混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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紫銀の残影 その1

 王都を発つ――。

 その為に今、私はほんの二日だけ過ごした、『鹿の蹄亭』へと向かっていた。

 

 道行く人々が私とアロガを見て避けるのは、もう珍しくもなんともない。

 けど、胸元で光るプレートを見て、畏怖めいた視線を向けられるのは慣れなかった。

 

 宿屋に着いて部屋に入ると、張り詰めた気配を解いて、床に寝転がる。

 すぐ隣にアロガも丸くなって、だから自然とそのお腹を枕にした。

 

 尻尾がふわりと乗っかって、即席の布団としてくれるのも、またいつものことだ。

 きめ細やかな肌触りをしている尻尾だから、ただ撫でているだけでも楽しい。

 

 部屋の中を見るともなく見ながら、手慰みに尻尾を撫で続けた。

 そうして部屋の一角で目が止まると、自分の荷物を見つめる。

 

 荷解きなどもろくにしてなかったので、出ようと思えば、直ぐにでも出られる状態だ。

 支払いは既に済ませてあるので、出発しようと思えば、本当に今すぐにでも出発できた。

 

 でも――。

 王都に思い入れなんかないけれど、このまま出て行くのも寂しい気がする。

 

 かといって、観光する様な気分でもなかった。

 また何か、面倒事がやって来そうな感じもするし……流石にエルフの妨害は、もうないと思うけど……。

 

「リル、あまり浮かない顔をしないで」

 

 ふわりと肩越しから現れたナナが、励ますような声をかけてくる。

 私はお腹に乗るアロガの尻尾を撫でながら、ぼんやりと天井を眺めた。

 

「別に落ち込んでるわけじゃないよ」

 

「それなら、なに?」

 

「……ただ、『最初の弟子』って言葉が、どうしても引っかかって……」

 

 お母さんは、そんな弟子がいるなんて、一言も語らなかった。

 語ったのはいつだって、師匠の話だけだ。

 

 もし本当にお母さんの弟子なんてのがいたのなら、どこかのタイミングで話してくれていそう、とそう思った。

 

 それに、そんな弟子がいたのなら、あの戦いで、助けに来てくれても良さそうなものなのに……。

 

 そして何より、“魔女の術”――あるいはそれ以上の何かを継承している人、というのが気に掛かった。

 

 お母さんの愛した(ことわり)が、その人の中で息づいていると思うと、何とも言えない気持ちになる。

 

「もし、本当にそんな人が居たら……私、なんて声をかければいいのかな」

 

「素直に言えばいいじゃない。『私は魔女の娘です』ってね。……もっとも、あたしはそんなの、いないと思ってるけど」

 

「そうなの? どうして?」

 

「お母さんは弟子――魔女の弟子なんて、欲しいと思っていなかった、というのが一つ。もう一つは……魔女は目立つ存在だから、かしらね?」

 

 謎めいた事を言われて、私は首を傾げる。

 本当に目立つのなら、お母さんはエルフとかに、すぐ見つかってたんじゃないだろうか。

 

「あぁ……! そうじゃないのよ。精霊にとっては、って意味で。あのエルフも言っていたでしょう? マナ溜まりに居を築くって。そんな事したらね、精霊界からはすぐに分かってしまうのよ」

 

「あ、そっか。うちにも精霊とか妖精が、沢山遊びに来てるもんね」

 

「そう。お母さんがあの森に来た時、そもそもあの場所は、妖精達の根城みたいなものだったけど」

 

 ナナは自分で言った言葉に、クスクスと笑った。

 

「森を切り開いて、あの一画を作り出すのにも、ひと悶着あったと言う話よ。まぁ、だから……湿原に魔女の弟子なんていたら、それと似た問題が起きていたでしょうね」

 

「そっか……。でも、何処かには居るんだよね? “最初の弟子”は間違いなくいるって、エルフは言ってたけど……」

 

 ナナは難しい顔で腕を組み、ソファにでも身体を沈める格好で、部屋の中をゆっくりと周遊し始めた。

 

「そこが難しい所でね……。さっきも言ったみたいに、魔女ならマナ溜まりを無視する事はない……筈なのよ。なのに、あたしが知る限り、この東大陸でそんなのはない」

 

「本当に?」

 

「本当よ。お母さんの他に、そんな事をしてるヒトなんていないわ。だから、本当にいるのなら、マナ溜まりに興味なくて、今もあちこち旅してるとか……。もしかしたら、そういうの関係なしに旅が好きとか、そういう性分なのかもね」

 

 ナナの言葉に、失望めいた気持ちが胸に満ちた。

 

「じゃあ……、出会うのは難しいってこと?」

 

「そうなるわ。何処にいるかも不明、姿形も不明、名前も不明……。それでどうやって見つけるって言うの?」

 

 確かに、それでは見つけようがない。

 もしも、マナ溜まりに居を築いていたら、多分この人だ、と思えたのに……。

 

 

  ※※※

 

 

 結局、その日はゴロゴロして出発する気は起きず、翌日に宿を発った。

 

 王都の喧騒を背に、私は大きな荷物を背負い直す。

 石畳を叩くアロガの足音が、心なしか心細げに響いた。

 

 北門へと続く通りを歩いていると、ふと、人混みの中に目を惹く揺れを見つけた。

 

 陽光を反射して艶やかに光る、黒色の猫耳。

 人波を縫うようにして近づいてきたのは、見覚えのある細身の影だった。

 

「……リル?」

 

 呼びかけられて足を止めた。

 よくよく見てみれば、そこにいたのは懐かしい顔だった。

 

 かつて獣人の村落で意気投合し――共にお母さんから、武術を習った。

 ほんの数日の関係でしかなかったけれど、あの時の思い出は、今も変わらず大事なものとして心に残っている。

 

 猫獣人のフェリカ。

 その彼女が、皮装備に身を包み、猫耳をぴこりと跳ねさせながら、黄色の瞳を大きく見開いていた。

 

「フェリカ! 嘘、どうしてここに?」

 

「いや、こっちの台詞だよ!」

 

 私たちは同時に駆け寄り、お互いの手を取り合った。

 掌から伝わる確かな温もりに、旅立ちの緊張が少しだけ和らぐ。

 

 フェリカは私の顔をまじまじと見つめ、呆れたような、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「誰かさんがS級に挑むとか、巨大な魔獣を使役したとか、噂は色々聞いてたけど……まさかアンタのことだなんて! てっきり同じ名前の、別人だと思ってたよ!」

 

 彼女の突き抜けるような明るさに、私は思わず苦笑する。

 それから、私たちは路肩のベンチに腰を下ろして、互いの近況を報告し合った。

 

 その背後では、番犬よろしくアロガが腰を下ろし、周囲を威嚇するように睨み付けている。

 

 お陰で私達の周囲には誰も近付きたがらない。

 フェリカも最初はおっかなびっくりだったけど、私が安心する様に言うと、とりあえず頷いてくれた。

 

「いや、それにしても立派な……いや、立派過ぎる魔獣だね。アロガ……だっけ」

 

「そう、私の弟。前に話したよね?」

 

「まぁ、焚き火を囲んでた時に、そんな話を聞いた……、けどさ……。全然、想像してたのと違うし! もっとこう……甘えたがりの、小さなリルっぽいのを想像してたよ!」

 

 そういえば、剣虎狼(ウルガー)だとは言ってなかった気がする。

 私の中では、もう当たり前のこと過ぎて、口にするのを忘れていたかもしれない。

 

「アロガ、フェリカは大丈夫だから。友達だからね。仲良くしてね」

 

 そう言うと、アロガはヌッと顔を近付け、匂いを嗅ぎ始める。

 その間のフェリカはというと、まるで彫像にでもなってしまった様な感じで、微動だにせず、為すがままになっていた。

 

 アロガは一通り匂いを嗅いで満足すると、フシッと鼻から息を吐いて、また元の体勢へと戻る。

 

 それでフェリカも、ようやく緊張を解いて、肩を下ろして息を吐いた。

 

「ちょっと……。やるならやるって、一言くらいあるべきでしょ……」

 

「アロガは噛み付いてりしないよ」

 

「だとしても! アタシの頭なんて、ひと飲みに出来る口が迫って来るのよ……! 怖いでしょうが!」

 

「そう?」

 

 私が後ろに手を回すと、アロガはその手に顔を寄せてくる。

 手を丸ごと、次に頭の耳を舐めて、毛繕いでも始めようとしたので、それは流石に止めた。

 

 もう私だって、そんな事をされるほど子どもじゃないのだ。

 

「それで、フェリカはどうしたの? その格好を見ると、無事に冒険者になれたんだって分かるけど」

 

「そう! そうなのよ!」

 

 フェリカは胸を張って、皮鎧の胸元から冒険者プレートを取り出して見せた。

 それは目映いばかりの金色に輝いていて、中央にはランクと順位を示す記号が刻印されている。

 

「どう? A級、三十位! たった一年で、ここまで上り詰めたのよ? これはギルドの歴史を見ても、中々ない快挙なんだから!」

 

 フェリカに顔は自信に満ち溢れていて、プレートを誇示するのが嬉しくて堪らない、といった様子だった。

 

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