がした。
だけど、彼女も別に暴れるつもりがないらしく、それを鼻で笑い飛ばした。
「分かってるよ。あたしはただ、新顔に挨拶しに来ただけさ。……リル、あんたの宿泊先は?」
「あ……さっきの御者さんが、今、手配してくれていて」
「御者……? 馬車を使うのは分からんでもないとして……、どういう経緯でそうなったんだい?」
「あの……、ベントリーさんの商隊が送ってくれたので。色々と便宜を図ってくれているんです」
ふぅん、と興味深そうに笑って、それから頷いた。
「なるほど、ベントリーと懇意なのか。なら、宿の心配はいらないね。あいつは商売人として、その見る目は確かだ」
カトリーヌさんは満足げに頷くと、不意に声を潜めて私に近づいた。
彼女からは、戦場を駆ける風のような、鋭くも爽やかな匂いがした。
「……明日の朝、もう一度ここへ来な。あんたの『推薦状』の処理を、あたしの目の前でやらせてやる。今この事務官に渡しても、明日の朝には『紛失』してゴミ箱の中さ」
事務官の顔が、見る間に真っ青になる。
私は、思わず書類を握る手に力を込めた。
《……やっぱりね。エルフの『毒』が回るのは、随分お早くあること》
ナナの声が、冷ややかに響く。
カトリーヌさんは、青ざめる事務官をチラリと見下ろしてから、私に背を向けた。
「アタシは……、そうだな。仮眠室なんてモンはないから、邪魔にならないよう、二階の資料室で休むとするかな。アンタは魔獣と一緒に、しっかり疲れを癒しな。……夜道には気をつけなよ。王都の影は、どこの街より深いからね」
カトリーヌさんが去ろうとしたその背に、私は声を掛けて呼び止めた。
「あの……! どうして、良くしてくれるんですか?」
「はぁン? そんなの、アンタを気に入ったからに決まってる」
意外なことを言われた気がして、声を返せずにいると、カトリーヌさんはニヒルに笑った。
「エルフに正面から喧嘩売るなんて、中々出来る事じゃない」
「こっちから売った訳じゃないけど……。って、どんな伝わり方してるんですか?」
「まぁ、そりゃ色々さ。エルフ関連の話題は、それだけ注目されてるから、何かと話題に登りやすい。……尾ひれの数も、だからそれなりだね」
カトリーヌさんはそう言うと、笑みを深めて続けた。
「普通、エルフが駄目と言ったら、そのまま受け入れるもんなのさ。でも、膝を折るどころか、その鼻っ柱、殴り付けたってんだろう?」
そう言って笑った顔は、愉快で堪らない、と物語っていた。
「ギルドはエルフにベッタリさ。……ま、元からエルフの支配下……って言うと違うか。エルフが作った冒険者ギルドだ。だから、その意思に則って運営するのも当然なんだが……」
「でも……」
「あぁ、アンタは間違ってないよ。数百年も達成されてない特例を、どうやったんだか達成しただけだ」
そうして、アロガに羨望にも似た視線を向け、唐突に虚空を睨む。
「――ただし、獣人は認めない、なんて話があるか? そんな文言がない以上、道理はそっちにある」
「うん、達成されたくないから……なんて、そんな理由で。それに、私だけじゃなくて、知り合いも被害に遭って……」
「ああ、そいつは酷い。間違いなく酷い事だ。でも、相手はエルフなんだ」
そのシンプルな答えこそが、全てを物語っている気がした。
でも、とカトリーヌさんは続ける。
「それでも鼻を明かしたヤツがいる。それだけで話題は十分だろう。アタシだって、別にエルフは好きじゃないしね」
「そんなこと、言っていいの……? その……、S級なのに……」
「ギルドの顔だからね、S級は。勿論、誰彼構わず、場所を選ばず言う事じゃない。でも……」
言い止して、視線を横に向ける。
数秒、考える仕草をしてから、再び視線を戻して笑った。
「誰しもが、エルフに友好的じゃないってだけさ。ありゃ何年前だ? 五年か、六年か……それぐらい前にふらっとやって来て、これ以降は我らに従え、と来たもンだ」
カトリーヌさんは、大袈裟に肩を竦めて、やれやれと首を振った。
「はい、ようございます、ってなるもんかね? アタシらはそれまで、エルフ無しでも十分やって来たんだ。今更なんだ、ってのがアタシの本音さ」
エルフの東大陸進出は、唐突とまで言えるものだったという。
《ま、その理由を語らないし、足掛かりだけは常に残していたエルフだから、ギルドにも古巣に戻るような感覚だったのかもしれないけど……》
ナナは呆れた様な物言いで続ける。
《でも、その感覚は長命なエルフだからこそ持つものよ。ヒトからすると、土足で我が家に踏み込まれた様にも感じられたでしょうね》
(じゃあ皆、カトリーヌさんみたいに思ってるの?)
《思ってはいるでしょうけど、だからって表には出さないわ。エルフと対立するのは嫌がる……って言うか、元々エルフが上に居たのは周知のことだし》
何より……、とナナは深刻そうな声音で言う。
《敵対すると面倒なのよ。ネチネチとしつこいったら……。もう、実感してるでしょ?》
(うん、だね……)
でも、事前に忠告されていたとしても、きっと答えは変わらなかった。
だから後悔はないけど、今もって続くエルフの妨害には、辟易としていた。
「……ま、そういう事で、アンタ的には味方したいのさ。その魔獣が従うのは、あるいは運なのかもしれないが、ここからは実力を示さなきゃならない。……頑張んなよ。それじゃ、また明日来な」
そう言うと、今度こそ踵を返して去って行く。
私はその背が見えなくなるまで見送ると、受け付けホールには再び、あの冷徹な静寂が戻ってきた。
事務官は、汚らわしいものを見るような目で私を一瞥し、それから無言で仕事に戻った。
もう、私の言葉を聞くつもりはないらしい。
「行こう、アロガ……」
私はアロガの首を軽く叩き、ギルドの重い扉を押し開けた。
※※※
外に出ると、ちょうど先ほどの青年が、別の馬車を連れてこちらへ向かってくる所だった。
「リルさん! お待たせしました!」
彼は御者台から飛び降りると、額の汗を拭いながら笑顔を見せる。
「宿の手配、完了しましたよ。ギルドからもほど近い、『鹿の蹄亭』です。アロガさんも一緒に泊まれる、中庭付きの離れを確保できました」
「……ありがとう。助かるよ」
「いえいえ。……それで、ギルドの方は?」
青年の問いに、私は少しだけ言葉を濁した。
カトリーヌさんの言葉をそのまま伝えるわけにもいかず、私はただ「明日、出直すことになった」とだけ答えた。
「そうですか……。やはり、一筋縄ではいかないのですね。……おや、どうされました?」
青年が私の手元を見て、不思議そうに首を傾げた。
私の右手に握られた、透明な水晶――リェーシェ婆から貰った石が、微かに熱を帯びて震えていた。
「……何だろうね。でも、あまり気にしなくて大丈夫」
《リル、左の路地の奥。……見てるわよ》
ナナの警告に、私はさりげなく視線を流した。
魔術の灯火に照らされた華やかな大通りのすぐ脇――。
深い闇が沈殿する路地裏に、一人の男が立っていた。
カスティエルではない。
けれど、その男が纏う空気は、検問所で感じたあの“無機質な冷たさ”と同じものだった。
男は、私が視線を向けたことに気づくと、音もなく闇の奥へと消えていく。
「リルさん? 馬車の準備、出来ていますよ」
「……うん。行こう」
私は馬車へと乗り込み、その隣にアロガが付き従う。
王都、リュミエール。
この美しく眩い街は、何か巨大な生き物のようだ。
そして私たちは今、その生き物の胃袋の中に放り込まれたばかりの、異質な獲物なのかもしれない。
(お母さん……私、ちゃんと戦えるかな)
乗った馬車が揺れ始める。
窓の外を流れる魔導の光が、網膜に焼き付くように輝いていた。
明日になれば、本当の“戦い”が始まる。
剣を抜くのとは別の、正解のない、泥沼のような戦いが。
私は膝の上の水晶をぎゅっと握りしめ、アロガの輝く銀の鎖を見つめた。