広場を抜け、大通りへと続く白石の道を歩いていると、前方から見覚えのある馬車がみえた。
その馬車が、いささか慌てた様子でこちらへ駆けて来て、私達の目の前で停車する。
「リルさん! それに……まさか、カトリーヌ様も!?」
御者台から身を乗り出すようにして声を張り上げたのは、ベントリーさん使いである、あの青年だった。
彼は興奮気味に息を切らせながら、座席から飛び降りる。
「ギルド本部へお迎えに上がったら、すでに法務院へ向かわれたと聞いて、肝を冷やしましたよ……! ご無事でしたか!?」
「うん、大丈夫。――ほら、ちゃんと書類も貰えたよ」
私が手にした公式の書類を見せると、青年は目を見開いた後、心の底から安堵したように胸を撫でおろした。
「信じられない……。あの偏屈揃いで知られる法務官から、一発でこれをもぎ取るなんて。……一体どうやったんですか?」
「アタシらのハッタリと、この大きなワンちゃんの実力勝ちさ」
カトリーヌさんが、わははと笑い、アロガの頭を今度こそ強引にガシガシと撫で回した。
「ウゥ……」
アロガは嫌そうな声を漏らしたけれど、彼女に悪意がないと分かっているからか、噛み付こうとはしなかった。
ただ、助けを求めるように、私へ冷ややかな視線を送ってくるだけだ。
「もぉ、カトリーヌさん、アロガが困ってます。……でも、本当にカトリーヌさんが居てくれて助かりました」
「礼には及ばないさ。アタシはただ、あいつらの苦虫を噛み潰した顔が、見たかっただけだからね。……さて、と」
カトリーヌさんはそこでアロガから手を離し、ぐるりと周囲の街並みを見回した。
「アタシの同行はここまでだ。お偉方の『資格審査』は明日の朝から始まる。流石にアタシがずっと張り付いている訳にもいかないからね。今日のところは、その宿とやらに行って、泥のように眠るこった」
「明日の審査って……具体的には、何をするんですか?」
私の問いに、カトリーヌさんは少しだけ真剣な目付きになって、声を潜めた。
「形式上は、ギルド上層部と評議会の代表、それに魔術学園の偏屈どもの前での『面接』する、ってことになる。実力を測るために、彼らの用意した
――罠。
その不穏な響きに、私の耳が自然と伏せる。
「アンタの素性、獣人としての立場、魔獣を連れていることの危険性……。あらゆる角度から、アンタが『S級に相応しくない』という言質を取ろうとしてくる。明日もゼノスや、一緒に居た法務官みたいな奴らが、手ぐすね引いて待ってるはずさ。……だから、今夜はしっかり頭を休めなきゃいけない」
「……分かりました。色々と、ありがとうございました」
私が深々と頭を下げると、カトリーヌさんは笑って短く手を振り、そのまま雑踏の中へと消えていった。
その背中は、どこまでも堂々としていて、これが本当のS級なんだ、と教えてくれる。
素直に格好良い、とそう思った。
※※※
青年の運転する馬車に揺られ、私たちはようやく『鹿の蹄亭』へと到着した。
案内された中庭付きの離れは、昨日も使ったはずなのに、どこか新鮮に感じられる。
改めて見ると静かで、とても落ち着く場所だった。
高い石壁に囲まれた中庭には、青々とした芝生が敷かれていて、アロガが寝転がるのにも十分な広さがある。
「リルさん、お食事はどうされますか? 部屋までお持ちすることも出来ますが」
「あ、じゃあ、そうして貰えるとありがたいです。アロガと一緒に食べたいので」
「かしこまりました。王都名物の極上肉を、アロガさんの分も含めて、特大サイズで用意させますね!」
青年はそう言って、快活に笑いながら本館へと戻っていった。
部屋の重い木扉を閉めると、どっと、一気に疲れが押し寄せてきた。
私はそのまま、ふかふかのベッドへ仰向けに倒れ込む。
アロガもまた、私のすぐ傍の床に、大きな体体躯を丸めるようにして横たわった。
「……はぁ。本当に、ヒトの世界って疲れるね」
寝返りを打って、天井を見つめながら呟くと、視界の端から、すうっとナナが姿を現した。
そうして、部屋に設置された豪奢な椅子に、さも当然のように腰を下ろす。
「だから言ったでしょう? 言葉の戦いっていうのは、剣を振るうよりもずっと神経を使うのよ。でもね、リル。今日のあんたの機転は、お母さんにも負けてなかったわよ」
「……そうかな?」
「ええ。エルフの用意したくだらない二択を無視して、アロガの『威圧』だけで解決するなんて。あのゼノスって男の顔、今思い出しても傑作だわ」
ナナがふふっ、と意地の悪い笑みを浮かべる。
その言葉に、私の胸のモヤモヤも、少しだけ晴れていくような気がした。
懐から、お母さんの首飾りを取り出してみる。
夕暮れの光を浴びた石は、今は静かに、ただ透明な輝きを放っていた。
(お母さん……、見守っていてね。私……あいつらの毒に、染まったりしないよ……!)
アロガが、ふいにと金色の瞳を開け、私の手元にある水晶をじっと見つめた。
それから、安心させるように、私の足元にそっと大きな頭を擦りつけてくる。
「うん、大丈夫。私には、アロガも、ナナもいるもんね」
私はアロガの銀灰色の毛並みに指を沈め、その心地よい温かさを噛み締めた。
明日になれば、またあの冷たい、正解のない戦いが始まる。
けれど、私の心にある“光”と、相棒達との“絆”がある限り、私は絶対に自分を見失ったりしない。
窓の外、少しずつ夜の帳が下りていく王都の街並みを眺めながら、私は明日の決戦に向けて、静かに闘志を燃やした。
※※※
翌朝、窓から差し込む鋭い朝の光が、私の瞼を押し上げた。
不思議と頭は冴え渡っている。
ベッドから起き上がると、気配を察したアロガが、大きなあくびをしながらのっそりと身を起こした。
「いい朝ね、リル。……戦闘準備は万端かしら?」
ふわりとナナが現れて、挑戦的な声が響く。
でも、その声音からは、私と同じように小さく張り詰めた緊張感が伝わってきた。
「――うん。いつでもいけるよ」
私は鏡の前で、頭の耳と尻尾を軽く整え、お母さんの首飾りを服の内側にしっかりとしまい込んだ。
革鎧のバックルを締め直すと、胸の奥でカチリと何かが切り替わる。
部屋を出ると、宿の青年がすでに馬車を仕立てて待っていた。
彼の顔には、昨日とは違う、どこか神妙な色が浮かんでいた。
「リルさん……。本日の審査会場ですが、ギルド本部ではなく、評議会直轄の『白亜の公会堂』に変更されたそうです。……かなり異例の措置だと、朝一番にギルドからの伝令が来ました」
「公会堂……。やっぱり、最初から普通に審査する気はないんだね」
私が呟くと、アロガが威嚇するように低く喉を鳴らした。
カトリーヌさんの言っていた通り、あの権力者たちは、法務院での面子を潰されたことを、根に持っているらしい。
「カトリーヌ様は、緊急依頼で今朝早くに王都を発たれたそうです。……本当に、お一人で大丈夫ですか?」
心配そうに顔を曇らせる青年に、私は無理に作ったものではない、まっすぐな微笑みを返した。
「大丈夫です。元から、カトリーヌさんには、付き添えないって言われてますから」
「でも、こうもあからさまだと、カトリーヌ様だってよく思わないでしょう。事情を知れば、きっと苦情の一つも……」
そこまで言って、あっと口を抑える。
「だから、緊急依頼なのか……。余計な横槍を嫌がったんだ……! リルさん、行くのは危険かもしれません!」
「だとしても、行きます。逃げてどうなるものでもないし、逃げたら嬉々として冒険者資格すら剥奪してくるかもしれません。だから、私とアロガは戦わないといけないんです。――さ、行きましょう」
※※※
馬車が到着した場所は、街の喧騒から隔絶された、冷徹なまでの静寂が支配する巨大な円形建築物だった。
石の柱が立ち並ぶ通路を、案内人に従われて進む。
アロガの爪が爪音を立てるたび、高い天井にその音が不気味に反響した。
やがて、重厚な鉄の扉が、行く手を阻むように現れる。
そこで案内人の役人が無機質に告げた。
「これより『特例S級資格審査』を執り行う。リル殿、ならびにその随伴個体。……入りなさい」
重い音を立てて扉が開く。
一歩足を踏み入れたそこは、すり鉢状になった広大な円形審議場だった。
中央の
豪奢な法衣を纏った評議会の老人たち。
奇妙な魔導具をいくつも身につけた、魔術学園の偏屈そうな魔術士たち。
そして――。
「……遅かったな、地方の
雛壇の中央、最も高い席から見下ろしていたのは、純白の騎士服みたいな格好で身を包んだ男だった。
整った金髪に、すべてを見透かしたような冷徹な琥珀色の瞳。
得も言われぬ威圧感がって、只者でないのはすぐに分かった。
「私こそが、S級第一位の冒険者であり、この王都で治安維持の重責を預かる――アレクシス」
彼の姿を認めた瞬間、私の懐の水晶――婆に貰った方の水晶が、これまでにないほど激しく、警戒を促すように冷たく脈打った。
「アレクシス……」
私がその名を小さく呟くと、彼は誇り高く堂々とした様子で顎を引いた。
「ギルド長やベントリー商会の推薦状、さらには法務院の通行許可書。数々の手続きを、機転を利かせて這い上がってきたりその執念は実に見事だ、認めよう。……だが、ここから先は『言葉の遊び』では進めない」
アレクシスが軽く手を挙げると、彼の背後に控えていた魔術士たちが、一斉に複雑な呪文を唱え始めた。
審議場の壁に刻まれた魔法陣が起動し、空間そのものが、ねじ切られるような圧力を帯びていく。
「これより始めるのは、貴様が真に『S級』という、国家最高戦力の一角を担うに足る存在か否かの査定だ。……まずは、その武力を見せて欲しい」
アレクシスの冷酷な声が響き渡ると同時に、私たちの正面にある床が大きく割れ、地下から“何か”がせり上がってきた。
「あれって……」
それは、全身を黒銀の重装甲で覆われた、不気味な巨躯を持つ人型のゴーレムだった。
《リル、気を引き締めなさい。あの人形、ただの鉄屑じゃないわ。……体内に、強烈な『魔力喰い』の核が仕込まれている。もしかすると、アレが噂の――魔術学園が誇るっていう、対魔獣用自律兵器、なのかも》
ナナの警告が脳裏を走る。
見上げる雛壇の老人たちは、誰もが品評会の家畜を見るような、あるいは獲物が罠にかかるのを待つような、好奇の視線をこちらに向けていた。
私は、お母さんの首飾りを服の上からそっと抑え、アロガと視線を交わす。
言葉の罠を通り抜け、今度は“力”による、彼らの傲慢な洗礼が始まろうとしていた。