ギルド本部の石造りの威容が背後に遠ざかる。
私たちはカトリーヌさんの先導で、王都の心臓部ともいえる“評議会広場”へと向かった。
大通りは昨日にも増して活気に溢れていたけれど、広場に近づくにつれ、その喧騒はどこか整えられた静寂へと変わっていく。
白亜の石塔が立ち並び、道行く人々も武装した冒険者から、一様に詰襟の官服を纏った役人たちへと変わっていった。
「……ねぇ、カトリーヌさん。『所持権』……だっけ? そんなの、わざわざ認めさせなきゃいけないの?」
私の問いに、カトリーヌさんは歩みを止めずに肩を竦めた。
「あぁ、アタシも少し調べてみたんだがね。何しろ、アンタがやってる特例試練は、過去に挑んだ例が殆どない。――いや、挑んで成功した例がない、と言い換えるべきか」
そう言うと、ニヒルに笑って、それから話を続けた。
「一定以上の危険度を持つ魔獣が、人里近くで発見されたら普通、即、討伐対象だ。アロガのような個体ともなれば尚更にさ。法的にあんたの『所持物』として登録しておかないと、軍や評議会が『公共の安全のため』なんて理屈で殺しに来かねない」
殺しに――。
気楽に言われた不吉な言葉に、アロガが喉の奥で低く応えた。
《要するに、あんたたちの絆を書類上のインクで汚さないと、ここでは生きていけないってことみたいね。馬鹿げてるけど、それがここのルールってわけ》
ナナの冷ややかな皮肉が、今の私の心にささくれたトゲを残した。
広場の中央に建つ“法務院”は、窓の少ない、まるで巨大な墓標のような建物だった。
入り口に立つ衛兵たちは、私たちの姿――というより、隣を歩くアロガを一瞥するなり、一斉に槍の石突きを地面に打ち鳴らす。
「止まれ! そこから先、魔獣の進入は許可されていない!」
「許可ならここにあるよ。……退きな」
カトリーヌさんが懐から取り出したのは、赤褐色の蝋で封蝋された一枚の書状だった。
ギルド本部から発行された、特例の通行許可証らしい。
衛兵たちは顔を見合わせ、苦々しげに道を譲られて中に入る。
建物の中に一歩足を踏み入れると、何やら独特な匂いがした。
古びた紙とインク、そしてひやりとした魔力の残滓が混ざり合った、感じたことのない匂いだった。
「……ようこそ、法務院へ」
廊下の奥から、音もなく一人の男が現れた。
昨夜感じたあの“冷たい気配”とは違う。
けれど、その男もまた、カスティエルと同じように、完璧に整えられた微笑みを貼り付けていた。
細身の体に、銀の刺繍が施された群青色の法衣が、威厳めいたものを発している。
男は私の前に来ると、まるで品評会で家畜を見るような目で私を見下ろした。
「私が法務官のゼノスです、……リル殿。あなたが、あのアロガという個体を『管理』している獣人の子ですね?」
「管理……ではなく、一緒に旅をする相棒です」
私が言い返すと、ゼノスは可笑しそうに目を細めた。
「相棒、ですか。情動的な言葉は法廷では無価値ですよ。……さあ、奥の鑑定室へ。その獣が本当にあなたの命令に従うのか、あるいは呪いによって縛られているだけなのか、厳格に審査させていただきます」
――鑑定室。
その言葉の響きに、胸が不快な鼓動を刻んだ。
カトリーヌさんが私の隣で、大剣の柄をぎり、と鳴らすのが聞こえた。
「ゼノス。あんまり無茶な真似をするんじゃないよ。この子は正式な推薦を受けて、ここに来てるんだ」
「ええ、存じております。……ですからこそ、正しく『査定』せねば。なにせ、法が支配するこの王都において、未登録の暴力ほど忌むべきものはありませんから」
ゼノスの瞳の奥に、一瞬だけ、鋭い刃のような光が見えた。
やっぱりここも、エルフの“毒”で満ちている。
彼らにとって、アロガのような未知の力は、コントロール下に置くべき“資源”か、排除すべき“異物”でしかないんだろう。
「アロガ、行こう」
私はアロガの銀灰色の毛並みにそっと手を添えた。
伝わってくる温もりは、この氷のように冷たい石造りの建物の中で、唯一私が信じられるものだ。
鑑定室の重い扉が開く。
そこには、魔術の紋章が幾重にも描かれた円形の舞台と、それを見下ろす高い傍聴席が用意されていた。
席には数人の官吏たちが座り、無機質な視線をこちらに向けている。
まるで、実験台の上に載せられた、小動物になったような気分だった。
《リル。……気をつけなさい。舞台の床に、魔力を吸い上げる回路が仕込まれているわ。……あなたの言葉を、試そうとしている》
ナナの警告を聞きながら、私は一歩、舞台の中央へと進み出た。
これから始まるのは、剣を振るうよりもずっと困難な、存在を肯定させるための戦いだ。
「ふぅ……っ」
一呼吸整えてから舞台の中央に立つと、足元から不気味な冷気が這い上がってきた。
幾重にも描かれた幾何学模様の紋章が、鈍い紫色の光を放ち始める。
全身の血が薄まるような、奇妙な喪失感――。
魔力が、足の裏からじわじわと吸い取られていくのが分かった。
「くっ……」
隣を見ると、アロガもまた不快そうに耳を伏せ、低く喉を鳴らしている。
だけど、暴れ出す様子はなかった。
ただ、じっと私を見つめ、いつでも動けるように重心を低くしているだけだ。
「ほう……」
上方の傍聴席から、ゼノスの気取った声が響いた。
「驚きましたね。その舞台は、あらゆる精神干渉を強制的に霧散させる『不活性の陣』が張られている。魔術的な縛りで使役できるのは、あくまで僅かな間だけなので……。無理に操っているなら、今頃その喉笛を噛み切られているはずなのですが」
ゼノスは手すりに身を乗り出し、あごを撫でながら、やはりあの死んだ魚のような瞳で私たちを見下ろしている。
「つまり、魔術的な『従属』ではない、と。ではリル殿、これはどういう状態なのです? まさか、言葉も通じぬ獣と『心を通わせている』などという、おとぎ話を口にする訳ではありませんよね?」
「おとぎ話なんかじゃありません。アロガは私の言葉を理解しています。無理に縛り付けてなんかいない!」
私が声を大にして言うと、傍聴席の官吏たちがクスクスと品性のない笑い声を漏らした。
「無知な獣人の子供だ」「法的な根拠になっていない」「どうせ邪法に頼ったのだろう」「悪魔と契約でもしたか?」「有り得ぬ話ではない」
そんな囁きが、冷たい石壁に反響して耳に突き刺さる。
《リル、落ち着きなさい。奴らはあんたを怒らせて、ボロを出させようとしているのよ》
ナナの声が、焦る私の心をそっと凪がせてくれた。
そうだ。ここで怒って剣を抜けば、それこそ奴らの思う壺だ。
きっと“危険な暴徒”として、アロガごと処分されてしまう。
「では、それを客観的に証明していただきましょう」
ゼノスが、冷酷な微笑みを浮かべたまま、傍らの官吏に目配せをした。
その官吏が合図を送ると、鑑定室の隅にある頑丈な鉄格子が、ガラガラと音を立てて持ち上がる。
そこから引きずり出されてきたのは、飢えた野犬のような魔獣、ガルムだった。
首に太い鎖を巻かれ、狂乱したように
「そのガルムを、この場で殺しなさい」
ゼノスが淡々と言い放った。
「ただし、手を下すのはあなたではなく、その後ろの
「……っ」
私は思わず絶句した。
ガルムは完全に興奮状態で、今にもこちらに飛びかかってきそうだ。
だけど、それは無理に閉じ込められ、怯えているからでもある。
痩せ細った身体を見る限り、まともな食事を与えられているとは思えず——そして、敢えて飢えさせているんだろう。
そんな憐れな魔獣を、ただの“証明”のために、アロガに殺せと、そう言っていた。