混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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偽りを切り裂く刃 その6

「グルルルル……ッ!」

 

 アロガの四肢が石床を削りながら、じりじりと押し込まれていく。

 

 ロスタ・グレイルの黒銀の腕を通じて、アロガの野生の魔力が、濁流のように吸い上げられていた。

 このままでは遠からず、アロガは干からびて動けなくなってしまう。

 

(どうしよう……。攻撃すればするほど、相手の結界が強くなる。魔力を込めて攻撃なんてしたら、それすら奪われるんでしょ……)

 

 ぐるぐると焦りが渦巻く頭の中で、ふと、懐の水晶の熱が一段と高まった。

 肌に直接触れるその熱さは、まるで「ここにあるよ」と自己主張しているかのようだ。

 

 ――心に小さな光を灯してくれる。

 リェーシェ婆さんは、確かにそう言った。

 

《リル、その水晶……! ただの石じゃないわ。それ、あんたの『意志』そのものを純粋な魔力に変換して増幅する触媒よ!》

 

 ナナの鋭い声が、脳裏で弾けた。

 

《でも、気を付けて! 生半可な意思じゃ、ろくな力にならないわ! だけどもし、それをあの『心臓』に無理やり飲み込ませたら……一体どうなるかしらね?》

 

 ナナの言葉に、私はハッと目を見開いた。

 

(やってみる……!)

 

 大食漢の魔獣だって、お腹の容量には限界がある。

 ましてや、頬張れない量を胃袋へ流し込まれたら……。

 

 そんなの、ひとたまりもないはずだ。

 

「無尽蔵に喰らい尽くすなら……! お腹を壊すまで、全部食べれば良いよ!」

 

 私は懐から透明な水晶を掴み出すと、アロガの背中に向かって飛び乗った。

 アロガは一瞬だけ驚いたように耳を震わせたけど、すぐに私の意図を察して、金色の瞳をぎらりと輝かせた。

 

「アロガ、あの鎖の力を解放して! あいつに、私たちの全部を叩きつけるんだ!」

 

 私がアロガの首にある銀色の鎖――バルミーロ親方が打ってくれた、絆の証――に水晶を押し当てる。

 

 すると、石は爆発的な光を放ち始めた。

 それは、ただの魔力ではなかった。

 

 お母さんの遺品を取り戻したい、という私の決意。

 私を信じて支えてくれる、アロガの慈愛。

 

 そして、二人を繋ぐ、誰にも邪魔させない強い絆。

 純粋で、どこまでも濁りのない『生命の光』が、そこにはあった。

 

「グルゥゥゥ、オォォォォン!!!」

 

 アロガが、これまでにない雄叫びをあげた。

 銀色の毛並みから、眩いばかりの白銀の光が溢れ出し、ロスタ・グレイルの剛腕へと逆流していく。

 

「何……!?」

 

 雛壇の老魔術士達が、初めて動揺して目を見開いた。

 

 ロスタ・グレイルは、押し寄せてきた膨大な光を、その本能のままに『吸魔の心臓』へと吸い込んでいく。

 

「ガガ、ギギギ……!」

 

 黒銀の巨躯が歓喜するように震えた――のも、最初だけだった。

 

「ギ、ガガ……ギ、ジ、ジジ……ッ!?」

 

 突如、ロスタ・グレイルの頭部の赤い魔導光が、狂ったように点滅を始めた。

 胸の奥にある紫色の核が、吸い込んだ白銀の光に内側から侵食されている。

 

 遂には制御を失って、激しくパチパチと火花を散らし始めた。

 

「馬鹿な! ロスタ・グレイルの吸魔許容量を超えたというのか!?」

「いや、違う! 魔力の質が……術式で制御された魔力ではない故か!?」

「だが、おかしい! あれには別種の魔力が隠れている様に見える! もっと根源的な――」

 

 雛壇の老魔術士たちが、慌てふためいて立ち上がる。

 

 吸って、吸って、吸い込みすぎたせいで、どうやらロスタ・グレイルの魔術回路を内側から完全に焼き切ったらしい。

 

《……ま、あぁいう物ほど、内側の機構は繊細なものよ。お母さんが作ったゴーレムも、やっぱりそうだったしね》

 

 やがて、プツン、と嫌な音が響くと同時――。

 ロスタ・グレイルの関節部を覆っていた、目に見えない『斥力の結界』が、霧散するように消滅した。

 

「今だよ、アロガ!」

 

 私はアロガの背を足場にして、前方へと高く跳躍した。

 

「今ならもう、好きに魔力を使える! だからこんな鉄の塊――!」

 

 お母さんに教わった基礎。

 その礎を固めるように、これまで私は何度も――何度となく反復を繰り返してきた。

 

 私の、獣人としての純粋な身体能力と、これまで積み重ねてきた意地――それを加えて、鋭く剣を振り下ろす。

 

 狙うは、結界の消えたロスタ・グレイルの、右肩の付け根。

 

「ヤァァァッ!!」

 

 確かな手応えが両腕に伝わる。

 

 業物の剣は、装甲の継ぎ目にある精密な駆動部を、吸い込まれることも弾かれることもなく、深く、正確に切り裂いた。

 

「ギ、ガァァァ……ッ!」

 

 バランスを崩し、ロスタ・グレイルの巨躯が大きく傾く。

 そこへ、背後から白銀の閃光が突撃した。

 

「グルウォォォンッ!!!」

 

 アロガの、純粋な質量と怪力を乗せた体当たりが、ロスタ・グレイルの胸元に直撃する。

 

 回路の焼き切れた黒銀のゴーレムは、もはや耐える術を持たず、仰向けになって審議場の石床へと激しく叩きつけられた。

 

 ガシャァァン、と重々しい金属音が響き渡り、やがて静寂が訪れる。

 ロスタ・グレイルの頭部の赤い光は完全に消灯し、二度と動く気配は見せなかった。

 

 私はアロガの隣に着地し、ツンと上を向いたままの剣を鞘に収めた。

 

「ふうぅぅぅ……っ!」

 

 深く息を吐きながら、雛壇を見上げる。

 

 そこには、口をあんぐりと開けたまま固まっている老人たちと、不愉快そうに顔を歪める魔術士たちの姿があった。

 

 そして、中央の一番高い席のアレクシスは――。

 立ち上がることもなく、ただ静かに、冷徹な琥珀色の瞳で、私とアロガを見つめていた。

 

 その表情からは、驚きも、怒りも読み取れない。

 

 私は懐の水晶をそっと握りしめた。

 石は役目を終えたように、元の冷たい透明な輝きに戻っている。

 

「……王都の最高傑作、でしたっけ」

 

 私は、静まり返る審議場に、はっきりと通る声で告げた。

 

「これで、私たちの力が本物だって、認めてくれますか?」

 

 アレクシスが、ゆっくりと椅子の背から身体を起こした。

 本当の戦いは、ここからだと告げるように、今まさに、彼の纏う空気が鋭く張り詰め始めた。

 

 

  ※※※

 

 

 アレクシスの琥珀色の瞳が、わずかに細められた。

 彼が立ち上がると、公会堂の空気が一段と重くなる。

 

 それは先ほどまでの魔術的な圧力とは異なり、もっと鋭く、物理的な肌触りを持つものだった。

 

 彼はゆっくりと雛壇を降りてくる。

 その一歩ごとに、審議場を支配する静寂が刻まれていくかの様だ。

 そこに隙など一片もない。

 

「認める……。そうだな、元より認めてはいたが、認識を改める必要があるだろう」

 

 アレクシスは私たちの数メートル前で歩を止め、無造作に腰の剣の柄に手を置いた。

 

「貴様が『破壊』という結果を出し事は賞賛しよう。しかし、S級という称号は、単なる強さの証明ではない。この国は当然、ひいては東大陸を守る『盾』の象徴ともなる」

 

 アレクシスの表情から、感情は読み取れない。

 不満そうに感じられるけど、それは私に……というより、また別のことに対してに思えた。

 

人形(おもちゃ)を壊されたのは意外だった。それもまた確かだ。だが……、お前を認めさせたくない者が、上にはいる」

 

「……盾の象徴が気に食わない? それが、あんな卑怯な罠を仕掛けて、私を排除しようとした者の考えですか?」

 

 私が真っ向から問い返すと、アレクシスは表情一つ変えずに吐き捨てた。

 

「実に下らないが、そうなる。あの手この手と策を弄し、それでも万が一の為、私が直接手を下し、不合格を突き付けろ、という話らしい」

 

 そこにエルフの思惑が絡んでいるのを、私は知っている。

 そして、その『盾』を掲げるのは、獣人てあってはならない、と考えているんだろう。

 

 彼も結局、エルフの意思を実現する立場で、誇りなんて持ち合わせていないんだ。

 もしかしたら……。

 

 立場があるから、断れないとかあるかもしれないけど……。

 ――でも、そんなことは関係ない。

 

 もしかしたら、この人もカトリーヌさんと同じ種類かと思っただけに、すごく期待外れだった。

 

「面白くない……。ホントに面白くない」

 

 彼は剣を抜くことはなかったが、その視線だけで私とアロガを射貫こうとする。

 

「始めて良いぞ。先手は譲る」

 

 それ以上の合図はなかった。

 言葉通り、動く事なく剣の柄に手を置いているだけで、構えすらしない。

 

 それもまた不快だった。

 先程の一撃は力に重きを置いていたから、大振りになっていたし、隙だらけだったと思う。

 

 でも、それはあのゴーレムから反撃はない、と判断したからだったし、見せたアレが全力でもなかった。

 

 さっきのが私の全力か、あるいはそれに近い、と思ったなら大きな間違いだ。

 私もまた、剣の柄の上に手を置くだけの構えを見せる。

 

 その仕草にアレクシスは怪訝に眉をひそめた。

 

「どうした、早くしろ」

 

 私は全身に魔力を巡らせ、息を吐く。

 持てる全力を完璧に制御して、そして次に息を吸った時――、全ては終わっていた。

 

 アレクシスはそれに気付いてもいない。

 落胆した様子を見せて、肩から力を抜くだけだ。

 

「降参、という事で良いのだな?」

 

「——もう、終わってるよ」

 

 言い終わるのと同時、アレクシスの左頬から鮮血が飛び散る。

 騎士服の右腕は斬り裂かれ、そこから血が滲んだ。

 

 アレクシスは信じられないものを見た顔で、頬に手を当て、指先に付着した血を見つめた。

 その直後、大量の冷や汗を額に浮かばせる。

 

「いつの間に……」

 

 そんな言葉を聞かされて、こんなものか、と落胆した気分になる。

 まだ本気ではないだろうし、奥の手だってあるんだろうけど……。

 

 それでも、お母さん程じゃない。

 お母さんには全く届かない。

 

「S級って言うから、もっと強いのかと思った」

 

 雛壇から、ざわざわとした声が上がった。

 その声は大体、私の無礼をなじるもので、不愉快さが伝わってくる。

 

「アレクシスに向かって、何たる口の利き方だ」「礼儀以前の問題だ」「アレクシスも何を好きにさせておるか」「なぁに遊びは終い、すぐに這いつくばるだろうよ」

 

 口々に好き勝手言う老人達に、苛立ちが募る。

 何かをして来る訳ではないけど、いざとなったら、一対一の闘いじゃなかった、とか言って妨害があるかもしれない。

 

 そんな漠然とした不安を抱いていると——。

 

《リル……!》

 

 脳裏にナナからの声が響く。

 

(なぁに?)

 

《今のうちに、念の為、回復しておきましょ》

 

 彼女は私と魂の根底で繋がっている。

 

 ナナが長い時間を掛けて私の内側に寄り添ってくれたから、自身の魔力を私へと譲渡できた。

 

 そうして、ありったけの魔力が溶け合うように混ざり合い、まるで失われていた半身が還ってくるような感覚だった。

 

(ナナ、いいの……?)

 

《ええ。今はまだ、私という存在は伏せておいた方が良いし……。だから、私に出来る精一杯をするだけ》

 

 体中を、風の魔力が駆け巡る。

 それはかつて私が持っていたような、制御に苦労する不安定なものじゃなくて、万全――いや、それ以上の力が、体の芯から溢れ出ていた。

 

 そんな私を見て、アレクシスは明らかに狼狽した表情を見せた。

 

「魔力切れに近かった筈……何故、突然回復を? いや、質が違う……?」

 

「細かい事も、良く分かるんだね」

 

 私は剣の柄に手を掛け、半ばまで引き抜く。

 今の私の前なら、圧倒的な質量と密度で、全てをねじ伏せられる。

 

 私が踏み出した瞬間、先程とは逆に、今度はアレクシスが視界から消えかかった。

 彼は本能的に剣を抜き、全力で迎撃態勢を取ったのだ。

 

 でも、私の剣筋は、そんなアレクシスの動きを完全に見切っていた。

 

 ガキィィン、という鋭い音と共に、アレクシスが数メートル後ろへ吹き飛んだ。

 彼が手にした剣は、私の刃に押され、鈍い音を立てて砕け散る。

 

「なっ……!?」

 

 アレクシスが目を見開く。

 私はいつでも攻撃を再開できるよう、残心を取ったまま、冷ややかな視線を向けた。

 

「まだ、続ける?」

 

 私の身体から溢れ出す魔力が、暴風のように荒れ狂う。

 もはや誰も、私を止められない。

 

 アレクシスは砕けた剣を握りしめたまま、信じられないものを見る目で、私とアロガを見つめていた。

 

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