ギルドへ向かうその前に、フェリカがしたことは、まずアロガへの謝罪だった。
路地裏の出口で佇むアロガは、既にフェリカを敵と見定めており、剣呑な気配を発している。
フェリカはその前まで歩いて行くと、ガバリと頭を下げた。
「あなたの家族に、乱暴な真似してごめんなさい! もう、こんな事はしないから!」
「グルル……!」
でも、アロガはすぐに許そうとはしなかった。
もしも、フェリカがこの狭い路地を選んでいなかったら、とうに組み敷いてその牙を突き立てていたかもしれない。
今も襲わないのは、フェリカとはまだ距離があり、無理に入っても身動きが取れないからだ。
私はフェリカより前に立って、アロガに手を伸ばしながら言う。
「大丈夫だよ、アロガ。ちょっと手合わせしただけ。ケンカとかじゃないから」
そう言いながら、更に近付いて両手を伸ばすと、アロガは根負けしたように息を吐いた。
私の手に顔を擦り付け、甘えた声を出す。
頬にも舌を伸ばしてきて、更に頭と耳の毛繕いを始めてしまい、今度ばかりは好きにさせた。
「何て言うか……、甘えたがりなのね。いや、そういう話は聞いていたけどさ。こうして改めて見ると、ギャップが凄いのよ……」
「アロガはいつもこんな感じ。もっと姉離れしてくれないと、私も困っちゃうんだけどなぁ」
口の周りをワシャワシャと撫でてやれば、アロガの機嫌はいよいよ良くなって、舐める力が更に増した。
頭がぐらんぐらんと揺れ出して、流石に我慢できなくなって離れる。
逆立ってしまった髪を撫で付けて直していると、ふとフェリカから声が上がった。
「……あ、そうそう。リル、一つ言い忘れてたわ。旅の支度は、もう万端? でも、水の用意だけは要らないわよ。アタシがただの獣人じゃないのは、ちゃんと覚えてるでしょ?」
フェリカが肩の高さで指を弾くと、淡い水色をした光の粒子が、周囲に集まり始めた。
路地裏で日当たりが悪いと言っても、気温はそれなりにあったのに、ここの周囲だけが急に涼やかな空気に満たされる。
パッと光が弾けた後、そこに現れたのは、凛々しい表情をした青い長髪の青年だった。
いや、青年というには、その肌の質感や瞳の奥に宿る透明感が、あまりにも人間離れしている。
ゆらゆらと水面のように揺らめく薄い外套を羽織り、背中にはシャボン玉――というよりもっと硬質な、不定形の水晶玉が二つ浮いている。
「紹介するわ。あたしの相棒、水精霊のルヴィアン。どう? かっこいいでしょ!」
フェリカは誇らしげに、ルヴィアンの腕に自分の腕を絡めた。
ルヴィアンと呼ばれた精霊は、無表情のまま私を一瞥し、軽く会釈をした。
その所作の一つひとつから、洗練された教養が伝わってくる。
「……フェリカの相棒、ルヴィアンだ。よろしく頼む」
声は、冷たい小川のせせらぎのように澄み渡っていて、冷静さが形を成したかの様だ。
以前出会った時、フェリカの中にいたのは、まだ自我をあまり表に出せない下位精霊だったけど……。
精霊にとって、階位を上げるのは相当な苦労を伴うはずだ。
でも、どうやらここ数年の間に、ルヴィアンは見事やり遂げた、ということらしい。
A級まで最短で駆け上がったと言っていたけれど、そうか……。
中位精霊と共になら、それも少し納得かもしれない。
「水精霊……。フェリカ、精霊の階位、上がって良かったね」
私がそう素直に褒めると、フェリカは「えへへ」と、少しだけ得意げに鼻を鳴らした。
「ルヴィアンもね、私があの魔物に襲われて死にかけた時、思うところがあったみたいなの。リル達が発ってから、一度精霊界に帰ってね。……で、今はアタシが前衛で攻撃を引きつけて、ルヴィアンが精霊魔法の攻撃と援護でカバーするって連携でやってるの。この連携があるからこそ、A級まで負けなしだったんだから!」
「……フェリカは、ただでさえ危なっかしいからな。こちらで穴埋めするしかなかった」
ルヴィアンそう付け加えると、フェリカは彼の肩を軽く小突いた。
「もう、余計なこと言わないでよ!」
二人のやり取りを見ていると、まるでおしどり夫婦のようだ、と少しだけ心が和む。
ナナも私の背後から顔を覗かせ、ルヴィアンに向かって軽く頷いた。
精霊同士の挨拶なのか、彼もまた静かに目を閉じ、会釈を返す。
「……ふん。人間社会との接触は、それほど長くないはずなのに、もう結構、馴染んでいるのね。でも、確かに魔力は大したものだわ。リル、こいつなら背中を預けてもいいかもしれないわよ」
「あんまり面白く思ってなさそう。でも、認めてはいるんだね」
私は内心で苦笑しながら、改めてルヴィアンに向き直った。
「ルヴィアン、これからよろしく。……正直、フェリカが一緒に来てくれて嬉しい」
「礼には及ばない。……フェリカは直情型で、放っておくと勝手に敵の懐へ飛び込んでいくタイプだ。これからは、そちらの『弟さん』共々、しっかりと見守らせてさせてもらう」
ルヴィアンがアロガに視線を向けると、アロガもまた、彼に対して敵意のないことを示すように、低く「フス」と鼻を鳴らして応えた。
精霊と魔獣、そして獣人と精霊の愛し子。
王都の路地裏には少し不釣り合いなほど強力なメンバーが、こうして揃ってしまった。
「さ、これで戦力は盤石ね!」
フェリカは私の腕を強く引き、ギルドに向かおうと歩き出した。
それに合わせて、ナナは私の中へと入り込み、ルヴィアンも同様にフェリカへの中へと姿を消す。
その先にどんな困難が待っていようと、今の私には、この仲間たちがいる。
お母さんの遺品へと続く道は、決して一人で歩むためのものではなかったのかもしれない。
※※※
ギルドの重厚な扉を押し開けると、酒場の喧騒にも似た活気が顔に当たった。
でも、私が姿を見せたことで、室内が一瞬だけ静まり返る。
S級のプレート。
そして、その背後に控えるA級のフェリカと、巨大な剣虎狼であるアロガ――。
このアロガの威容も然る事ながら、今の私達の組み合わせは、このギルドにおいて、一種異様な光景に映るらしかった。
「……新人にしてS級まで一瞬で上り詰めた嬢ちゃん、今日は何用だい? 今、S級に頼みたい任務なんてないんだがね?」
カウンターの向こうで、老事務員が眉を寄せながら声をかけてくる。
私は努めて堂々と、窓口へと歩み寄った。
「いいえ。……パーティー結成の申請をお願いします」
「パーティー? あんたがかい? こりゃまた突然だね?」
老事務員はギョッとした表情で、私の後ろに立つフェリカを値踏みするように見た。
「相手は……フェリカね、A級三十位か。……まあ、ランクの規定には引っかかっていないが、あんた、本当にいいのかい? S級の任務は、並のパーティーが背負える重さじゃないよ」
「分かってるって! でも、アタシ達はもう決めたんで。それに……リル一人じゃ、色々と心配でしょ? 冒険者のしきたりとか、取り決めとか、そういうの全然知らなすぎるもの」
フェリカは私の肩を叩き、ニカっと笑ってみせた。
事務員は肩をすくめると、慣れた手つきで羊皮紙の申請書を二枚、カウンターに並べた。
「まぁ、それを言ったら、お前さんだって十分とは言えないけどな。そういうのは本当に多様で、低級ランクから少しずつ覚えていくもんだから……」
「べ、別にいいでしょ! リルよりは、ずっと知ってるのは間違いないんだし!」
フェリカが焦った様に言うと、後ろの方から、他の冒険者の声が上がる。
「じゃあ、俺がそっちに入ってやろうか~?」
「いやいや、お前じゃ心配だ。もっと常識を持ってる奴じゃないとな。つまり、俺だ」
「どっちも、お断りよ! どうせS級って看板目当ての癖して!」
フェリカが口を「いーっ」として、顔を背ける。
事務員の方はどうにも渋い顔をしながら、こめかみ辺りを指で掻いていた。
「まぁ、互いに納得ずくなら、問題ないがね。……いいだろう、名前はどうする? パーティー名だ」
「……『紫銀の残影』」
ふと、頭をよぎったものが口から出た。
お母さんの誇りを忘れない様に……。
お母さんが誇りに思える行動を取れるように……。
私たちはその名前を羊皮紙に書き込み、冒険者プレートを並べて置く。
プレートから魔法的な認証の光が漏れ、それが空中で一つに混ざり合うと、新たなパーティーとして登録が完了した。
「よし、登録完了だ。……『紫銀の残影』。これからあんたたちの名前は、このプレートで紐付けられる。……悪いことなんかするなよ。S級が何で特権を有しているのか、よく考えるんだな」
老事務員はどこか哀れむような目線を私たちに送ったが、私たちは深々と頭を下げてギルドを後にした。
※※※
ギルドを出ると、王都の空は薄い青色に染まっていて、陽は高く昇っていた。
雲は薄く、まばらに見えるだけで、気持ちの良い快晴だった。
門へと続く大通りで、フェリカがふと空を見上げる。
「これから西へ向かうのね。長い旅になるわ」
「……うん。アロガも、ルヴィアンも、そしてフェリカも。みんな、本当にありがとう」
私が礼を言うと、フェリカは「お礼なんて後でいいのよ!」と笑い飛ばした。
私の首元でS級の銀のプレートが、陽の光を浴びて鈍く輝く。
――ようやく、ここから始まるんだ。
「さあ、北門を抜けて、まずは街道を進むわよ。日が沈む前に、どこかの町には着きたいわよね!」
フェリカの号令に、アロガが短く吠える。
私たちは王都の石畳を離れ、荒野へ続く道を踏み出した。
背後で王都の鐘が鳴る。
それは、私の新しい物語の開始を告げる、高く澄んだ音色だった。