混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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冬への備え その2

 街へ来た時とは逆の順を辿り、南の森に入って暫くしてから転移した。

 見慣れた畑が視界に入ると、リルは私の傍から離れて、飛ぶように駆け出す。

 

「お昼寝も済んでいるから、元気いっぱい、って感じだな」

 

 微笑ましく見送っていると、家の物陰からアロガが飛び出す。

 恐らく、リルの鼻はアロガの匂いを感じ取っていて、だから駆け出す事にしたのだろう。

 

 先程アロガも寂しがっている、と話した事も、無関係ではあるまい。

 

 果たしてリルはアロガに抱き着くと、その顔や首の辺りを乱暴な手付きで撫で回した。

 

「アロガ、ただいま! さびしかった?」

 

 本当に寂しかったかどうか分からないが、アロガの尻尾は千切れんばかりに大きく振られ、そしてリルの顔をベロベロと舐める。

 

 最近は素っ気なかったリルに構って貰えて、アロガも嬉しそうだ。

 遂にアロガはリルを押し倒して、顔中を涎まみれにしてしまう。

 

「もぉ〜! アロガ、やめて〜!」

 

 言っている程に、嫌がってはなさそうだ。

 リルはきゃっきゃと笑いながら、アロガの顔を押し退ける。

 

 そうして顔の涎を服の裾で拭きながら、私の方へ振り返って言った。

 

「あそんでくる!」

 

「すぐ暗くなるから、少しだけだぞ」

 

「はぁ〜い!」

 

 リルは元気良く返事して、そのままアロガを引き連れ駆け出した。

 

 余所行きの服だし、あまり汚して欲しくないなぁ、と思いながら、私は購入した食材を仕舞いに倉庫へと向かった。

 

 

  ※※※

 

 

 その日の夕暮れ、夜の帷が降り切っていない、という夜との(はざま)の時間帯。

 

 今日の疲れを落とそうと、お風呂を浴びる事にした。

 

 アロガはやはり、お湯の気配を察するや否や姿を消し、リルと二人だけの入浴になる。

 

「アロガはどうして、おふろキライなのかなぁ」

 

「獣というのは、大概そういうものさ。余計な匂いが付くのを嫌がるし、お湯その物が嫌い、という事もある。アロガはどっちも、かもしれないな」

 

 リルの頭を洗ってやりながら言うと、気のない返事をして頷いた。

 

 分かったような、分からないような……という態度なのは当然で、アロガの気持ちはアロガにしか分からない。

 

 それにアロガは、単なる獣ではなく魔獣でもある。

 獣の本能が特に強く、本来は飼えたりする動物ではないのだ。

 

「まぁ、最近洗ってやったばかりだし、少しは今のままでいたいだろう。好きにさせるさ」

 

「でも、アロガのきもち、リルもわかるなぁ。あんまり好きじゃないもん」

 

「リルの場合は、ただ面倒なだけだろ」

 

「ちがうよぉ〜!」

 

 汗を掻いた日でも、別にいいやと入りたがらないのが、子供というものだ。

 

 リルも口では違うと言いつつ、本心でどう思っているかなど、その顔を見れば明らかだった。

 

「ほら、流すぞ。目を瞑って息を止めなさい」

 

 桶で掬ったお湯を、ゆっくりと流しかける。

 それ二度、三度とくり返し、髪を綺麗にすると、次に身体を洗ってやり、そうして湯船へと誘導した。

 

 私も自分の身体を手早く洗い終え、そうして湯船に浸かると息を吐く。

 ……何だかんだと、慌ただしい一日だった。

 

 単に買い物をするだけなのに、何故あぁも次々と厄介事が舞い込むのか……。

 

「これだから、街というのは好かない」

 

「お母さん、キライなの? リルはすき!」

 

「恐ろしい目に遭ったばかりだろう?」

 

「こわかったけど……。でも、たのしかった!」

 

 こちらを振り返って、にっかりと笑う。

 豪胆なのか、それとも、向こう見ずなだけなのか……。

 

 もしくは、喉元過ぎれば熱さ忘れる、というパターンの方かもしれない。

 どちらにせよ、恐怖で塞ぎ込んでしまうより、健全なのかもと思い直す。

 

「まぁ、怪我もなかったみたいだしな……」

 

 リルの身体を洗いながらチェックしてみたが、打撲の跡すら見受けられなかった。

 

 バルミーロの弟子は、言葉通りにしっかりとリルの安全を第一に守り通したようだ。

 それは喜ばしいが、リル自身の危機に対する無頓着さは問題かもしれない。

 

 森の危険について、口では酸っぱく言っているものの、実際に体験したわけではない。

 依然として、その危機については未知のままだった。

 

 だからこその楽観なのだろうし、それについては今後、ゆっくりと教え込むしかない。

 とはいえ、森の中で暮らしたままでは、教育に良くないのかも……。

 

 同い年の友人であったり、人との関わり、育む情緒を学ぶには、この森は不適格だ。

 

 森での生活が長くなるにつれ、世間との常識は乖離していくだろう。

 それを良しとすべきかどうか……。

 

 四阿の屋根を見上げ、難しく唸りを上げる。

 すると、様子の変化に気付いたリルが、身体ごとこちらを向いてきた。

 

「どうしたの? なんかヘンなこえ、でてた!」

 

「いや、リルのお勉強をどうしようかと、考えていたわけさ。街に行くなら、読み書き、計算、それ以外にも色々と、覚えないといけないから」

 

「んぅ……、なんか……。たいへんそう」

 

「リルの考えている程じゃないよ。慣れの部分も大きいから。剣と一緒さ。基礎が一番大事で、そしてそこがしっかりしていれば、後は応用の範囲だ」

 

「じゃあやっぱり、たいへんそうだよ?」

 

 私は笑ってリルを正面に向かせる。

 肩までしっかりお湯に浸けてやり、それからふと、遠くを見て気付いた。

 

 四阿の屋根と森の木々の間には、雲が殆ど見えない夜空がある。

 まだ完全に日が落ち切っていないものの、月は既に木々の高さを越え、その顔を見せている。

 

「そうか、明日は満月か。……秋の名月だな」

 

「めーげつ?」

 

 リルもまた、小さく浮かび上がる月を見ながら、首を傾げた。

 

「秋の満月は綺麗だな、って事だよ」

 

「なんで? どうしてあきだと、まぁるいつきがキレイなの?」

 

「そうだな、何と言ったものか……」

 

「つきがまるいとき、けっこうあるよ?」

 

「……そうだな、毎月見られるものだからな」

 

 満月は年に十三回ある。

 だから月が丸いだけで、なぜ秋に限って、とリルが思うのは当然だ。

 

 秋の月ばかりが、名月ともてはやされるのには、ふたつ理由がある。

 一つ目は月の高度、そして二つ目は空気の透明度に関係する。

 

 夏の月は高度が低く、冬の高度が高くなり、そして春と秋は、その丁度中間だ。

 この中間というのが絶妙で、それが月を美しく見せる理由だった。

 

 月は時刻によって、刻々と色が変化していく。

 地表付近に出たばかりの月は、赤み掛かった色をしていて、昇っていくにつれて黄色から白に色を変える。

 

 夕焼けで太陽が赤く染まるのと同じ原理で、それが月にも働くから、そう見えるのだった。

 

 夏は高度が低いため、色の変化が緩やかなものだ。

 その一方、冬になるとあっという間に高度が上がってしまう。

 

 だから、すぐに色が変わって見える。

 刻々と変化する色を楽しむには速すぎ、だから春や秋がちょうど良い、とされてきた。

 

 しかし、春だと秋よりも空気が霞んでいて、月がくっきりと見え難い。

 それ故、秋の方に軍配が上がり、年で最も綺麗に見えるのだ。

 

 とはいえ、これらをリルに説明しても、納得は得られそうにない。

 もう少し、柔らかい内容で、説明しなければならなそうだった。

 

「そうだな……。月の出始めというのは、まわりの風景との調和も、大事なものなんだ。秋の風情に、良く合うだろう?」

 

「……わかんない」

 

 どうやら、言葉選びを間違えたらしい。

 それ以前に、調和や風情など言っても、今のリルに分かる筈もなかった。

 

「まぁ、何というか……。一年を通して、一番綺麗に見えやすいんだ。冬みたいに、あっという間に昇ってしまうと、楽しむ時間があまりない。誰だって、見たいものがあったら、なるべく長く楽しみたいだろう?」

 

「ん〜……? そう……そうかも?」

 

「秋は月を鑑賞するのに、ぴったりな季節なんだ。丸い月は、お団子にも似てるしな。丸い物を見ながら、それに見立てた丸い物を食べる。……それがちょっと、面白可笑しいって事かもな」

 

「オダン……? オダンゴってなに? おいしいの?」

 

「そうか、リルはまだ食べたことなかったな」

 

 振り向いて来たリルに、私は丸いほっぺたを撫でてやりながら、また正面を向かせる。

 

 丁度かぼちゃも収穫する所だ。

 明日は満月を見ながら、かぼちゃ団子でも食べよう。

 

「明日、一緒に作ろうか。何故、秋の月がもてはやされるのか、それで分かるかもしれないぞ」

 

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